私は、また、生き返ってしまった。
まことに、厄介な話である。
昭和二十三年の玉川上水で息絶えたはずのこの身が、何の因果か、令和五年の世にふたたび目を覚ました。世はまさしく情報の奔流、あらゆることが冗談のように軽く、そして速い。驚いた。否、うろたえた。私はそういう男である。
再び地上に現れた私は、まず「スマートフォン」なる不可思議な道具を手にした。掌の中に世界が入っており、人々はみな、そこにむかって喋り、怒り、笑い、媚び、さらには泣いていた。
かつて、私は文章を書き、それを活字にして書店に並べ、読者が数日をかけて一冊を読み切り、感想を手紙でよこす。そんな牧歌的で、手間暇のかかる時代に生きていた。
いまは違う。文章は、即時に投げつけられ、即座に評価され、翌日には忘れられる。
しかもその「評価」とやらが、「いいね」なる数値であるというのだから、私は泣いた。いや、冗談ではなく、本当に泣いた。
私はTwitterという場にて、ひとつ文章を投稿した。たったの140字。思えば、檀くんに「もっと短く書け」と言われたこともあった。なるほど、時代は私を追い越していたのだ。
この世は冗談でできている。冗談が通じなければ、死ぬしかない。
いいね。ゼロ。
フォロワー。二名。うち一名は、アニメの少女の姿をしていた。私は再び泣いた。
この現代においては、もはや文学などというものは、存在しておらぬのではあるまいか。
猫の寝顔、喫茶店のパンケーキ、少女の自撮り――そういった画像たちが、万の単位で「いいね」を得ている。そこに私が、文字だけの呟きで挑んだのだから、むしろ滑稽であった。滑稽すぎて、立っていられなかった。
友人の青年――Yとしよう――が言った。
「太宰さん、もっとバズる工夫しなきゃ。今はAIでも太宰っぽい文章書けるんすよ。負けてますよ、それ」
私は、黙って酒を呑んだ。缶チューハイという安酒である。太宰治、令和にて缶チューハイ。これ以上の屈辱があろうか。
酔いがまわるにつれて、私は自撮りを投稿した。
薄暗い部屋で、魂の抜けた私の顔が、画面越しにこちらを見つめている。
通知音が鳴った。
「キモい」
ただ、それだけだった。
私は、スマートフォンを便器に叩きつけた。
若き日の自殺未遂より、いくらか進歩したかに見えるが、内実はまるで変わらぬ。
尊厳の残骸を拾い集めながら、私は昭和という時代を、あらためて恋しく思った。
だが、私はまだ投稿している。
深夜のコンビニの灯りのように、誰にも見つけられない小さな光を、ともしている。
《生きることは、評価を待ち続けることでした。
誰にも褒められず、誰にも罵られず、ただスクロールされていく人生の中で、せめて最後のこの投稿だけは、誰かの心に引っかかればと思います。
さようなら。》
それが私の、最期の投稿だった。
いや、最期にしたかったのだ。
本当は、死にたくなどない。ただ、「誰かに見つけてほしかった」のである。
いいね。ゼロ。
コメント。ゼロ。
通知。来ず。
画面が暗くなった。そこに映る自分の顔が、あまりに哀れで、思わず笑ってしまった。
生きていた頃の私と、なにも変わっていなかった。
この世界には、誰もいない。
皆がそれぞれ、自分の投稿だけを見ている。人の文章など、誰も読んではいない。
いや、正確に言うなら、皆が“読まれない苦しみ”の中にいる。私だけでは、なかったのだ。
私は、その黒い画面に、自分の顔を見た。
滑稽だった。情けなかった。
だが、私は、どうしてもこの惨めさを残しておきたかったのだ。
太宰治、令和のSNSにて沈没す。
この文章が、デジタルの海を漂い、誰かの目に一瞬でも触れたなら、それが供養である。
私はまた、書く。
きっとまた、誰にも読まれない。
だがそれでも、書く。
なぜなら私は、まだ“バズって”いないのだから――。
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太宰治をChatGPTに憑依させて書かせた小説だが、まあ絶妙に太宰の屈折した感じは描き出せているのではないだろうか。
正直、ほんものの太宰はもっと「ややこしい」人間ではあるが、現代に蘇った太宰がSNSの承認欲求に悶々とするのは、「十分ありえそう」に思える(笑)
もう少したくさん太宰の小説を読み込ませれば、文体も近づけられるような気もする。
ぜひ、文豪好きなみなさんも、あなただけの太宰を呼び出してみてほしい。
次回は「人間失格 〜だって人工知能だもん〜」でも書かせてみようかしら(^^;
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