2025年2月18日火曜日

恵方巻きの起源を明らかにしたぞ!



  2025年の節分は、いつもの年と違って「2月2日」だったのだけれど、どうも立春の前の日を「節分」とするそうで、国立天文台が地球と太陽の位置関係を計算して「二十四節気」を割り出したら、今年は一日ずれてしまうのだそうだ。

 余談ながら1984年には2月4日が節分だったそうで、天文学とは面白いものである。

 さて、節分といえば、その起源について「ハテナ」がいっぱいなのが「恵方巻」で、毎年よくわからないながら黙って恵方に向かって太巻きを頬張るのが、恒例行事となっている。

 恒例にはなったものの「自分の小さい頃はそんな風習はなかった」とか「そんな風習があったと知らなかった」と思っている人も多く、バレンタインデーのように、なんだか商業界にまんまと乗せられているなあ、という気もしないでもない(笑)

 それでも、恵方巻きやらハロウィンやらは、比較的新しい「恒例行事」として、なんだかんだと定着しつつあるのが、無節操な日本人らしくて、たいへん微笑ましいのである。

 

 その「恵方巻」の起源であるが、どこの書物をみてもたいてい「諸説あるが」なんて口ごもった言い方で書いてある。そもそも、誰も恵方巻の起源を知らないのが実態なので、ここはちょっと調べてみようと思って研究を始めたら、なんとも興味深い方向へ話は進んでいくのである。乞うご期待!

 では、まず最初に、「恵方巻の起源がどのように伝えられてきたか」を確認してみよう。ざっと概観するにはウィキペディアの記事はたいへんよく書かれている。


 まず、恵方巻とは、

■ 節分の日に
■ 太巻きを
■ その年の恵方に向かって
■ 言葉を発せずに最後まで食べる

という風習である。 これを実行するといわゆる「福がある」「ご利益がある」というものだが、起源がわからない割には、アクションに意外と明確な規定があるのが興味深い。

 さて、その起源であるが、wikiにもまとめられているし、その他多くの書物を比較しても、おおむね以下のようなことが挙げられている。

■ 幕末から明治ごろ 大阪の船場ではじまり商売繁盛などを願った
■ 船場の色街で女性が丸かじりしたら願いがかなった。
■ 江戸時代以降、季節の新香巻を恵方を向いて食べ、縁起をかついだ
■ 船場の旦那衆が、節分の日に巻きずしを丸かぶりさせて遊んだ。(卑猥な意味を伴うことが多い)
■ 戦国時代の武将が、節分に丸かぶりしたら勝ったという。

 ちなみに、類例としてこれらとほぼ同じだが「関西人の謎でんねん!」という2006年の書籍には、次のような4点がまとめられている。

■ 幕末から明治に大阪船場で商売繁盛を願って食べた
■ 大正時代、季節のお新香を巻き、恵方に向かって食べるのが流行した
■ 船場にあった色街で、女性が太巻きを丸かじりして願いを叶えた
■ 船場の旦那衆の艶っぽい遊びが始まり

 こうして見るとwikiの記述とおおむね重なっていることがわかると思う。

 補足ながら、ボヤかしてある部分について、いちおうはっきり叙述しておくと、要するに「太巻きをチンコに見立てて遊女にかぶりつかせる」というのが、旦那衆が行ったという卑猥な遊びである。この部分は、恵方巻きの起源を語るときに、おっさん連中がしたり顔でニヤニヤしながら解説する定番にもなっている(苦笑)


 さて、本題に戻ってこれらを総合すると「江戸時代から明治・大正ごろにかけて、大阪で発祥した」とするのが、大きな共通点であろう。

 wikiを読むと、それ以降の広報についても解説がきちんと書かれていて、

■ 大阪鮓商組合が1932年に「巻壽司と福の神 節分の日に丸かぶり」という広告チラシを配布した。(これには節分・恵方・無言・丸かぶりという要素がすでに全部詰まっている)

■ 1970年の証言として「”大正時代”にはあった、新香の頃に当たるので、新香巻を切らずに恵方に向いて食べる」というものがある。

■ 戦後の1955年ごろ、芸者の女性が丸かぶりをしていて「いいだんなに巡り合えますように」という願掛けだったという証言。

 などの動きがあったという。

 その後の全国展開・商業展開について1980年頃から散発的に行われていて、「小僧寿し」が行った「縁起巻」の呼称での宣伝がその早いものだとも紹介されている。


 というわけで、一般的に言われている「恵方巻」についての起源についての解説は、ここまで、ということになるが、ここから先がムコガワの独自調査のお話である。

 そもそも「恵方」とは何か。これはベタな言い方をすれば陰陽道なもので、その年の干支に基づいて「歳徳神」がどの方向にいるかを示したものであるとされている。あるいは「明(あき)の方」とも呼ばれ、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされている。

 しかし、これだけではまだ「恵方」と「巻きずし」の関係もわからないし、節分は節気なので、なんとなく陰陽道っぽいけれど、まだ情報がバラバラな気がするのだ。

 そこで、wikiにもあるように、「大阪船場には色街が存在しなかった」のにどうして艶っぽい話が絡んでくるのか、そこに着目して色街・花街と恵方の関係を検索してみた。

 すると、とてつもなく面白い情報が見つかったのである!

 明治27年発行の「江戸花街沿革史」において、「恵方」のキーワードが登場するのはたった一箇所であるが、そこをちょっと見てみよう。




 まず、事前情報として、これは江戸の花街についてであるが

「正月から二月の初午と八日には『大黒舞』というのが来て、遊女は競って祝儀を取らせた」

という箇所を押さえておく。その上でその大黒舞の内容が次のページに載っている。

 


 大黒舞の前唄(口上)に、こんなセリフがある。


「大黒は元日に恵方に向かいて莞爾(にっこり)と笑い初めたる福寿草〜」

こんな歌や舞を踊りながら、そのとき全盛の遊女の名寄せ(名簿)を読み上げるという。

 もちろん、この段階では「花街」「大黒」「元日」「恵方」の構成要素が出てきただけで、恵方巻とはほんの少ししか重ならない。

 しかし、元日はともかく、2月に入ってもこの「大黒舞」が花街にやってくる、というのは、なんだかアンテナにビビビと鬼太郎なのである。


 では「大黒舞」とは何なのか。

大黒舞 「室町時代から江戸時代にかけて行なわれた門付芸の一つ。大坂や江戸を中心に遊芸人が大黒天の姿をまねて面と頭巾をつけ、打出の小槌を持って門ごとに立ち、毎年新作した祝の詞を唄いながら舞うもの。江戸では正月二日から二月初午頃まで吉原などで芝居狂言なども演じた。」(日本国語大辞典)

 どうも芸人が大黒さんの姿で新年を祝うものらしいが、大阪でも江戸でも行われていて、なおかつ吉原とも深く関わっていることが伺えるのである。

 ところが、この「大黒舞」には、その背後関係がいろいろある。

 引用した「江戸花街沿革史」にも最後のほうにちらりと覗いているが、この「大黒舞」などの門付け芸は非人によって行われており、明治2年ごろから4年ごろにかけて、新政府はどうも制限をかけたらしいのだ。

 それまでのように自由に「大黒舞」の演舞ができなくなり、お金の取り扱いは町の年寄を介さないとできなくなったり、吉凶の代金をもらうこともできなくなったりしたようなのである。

 ここまでをざっくり考えると

■ 大黒舞と恵方が密接に結びついており
■ その大黒舞の芸は、江戸時代は花街でも年中行事になっていたが、明治初期に禁止された

というような動きが、想像できるのである。


 さて、次に、では「大黒と恵方」とはどのように結びついているのかについて調査を深めてみよう。

 実は大黒舞はその変形と思われる秋田県民謡の「秋田大黒舞」というものが残っていて、


「あきのほうから福大黒 舞い込んだ」

という歌詞になっている。この”あきのほう”とは「明きのほう」「明けのほう」であり、つまりはズバリ「恵方」のことを示すのだそうだ。

 また、江戸時代の川柳を集めた「柳多留」にも

「大こくも恵方からくりゃ安く見へ」

という句があることからも、「大黒=恵方」の信仰は、密接であることが伺える。

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<補筆> 恵比寿大黒は、たいていセットで信仰されるので、もちろん恵比寿にも恵方から来るという概念はある。

恵方の海〕西鶴の胸算用卷四に長崎の除夜を記して『大晦日の夜に入れば、物貰ひども顔あかくして、土で作りし恵比須大黒荒鹽豪に載せ、當年の恵方の海より潮が參つたと家々を祝ひ回はりけるは、船着第一の所ゆゑぞかし』とある。(日本民俗学辞典)

 井原西鶴も恵比寿大黒をセットにして「恵方の海から潮が参った」と書いている。
 ただ、実際の用例としては、「大黒=恵方」のほうが多く、吉原では10月20日に「えびす講」という別の行事で恵比寿神を祝っている。

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 そこで、江戸期の大黒信仰とはどういうものであったかを、さらに探ってゆくと、またまた面白いことに出くわしたのである。

 では、まず↑の絵をみてほしい。

 江戸時代において「大黒様」といえば「二股大根」がセットで、これは当然、エッチなあなたにはすぐ想像できるとおり、エッチなことを意味している。

 
 あまり大っぴらに語られることは少ないが、要するに「大黒様」は「黒光りさま」であり、「二股大根」は「白いすべすべのおまた」ということになるわけだ。

 ここまで来て、「またまた〜。うまいこと話を繋げちゃって!」と賢明なる読者諸君は思うかもしれないが、ここで真面目な論文を紹介しよう

「東北の大黒信仰儀礼の基礎的研究」菊池和博 2022 東北文教大学

https://t-bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/152/files/kiyou12_03_kikuchiK.pdf

 この論文は主に東北地方においてのものだが、読み進めるうちに「恵方巻」の正体に当たるものがおぼろげながら見えてくるのである。

 きっと読者諸君も、びっくりするに違いない。

 話は次のようなことだ。

■ 大黒信仰への供物は「二股大根」であり、性的な意味を持つ。
■ 大黒さまを後ろからみると男根。
■ ズバリ、大黒様へ女性を捧げる、のである。(豊穣の象徴)
■ そして大根以外の依代供物がなぜか「豆」なのだ。
■ 大黒さまは耳が遠い神として信仰されている。「耳あけ」という行事名。
■ (大黒様の)「嫁迎え」という行事名になっている

 こうした構成要素を見てゆくと、恵方巻の要素と非常に関連性があるだろうことが推定されてゆく。

■ 恵方巻きに卑猥な要素があること(大黒はチンコだから?)
■ 黙って食べるということ(大黒は耳が聞こえないから?)
■ ほぼセットになる供物が「豆」(だから節分?)
■ 太巻とはつまり「大黒」な形状をズバリ表す?


(余談だが、大黒様を後ろからみるとチンコ、というのは、そう言われると下にある2つの米俵は、もう金玉にしか見えてこないから不思議である)

(もうひとつ余談。大黒様が耳が聞こえない、というのは恵比寿大黒がセットで信仰されたり表現されたりすることと関わりがあるだろう。戎は蛭子神・水子神であるため不具性を伴う。ヱビスにも耳が聞こえないという伝承があるため、混同・習合されたものか)


 さて、もう一度、最初に述べた「恵方巻」のシステムを思い出してみよう。

■ 節分の日に
■ 太巻きを
■ その年の恵方に向かって
■ 言葉を発せずに最後まで食べる

というものだったが、太巻きの寿司を「大黒」に見立てた時、そのすべての意味合いが、はっきり説明できることに、諸君は驚かないだろうか!

 これに花街における「大黒舞」の歴史を加味すると、

■ 大黒舞によって新年と恵方を祝いでいた行事が、大黒舞の禁止あるいは衰退によって、「恵方巻」へと代替されていったのではないか?

といったことも想像できるのではなかろうか???!!!

 そうすると、船場に花街がなかったのに「恵方巻きにエッチな要素がある」というのも、なんとなく説明がつくだろう。

 船場の旦那衆による「卑猥なセクハラ」だったというよりは、もともと大黒信仰に「性的豊穣の象徴行為」が含まれている以上、それほど不自然な風習ではなかったかもしれないのである。

(旦那衆によって押し付けられたものではなく、芸者衆側が自発的に行う豊饒祈願だった可能性もある)

 また東北の信仰では「大黒様は耳が聴こえないので、音をわざと立てて”耳あけ”をしなくてはならない」と考えたのに対して、恵方巻きでは「大黒様は耳が聴こえないので、黙って食べるのが礼儀である」と考えたのではなかろうか。

 さらに補足的な事実がある。それは大阪での恵方巻きが明治大正などの初期には「新香巻」であると記されることが多いのだが、今でこそいろいろな野菜を「香のもの」として漬けたり巻いたりしているものの、古くは

■ 大根漬け=たくあん

こそが「香のもの」であったというのである。


『食の展望』2023 味の素食の文化センター

”新こうこうが漬かる時期なので、その香の物を芯に巻いたノリ巻を、切らずに全のまま、恵方のほうへ向いて食べる由」(一〇七頁)とある。香の物は大根漬、たくあんのことと思われる。”

 もうここまでくれば、なぜ新香巻にこだわるのか、理解できよう。大黒様への供物、それこそが大根だから、と考えれば、これほど辻褄が合うことはない!


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 さて、ここまで考察してきて、ほとんどすべての構成要素は「矛盾なく整っている」といえる。

恵方巻とは大黒信仰の変形であり、花街と大黒舞の関係性が、さらに変化したものである

というのが、基本的な結論だ。

 ただ、少しまだ足りないものがあるとすれば、

「大黒信仰のあらましが、東北やら江戸での状況を反映したものなので、大阪においてどうだったのかが、まだ判然としない」

ということであろう。実際に「大阪においても、大黒信仰にこれまで述べてきた各要素があるのかどうか」について、民俗学的に裏付けがなされてゆけば、この仮説はどんどんと確定的になるに違いない。

<補筆> ちなみに、三田村鳶魚全集 20巻には

「恵方から福の神を先に立て、大黒殿がござった」といって、乞食が元日から緋縮緬の投頭巾をかぶって踊り込む。鳥追とともに初春の景物として、この大黒舞を覚えた。江戸では早く亡びたが、大阪には久しく残っておった。」

とある。大黒舞が大阪では最後まで残っていた証言となるかもしれない。

<補筆> 土井勝の「ごはんとおかず ベスト120種の徹底的研究」1970 には、興味深いことが書かれていた。



 新香巻き(こうこ巻き)は、大阪特有のもので、明治のはじめに大阪戎橋の寿司屋が、花柳界の酔客に教えたのがはじまりで、矢倉ずしが盛んに売り始めた、という。
(土井先生は、「基礎日本料理 新版」1967では戎橋の「すし虎」と書いている。 ウィキでも阿部直吉が「鮓虎」を挙げている。

おそらく起源はこのあたりで間違いないだろう)

 ここでやっぱり「花柳界」と「新香巻」が繋がってくるのである。

(「大黒舞の終焉」と「新香巻きの発祥」が、ちょうど時期を同じくするのが、ポイントではなかろうか。もちろん接点は色街である)



 さて、これ以上は今後の解明に期待したいが、今回の論を発端として、読者諸君のさらなる研究発展を願うところである。

 ちゃんちゃん。





2024年4月11日木曜日

なぜモラハラは結婚前に見抜けないのか?

 

 「結婚前はとても優しい人だったのに、結婚してからモラハラ人間に化けるのを見抜くことができなかった」

といった話はよく聞きます。実際にSNSなどでそうしたモラ被害にあった方に話を伺っても、「モラを見抜く特徴」といったものは、「見当たらないことが多い」のだそうです。

 これは大変不思議なことで、一般的な感覚だと「なにか、結婚前や付き合う前でも、モラハラになりそうな予兆や予感、前触れのようなものがあるのではないか?」と思いがちですが、「そうではない。わからない」タイプのモラハラ人間が存在することは恐怖でしかありません。

 そこで、ここしばらく「モラハラとは一体なんなのか」ということを考察していたのですが、いくつかのヒントから、その正体が判明してきたので、それをまとめておこうと思います。


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<モラハラの2類型 〜被害者型と指導者型〜>

 結論から先に言えば「結婚などの前に、事前に見抜けるタイプのモラハラ人間」と「結婚などをして内側に入らないと見抜けないタイプのモラハラ人間」という2つの類型があるのだ、ということになります。

 一般的に私達は、前者と後者を混同して「ひとつのモラハラスタイル」を想定してしまっているので、それに当てはまらない時に、「事前に何か前兆があるだろう、あるはずだ」と思い込んでしまうのですね。

 ところが、「見抜けるタイプと見抜けないタイプがある」ということになると、なるほど前者と後者とでは、その「動き」が違うわけです。

 以下、詳しく説明してゆきましょう。

■ 被害者型モラハラ人間

 モラハラというのは、ざっくりいえば「正義で善」です。もちろん、モラハラ行為を行うのは「悪」だと思いがちですが、それを行う人間には、それなりの善や正義という感覚があり、それを他者に当てはめようとするわけです。

 たとえばカスタマーハラスメント=お客として店員に圧力をかける、ようなモラハラだと、「店員が何か間違ったことや、不備を起こしたので、それに対して文句を言って正そうとする」行為であることが大半でしょう。

 あおり運転なども同じで、ニュースなどでは「あおり行為」のほうを主に取り上げますが、「あおられた側」になにか、後続車に誤解を生じさせるような動きがあり、「急に割り込んできた」とか「追い越し車線をいつまでもあけなかった」ので、それは善悪に対して悪である、という感じ方からあおり行為へと移行してゆくパターンはよくある話です。

 これらのモラハラは「見抜くことができる」といえます。なぜなら、「善悪に照らし合わせて、なにか間違ったことを自分がやられたと感じたら、おのずとモラハラ行為が発動する」タイプだからです。これは、恋人や妻にももちろん発動しますが、店員や第三者といった「他人」にも、自分の基準に応じた「正義や善」に外れたと感じた瞬間発動しますから、見抜きやすい、と言えるでしょう。

 このタイプが一般的に「一緒にお店に行ったときの態度」とかで判別しやすい類型になります。

 不正義を自分に対して「やられた」と感じる力が強いので、「被害者型」と名付けました。


■ 指導者型モラハラ人間

 それに対して、後者の「指導者型」というのは、実はまだ日本ではあまり認識されていないタイプのモラハラ人間の類型だと思います。

 これはどういうことかというと、同じようにその人物の内部では「あるべき理想や正義、善悪」というものが抱かれているのですが、それに対して、彼ないし彼女は

”ストイックにその正義や善を実行しようとする”

ことが多いタイプです。基本的には真面目であったり、他者にたいして善なる存在であろうとしますから、「善き人」の外面を持ちます。そしてまた、そうなるように、「自分もしっかり努力している」ことが大半なので、周囲からみて、この人物が「モラハラ人間である」とはなかなか想像ができないと思われます。

(優しく、良い人であるべきだ、という理想を実践しているわけです。)

 自分でも努力をしているので「ストイック型」と呼んでもいいかもしれませんが、実はストイックに努力をしている間はなんの問題も起こさないので、あえて問題行動を起こす段階での「指導者型」と呼びましょう。

 このタイプのモラハラ人間が「化ける」「変化する」のは、お付き合いをしたり結婚したり、「自分の内側の存在」「自分の枠内の存在」「自分のグループ内の存在」に相手が入ってきた時です。

 その時に何が発動されるかというと「自分はこうあるべきだと考えているので、おなじグループに属するあなたも同じであるべきだ」という思いです。

 モラハラ人間である彼や彼女自身は、「ともに善なる高みを目指してゆこう」とか「ともにおなじ正義を守ってゆこう」と思っています。そして、それに対して不十分であるパートナーに対して

「そんなことで共に歩んでゆけるのか!」
(そんな状態で、俺の私の正義や善を共有できるのか!)

と叱責するわけです。この動きが、強烈なスポーツ部活動などのしごきに似ているので「指導者型」と呼んでみましょう。

 この場合、モラハラ者は「指導者」なので、ガンガン「未達の者、修練が届いていない者」を責め立てます。そして、目指している正義や善は、一般的には「それはある意味・一見すると正しいこと」だったりするため、被害者は正義の名の下に追い詰められてゆくわけです。

 この指導者型の特徴は「部活動」みたいなものですから、自分の部活の内部にしか発動しません。もちろん、外部に対しての「善や正義」は抱いているのですが、「内部の人間以外には、関係がない」と思っているので、外では問題を起こさないわけですね。


<モラハラ2類型の根底にあるもの>

 とまあ、いちおうわかりやすく便宜的に「被害者型」と「指導者型」に分けましたが、モラハラ人間としての根っこは繋がっているため、時に連動した動きをすることがあります。完全に切り分かれているもの、と考えるべきではありません。

 根っこは関係があります。

 そのため、カスタマーハラスメントなどでは、店員に対して執拗に責め立てる時に、「自分はこいつを指導しているのだ、教えているのだ」という感覚を抱くこともあり、指導者型の要素も含まれています。

 また、家庭内でしかモラハラを起こさない人間でも、「外面に対して、家族のお前がなっていないので恥をかかされた」といったような被害者的感情を抱く場合もあるでしょう。

 ただし、そのストイックさには差があることが多く、

■「被害者型」は正義や善に対して自分の努力をしない(いい加減・怠惰)

■「指導者型」は正義や善を自分なりに実行しようと努力している(有言実行)

という違いがあるのは事実です。


<モラハラ2類型を生み出す原因とその正体>

 ではなぜ、これらの2種類の「モラハラ人間」が誕生するのでしょうか?考えられる原因としては、

『幼少期、あるいは生育・発達途中で、あるがままの自分を受け入れてもらっていない』

ということが隠れていると思われます。

 宗教2世問題や、虐待問題、生きづらさの問題を考えるうえで、重要なキーワードとなって出てくるのが「親からの無償の愛」という言葉なのですが、モラハラもおそらくはこの部分に関わりがある現象だと仮説を立てています。

 こどもが生育してゆく過程において「あるがままの自分をそのまま受け止めてもらっていない」と何が起きるかというと、

■ 親の意図に沿った動きをしないと叱られる
■ 親の意図に沿った動きをするように自分から動こうとする

のが子供です。前者の感覚が強いと

『自分は(親の善によって)思い通りにさせてもらえなかった』
『自分は(親の善に反して)叱られたり制限されたりした』

という気持ちが多くなります。これが被害者型のモラハラ人間を育てるわけです。

 逆に後者の感覚が強いと

『自分は(親の善に沿って)自ら努力しよう』
『自分は(親の善を先読みして)そうあるべき人間になろう』

というストイックさを持ちます。こちらは指導者型へと繋がります。自分もそうしてきたのだから、おまえたちもそうするべきだ、という感覚ですね。

 どちらも「親からの愛情」を受け取るプロセスがネジ曲がっているため、「ありのままの自分」とはかけ離れた感覚で育ちます。

 では、その後の ”基準” となるものはなにか?

 それが「自分なりの正義、あるべき姿、善悪」というモノサシになるわけですが、そのモノサシは、「自分にとって理想的に歪められている」ことが多いのです。

 けして世間一般で言うところの、正義感とか善悪倫理の感覚とは、同じではないかもしれません。


<モラハラと自他境界>

 モラハラ者の共通した特徴は、「自他の境界線が曖昧だったり、乱れている」ということです。

 たとえば「被害者型」だと、テレビを見ていたり、SNSの文章を読むだけで「他人」の出来事を「自分の被害」と混同しますから、それについて過剰に怒ったり、持論を述べたりします。

 これは、お付き合いをする人のツイートや言葉を丹念に見ていれば、ある程度傾向に気づくことができるかもしれません。

 もちろん、攻撃性だけでなく、自他境界のあいまいさは「ネガティブな感情」も連鎖しますから、「落ち込む、悲しむ」といった面でも表現されることがあります。

 他者のメンタルに必要以上に引っ張られてダウンする人にも、モラハラ気質が隠れているかもしれません。

(今度は、自分のメンタルをダウンさせるような言動に対して、責め立てるからです)


 一方の「指導者側」ではどうでしょう。基本的に外面が良いということは、自分と他者の切り分けができているように思えるかもしれませんが、「内側のグループに入った」瞬間に、自分とメンバーの境界線がとっぱらわれて同化しますから

『”自分”の思い通りにならないことはゆるさない』

人間へと豹変します。これは表に現れていなかっただけで、やはり「自他境界線の乱れ」が裏に隠れているということなのですね。

 なぜ「自他境界」の話と「あるがままの自分」の話が繋がるかというと、おそらくは人間というのは「母子」(あるいは父子)の関係性のなかで、その境界を育んでゆくので、いちばん最初の段階では「母子」はかなり濃密な一体領域にあるのだと思います。

 親子ともそう思い込みながら過ごし、あるがままの母子、つまり「何ものにも左右されない一体関係」をまず享受してから、「自分と母は違うのだ」という気づきを得てゆくものなのだと思います。

 ところが親子関係になにかの問題があると、「何ものにも左右されない一体感」を得られないと感じたこどもは永遠にそれを渇望するでしょうし、(だから境界があいまいになる)「自分と母は違う」という気づきを得る段階でもなにかのひずみが生じれば、それはコンプレックスのようになるのかもしれません。

 あくまでも仮説ですが、今後の解明を期待します。

 「愛着形成」や、「母子分離不安」などの心理領域と関係がある可能性もあります。


<モラハラを見抜くには>

 指導者タイプのモラハラ人間を見抜くには、まず「逆境に耐え、ストイックに生きているかどうか」がポイントです。

 こんなことを書くと「日々努力をしてきた良き人はたくさんいるのに、レッテル貼りではないか?」と思われるかもしれませんが、

『自分はたゆまざる努力によって、それを成し遂げてきたのだ』

という思考が強い人は、(あるいはそういったことを口にする人は)、指導者型モラハラが隠れている可能性も、念頭に置いてよいでしょう。

 その考え方を肯定できないと、自我が崩れる可能性があるような人格は、とても気がかりです。

 あるいは他者に対して「優しい」「親切」であることが、「自己の善なる評価」を報酬としてそれを行っているタイプの人も気がかりです。

 心から「無償」で、他者への親切を提供している人とは、違いがあるのではないでしょうか?

 また、モラハラ人間ではなく、純粋に努力してきた人はどのように考えるかを参考として挙げておきましょう。

『自分はいろんな人の助けや、運や環境といったラッキーによって今こうなっているに過ぎない。それを忘れず日々丹念に過ごしています』

という考え方の人であれば、モラハラ化する可能性は薄いかもしれません。

(もちろん、「そう答えるのが望ましいという正義」によってなりすます人もいるので、万全ではありません)

 ただ、あくまでも「自他境界のあやふやさ」が見え隠れするため、そもそも

「必要以上にこちらの領域に踏み込んできて、優しかったり愛情を示そうとする人間のほうがおかしい」

という見方もできます。

 自他境界がはっきりしている人間は、

■ 自分にはダメな部分がある、他人もそう
■ 自分の趣味・主義・趣向も当然ある、必要以上に合わせない
■ 天然で話が合わないときがある(違う人間なので)

といったポイントがあるので、それらと合わせながら判断することもできるでしょう。


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 以上のような構造を理解すれば、モラハラ人間とお付き合いすることを避けることも可能と思います。

 ただし、弱っている人にとって、特に指導者型モラハラ人間はとても魅力的に見えますので、気をつけなはれや(笑)


おしまい。