2014年6月30日月曜日

<日常>自殺したい人にやってほしい、たったひとつのこと。 自殺する前にやるべきこと。

 どうも。梅雨だというのに、私の住む地方では、いっこうにまとまった雨になっていません。その一方で、局地的に大雨が降ったり、大変なことになっているようですね。



 行く川の流れは絶えずして、諸行無常の響きありです。



 なぜか全くわかりませんが、時々、当ブログのアクセス数がとっても増えて驚くことがあります。ああ、誰かがこんなしょーもないブログを見ている、恥ずかちい!

 と両手で顔をふさぎながら、指の隙間からちら見する、そんなシャイなあんちくしょうの武庫川散歩です。どもも。




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 今日の解脱者さんからのひとことは、ズバリです。


「自殺しよう、自殺したいと思っている人へのメッセージ」


ですね。


 悟りを開いた者からすれば、


「自殺することがいいことなのか、悪いことなのか」とか

「自殺は違法か」とか

「自殺する権利はあるのか」とか


そういう問いは、あまり気にしません。


 事実現実実際に、「自殺することはできる」のですから、人はいいとか悪いを通り越して、「自殺することはある、自殺することは可能」なのです。


 それを認めるとか、認めないの議論は不毛です。少なくとも、悟りのセカイにおいては、不要な議論です。



 ですが、老婆心ながら「悟りをパックリ開いた者がお届けする、自殺したい人への最後のメッセージ」があるとすれば、それはこんなお話です、というのが今日の内容。



 もちろん、これは「死にたい人」「自殺したい人」「死のうと思っている人」に限りません。言い方を変えれば、


「生きている全ての人が、死を迎える前に一度だけでいいので、やってほしいこと」と同義です。



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 私はすでに、それをやり終えていますので、たいへん心が澄んだ状態で、今の自分の生きることについて、納得と深い満足を得ています。




 それは、特段に難しいことではありません。




 もし、あなたが死をなんらかの形で意識していて、ほんの少しだけ時間があるのであれば、自ら命を絶つ前に、一度だけやってみてください。




 そこには、「あなたにとって、今必要ななんらかのメッセージ」が込められています。




 それは、人によって受け止め方や、感じ方、読み取り方が大きく異なります。




 結果については、私も関知できませんし、それをすることで死が去ってゆくわけでもありません。




 
 それをすれば、かならず「自殺を思いとどまる」という類のものではないです。




 もしかすると、人によっては「やっぱり死のうかな」と思うかもしれません。しかし、それをする前としてからとでは「死ぬ意味が大きく異なる」ことだけは確かです。





 私はスピリチュアルな感じじゃないタイプの解脱者なので、こういう言い方は好きじゃないのですが、平たくわかりやすく言えば、そこには必ず「霊界からのメッセージ」が書かれています。





 
 あなたの未来がすべて書かれているというインドの「アガスティアの葉」なるものがあるそうですが、それには「あなたが生まれてきた理由」のすべてが書かれています。いわば過去版「アガスティアの葉」です。どうせ死ぬんだから、未来のことは書いてなくてもいいじゃないですか。







 わたしは、それを実行してから、人生感が大きく変わり・・・ませんね。だって悟りを開いてからやったから、別に何にも変わりません。ただただ、純粋に受け止めるのみです。







 しかし、私の家族や、友人たちは大きく感情が変化したようです。






 

 少なくとも、全員が「生きるとは何かが、わかったような気がする」と口にしています。






 「知らなかったことをたくさん知ることができ、私がなぜ生きているのかがわかった」と言います。






 なので、「どうせ死ぬのであっても、あなたが生きた理由を知ってから死んでもいいんじゃないか」と私は思っています。







 繰り返しますが、そこには、何らかのメッセージが込められていて、読む者にとって、受け止め方や心の揺さぶられ方が大きく異なります。でも、それは「今のあなたに必要なメッセージ」です。







 いい忘れましたが、「過去版アガスティアの葉」は買うのに1枚750円かかります。






 私の場合は、4枚くらい出てきましたので、3000円かかりました。





 友人の場合は2枚でしたので、1500円でした。




 

 やってほしいことはたった一つです。役所へ行って「私の本籍地の先祖を遡れるだけ遡ってください」とアガスティアの葉を管理している通称戸籍係の霊媒師に頼んでください。





 そうすると、その市役所で所有している「戸籍謄本」やら「除籍謄本」やら「改正原戸籍謄本」やらをいろいろと出してくれます。





 お父さん、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、そのまたおじいちゃん・・・・。などあなたに至る先祖がどんどん書いてあります。ついでに親族とか家族とかもどんどん書いてある用紙が出てきます。




 

 最低でも明治半ばころまでの先祖の生きた証が出てくるでしょう。うまくいけば江戸時代まで遡れます。





 そこに書かれている人たちは、みな既に死んでいます。あなたももうすぐそこへ行くことになります。




 そして、その人たちが生きていたので、あなたは今ここにいます。





 あなたが死ねば、そこで終わりです。それもよしです。





 日本の戸籍制度では、明治2年に作られた戸籍は、国家権力によって隠されています。あなたが読めないようにしまってあるのです。わざとそうなっているのです。





 だから、せいぜい辿れても江戸末期もしくは後期までです。しかし、縄文時代から、あなたの命は繋がっています。





 
 その、最後のちょっとの命のリレーを読んでから、どうかあなたの命を決めてください。





 きっと、あなたはその文書から何かを発見します。すべての人が、何かを発見するのです。





 あなたが生きている、あなたが生きていた理由のヒントを。




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<2020年2月追記>


 この記事を検索で読んでくださる方がとても多いので、もう少し補足をしておきます。

 戸籍を辿り、自分のルーツをしっかりたどってゆくと、実は2つの大きなことに気付きます。


ひとつは、


■ あなたが今ここで生きているということは、先祖の誰もが途中の戦乱や地震や災害や病気などで、一切死なずに生き延びてきたからだ、ということ


です。もちろん子孫を残した「後」に亡くなった方はいるでしょうが、少なくともあなたの先祖を遺すまでは、その人たちは死んではいません。


 これをすごい!と思うか。だから?と思うかは自由です。



 もうひとつは、これも先祖調査、苗字調査をしている専門家が発見していることですが、


■ 日本人のほぼすべての人は、「天皇の子孫」もしくは、「貴族の子孫」です。


 そう!本来世が世であれば天皇や貴族であったかもしれないあなたが、なぜこんなに不遇な境遇になって、今「死にたい」と考えているのか、そこには驚愕の答えがひそんでいるのですが、


 それを知りたい!と思うか。そんなのはどうでもいい、と思うかもまた自由です。



 しかし、自分が本来高貴な系統を受け継いでいて、命には価値があるはずなのに、なぜ今自分は苦しんでいるのかに興味を持った人、あるいは、連綿と続いた命のリレーについて、それが途切れるということはなぜなんだろう?と感じた人には、十分に自死を思いとどまるチャンスがあるということを知っておいてほしいのです。


 なぜなら、あなたは本来愛され、生かされるべき存在だからです。



2014年6月26日木曜日

<日常>「ありのままで」生きようとするのやめちゃえば?

 どうも、最近糖尿病で高血圧になってきたような気配がするので、そろそろ涅槃に突入かと考えている武庫川散歩です。

 ちなみに、悟りを開いても、開かなくてもヒトは死にます。ブッダも死にました。キリストだって死にました。


 「死にましぇん」のは武田鉄矢くらいのもんです。


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 さて、ちょっとブームも落ち着いてきましたが、ついこの間まで俗世には


「ありのーままのー」


とかなんとかいう歌がやたら蔓延ってましたね。"Let It Go"です。


 社会学とか、心理学の側面からは、

「現代人はありのままの自分でいたがっている」

とか

「ありのままの自分でいられない社会の病理」

とか、いろんなことを抜かしてけつかりますが、そういえば数年前にも


「世界に一つだけの花」


がどうとか、そういう観念がブームになっておりました。え?数年じゃなくて、もう10年も経つの?!

 ちょっと、記憶も解脱しておりました。失礼。


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 「自分らしく生きる」とか「ありのままで生きる」といったキーワードが、本当に現代の日本人は好きです。

 しかし、そのキーワードのせいで、自縄自縛になっている人がたくさんいるような気がするのは、気のせいでしょうか。いや、気のせいではありません。


 自分らしく、ありのままで生きるのが難しい世の中だ、という前提はまあいいでしょう。


 そこから「だからこそ、自分らしくありのままで生きたい」と願うのも、まあいいと思います。


 しかし、「自分らしく、ありのままで生きていないワタシは終わってる」と考えるのは、どんなもんでしょうか。



 仕事上うまくいっていない、給料が上がっていない。うだつもあがらない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



 恋人がいない。結婚できていない。こどももいない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



 田舎に住んでいる。楽しいこともやりがいもない。ここは吉祥寺じゃない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



といったことに悩みながら、「ありのままで」を切望する現代人はどう考えても何か間違っているように思います。



 そもそも「自分らしく、ありのままで」の前提条件が間違っているんですね。つまり。

 最初から意味がおかしいんです。



 派遣社員で、給料が上がる見込みがなくても、「これで~いいの~」

 3畳一間で、暖房がなくても「少しも寒くないわ~」

 子供がいないからこそ「なんでもできる~」


というのが「ありのまま」ということです。



 そもそもこの歌は


「自分が雪女であることを肯定する歌」


ですから、いいんです。デブで臭くてキモくても。ブスでもハゲでもいいんです。
 


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「世界にひとつだけの花」ブームのときもそうでしたね。


デブで臭くてキモくて、ブスでもハゲでも「世界に一人だけの自分」だからいいのだ、と。

ナンバーワンにならなくても、すでにオンリーワンなのです、と。



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 しかし、最臭解脱者「武庫川散歩」的には、どちらの意味でも「ありのままで」生きようとするのをやめることをお勧めします。


 金と欲の全てを手に入れて「自由よ~なんでもできる~」状態に秒速で成り上がる「ありのままなワタシ」も


 なーんにも努力をしないで、ボテっと寝転んでいるだけの「ありのままなワタシ」も


どちらもダメです。



 
 悟りを得た人間からすれば、結果論として「出来なかったことや、手に入れられなかったもの」はあって当然ですが、


 自分が生き生きと生きる


ことはとても大事なことだと思っています。


 生き生きと、の中身が人によって異なると思いますが、


自分が良いと思う状態を維持するために、努力したり、時には諦めたり、泣いたり笑ったりする


のも生きるということなのです。



うーん、なんか最後はまともな話になってしまいました。もっとふだんはキレッキレの解脱ばなしになるんですが(苦笑)

2014年6月17日火曜日

<日常>「自分探し」が止まらない!

 お久しぶりです、こんにちは。


 尿路結石ができて激痛に悩まされている武庫川散歩です。

 尿路結石のご経験がある中年男性の方には、共通理解があると思いますが、アレはやたらと痛いのです。

 それはもう、のたうち回る時もあります。


 一昨年くらいに、最初のマジヤバイやつに出くわしまして、それから毎年軽いやつが訪れますが、今回のは、なかなか強烈でした。


 で、もがいている最中に、ふと思い出しまして。


「ん?まてよ、私は既に解脱しているのだから、いかなる苦しみからも逃れているはずだ。おかしいな、痛みなんて超越しているのに」


とそんなことを念じておりましたら、すっかり痛みが消え、気がつくと、ぐーすか寝ていました。



 え?自分でもすごいんじゃないかと驚いております。痛みを超越するとはこのことです。


 翌日、さきっちょのほうから108つの煩悩のひとつが、コロンと飛び出してきました。


 いやー、またひとつ解脱してしまいましたな。



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 そんなこんなで、今日も元気なサイバーパンク解脱者は、いかなる痛みも超越しながら、次回の石の光臨を楽しみにしているのですが、それはさておき。


「自分探し」


なるものにハマる人がおられるようですね。この世の中には。


 仕事をやめてみるとか、転職してみるとか、「これは僕が追い求めているものじゃない」とか、いろいろ考えて「自分を見つめなおしたい症候群」の人のことです。


 けっこう究極的なパターンだと「インドに行く」という手もあるそうです。どんな人でも、インドにいくと人生が変わるとか変わらないとか。



 んーと。武庫川散歩的には、インドまでいかなくても大阪の西成区とかでも十分いろいろ「人生が変わる」と思いますよ。


 その昔、天王寺動物園周辺がまだなかなかにぎやかなりし頃、幼い武庫川散歩は父に連れられて「動物園へ行こう!」とまるで「王子動物園」へでも行く気分で歩いておりました。

 すると、そこへ辿りつくまでに、いろんな屋台のそばで何人ものおかまのおっさん様がカラオケに興じておられ、可愛い僕に手まで振ってくれるという神秘体験を得ることができ、


「ああ、ここはすごい!王子動物園に”天”がつくだけで、すごいことになるんだ!」


と思わずユーレカ!と叫んだとか叫ばなかったとか。


 天王寺動物園周辺も、いろいろと行政の圧力で現在は様子が変わっているそうですね。



<関西人にしかよくわからないネタで失礼いたしました>


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 さて、真面目な話に戻ります。


 「自分探し」が上手くいかない人、どんな仕事や体験をしても「これは、本職ではない」とか「これも僕の思っていたのと違う」と感じてしまう人は、


「自分探し」のあること(ある部分)を間違っている


からそうなるのです。



 それはどこか。


 簡単に言えば、「自分探し」とは「自分というものの本質」を見つけることなのに、なぜか探している間に、「自分というものの枝葉末節」を求めているのが間違っているのです。


 なぜ、あなたは「自分探し」のために「仕事探し」をするのですか?


 なぜ、あなたは「自分探し」のために「住む場所探し」をするのですか?


 なぜ、あなたは「自分探し」のために「恋人探し」をするのですか?


 なぜ、あなたは「自分探し」のために「学校探し」をするのですか?


 アスカに一回言われたほうがいいです。あんたバカあ?!


 いいですか?あなたは「ちっとも自分を探してはいない」ということに早く気付くべきです。


 自分が見つかっていないのに、どんな仕事や住む場所や恋人や学校を探したところで、自分は見つかりません。


 端的で明快でしょ?


 
 トランプの数札と絵札をひとつずつめくりながら、ポーカーの本質がわかりますか?


  グッチやシャネルを身に付ければ、あなたは高級な人間になれますか?


 ロレックスを買っても、あなたはカッコよくはならないのです。カッコいいのはロレックスの時計だけです。


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 なので、ここでズバリ言っておきます。


 自分探しとは「自分を構成する要素をいろいろ集めたり体験したりすることではない」ということです。


 まったく違います。自分の中身そのものと対決するのが「自分探し」です。


 では、真の自分探しの方法を教えましょう。



<あなたの人生が大きく変わる究極の自分探し>



① まず、自分の中を見てみよう。


 内視鏡で、口でも肛門からでもいいので、あなた自身の中身を見てください。大腸ポリープがないかどうかでも、人間ドックでもなんでもいいです。

 確実に人生観が変わります。人体とはかくも美しいものなのか、と驚愕するでしょう。

「僕の、あたしの体がこうなっていて、そして生きているんだ」と目を見張ることでしょう。


 自分の中を直視してください。



② 自分の戸籍を取ってみよう。


 自分の本質に迫るやり方です。あなたの戸籍を役場に行ってとってください。あなたがここにいる理由を探ります。

 そして、あなたのお父さんとお母さんの戸籍を取ります。おじいちゃんとおばあちゃんの戸籍を取ります。

 あなたの先祖を探してください。あなたの先祖がどうやって生き延びてあなたに命を繋いだかを探してください。


 あなたの苗字は何ですか?なぜその苗字を持っているのか?いつからあなたの一族はその苗字なのか探してください。


 あなたの姓と名を直視することで、人生は確実に変わります。

 日本書紀、古事記の時代には「相手の名前を知ると、相手の心を支配できる」とまで言われました。なので、女性は本当に心を許さないと「名前を教えな」かったといいます。


 あなたがあなたの姓と名を本当に知ることで、あなたはあなたを支配できるのです。



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 まあ、それ以外にも、自分探しの方法はいくらでもあります。しかし、間違えてはいけないのは、「自分を構成する要素」や「自分に貼り付けできるラベル」を求めるのではなく、



常に自分本体を求める、自分の中身に迫る



ことが大切です。


 ガンバっ。武庫川散歩は、いつも頑張るキミを応援してるぞっ! キラキラッ!