2018年10月22日月曜日

神は存在するのか? ホーキングと武庫川散歩が出した、それぞれの答え。



 あのホーキング博士が亡くなって、その遺言ともいうべき「神についてのあれこれ」が遺されているらしく、興味しんしん、しんしん雪降り積もる。(草野新平)



 とまあ、思わず武庫川さんの教養が溢れ出てしまったところで、今回は、ホーキング博士の「神論」と武庫川散歩の「神論」について付きあわせをしてみよう!という試みです。



 元ネタはこちら。現代ビジネスさんから



「神は存在するのか?ホーキング博士が遺作で最も強調した答え」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58046




 ぜひ、ご一読を。




 それにしても


『大いなる問いへの簡潔な答え(Brief Answers to the Big Questions)』


とは、なかなかいい表題だねえ。オラわくわくすっぞ!




 では、いよいよその核心に迫ってゆきます。



 
1.神は存在するのか?


2.全てはどのようにして始まったのか?
  

3.宇宙には他の知的生命体は存在するのか?
  

4.未来は予言できるのか?
  

5.ブラックホールの中には何があるのか

6.タイムトラベルは可能なのか?

7.私たちは生き残れるのか?
  

8.宇宙に移住できるのか?
 

9.人工知能は人間を超えるのか?
 

10.未来をどのように作るのか?




 超解脱者、武庫川散歩による答えは、ホーキングに負けず劣らず明快です。





1.神は存在するのか。

→ 一般に人々が思い描くような神は存在しない。

 宇宙の法則性は存在するが、それを創ったものを神というのであれば、その法則そのものが神であってもまったくOKである。しかし、その法則は意識を持たず、人に干渉しないので、人とは全く関わりを持たない。



2.全てはどのようにはじまったのか。

→ ホーキングが宇宙は「無ではじまり無で終わる」と示しているのとおなじように、 そもそもはじまっているのかどうかも怪しい。このセカイは記号に過ぎず、記号が集合しているだけである。

 記号なので、紙の上では一見増えたり減ったりしているように見えるが、紙の上に記号を書かないのであれば、増えも減りもしない。



3.宇宙人はいるか。

→ 知的のレベルについても人類より下か、上かを含めて、同様に進化したり変化した生命がいても不思議ではない。



4.未来は予言できるか。

→ おなじ遺伝子を持っている双子の顔が違うように、偶発的に変化することを人は計算に含むことができないので、実用的には預言できない。ただ、最終的に人類が滅ぶことは預言できる。



5.ブラックホールの中には何があるか。

→ 重たいだけなので、何かが張り付いているのみ。地球に人類が張り付いているのとおなじ。



6.タイムトラベルはできるか。

→  みんなが思っているような意味合いではできない。たとえば平安時代でも、戦国時代でも、今でも、セカイを構成している原子の総量はあまり変わっていない、という意味においては、過去も現在も同一であると言える。



7.人類は生き残れるか。

→ もともと、人類が生きていられる期間は太陽が存在する期間に準じる。太陽が膨張し、最終的にはなくなるのであれば、そこで人類は消滅する。

  あとは、別の星に移住するしかない。



8.宇宙に移住できるか。


→ 数日でも宇宙に滞在できるということは、理論的には可能だが、ひとつのミスで大失敗してみんな死んでしまうこともありうる。



9.人工知能は人類を超えるのか。


→ 人類の英知は、1人の人間でいえば、その生存期間でリセットされ、受け継がれないが、人工知能は、その英知を何年でもアーカイブし、蓄積できるという意味では、1人のおっさんの知能を凌駕する瞬間は訪れるだろう。



10.未来をどのように作るのか

→ おすきなようにどうぞ。どうせわしゃ途中で死ぬ。

2018年10月18日木曜日

仏教の限界 逃げるは恥だが役に立つ



 どうも。みなさんの解脱者武庫川散歩です。


 どうやら宗教界では、大川さんの息子さんが激しく離反なさったそうで、話題になっていますが、ムコガワは最初から最後まで一人ぼっちなので、そういう心配はなさそうです。




 さて、解脱者ムコガワ。悟りを開いたというだけあって、日常生活ではほとんど怒りを覚えることがありません。


 ムコガワ的には、怒りなどの感情は生物学的な「快・不快」を感知するセンサー機能が発展したものだと思っていますので、動物が「快適である」「不快である」と感じること以上の意味を持ちません。


 なので、万人が感情を感じることは全然オッケーはあとですが、感情に支配されるほどのことでもないというわけです。




 ところが、解脱したムコガワさんといえど、1人で沈思黙考しているときはなんの問題もないですが、たとえば向こうから1人のおっさんがふらりとやってきて、


「バーカバーカ!」


と騒ぎ立てたり、人差し指でつんつんしてきたらどうなるでしょうか。



 最初のうちはさらり、ふらり、ゆらりとかわし続けていても、それが延々と1時間も続いたら、さすがの解脱者といえども



「うるさいんじゃボケ!どっかいってしまえ!」



と怒鳴ってしまうことは、けしてやぶさかではありません。






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 つまり、解脱というのは、「他者との関わりが無い状態」「関わりが薄い状態」であれば、それほど難しいことではなく、それは単に自分自身と向き合う作業で済んでしまうわけですね。



 ところが、現実世界ではこの「他者とのかかわり」の中で、あんなことやこんなことがうっふん起きてしまうのです。





 仏教におけるブッダのやり方というのは、この部分をうまく処理していることに気付きます。




■ まず、出家してしまう。これで俗世の他者との関係は限りなく薄くできる



なるほど、ブッダは賢いなあ!と思います。他者との関わりによって軋轢が生じるのだから、自分たちの仲間内で固まってしまえば、煩わされることは少なくなるわけです。




■ しかし、人間たるものご飯を作ったり食べたりしなくてはいけない。しかし、買い物をしたり、労働をしたりはしたくない。




 ところが、丸坊主だらけのおっさんが、ただ寄り集まっているだけでは食べていけません。

 本来であれば自給自足の労働をしたり、ヤマギシズムみたいに、内部で生活が成り立つようにしなくてはならないのですが、ブッダはこのあたりから逃げるは恥だが役に立つようになってきます。




 ■ そもそもブッダは王族だったので、労働はしない。おまけに仏教のシステムでも労働はしないことが決められている。




 俗世とかかわり、作物や商品のやりとりをすると、煩わされることが増えます。そこでブッダは、そもそも労働を仏教から除外してしまったわけです。



 で、その代わりに使ったシステムが



■ お布施をもらえばいいんだ!



ということです。



 お布施をもらって暮らせば、労働はしなくていいし、煩わされることも減ります。そもそも、外部の人間と折衝をする時間が最低限になります。



 でも、このシステムは「仏教が生まれた当時のインドで、聖職者に喜捨をすることが当たり前だった(つまりバラモン階級は労働をしなくても済んだ)」から成り立つ話なのです。




 ということは、ブッダは、うまいこと「外部とややこしい関わりをしなくてはいけないこと」から、



 逃げている!



わけですね。



 ずっちーな!

 (by織田裕二)  本来は「ずるいな」の意味。




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 このあたりが仏教の限界点なのかな?と思います。



 確かに悟りを開いて、自分だけが幽玄の境地に至るのはよいでしょう。



 しかし、外界との接点を減らし、その方法としてお布施に頼る、というのは



 ちょっとご都合主義ではございませんか?



ということになります。




 現代社会で言えば、


「自分は苦しみから逃れて、どこかの山奥に住みたい。贅沢はする気がないので、お金はベーシックインカムかもしくは生活保護でよろしくお願いします。」



といってるのと同じですね。



 そりゃあ、幸せやわ!




 というわけで、仏教が最高の解答ではないんだ、というお話でした。



 基本概念は好きなんだけど、ツメが甘いよね。