2014年3月29日土曜日

<日常>「家の中にストーカーがいます」

 ずいぶんと気候もあたたかくなって、春が近づいている気がします。春といえば、変態が出没する季節ですが、いかがお過ごしでしょうか?どうも、不完全変態の武庫川散歩です。

 
 ネットメンヘラのみなさんの間では、既に話題になっているそうですが、俗世に疎い私は最近知った名著があるそうですね。


 『家の中にストーカーがいます “こころの風邪”などありません、それは“脳の病気”です』
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00HA0WP4M/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00HA0WP4M&linkCode=as2&tag=impressquickbooks-22



 精神科医の林公一という方が書かれた精神科の相談事例集みたいなものですが、面白すぎ・・・(失礼)、気に入ってしまいました。


 出版は電子書籍なので、書店には置かれていないと思いますが、心の病を疑っている方はぜひご一読をお勧めします。


 林先生のキャラと回答については、好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私はかなり好きです。

 というより、思考パターンが似てる気がします(苦笑)。ああ、もちろん、私は精神科の専門家ではありません。あしからず。


 
 ちなみに、原作を読みたいという方は、ネットにサイトがありますので、そちらをどうぞ。


 Dr林のこころと脳の相談室
 http://kokoro.squares.net/



 すでに2600記事に達している精神科Q&Aが本体です。

 林先生によれば、たぶんワタクシ武庫川散歩もかなりの変態もしくは病人なんだと思います(笑) 冗談ですよ。


==========

 というわけで、個人的名作をいくつかピックアップ。タイトルにもなっている例のネタから。



Q.家の中にストーカーがいます。38歳の弟のことです。・・・・
 http://kokoro.squares.net/psyqa1087.html

A.まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。



Q.ここ数ヶ月の間に彼女の様子が少しおかしくなってきました。
 http://kokoro.squares.net/psyqa1769.html

A.あなたは単にふられつつあるのではないでしょうか。


Q.メンヘラと呼ばれる人たちについて。
 http://kokoro.squares.net/?p=951

A.まずメンヘラという呼び方をやめるのが先決でしょう。



まあ、この手の面白Q&Aはともかくとして、とにかく簡潔明快にお応えですので、ぜひ他の質問集もお読みくださいませ。



 それにしても、林先生にメッタ切りにされるとわかっていて、どうしてこれだけたくさんの方が質問を寄せるのやら・・・・。もしかしたら、質問のお手紙が、全部想像の産物だったりして(笑)


====================

 とまあ、かなり長めのマクラはさておき(←オイ)、世の中には「心が不自由な人」がえらくたくさんいるんだなあ、と改めて実感させられる林先生のサイトですが、私も前職の仕事柄多種多様な人々と関わりを持つことができたので、マジで


 世の中には、本当に心が健康な人から、病の人までいろいろ実在している


ということを痛感しています。


 そして、もっと言えば、健康状態が白で、病気状態が黒だと仮定した時に、


①まっ白な人なんて、ほとんどいない。

②たいていの人は、なんらかの意味でグレー。

③濃いグレーから、薄いグレーまで、連続的にいろんな人がめちゃくちゃグラデーションで存在する。


ということを体験上知ってしまったわけです。

 それをたとえば一般的にはIQなどで判定して、「ここから上の数値は健常者、ここから下は知的障害」などと分類しているのですが、実際には、それ以外の要素で問題を抱える人なんて、山ほどいるわけです。

 そりゃもう「痴的生涯」を送っている人もいれば、「片付けられない症候群」だっているし、精神病としての病名のつかない「こだわり」や「変な性格」まで含めてバラエティ豊かです。

 結局、エンターテイメント解脱的には


 全ての人類は、イカレポンチである(by武庫川散歩)


ということを悟らずにはいられません。そして、そのイカレポンチの度合いが、生活に何の支障もなければとりあえず健康、だと思わずにはいられないのです。

 





 

2014年3月20日木曜日

<日常>世界のはじまり、世界の終わり

 なにげなくネットを見ていたらこんなニュースが飛び込んできました。


 あなたの胸に飛び込みたい、武庫川散歩です。


 宇宙膨張、裏付ける重力波(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140318-00000005-jij-sctch



 重力波ですよ、重力波!カメハメ派とかドドン派の一種の重力波です。これはワクワクです。

 
 我らがエンターテイメント解脱においては、この宇宙は「理論的なもの」と捉えています。ざっくりと言い換えれば「プログラム」でもいいし、「アルゴリズム」でもいいです。

 宇宙は存在しないかもしれない、と把握しているわけですから、基本的にセカイは記号の集合体であり、紙の上に書かれたプログラムのようなもの、(ハードウエアに依存しない)と捉えています。


 さて、今回のように「宇宙はビッグバンではじまり、どんどん広がっている」ということは従来より多種多様な観測により言われてきましたが、どうもその説を裏付けるようなデータが見つかったようですね。なかなか悟りの視点からも興味深い話です。


 宇宙には始まりがある


ということは、そこからいろんな推測ができますね。


 ひとつには、宇宙に始まりがあるということは「宇宙がなかった状態」と「宇宙がある状態」の2つの状態が考えられるということです。


 これが何を指しているかというと、「宇宙を作ったヤツがいる」もしくは「宇宙が勝手に無から生まれた」などの想像ができるというわけです。


 宇宙を作ったヤツがいる、と考えればそこから「神」(のような存在)を検討しなくてはなりませんね。


 宇宙が勝手に生まれたとすると、完全な無から突然有が生じるのもちょっと変なので、無の外部に何かしら有があるのではないか、と想像することができるかもしれません。

★われわれの宇宙の外側に、別の何かが広がっているのではないか、という考え方です。



 そして、もっと究極的にいえば


「はじまりがあれば、終わりがある」


と想像することも当然できます。滅びだ滅びだわーいわーい!


==========

 まあ、悟りを開いた者からすれば、宇宙がどうなろうがどうでもいいのですが(笑)

 そうも言ってられないので、ひと言ふた言コメントを。

 
 宇宙にはじまりがある、ということはサイバーパンク解脱的には、別にたいしたことではありません。

 この世界は記号の集合体であると定義する段階で、記号は小さなユニットから大きなユニットへ組み合わさるわけですから、「記号の記述スタート」のようなものは当然あってもおかしくないわけです。

 また、別の観点から言えば、このセカイに「時間」という流れがある以上、「時間」軸の視点からみれば当然「はじまり」があっておかしくないわけですよね。

(過去の過去の過去の・・・・遡る原点としてのはじまり、ということ)


 しかし、その宇宙のはじまりも実は論理的に「プログラムの起点はここ」と明示されているから、そこから始まっているだけ、ということかもしれないし、いやはやそのあたりは神様に聞いてください。なーんて。


 そうした様々な疑問は、いつか人類の歴史の中であと数歩ぐらいは明らかになると思います。その時には私たちは死んでます。ちょっと残念ですが。


==========

 一般的な宗教では、よく「この世界の終わり」を定義して、その時に「真の神を信仰していないものは滅ぼされる」なんて言い方をすることが多いです。

 キリスト教ではハルマゲドンだし、仏教でも末法思想なんてのが流行したりしました。

 
 サイバーパンク解脱では、セカイや宇宙の終わりがあるかもしれないけど、その時はその時で、別にこのセカイの真実を知っていようが知るまいが、結局滅びる、と考えています。


 なんと救いのない思想哲学だろう、と自分でも思います。わははは。

 
 しかし、仏教もそうですが、その「救いがないところ」に真理があったりするわけで、そもそも世界に救いがあるなんて思っているほうが誤解なのです。


 このセカイは救いなんてなく、とんでもなくひどいロクデモナイセカイなわけで、それをちょっとでも何とかしようと人類は文明を築いて「ろくでもない世界」と戦っているというのが事実です。

 頑張れ人類!




 





 





 

2014年3月12日水曜日

■<13-2>宇宙と一体になる方法 後編

 お待たせしました。今をときめく武庫川散歩です。


 前回は、「宇宙は意識なんて持たない」「神様はいたとしても感情や意識を持たない」という話をしました。


 簡単に言えば、物理科学現象や物理化学理論がただそこにある、ということでした。


 というわけで、ここから私たち人間は神様や宇宙と一体になろうと思います(笑)




 いわゆる創造主や宇宙や神様が、超ニュートラルでなーんにも考えていない物理科学のかたまりだったとしたら、私たちも実は、その同じ物理科学の固まりから出来ていて、そして、私たちの肉体を構成する分子も、全宇宙において質量保存なのだとしたら、


 なんだ!既に私たちは宇宙と一体化してるじゃん!


ということにすぐに気付くと思います。


 これが、今日の悟り、すなわちレベル2です。


 捉え方によっては、私たち宇宙の構成物は、全て宇宙の一部であり、神の創造物は神とイコール(神に内包されている)と考えることもできますよね。


 ほれ!これでめでたくアナタもワタシも、神様と一体で宇宙の存在そのものです。わーいわーい。


 これが、悟りの本質です。物理科学と矛盾せず、セカイの成り立ちについてぴったり符合すると思いませんか?





 仏教における「色即是空、空即是色」とはこのことです。一般的な仏教解釈では

「形あるものはすなわちこれ形がないのと同じ、形がないことはすなわち形があることと同じ」

といったニュアンスで説きますが、サイバーパンク解脱では


「セカイは確かにあるように思えるが、ないのと全く同義である」

「意識や存在はあるように見えて、実はないのと同じ」


であるとするわけです。


==========

 さあ、ついに神様もいなくなりました。このセカイを救ってくれる超越した存在も、どうやら意識を持たぬらしく我々の希望とは合致しないようです。


 あまつさえ、アナタやワタシも、なんかよくわからないけど完全にニュートラルな存在とやらの一部らしい。


 どうしたらいいの?これからどうしたらいいですか?いやマジで!!



 ・・・・・・とまあ、ここでブッダの言うところの「無常」までは辿りつきましたね。サルでもわかる悟りと題した通り、意外に簡単な話だったと思います。


 問題はここからです。ブッダは、ここまでやってきて、

「じゃあ、全部無意味なんだからほっとけ


と考えました。(親父ギャグかよ!)


 では、あなたはどうしますか?ここからが、次の悟りへの入り口なのです。










■<13-1>宇宙と一体になる方法 前編

 今世紀最大の解脱者、と誰にも噂されていない武庫川散歩です。どうも。

 ここのところ雑談が多く、「サイバーパンク解脱」の本質について語っていなかったので、話を戻そうと思います。


 ”このセカイが存在しないかもしれない”という仮説もしくは、そう捉えることも論理的には可能だという話は既に何度かしていると思います。

 
 本当にセカイが存在しているのかしていないのかは、他でもたくさん指摘があるように、実は証明することがほとんど不可能なため、この件についてはこれ以上議論しても無駄です。致し方ない。かたじけない。


 そこで、そういうことには本当に無頓着で、解脱のあまりにマジでどうでもいいと思っている私のことなので、「セカイは存在する」と仮に設定してお話を進めてみましょう。

 そうです。セカイはみなさんが思っている通り、存在するったらする!


 

 さて、セカイは素粒子とかいう小さな粒ツブから成り立っています、それが組み合わさって原子とか電子とかになり、また組み合わさってたいていの場合「分子」と呼ばれるもう少し大きなユニットとして存在することは既に明らかです。


 分子レベルになると、化学物質はかなり大きな構造体になっていて、私たちの身近なものは全て「分子」で出来ていると思って間違いありません。

 アミノ酸とか、オレイン酸とか、死んだはずだよお富さんも、全部分子で出来ています。


 その分子が組み合わさって、今度は生命に関わる「細胞」を作ります。細胞にはいろんな働きがあって、たとえば脳細胞は、電気信号をやりとりして、私たちの「意識」を作り出したりしています。


==========

 科学の発展によって、今では私たち人間が考えること、成すことのすべては「電気信号の働き」と「化学物質の化学反応」によって成り立っていることがわかっています。


 私たちが食べたものが分解され、体中を廻って、動き、肉体を形成し、細胞をコピーさせて、脳神経を動かしている、ということです。


 おいしいものを食べて「おいしい」と感じることも、「楽しい」と感じることも、あるいは何かものを考えるのも、ぜーんぶ化学反応に帰着します。


 科学者によっては、私たちの行動・意識・感情の原理の全ては「遺伝子が次の世代に情報をコピーさせたいがゆえのもの」と考える人もおり、そうなると、

あの娘が愛しいのも、セックスが気持ちいいのも、全部化学反応

だと考えることもできます。



 さて、化学反応、ということは分子の働きです。となると、私たち人間を司っている「意識」や、人がここまで文化を発展させてきたのも、全ては「分子の働き・化学反応の成果」だと捉えても間違いではありません。




 さあ、ここから今日の第一の悟りレベルアップです。

 みなさんに気付いて欲しいのは、「人間の意識」と「化学反応」の関係です。


 これまで、ヒトは動物とは違って、「はっきりとした意識を持ち、モノを考え、豊かな感情を持って万物の霊長としてこの地球に君臨してきた」と考えてきました。


 なので、特に動物との比較において、「意識・感情・理念」を持つ我々は上位の存在である。と自然に考えるようになりました。


「どうだ!動物にプリウスが作れるか!iphoneが作れるものか!」

というわけです。


 それと同時に、この宇宙を捉えるにあたって、原子があり、分子があり、それが組み合わさった非生命があり、その上にもう少し複雑な生命があり、そして最強のヒトがいる、と考えるようになったことも、ここで押さえておきましょう。


 もっとざっくばらんに言えば、「意識を持つ我々は上」で、「意識をもたない単純生命や、非生物は下」だと考えているのが、ヒトだということです。



 なので、ヒトはえらくて、その次に類人猿がいて、賢いイルカは殺してはだめで、草は引っこ抜いてもいいし、石ころはべつに蹴っても心が痛まない、というわけです。



 こうした状況は、別に問題ないと思います。おそらく石ころは蹴られても痛がらないし、草は引っこ抜かれても嘆きません。
 
 意識と情動の面で、高等生物と下等生物、非生物の捉え方はそれほど間違っていないと思います。


 しかし、ヒトはひとつだけ、このあたりから大きな間違いを犯します。


 それは、もし神様がいるとした場合、神様は人間よりも上だから我々よりも「強い意識を持っているに違いない」と勝手に誤解したことです。


 古代から、ヒトはこのあたりの誤解をしていて、昔のヒトは神様は何か「人格」のようなものを持っていると考えたし、今でも神ということばは使わないとしても

 全宇宙の意識がどうたらこうたら

とか、

 存在とは意識だ


みたいなわけのわからんことを抜かしてけつかるようになったのです。



==========

 神様でも宇宙でも、セカイでも創造主でもなんでもいいですが、そういうものが「意識」を持っている、と考えるのは勝手な言いがかりです。

今日の悟りはここ!


「神様とか、宇宙には、意識なんて無いかも」


と気付くのがポイントです。


 だって、いいですか?

 ヒトの意識や情動を動かしているのは電気信号と分子の化学反応なんですよ。ということは、意識とは化学反応に支配されている表面的な現象であって、その本質では化学物質がくっついたり離れたりしているということに過ぎません。それを細胞が感じ取るときに「感情や意識」と認識するだけなんです。


 じゃあ、なんで神様やら宇宙やら創造主やらが、「意識」を持っていると言えますか?神様やら宇宙やら創造主は、それよりむしろ


化学反応やら物理の法則そのものを創った張本人


なわけでしょ?


 だったら、その神様やら宇宙やら創造主が、物理科学の「結果論」である「意識・情動」に支配されるわけがないでしょう。


 だから、神様やら宇宙やら創造主やらは、


何の感情も意識も持たないはずだ


と気付くことができるのです。バババーン!


 これが今日の悟りのメインデッシュです。神様に感情はない。宇宙は意識を持たない。


つまり、我々が思い描くような神様や宇宙ではない。めっちゃくちゃドライで、めっちゃくちゃ物理化学的な存在である、ということです。


 だから、世界中が悲しみに溢れていようが、神様は何にもしてくれないわけです。いつまでたっても、地球から苦しみが消えないはずです。

 だって、神様はそんなことなーんにも感じていないんだから!


 神が人間よりも上位の存在で、我々よりも高い意識を持つはずだという妄想が、そうした無意味な願いを発生させているだけで、本当の神やら宇宙やらは、


純然たる物理科学現象


のほうにより近いわけです。


 そして、むしろ神やら宇宙やらがスゴイ面があるとすれば、そうした純然たる物理科学現象を


無から生じさせた


ところがスゴイのであって、また


その理論を生み出した


ところがスゴイわけです。もっと言えば、「生み出す必要」なんてなく、最初から最後まで既にそこに


在った・在る


だけでも全然問題ないですよね。


 だんだん、話がパンクな方向へスピードアップしているので、今日はこのへんにしておきます。


(この章つづく)



<日常>悟りを開くためのヒント

 どうも、セカイの片隅でアホが叫んでいる武庫川散歩です。



 最近、当ブログに「悟りを開くためのヒント」のキーワードでやって来られる方が増えているようなので、今流行のSEO対策として、いっぱい散りばめてみます。


 基本的に「悟りを開くという」ことは、これまで我々が認知していた世界観が大きく変わる、もしくはひっくり返る、ということに他なりません。



 平たく言えば、天動説から地動説を発見するようなもので、コペルニクスが気付いたように

「やっべ!天が廻ってるんじゃなくて、俺が廻ってんじゃん!」

ということも、ある種の「悟り」への一歩だと思います。



 仏教における「悟り」とは、すでに長い歴史の中で「神秘主義」「神秘体験」のように誤解をされていますが、これまた平たく言えば、ブッダは

「やっべ!人生って常に移り変わってんじゃん!」(無常)

と気付いてしまっただけに他なりません。


 それを宗教的に言えば「輪廻転生」「諸行無常」であり、科学的に言えば「質量保存の法則」「エントロピーの法則」でもあるわけです。

 ブッダの時代は、この世界や宇宙の成り立ちについて、人類自身が知っていること・発見していることが少なかったので、「結果として、このセカイは移り変わる」ということはわかりましたが、「なぜ、そうなのか」というところはとても説明するに至りませんでした。

 

 そのため、ブッダは、「セカイがなぜ無常なのか」については、バラモン教の神々がいて、その神々たちがそうしている、という旧来の理屈から脱出することができなかったとも言えます。


 ところが、21世紀に入った今、人類はこのセカイについて発見したことがたくさんあります。ということは、現代における「悟り」は、発見されたそれらの科学的事実や、現象と合致したものでなくてはなりません。


 なので、本当は悟りを開く一番の近道は、「勉強しろ」ということなのかもしれません(苦笑)



==========

 ところが、現代において「悟り」を欲しがる人たちは、残念ながら「物理科学について勉強する」ことが「悟りにつながる」なんて思いもしません。


 それどころか、「悟り」や「覚醒」は、それらとは正反対の位置にある「なにかズバーンでバキューンな凄いもの」「それだけで、何かとんでもないパワーを得るようなもの」だと勘違いしているのです。


 もし、万が一、悟りを開いて覚醒するとサイヤ人みたいになれる、と思っているとすれば、完全にアホです。



 もっとも、「悟り」を得ようとする人の中には、もう少しまともで、このセカイのいろいろな「ややこしいこと」「煩わしいこと」から逃れたくてそれを求める人もいるでしょう。

 それなら今すぐ着の身着のまま家族も仕事も放り出して、盗んだバイクで走り出せばいいのです。

 警察につかまっても、「ちゅどーん!ピュー!パフパフ」と叫んでいればよろしい。
 
 ・・・・・・まあ、そこまでアブナイ人にならなくても、嵐寛寿郎のように、「家も財産も全部、前の嫁はんに渡して、新しい女と体一つで駆け落ちする」ぐらいは良いのではないでしょうか。



==========

 現代における「真の悟り」というのは、けして宗教的・神秘的な観念であってはなりません。全ての科学事象と、あるいは全てのセカイで起きている現象と、その悟りが合致している必要があります。


 そういう意味では、私の言うところの「サイバーパンク解脱」つまり「セカイは存在しないかもしれない症候群」は、この宇宙の成り立ちと合致しているか、と問われれば実はそれを証明できる方法が存在しません。

 なので、私自身は「セカイは存在しない」という仮説は、「悟りを得るための、とっかかり」くらいにしか考えていないのです。


 そこからスタートして、何がどうなって最終的な「悟り」へ至るのかは、当ブログでぼちぼち書いている途中なのですが、興味がある人だけ引き続きご愛読くださいませ。


==========

 で、せっかく「悟りを開くためのヒント」と題したわけなので、ヒントを挙げておきます。


① この世界や宇宙がどうやってできたのかを、自分で考えてください。


② 神様はいるのか、いないのかを自分で考えてください。


③ 生命が生きることと、生命が死ぬことの意味や役割を考えてください。




 ・・・・・・しっかし、ざっくり言えば悟りを開くなんて、とっても簡単なことです。その本質は、


 俺はおまえのことなんてどうでもいい。


 俺のことだってどうでもいい。


 もー、なんか、全部どうでもいい。

 
 芋食って屁こいて寝る。(涅槃)


ということなんですから(苦笑)





 

2014年3月11日火曜日

<日常>子供を生まない・子供を作らないということ

 こんにちは

 解脱者にならなかったら、作家になりたかったと思う武庫川散歩です。

 懸命な読者諸君なら、もう既にお気づきと思いますが、「武庫川散歩」という偽名は「江戸川乱歩」さんへのオマージュですが、そもそも「江戸川乱歩」自体が「エドガー・アラン・ポー」さんへのオマージュなんだから、二重パクリでも問題ないはずです。

 どうも、改めまして「四万十川闊歩」です。意味わからんわ!


 さて、私は保守でも革新でもないのですが、日本に既に訪れている「少子化」については、すこしばかり心を痛めています。

 あ!うそです。うそうそ!悟りを開いたんだから、心を痛めたりなんかしません。全然、平気だもん。どうでもいいんだもんね!


・・・・・・とまあ、冗談はさておき、当エンタメ解脱において「子供を生まない・子供を作らない」ということについて、ほんの少しだけ思うところを書こうと思っています。

 
 「子供なんて必要ない」「子供は作りたくない」

という積極的に子供を否定する人もいるし、

「仕事や生活と天秤にかけた結果、子供は望まないほうがいい」

と消極的に子供を我慢する人もいるでしょう。


「貧しくて子供が作れない」

という人だっています。


 あるいは、残念ではありますが

「子供ができない」

という人も、このセカイにはおられます。


 したがって、一概に「こどもがいない」という状況だけをもって、その背景を見ずに簡単に論じることは難しいとは思いますが、ここではサイバーパンク解脱らしく、ズバリ事実だけを持ってお話しようと思います。


 子供がいない、ということは、結果的には悲しい哉「そこから先、その人の子孫は途絶える」ということです。


==========

 最近、個人的に江戸時代の家系図をずっと調べているのですが、どの家の家系図を見ても、かならず共通していることがあります。

 それは「家が途絶えそうになったら、必死に養子をもらって家が途絶えないようにする」ということです。

 江戸時代、特に武士にとって「家」というのはめちゃくちゃ大事なもので、DNAとしての血縁は意外にどうでもいいのですが、「家系」だけは守ろうと必死でした。


 なぜかというと、武士の場合、給料はその「家系」に払われるので、「家が断絶する」ことはすなわち「給料の出所がなくなる・職を失う」ということと同じだったからです。


 そのため、現在私たちが頭の中で思っている「子孫・一族」のイメージと、江戸時代の武士の「子孫・一族」のイメージは多少「ズレ」があるのですが、それでも

子々孫々が続いていくこと

は重視されていたように思います。

 
 また、同時に、今ワタシ・アナタがここにいるということは、「地球に6500万年前に誕生した霊長類」から考えると6500万年間の先祖がいて、あなたまで続いているということでもあります。

 子供がいないということは、6500万年のあなたを含む血族が、そこから先は途絶える、ということに他なりません。


==========

 某北の国で、重臣の粛清が行われた際、一族郎党皆殺し、一説には1000人にも及ぶ人たちに害が及んだそうですが、古来から国家において一番の刑罰は

子孫まで根絶やしにすること

であったように思います。

 古代中国には「九族皆殺し」という処分があり、とにかく子孫を根絶やしにすることが、重視されていたようです。

 逆に、子孫が生まれないということを逆に活用したのが「宦官」の制度で、そもそもは刑罰であったのが、そこから宮中で登用される例が増えることになりました。


==========

 さて、考えようによっては、個人の死刑よりも残酷で究極の刑罰でもある、「子孫根絶やし」という状況を、何も自ら進んで実行せんでもいいのに、と思うのが個人的な感想です。


 「これからの政治経済状況がわからないから、子供を生むほうがかわいそうだ」という意見もあるでしょうが、そもそもこれまでの6500万年間も、セカイはひどい状況だったのですから、そんなことは恐らくどうでもいいことです。


 戦国時代でも、飢饉でも、世界大戦の最中でも、常に子供は生まれていて、だから現在があるのです。


 よって、これからセカイが破滅に向かおうとも、子作りはしてOKなのではないでしょうか。それこそが、逆にセカイを救う可能性なのかもしれないわけです。


 ここで名言をひとつ。


 全ての妊娠は「できちゃった妊娠」である!ババーン。


 そこに、意図はないのです。意図を介在させる必要もありません。


 ”やればできる”、のです



==========

 今、世界の賢い人たちはだんだん気付きはじめています。


 東洋経済オンラインより ”米国、専業主婦ブームの真相”
 http://toyokeizai.net/articles/-/32455



 特に女性において、会社でバリバリ働くことが善で正義だと信じていた結果、子供を断念した方がたくさんいます。

 そして、その頑張ったアナタへのご褒美が「子孫根絶やし」だというのは、何かおかしいと。


 何にも考えずに生きていても、将来のことも全くどうでもいい生き方をしていても、「子供ができる」「子孫が続く」のに、どうしてセカイや社会のために頑張っているアタシが、「子孫根絶やし」の刑を受けなくてはいけないのか。


 言い方はおかしいけれど、高い学歴と社会参加をした者達の子孫が淘汰されて、低い学歴でその日暮らしをしている者達の子孫が生き延びるチャンスを持つ、というのが女性における現代資本主義社会です。


 こりゃなんだかイカれた優生学だな、と気付く人は、さっさとまずは家庭に入って子育てをしているわけです。仕事は後からすればいい。

 ぶっちゃけ、女性にとってまともに妊娠出産ができるチャンスは20代から30代までの約15年間です。

 政府は「働く女性を応援する」必要はまったくありません。男女差別だのなんだのという妄言をおしのけて、女性の新卒扱いを35歳から40歳にすればいいのです。

 それまでは、自由に恋愛してOK。親は家事手伝いとして娘を養わなければなりません。

 結婚相談所なんか不要です。婚活もいらない。ただ親が、どんどん見合いを薦めたらよろしい。

 
 なーんて。



 それでも、子供を生まない選択をする人がいてもいっこうに構いません。ただ、その人たちの子孫は途絶えます。ただ、それだけのことです。



2014年3月8日土曜日

<日常>うつ病を治す最善の方法

 昨日は雪が降っていたと思ったら、今日はあたたかく穏やかな日和でわけがわかりません。北海道ではものすごい寒波だったそうですが、今日の本州はのほほんとしています。

 こういうのを気象の専門用語で


 ツンデレ


というそうです。

 あ、違いますね「気性」の専門用語でした。
 
 こんにちは、あなたの心の隙間をお埋めします。武庫川散歩です。ドーン!



 そういえば、と突然本題に入りますが、本当に「そういえば」と思い出したことがあります。それは、

「私、昔うつ病になったことがあったんだった」

という完全に忘れていた記憶です。

 なぜ、そんなことを思い出したかというと、どうも最近親類縁者友達などに「うつ病っぽい」「うつ傾向があるらしい」という人が増えているからです。


 某いとこは「白血病で死ぬ!死ぬ!」と言いながら、いつまでも元気に生きてます。彼女は実のお父さんのお葬式にも出ないで、スーパーでパートをしているそうです。「いらっしゃいませー!にこっ」


 某友人は「あなたしかわたしのことを理解してくれる人はいないの!」と言いながら、そうやって得た友達といつも大喧嘩をして二度と口をきかなくなるという活動を繰り返しているし、


 また別のいとこは、親が大企業の偉いさんに上り詰めた財産で、毎日ニートを楽しんでいるそうです。


あ、うつ病じゃないですね。どちらかといえば「ボダ(境界例)と引きこもり」の話でした(わはは)


==========

 さて、そんなどうでもいい人たちのことはほっといて、うつ病で困っている人がたくさんいる、心の病が増えている、ということに、まじめに向き合ってみたいと思います。


 そこで、さっきの話です。そういえば、私も昔うつ病になったことがあったのだった!と久しぶりに思い出してしまったのです。

 幸か不幸か、悟りを開いてしまってからというもの、「ほとんど、というより全然悩みというものがなくなった」ので、そういうネガティブな感じの記憶も完全にふっとんでしまいました。


 ところで、私がうつ病を発症したのは、概ね二十代半ばのことでしたが、その理由は至極簡単です。

 当時私は3人くらい別々にお付き合いしている女性がいて、簡単に言えば、


三股(またぞうじゃないよ)


をかけていたのですが、そのうちの恋人の一人に別れを切り出されて、耐えられなくて発症したのです。

 なんてアホな男だ!最低だな!

と愚弄され、罵詈雑言を浴びせられそうですが、事実だから仕方ない。そうです。アホで変態でも、そんなことで心の病になってしまうというのだから恐ろしい!


 自業自得でいい加減でわがままでも、心の病は襲ってくる!

 生真面目で我慢強い人、規則や規範を大切にして自分を押し殺す人にだけ「うつ病」はやってくるのではないのです!


 そうした愛欲生活の果てに出家の境地に至ったのは、古くは「源氏物語の光源氏」やら、瀬戸内なんとかさんやら、偉大な先人たちがたくさんおられます。私も恐れながらその末端に加えていただきたいものです。
 


 なーんて、嘘か本当かわからないような話は横に置いておいて、本題に入りましょう。


 ストレスからうつ病や心の病を発症する理由というのは、ものすごく簡単です。

 過労や、異常な勤務状況によって体の症状をメインにしながら発症するものとは少し違うかもしれませんが、心理的なものはほとんど

「自分がこうであったほうがいい、と望む状態から異なる状況に置かれること」

が多くの「心の病の原因です。



 こうであったほうがいい、という状態は、状況や人の環境・性格によって大きく差があります。


 某人物のように、3人の女性とおつきあいしている状況が「ベストもしくはベター」だと感じている人にとっては、それが2人になることは、「耐え難いストレス」になる場合もあるでしょう。

 医者にならなくては!と思っている人が、なれなかった場合もそうです。

 金持ちでイケメンな男性と若くして結婚したいけれど、自分はもう30歳越えでまだ婚活中な人も。


 ・・・・・・まあ、この3人の場合は、そもそも我がままかもしれませんが、それでも当人にとっては過剰なストレスであり、死にそうなんです。


 逆に、


 自分は悪くないのに、上司がものすごく悪いやつで、全部責任を取らされる、とか

 姑がとにかくあたしをいびる、とか

 彼氏が浮気を繰り返して、いつもお金を借りて返さない、とか


 本人のせいではないのに、状況によって死にそうな場合もあるでしょう。

 

 でも、その人が悪いとか悪くないとかは、この問題には本質的に関係ありません。とにかく、

「こうであるのが理想、という状態からの逸脱」

格差の差が大きい場合と、期間が長い場合に「心の病」は訪れるわけです。


なので、うつ病を解決する方法は簡単です。


「こうであるのが理想・こうであったほうがいい」という前提を取り除けば全て解決するのです。



 このやり方は、医学的には「認知療法」といいます。苦しんでいる人が、そもそも「こうあるほうがいい」と思っている前提が、誤解や拡大解釈、高望みなどであれば、それを修正する、という方法ですね。あるいは、独りよがりだった視点に、別の見方を加えてみる、などの方法が用いられます。



==========

 サイバーパンク解脱・エンターテイメント解脱においては、そもそも「こうであるほうがいい」という価値尺度そのものを破壊します。

 簡単に言えば、「このセカイが存在しないのに、『こうであるのが理想もくそもない』」と一喝するわけです。


 仏教における「すべてのものはしょーもない!(無常)」と言ってることはほぼ同じでしょう。

 そういう意味では、うつ病から逃れるための「悟り」は、サイバーパンク解脱でも仏教でも、別にどっちでもかまいません。

 お好きなほうをどうぞ。


 ただ、仏教の悟りと、私の悟りの違いは、仏教が全ての感覚を放棄しようとするのに対して、私は「別に最初から備わっているものを放棄しなくてもいいじゃん」というところです。

 このへんについては、まだ当ブログには書いていないことなので、ぼちぼちどこかで書きます。


 
 

 
 


【勝手に人生相談 その1】 上司とうまくいきません。どうしたらいいでしょう。

 毎度おなじみ、ちりがみ・・・・もといあなたの隣人、武庫川散歩です。

 前回の「勝手に人生相談」シリーズが思いのほか好評だったので、しばらく続けてみようと思います。

 誰に好評だったかのかって?そりゃもう、私に好評だったのです。書いてて楽しい、読み返して楽しい自己満足自業自得自由闊達です。


 中島らもさんご存命の折には「明るい悩み相談室」という名著があったのですが、最近は彼のこともだんだんと忘れられているようで寂しいですね。全巻は読んでないけど。

 ちなみに、当ブログの「悟るヒント」は五木寛之さんの「生きるヒント」のパクリです。いや、オマージュです。五木さまにおかれましては、たいへんにいい迷惑だと思いますが、おそらく彼に読まれることはないでしょうので、自由気ままに書いております。元ネタは読んでないけど。


==========

 というわけで、今回も中島義道さんの「人生相談道場」から気になるネタを拾ってみましょう。勝手に。


 東洋経済オンライン 中島義道の人生相談道場 より
 http://toyokeizai.net/articles/-/21734


Q、上司とうまく関係が築けません。どうして、上司はきつい、厳しい言葉でなじるのでしょうか?


A、怒り、叱ることで、偉くて正義のヒーローになれるからです。(by武庫川散歩)


 解説)中島さんの記事では、「上司なんて悪いやつばかりで、それどころかこの世間のみんなは悪くてひどいので、あなたも負けじと強くなりなさい」というアドバイスでした。たぶん。


 それはもう、ほんとうにその通りです。ドラマにもあるくらい「渡る世間は鬼ばかり」ですので、ぜひ泉ピン子さんばりに強くなって欲しいものです。


 それはさておき、人が強くなるには少し時間がかかりますので、とりいそぎもう少し優しいことばをかけてみたいと思います。

 ちなみに、私は小さな会社で管理職をしているのですが(たぶん)、めちゃくちゃ優しいです。社員に怒ったり、叱ったりすることはほぼなく、何か部下に間違いがあれば、その事実をお互いに確認するだけで、次回にそれが起こらないように願いながら話をするだけです。

 そのため、会社の中はいつも穏やかで、笑顔を絶やさず仕事が進んでいます。

 では、なぜ私は部下を怒らないのか。

 それは、私がそやつらのことを心から「どうでもいい」と思っているからに他なりません。

 それもそのはず、私はこのセカイは存在しないに等しいと思っているので、部下も存在しないに等しいのです。会社からみれば、私という管理者すら、「替えの利くコマ」に過ぎません。

 私もコマ、あんたもコマ、部下も社員もみんなコマ、なのですから、いがみあうよりもにこやかに過ごしたいものです。

 そして、そのコマが仕事のコストパフォーマンスに合わないと判明した際には、トラブルなくにこやかに去っていただきたい!からに他なりません。

 私が恨まれるのは割りに合いません。「いい上司だった」という幻想のもとに、速やかに去っていただくに越したことはないのです。

 私が資本家だったら、頼りない社畜はどつきかましてしまうかもしれませんが、私も一介のサラリーマンですから、あなたと立場は同じです。さよならは笑顔で言いたいものです。


==========

 どこまでが本気なのかわからない冗談はさておき、人がなぜ弱いものに対して怒るのか、きつい言い方をするのかを説明しておきましょう。

 動物と動物というのは、2者で向かいあったときに、どちらが強いかはわかりません。お互いに向かい合って突っ立っているだけでは、どちらが強い・えらいのかはわからないのです。

 なので、真にケンカの強いヤツはどうするかというと、

いきなり顔面を殴りつける

のです。


(動物の場合はでかい声を出したり、自分を大きく見せたりしますが)



 こうすると、相手はひるみます。「なんじゃワレやんのかこら」とか「あーん?おまえどこの誰よ」とか言う間もなく、相手を殴りつけることで一瞬で勝敗はつきます。殴った方が勝ちです。

 つまり、先に行動を起こした方が強い、ということを理解しておく必要があるのです。

 だから、相談者さまもまず出合った瞬間からガツン!とぶちかまし・・・・・・いや、これでは結局中島さんと結論が同じですね。話がどんどん横道へそれてごめんなさい。




 話を戻します。動物でも、人でも、アクションを起こさない限りはどちらが強いかはわかりません。なので、人は自然と「自分と他者の間で、自分が上の立場にあることを示す」アクションを取ってしまうようになるのです。

 たとえば、テレビを見ていて「ああ、この事件はひどいなあ」とか「この芸人アホやなあ」とか、つぶやいたり、思ってしまうことが多々あるでしょう。

 そう思う、あるいは口にした瞬間から、あなたは「こんな事件を起こさない私は善」であり、「私はこの人よりアホではない」と地位確認をしているのです。

 そう、人は無意識に他者より上に立とうとするのです。それは行動とリンクします。


 赤ちゃんがごはんを欲しい時には、泣いたり声を上げたりしてアクションを起こします。そうすると、お母さんは欲求を満たしてくれ、つまり「言うことを聞いてくれる」存在になるわけです。その時点で、少なくともご飯をもらう関係で言えば、赤ちゃんは上位に立ちます。

 あとは、その行動パターンを繰り返せば、ずっと「上位に立てる」=ごはんが受け取れるわけです。

 
 上司が怒るのは、怒る・叱ることで「お前よりも自分の立場が上である」ということを示すためです。そしてそれはわざとというよりも、「無意識的に下位のものよりも上位に立とうとする」行動でもあるわけです。

 また、「おまえはこれこれこういうことで間違っている」と口にした瞬間、「つまり、俺は間違っていない」ということを示すことにもなり得ます。ということは、上司はその瞬間に

善なるもの、いい人、偉い人

になることを実感でき、心のヒーローになれるという面もあります。


 間違っている相手に、間違っていることを指摘しているのだから、なんて俺は正義の味方なんだ!


ということでもあります。

 そして、これは一番簡単に自分がヒーロー(善なるもの、そして上位の者)になれる方法ですから、この魅力に取り付かれるとやめることができません。

 なので、お父さんがテレビを見ながらずっとツッコむのをやめなかったり、お兄ちゃんが2chに書き込みしてしまうはそのためなのです。

 ヒーローを倒すのはたいへんなことです。神様の目線でみれば、ライダーも○○ジャーも、その敵たちも全員暴力団です。つまり、どちらも善ではないかもしれないけれど、自分を善だと信じているモノの行動をやめさせるのは、本当に難しいのです。


==========

 さて、私のように解脱してしまうと、「善である必要もない」し「他人より上であることに喜びを感じない」ため、すべてがどうでもよく思えてしまいます。もう、気分はだいたひかるです。

 だいたい私はとっても悪いやつです。あんなことやこんなことを妄想していますし、変態です。

 なので、私は会社でまったく怒らないし、へらへらしています。でも、仕事はバリバリやりますよ。楽しいから。


 

 

 


 
 
 
 

 





 

2014年3月7日金曜日

<日常>戦う哲学者「中島義道」さんの連載がちょっと面白い

 みなさんこんばんは。

 ”戦わない解脱者”こと、武庫川散歩です。


 東洋経済オンラインさんにて連載中の”戦う哲学者 中島義道”さんの連載が面白いので紹介がてら取り上げてみたいと思います。

 中島義道さんという方は、いちおうカントが専門の哲学の先生ですが、これまでの中島さんの言動を読めば概ねわかる通り、本人は社会一般から見れば自称「変わった」人です。


『人間はどうせ死んでしまう』

というのが彼の根底にある考えです。おっしゃりたいことはよくわかります。『セカイは存在しない』と考えている武庫川散歩VS『人はどうせ死ぬ』と考えている中島義道さんですから、いい勝負というか、究極的に向かっている方向性は同じなのかもしれません(苦笑)



 東洋経済オンライン 中島義道の人生相談道場
 http://toyokeizai.net/articles/-/15158



 上記リンクが連載第一回です。いやまあ、我々のような知的レベルが不自由な人たちからすれば、人生に悩もうが死の恐怖が訪れようが、


 東大に入る頭脳があれば、まずはそれでいいじゃん!


と思うのですが、間違ってますか?!まあ、東大卒であろうが中卒であろうが、どうせ死ぬんだからどうでもいいんですが。


==========

 というわけで、今回からしばらく、題して「勝手に人生相談」のコーナーを立ち上げたいと思います。中島さんに敬意を表しつつ、私ならどう人生相談に答えるか、を勝手に考えるまるでおせっかいなコーナーです。



Q、娘が不登校になってしまった。どうしたらいいですか?


(元ネタ http://toyokeizai.net/articles/-/16802 )

※中島さんの回答を読みたい方は上記リンクをクリックしてくださいね。ウイルスとか、仕込んでないのでご安心を。

 
A、おとうさんも出社しなくなればいいと思います。(by 武庫川散歩)


 解説)相談者のお父さんが望む解決は、たった一つです。それは、「娘が学校に行ってくれさえすればいい」というその一点です。

 しかし、その解決を手に入れても、おそらく娘さんは、またどこかのステップで躓くことでしょう。会社でうまくいかないとか、彼氏とうまくいかないとか、夫とうまくいかないとか。

 そして、そのどこかの段階で同じような行動パターンを取り、また引きこもってしまうかもしれません。

 だったら、今のうちに、おとうさんも会社に行くのをやめて、「この状態が続けばどうなるか」を目にモノ見せてやればいいのです。

 心の底から、「ヤバイ、これでは生きていけない」と娘に思わせること。そこから「生きる力」が湧いてくるのです。


 それでも娘が立ち上がらない、おとうさんも再就職先が見つからない場合は、どうせ生きていけないのですから、まあ、ほれ、なるようになります。どうせみんな死ぬんです。


 ちなみに、賢いおとうさんの場合は、この時本当に会社を辞めるのではなく


 限界まで有給を取る


という作戦がお勧めです。

 娘がいるくらいの年齢だと、有給20日はあるでしょうから、土日を入れれば一か月休めます。


 最初の3日は、なんにも言わずだらだらしましょう。1週間くらいで、さすがに娘も「おかしい」と気付きます。

 直接訊ねてきても、おかあさん経由でそれとなくでもいいですが


「お父さんもひきこもることにした」


ということを娘の耳に入れるようにします。


「なんで?」「これからのうちの生活どうなるの?」

なんて言葉が出てきたらしめたものです。

「理由はおまえと全く同じだ」
「これからのお前の人生どうなるの?」

と答えてあげましょう。どんよりとした表情で!

 後は2つしか選択肢はありません。一緒に死ぬか、一緒に生きるために立ち上がるか。


 ・・・と、こんなに素晴らしい解決策を提案しても、おそらく99%のおとうさんはこれを実行できません。

 なぜなら、これが実行できるキャラと勇気を持っているお父さんの子は、引きこもりにならないからです。


 中島さんと同意見なのは、ここです。


 子供の問題は、実は親の問題でもあるのです。あなたの生き方が、子供に反映されている。だからこそ、


 あなたの思い描いている方法では、こどもの問題は解決しない



という真実に一刻も早く気付かなくてはなりません!ババーン!
 

2014年3月6日木曜日

<12>命の価値は平等ではない、ということは?

 平凡な毎日に、ちょっとした心のもやもやをお届けしている武庫川散歩です。どうも。


 さて、2008年に、「個室ビデオ店放火事件」というのがありまして、今日裁判でその事件の最終判決が出たそうです。

 人の死に関わることなので、今回は小ネタやギャグをセーブしながらお届けします。あしからず。



 ニュースではこんな風に出ていました。

 ”個室ビデオ放火、死刑確定へ=16人死亡、上告棄却―最高裁”
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140306-00000074-jij-soci


 事件の概要は、個室ビデオ店で自殺しようとした男が、実際に個室内で火をつけたら、えらいことになってしまって

 20人も死傷

した、というもの。

 自殺するなら、一人で死ねばよかったのに!とみんなが心の中で思ったこの事件。さすがに放火は重罪であり、また結果論として20人を殺傷したら、そりゃ現代日本の法治基準では

 死刑

というのはそうなるでしょうな、ごもっともです。


==========

 ところで、今回この話を取り上げたわけですが、私は

死刑廃止論者でもないし

冤罪の可能性をうんぬん

したいわけでも全くありません。


 むしろ刑罰のほうでなく、この男の行動に着目しています。

 むかしから「ジャイアンにいじめられたのび太」

「あいつを殺してボクも死ぬ!」

と何度も叫んでいますが、あれです。あれ。あの話をしたいのです。


 ”あいつを殺してボクも死ぬ”という行動は、原因や理由はどうあれ、結果的にはあいつのいのちとボクのいのちはほぼ等価です。

 なので、それが正義か悪かはとりあえず横においておいて、この行動を実行されたら

勝ち目はない

ということになります。


 ストーカーのお兄ちゃんが愛しい女性につきまとって殺した挙句、自殺してしまう事件が続発していますが、これを止める術はありません。

 刑法によって、ストーカー殺人を死刑にしたところで、このお兄ちゃんからすれば「あいつを殺して俺も死ぬ」ですから、ストーカー殺人を思いとどまるインセンティブにはならないからです。

 よって、自分も死ぬ気で殺しに来られたら、これを防ぐ方法は少なくとも法的にはない、ということになります。


==========

 さて、今の例ではいのちの対価は1対1でしたが、これを1対複数にすると「自爆テロ」になります。

 爆弾を抱いたテロリストが、自分も死ぬ気で大勢の人がいるところへ突っ込むパターン。あるいは、車で人々を撥ね飛ばしながら連続殺傷した挙句自殺するパターン。

 これらの場合、テロリストならびに犯人のいのち1に対して、殺される被害者のいのちは数倍から十数倍に膨れ上がります。


 これも、法的には防ぐ方法はありません。そして、その責を死んだ犯人に負わして償わせることも、現行法ではほとんどできていないのです。


 ※ちなみに、ストーカー殺人を法的に思いとどまらせる可能性のある方法がちょっとだけあります。

 それは、犯人の一族郎党みな市中引き回しの上、打ち首獄門に処すという方法です。

 親きょうだい、親類縁者みな粛清されるとなれば、いのちの対価がかなり不平等になるため、一人の女性を殺すことはなんとかあきらめるかもしれません。



==========

 「一人の命は地球よりも重い」なんて名言があるそうですが、私に言わせれば嘘八百で、虚言にもほどがあります。

 上記のように数式にあてはめてみれば、すぐにわかることです。命の価値は平等ではないのです。

 ということは、論理的には、命の価値は無い、ということになります。

 
 ある一人の王様が、1万人の国民に無慈悲な粛清を命じたとしましょう。その場合は、命は1万分の1人の価値しかなくなります。

 その王様の命の価値が1万倍あればようやく等価になりますが、残念ながら王のいのちもひとつですから、1万人の命の価値は、ほとんど微々たるものになってしまいます。


 まあ、そんな寂しい話はこれくらいにして、ひとつだけ平等なことがあるので、そのハッピーな話を最後にしておきましょう。


 命は、実は平等です。そうです!平等だったんです。

 そう、死だけは、確実に平等にあなたにもわたしにも訪れます。全ての人に平等にやってきます!

 
 ちゃんちゃん。