2019年1月26日土曜日

「お客様は神様」なんて理論はもう古い! すでに「おれ様!」の時代が始まっている。



 モンスター・クレーマーやら、モンスター・ペアレンツやらが巷の話題に上って久しいのですが、そうした過大要求に対して、提供者の疲弊がニュースになるにつれ


「お客様は神様です、という言説はそもそも違う・間違っている」


ということが話題になります。


  この言葉の元ネタは、三波春夫さんとされていますが、


「芸事、芸能は、神に対して捧げられた神事からスタートしているので、演じるにあたってはそうしたおごそか・真摯な気持ちをもって臨むのだ」


という演者のスタンスを問うものであって、



「客が神のようにふるまっていい」


という意味ではないということも、すでに充分知れ渡っているでしょう。





 「お客様は神様」という言葉は、ある意味、事態の本質をぼやかしている「幻惑ワード」であるかもしれません。



  そう!本当に起きているのは、「お客様は神様だと思う人たちが増えている」のではないのです。




 「俺様だ!おれさまなのだ!」



と考えている人間が、とっても増えているというのが、ぶっちゃけの真実ではないでしょうか。




  これまで、その視点について指摘した人はあまりいなかったのですが、いよいよ論説も出て参りました。



「お客様は神様」を振りかざすモンスター客が増えている

https://mi-mollet.com/articles/-/15552



  ・・・・・・タイトルがちょっとミスリードを誘いますが、中身は興味深いです。ぜひ元ネタをどうぞ。



 この方の論考のするどいところは、2つの新たな視点を盛り込んでいるところ。



■ どうも、モンスターに加担するやつは、こちらの側にもいるらしい。


■ お客様が神様という事態は、そもそも存在しなかったのでは?



 この2つの視点は、まったくもってその通りの部分があり、斬新です。



 まず、誰か提供者がモンスタークレーマーの餌食になっている場面を想像してください。


 そこで、本来は味方のはずの、同僚や仲間が、彼や彼女だけに任せたり、見て見ぬふりをすることは、思い当たる場面ではないでしょうか。


 けして、従業員全員で別室へ連れて行って、管理職が何人も出てきて取り囲んで話を聞く、なんてことはやってくれません。


 そう!敵は味方の中にもいることが多いのです。




 そして、逆に、特に高度成長期から80年代・90年代ぐらいまでは、消費者は「企業の食い物」になっていたことが大半でした。

 顧客満足度、なんて言葉はつい最近出てきた言葉です。


  企業の側が、都合のよさげな「顧客満足」なんて視点を持ち出したから、顧客はそれにノッてきたという部分もあるかもしれません。




 そこで、この記事主の加谷さんは喝破します。解脱者・武庫川も、これを読んだ瞬間ニヤリと笑わざるを得ませんでした。



 それはこんな視点です。



”日本はもともと「お客様は神様」という文化なのではなく、

顧客なのか、サービス提供者なのかに関わらず、

自分が有利な立場だった場合には、

相手に対して暴力的、威圧的に振る舞おうとする人がかなりの割合で存在する”




 これ!これよ~、これこれ。




 日本人は、実は「おれ様」なのです。それを使える瞬間を見逃さず、相手の弱点を突いていきます。


 そして、そういう人たちが、体面を気にせず直接的に行動を起こすようになってきたのが、現代ということです。





 武庫川は、「これから時代は戦国時代の様相になる」と常々考えています。


 古いシステムや、規制、伝統やしばりのようなもの、あるいは「昔はうまくいっていた体制」などがきしみはじめると戦国時代はやってきます。


 古い体制や習慣を否定し、おのれの才覚と暴力的実力でものごとを推し進めようとする



 下克上



的な発想が、これからはどんどん世界的にも増えてゆくでしょう。



 もう、


「おまえさま・・・」


とやさしく語りかけてくれる市原悦子さんはいません。



おれ様たちは、どんどんとやっかいな存在になることでしょう。


2019年1月23日水曜日

男性優位社会が出来上がった理由 ~レイプは本能なのか?~



「不都合な真実」という言葉が、けっこう流行しているように思います。


 ことばそのものは、2006年のアメリカ映画を2007年に日本公開したときの邦題に由来するものだと思いますが、



 原題は An Inconvenient Truth



と、意外とそのまま。



「不都合な真実」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9F



 このことば、ニュアンスとしては、「一般的に受け入れられている言説、常識的に信じられている観念に対して、それとは異なるエビデンス、証拠がでてきてこんにちは」みたいな感じで使われているのですが、 それをもっとも端的に示した書物が


橘玲さんの

「言ってはいけない ~残酷すぎる真実~」



「もっと言ってはいけない」




でしょう。(いずれも新潮新書)





 このシリーズで、徹底的に証拠に基づきながら語られるのは


「努力の結果は遺伝による能力の伝達に劣る」

とか

「人はそもそも平等ではない」

とか

「人種間に能力の違いがある」


といった、いわゆる現代のベースとなっているリベラル的信念を否定するような話のオンパレードです。



 まあ、そうした遺伝学的な話や、あるいは人種間の違いなどは、詳しくは橘さんの本を読んでいただければよいのですが、この本を読んでいて、長年の疑問がなんとなく解決しそうな気がしてきました。



 それは、


「どうして男性優位社会が出来上がったのか」


「どうして男性は暴力的に女性を支配するのか」



もっと嫌な言い方をすれば


「どうして男は女性をレイプするのか」


という疑問です。



 ワタクシ武庫川のブログをずっと読んでおられるコアなファンの方は、私がずっとこの疑問を抱きながら、その時々にいろいろ論考を重ねていることを知っていると思います。



 先に申し開きをしておきますが、私自身は


「女性を大事にするべきである」


と思っているし


「女性と男性は、性差はあるが、ある意味においては平等であるべき」


であると思っています。その上での、疑問だと理解してください。




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 先日の当ブログ記事



 日本、そしてセカイの破滅と近代化は関係があるか。 その2
 https://satori-awake.blogspot.com/2019/01/blog-post_8.html
 


 でも、少しこれに関する話を出しましたが、


「どうして男性は、自分より劣ったと考える女性に対して欲情するのか」
 (逆を言えば、男性は東大女子に襲い掛からず、そこらへんの女子をターゲットにするのか)


ということは武庫川にとっては、長年の疑問でした。




 そして、この長い人類の歴史において


「どうして男性優位社会ばかりが続いてきたり、女性優位社会が形成されなかったのだろう」


ということも、何か秘密が隠されているように思っていたのです。




 それが、橘さんの「もっと言ってはいけない」あたりを読むことで、おぼろげながら答えが見えてきたように感じます。




 その結論の基本は



「女性のほうが、男性よりも、動物的には優位である」



という男性には不都合な真実です。







 先日の女子の医大入学差別の件をみてもわかるように、


「おなじ土俵で試験をしたら、女性の方が高得点になってしまう」


こともそうだし、


「女性のみが、(望むと望まざるとに関わらず)自己遺伝子を確実に複製できる」


ということもそうです。



「子供の能力は、母親からの遺伝で決定される部分がある」


というのも、関係しているかもしれません。






 となると、おそらく、すべてのエビデンスをつけあわせてゆくと、


「女性のほうが、男性よりも優秀」であることは間違いなく、そして、女性だけが「自己複製を行える(出産機能を持っている)」と言えるのです。




 これは、別の角度から見れば、



大変に不公平



であると言えるかもしれません。





 男性には自己複製権がなく、女性に複製権をゆだねなくてはならない。そして遺伝学的には、生物の能力としては女性のほうが優秀である、とすれば



どうすれば男女は平等に近づけるでしょうか?



という新たな課題が生まれます。



 その答えが、




物理的な暴力性によって、差を補填する



(つまり、力の行使を常に行うことで、平等に近づこうとする)



働きではないか?と考えるのです。


 つまり、男性はそもそもの不平等を解消するために「力を行使する」という方向に進化し、社会もそれを積み重ねてきたのではないか?という仮説です。


(もちろん、まだエビデンスはありませんが)




 こう考えると、すべてのことがつじつまが合うように、ピースがぴったりとはまってくることに戦慄を覚えます。




「もっと言ってはいけない」の中では、現生人類が、近縁種のほかの人類に対して



「男は皆殺しにし、女はレイプしまくって」



生き延び、今の遺伝子を作り出していることが描かれていますが、 どうも、ヒトにはそういうシステムが本能のようにあるのではないか?と思うと、恐ろしい気もします。






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 もう一つの疑問、「なぜ男性はより能力の高い女性をめざして欲情しないのか」という点についても、「もっと言ってはいけない」に収録されているグラフをみれば、解決してしまいました。



 女性が男性に求める普通の感情は「より優秀である男性を好ましいと思う」ということは、一般的に理解できると思います。


 男性が女性に求める普通の感情は「より若い女性を好ましいと思う」ということも納得が得られるでしょう。



 しかし、女性は「より若い男性を好む」傾向を持っていないし、男性は「より優秀な女性を好む」という傾向を持っていないのです。




 これは、



「男は、誰でもいいから若い女性を好む」



と言い換えることもできるでしょう。



 「もっと言ってはいけない」にはその理由の一端が間接的に書かれています。



 どういうことかと言うと、



◆ 男性の能力は、低いほうから、高いほうまですそ野が広く広がっていて、その頂上は中間地点にある。



◆ 女性の能力は、中央により近づいており、すそ野は広がっていない。そして、その頂上は、中央付近で高い山になる。



というグラフが出てくるのです。




 このグラフにおいて、統計学的にみてみましょう。



 ◆ 優秀な男子にとっては、自分より優秀な女子はあまり存在しない

 ◆ ふつうの男子にとっては、 ふつうに出会う女子はたいていが自分より優秀



ということがわかるでしょうか。





 これが答えなのかもしれません。




 つまり



◆ 優秀な男子にとっては、自分より優秀な女子はそもそもいないので、自分より劣ったものに劣情を抱くしかない。



◆ ふつうの男子にとっては、相手が優秀かどうか考えず、とりあえずセックスをしておけば、相手は必ず自分より優秀



ということになるのです。



 だから男子は、相手が優秀かどうか、気にしないのです。なぜなら確率的には、ほとんどの場合、出会った女性は優秀だからです。






 そして、女性から見れば、自己複製権というものすごい権利を持っている女子だからこそ



◆ たいていの男子は、自分よりバカなので、権利を効果的に行使するには、優秀な男子を求め探すしかない



ということになるのではないでしょうか?




 これもまた、恐ろしい真実です。



 こうしたことから、男子たるものは原始の世界では暴力性のみを身につけてゆけば、高い確率で優秀な遺伝子を残すことができた、ということかもしれません。



 つまり、レイプは本能の可能性がある、ということです。




 ぜひ、反論や反証を探してみたいものです。








 




















2019年1月11日金曜日

【元祖!勝手に人生相談シリーズ 24】 100万円いろんな人にあげちゃうのはダメなんですか?



 いやー、遅ればせですが、盛り上がってますね。


 なんでもZOZO立ちとか、ちょっと身体を斜めにしてあり得ないようなポーズを取って写真を撮ったりするのが流行しているとか。


 え?ちがう?


 それはJOJO立ち?!



 いやあ、さすがに解脱すると俗世にはうといもので、ついつい間違えてしまいました。





 さてさて、あり得ない!といえば、どこかの国の大金持ちの方が「100万円をみんなにプレゼント!」なんて大判振る舞いをなさったようですが、どんだけ~♪な事態です。



というわけで、このコーナーでは、誰にもなんにも頼まれていないのに、「勝手に相談に乗ってしまう」というシリーズですから、今日はいろいろ巷でも議論になっている



「勝手に100万円いろんな人にあげちゃうのはダメなの?」


というZOZO・ジョースターさんからの相談についてお答えしたいと思います。





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 その答えは、ズバリ!



 100万円いろんな人にあげていい!もう、とにかくあげまくって全然OK!



というものです。


 ちょっと昔の本をたぐればT中K栄さんなんか、どんどんバンバンいろんな人に100万円あげまくっていますよね。


 豊臣秀吉なんかも、どんどんバンバンいろんな人に「豊臣姓」を配っています。


 たかが「姓」と思うなかれ!

 現代で言えば、どんどんバンバン「トヨタ本社に勤めていることになっている名刺」を100枚もらうようなものです。

 グーグルに務めていることになっている名刺でもいいです。それも、グーグルやトヨタが公認してくれるわけですから、



 そ、その名刺、ほちい!



と思う人はたくさんいるでしょう。100万円くらいの価値はあります。




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 たしかに、100万円もらったら借りのようなものができてしまって、相手に対して恩義を感じてしまうという側面が生じるかもしれません。



  しかし、おじさんやおばさんからもらったお年玉、1万円×10年間で10万円くらいもらったとして、その10万円分あなたはおじさんやおばさんに借りをかりてしまった、と思うでしょうか?


 そんなことはちっとも気にしないはずですから100万円くらいでガタガタ言ってはいけません。



 もし、ZOZO・ジョースターさんが、3億円くらいくれる!というなら話は別です。



 ひとむかし前にサラリーマンの生涯賃金が3億円くらいと言われていましたので、3億円くれるなら職務専念義務くらいは、ZOZOさんのことを慕う必要はあるでしょうが、100万円くらいでなびいてしまうのであれば



 それは、もらうほうが小物・器が小さい



 なのです、バババーン!!!






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  なぜ、こんなことを言うかというと、私は世間をしのぶ仮の姿ではとある中小企業の管理職を務めているのですが、うちの会社というのは、仮にうちの決算が赤字になったとしても、


「そんなのはぜんぜん怖くない、それに対してあまりあるほどのこの会社が存在するメリットがある」


という話を、役員でもある私にしてくれるわけですね。



 まあ、その背景に、もっともっといろいろな経営上の作戦やら、考え方やら、しくみがあるのですが、ひとことでいえば


「赤字の状態で、従業員が資本家のおこぼれで生きていても、それはそれでいいじゃないか」


というわけです。



 従業員の働きは、実際にはマイナスなので赤字が出ているとしましょう。それでも会社としては、資本家のおこぼれで従業員を生かすことをよしとする、



 これが器、太っ腹というものです。



(いやいや、これが真の経営というものです)




 利益が出ているのなら、100万円あげようが、利益還元祭!じゃ○ねっと!をしようが、還流させればそれはそれでOKです。



 
  そうして、お金はぐるぐる回したほうが、「たったひとりが蓄財する」よりかは、全然マシです。



 ましてや、わけのわからない壺とか、 年代もわからない置物とかが100万円×100個も買われてしまうよりはるまにマシなことは自明です。



あるいは月に向かってでっかい花火を打ち上げられるよりかは、全然マシです(・・・・・・え?)




 それともなんですか?


 伊達なおとがランドセルではなく、現金100万円を寄付して回ったら、批判するんですか?





 なので、わたしたちは、ZOZO・ジョースターさんに負けないくらいの大物になればいいのです。



 100万円?ああ、俺にとっては竹富士のティッシュみたいなものだな!


とか


 100万円?いまどき100万円じゃ軽自動車すら買えねえぜ!


とか、かっこよく嘯きながら、堂々と100万円を受け取ればいいのだと思います。





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 これまた余談ですが、zozo・ジョースターさんが良い人か悪い人か、なんてことは解脱者的にもどうでもよいことです。


 田N角Eさんが良い人か、悪い人かを誰も判定し得ないように、また、ダイエーのN内Kさんは経営に成功したのか、失敗したのかを誰も回答できないのと同じで、ジョースターさんやその行為を


 よしあしで判定することは無意味


です。


 ですから必要以上に100万円もらっても、持ち上げる必要もないし、こきおろす必要もないのです。


 ただ、彼もわたしたちも、やりたいようにやればいい。それが人生です。



 あなたたちだって、好き勝手に、ジョースターさんのことを好きだの嫌いだの言ってるでしょ?

 しらんけど。





 というわけで、ムコガワは解脱していますので、ぜんぜん気にせず100万円もらっちゃいます。


 相談者のあなた!ぜひ100万円振り込んでください!


 振込み手数料はそっち持ちで。(←小物)



 






2019年1月8日火曜日

日本、そして世界の破滅と近代化は関係があるか。 その2




 というわけで、前記事の続きです。



 近代化、先進国化すると、基本的には「少子化になって、国が滅ぶ」



ということが、なんとなく見えてきたわけですが、なぜ、



 国が豊かになって、医療も発達して、文明だって発展するのに、滅びの方向へ向かうのか



は、かなりの矛盾のように感じられます。



 本来であれば、発展発達にともなって「子孫繁栄、五穀豊穣」になって当然と誰もが思うはずです。



 しかし、その答えに到達する前に、少しだけ回り道をして考えておきたいことがあります。






<回り道A> 『そもそも人口が増える理由は、土地であった』話。 


 歴史に詳しい人なら、理解していて当然なことですが、産業革命以前は、人口を養う大前提は、それだけの食料が取れる「土地の広さ」が物理的な限界でした。


https://satori-awake.blogspot.com/2017/05/blog-post_31.html


で紹介したグラフをみてもわかるとおり、鎌倉時代から明治維新直前までというのは、耕作できる土地を広げたり、農産物の作り方を改良してもやっとこさ人口は倍になるかどうか、というくらいの話なのです。


 それが、蒸気機関の発明、日本においては明治維新のスタートなどで、一気にモノの生産効率などが上がり、より多くの人口を養えるようになったので人口が増えるわけです。

 ところが、人口が増えると、やっぱり食料生産の面では土地が足りない。だからこそ、日本は北海道を開拓したり、樺太へ行ったり、満州国を作らなければならなかったのですね。ハワイやブラジルへ移民を送ったのも同じです。



 ぶっちゃけ、農地が足りない



のが、根幹なのです。


 ところが、先進国になるには実は2段階あって、


第一段階が「産業革命でモノをたくさん生み出せ、農作物から貨幣へ経済を回す基盤が変わった」


のだとすれば、


第二段階は「モノやサービスから貨幣を生み出せることから、よその土地(海外)から農作物は買い漁れるようになった」


ことなわけです。



 日本なんかは、土地がなかったので、満州国など目で見てわかりやすい「外部の土地漁り」をしようとしましたが、イギリス無敵艦隊などを持っていた古くからの先進国は


「植民地から農作物をゲットできたので、本国に土地がなくても貨幣経済だけで回せた」


という面があります。つまり、先進国とは



「バーチャルで現物ではない貨幣という価値で、暮らしを立てることができる」



国を先進国と呼ぶことができることがわかると思います。農作物という現物で暮らしを立てているのが、途上国なわけ。







<回り道B>  『 おっさんが女性に欲情する劣情で、うへへへ』な話。



 さて、いきなり一見全然関係ないような話をします。



 現代ビジネス 最新科学で実証 わが子が勉強できないのは母親のせい?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58783


 子供の学力は「母親の学歴」で決まる。文科省衝撃のレポート
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56752



のような類似記事が、近年たくさん出てくるようになって、ようするに


「こどもの知能は母親の知能に由来する」


みたいな話がだんだんわかってきたというのです。


 ところが、これまたこの問題を正面からムコガワは考えたことがあるのですが、




 性行為は愛と暴力のどちらに基づくか
https://satori-awake.blogspot.com/2016/08/blog-post_25.html



で示したとおり、



「もし仮に、遺伝的に自分の子孫が優秀であることを望むなら、自分よりも高知性の女性に対して男は興奮するようにプログラムされているはずだが、実際はそうではない」

 
「むしろ、自分より力、知性において劣っている、組しやすいと判断した相手に襲い掛かる傾向がある」



ことに気付くのです。これは明らかに矛盾です。


 もし、遺伝学的に、母親を通じて次の遺伝子が優秀かどうか決定されるなら、私たち男子は、東大女子にこそエロイムエッサイムな劣情を抱くべきであるのに、実際はまったくそうではないのは、フシギなことです。



  だとすれば、その答えは、



「遺伝子(肉体)は、学力や知性を評価しない」


ということなのではないでしょうか!!!ババババーン!



 つまり、いわゆる知性や学力が母親から遺伝しようが、そんなことはどうでもよく、



「男子たるもの、今晩なんだかいけそうな気がする~!な女子には、いつでもいこうとする!」


のが真実なのではないか!という大発見です。


 そして、若い女性のほうが、とりあえずは健やかに出産する確率が高いので、男子はみな若い女性が好きなのです。これは、遺伝的にもたぶんそう。






~~~~~~~~~~




 この一見なんの関係もない2つの回り道から、ものすごい答えを導き出すのが今日の目的です。




 先進国になって、都市に人々が流入するようになり、農耕社会から貨幣社会へとその住みかを変えて行くということは、そして、あるいは、現代のスマホ社会のように、「所有するモノから、実体のないデジタルデータ」の中で生きてゆくということは、


 つまりは、



「実体、肉体、生死を司る脳の中心部分を中心とした生活」 = 生物・野生のようなもの


 のセカイから


「論理・芸術・抽象・概念などの大脳新皮質を中心とした生活」 = 文明と文化のようなもの


のセカイへの 


変化、転換、移行



 を意味するのではないでしょうか。







 生殖とは、肉のセカイです。

 食物をかっくらい、体と体がまぐわい、生身の人間が飲み食いしながら次の世代を産んでゆくというサイクルこそが、 ヒトの生き様である、というのが本来の動物的な姿です。

 そこでは、文化的にどうとか、論理的にどうとか、知的にどうとか、そういうことはあまり関係なく、大地の異変を察知し、肉体を鍛え、飢えに耐えて、雨に打たれて走り回るのが善であるということです。



 
 それに対して、産業革命以降の発展は、


「すべてのものを実体とは離れたバーチャルな概念に置き換える作業」


であったと言えるでしょう。

 金本位制ではない貨幣とか、実際には所有する土地のないマンションとか、農地を持たずに食物を輸入する行為や、実は何もモノを作らないサービス業とか、何でお金が増えるのかよくわからない金利生活とか。



 これらは「肉のセカイ」からどんどん離れた、脳内の概念的セカイです。




 だから肉体は不要になる。こどもはいらない。



 自分たちの中で、概念は自己完結できるから、そちらを最大化したほうが、脳内は心地よい、ということになります。



 (それはまるで、VRの中の美女に没頭する仮想現実や、アヘンを吸いながら幸せな暮らしを夢見る幻のようなもので、どちらも実体が伴わない概念であるという点が一致します)




  だから滅びるのです。


 私達は「先進国化し、都市化し、文明化する」という壮大な夢を見ながら死んでゆくのかもしれません。






 それを避けるには、



「私達の心も、知性も、すべて肉体という器によって成り立っている」


ということを思い起こす必要があるでしょう。




 そのためには、そうです!



 そこのおねいさん!難しいことを考えるのはやめにして、さあ一緒にまぐわおうではありませんか!!!!!



 ・・・・・・え? 

日本、そして世界の破滅と近代化は関係があるか。




 あけました。



 めでたさも、中くらいなり おっす!おら悟空




 ・・・・・どうもどうも、新年そうそうぶっ飛ばしております、あ・な・た・の武庫川散歩でございます。



 新年がめでたいのか、はてさてめでたくないのかはさておき、私のような俗世を捨てた解脱者からみれば、まさにめでたさも中庸といったところ。


 元ネタはもちろん、俳人・小林一茶でございますが、なんと「おっす!おら悟空」というのは野沢雅子さんのアドリブだった、というので、オドロキです。



 とまあ、つまらないことを申しておりますが、落語のマクラのようなものなので、さらりと受け流してください。





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 さて、いよいよここからは真面目にタイトルどおりのお話に入ります。日本の破滅、そしてセカイの破滅とハルマゲドンについて面白い記事があったので、それを紹介しつついつものように論考に入りましょう。



 シロクマの屑籠 「日本の破局的名少子化と急ぎすぎた近代化」
 https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190107/1546842600


というブログ記事が、とても興味深かったので、まずはそちらをちらりとお読みください。



 シロクマさん(熊代さん)は、はてな界隈では有名なブロガーさんですが、本業は精神科医だそうです。



 この方のお話は、要約すると以下のとおり。



■  今の20歳は、40歳の半分しかいない。

■ いや厳密には、今の赤ちゃんは40歳の半分しかおらず、20歳は6割くらいはいる。

■ 戦争や災害、あるいは医療の未発達のように「たくさん死ぬ」も大変なことだが、「ぜんぜん生まれない」も破局である。

■ こういうことは、人類史上はじめてなのでは?

■ 先進国特有の現象だと思ってたら、そうでもないっぽい。アジアの新興国でも同じ。

■ シンガポール、台湾、タイとかでも、出生率が下がっている。

■ どうやら、都市生活が広がってゆくと、都市に人が集って少子化になるっぽい




 どうですか?すごく面白いでしょう?シロクマさんの見立てでは、急激な少子化というのは、



「どうも、途上国から先進国へ発展してゆくスピードに関係があるらしい」


ということです。



 もちろん、ベースにあるのは、「多産多死」型の途上国スタイルに対して、死亡率が下がり「少産少死」型になる先進国スタイルへの変容なんだけれども、ただそれだけではなくて、


「少子化と先進国化をどう折り合いをつけていくかは、ゆっくり進化した国のほうが調整する時間的余裕がある」


のに対して、


「急激に発展すると、少子化に対応できないうちにホンマに少子化国家になってしまう」



という発見が、実に面白いと思います。このあたりは、さすがは理系のセンセイらしい論理的な見立てです。




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 さて、稀代の解脱者である武庫川は、日本人の3分の2は「絶滅する」と考えています。




悟るヒント: ハルマゲドンは始まっている。 
 https://satori-awake.blogspot.com/2017/05/blog-post_31.html




 ↑の以前の記事でも引用しましたが、人口問題の山形グラフをみれば、シロクマさんが言うところの


「発展国への道、そして転落への道」


が目で見てしっかりわかります。日本なんかも、明治維新からいきなり山を登りだして、急激に今度は山を下っているわけで、ワタクシ40代の武庫川でさえ


「明治・大正生まれの人を良く知っていたり、見たり会ったりしたことある」


レベルの最近さです。そんな何世代もはるか昔のことではなく、私たちの目の黒いうちに、人口は増加し始め、そして減少していっているのです。



  このスピード感たるや、



「わしらの世代のうちに、日本はピークになり、そしてわしらの世代のうちに滅び始めたのじゃ!」


くらいの勢いなんですね。 たたりじゃー!!!!!





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 ではここからが、解脱者ムコガワの真骨頂ですが、



「そうだとしたら、一体何が、我々を滅ぼそうとしているのか」


「いったいどうして、先進化すると人は滅ぶのか」



の答えを、解き明かそうではありませんか!




 ズボッとぬるっとお見通しだ!!!!





 (この話つづく)