2019年3月2日土曜日

SNSで死なないで



 解脱者、たまには托鉢でもしようとネット界隈をうろうろしていたら、ちょっとした記事に出会った。



ヒッチハイク中学生と「美人は辛いよ」炎上に見る、数字の奴隷となった人たち

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15514

 WEDGEより




  ムコガワはもう解脱者となって久しいので、表面的なSNSでの「いいね」の数やら、社会的地位やら、お金持ちであることなどどうでもいいと思っているのだが、世の中にはまだまだ


承認欲求


に飢えている人たちが多いものらしい。



 現代のSNS社会ではそうした欲求が


 いいねの数やフォロワーの数


といった、具体化された指標で可視化されているものだから、誰もがすぐにそうした指標の奴隷になってしまうのだろう。




 しかしまあ、この記事で紹介されていた戸田さんという女性の



「SNSで死なないで」



ということば、は名コピーだと思う。


 SNSで死なないで。いいじゃないすか。


 セーラー服を脱がさないで、に匹敵する。・・・え?

 

 戸田さんのオリジナルはこちら。

https://note.mu/toda_makoto/n/n71be988f6b05




 解脱者から見れば、



「数字の奴隷になる」必要もないし

「SNSで死ぬ」必要もない。



 この世はもっとナチュラルで自由なものである。なので解脱者は常に、セカイの中でフリーだ。



 自意識も不要だし
 
 何者かになる必要もない。




 なんなら、わたしのように、最初から「何も持たざるものである、解脱者」を称してみたらいいのではなかろうか。




 数の所有というのは際限がない。


 千でも万でも億でも京でも、欲しがれば限界というものがない。


 それでいて、面白いことに、ちょこっと0(ゼロ)をかけてやると、すべてが無になってしまう。


 そうすると、最初から最後まで、最強なのはゼロ、ということだ。



 だから、わたしは「解脱者だ」って言ってるのに、そのよさ、楽しさ、面白さをなかなか理解してもらえぬようである。うふふ。


 

 まあ、そんなことはどうでもいいが、みなさんにもSNSなんかで死んでほしくない。



 生きろ!



とジブリも言ってる。



 ところで、さっきから、解脱者であるわたしの服をひっぱる何者かがいるのだが、これはどうしたことだろう。



 だ~

 か~

 ら~



 「わたしのセーラー服を解脱させるな」



と言っておるではないか。



(↑おっさん、セーラー服着てたんかい!)



 ちゃんちゃん。