2014年4月21日月曜日

<日常>諸行無常!全てのものはむなしい アーメン

 春が来たというのに、昨日と今日はやたら寒くて、天気も「無常」だと痛感している武庫川散歩です。

 ああ、そうそう。リュックベッソンのTAXIシリーズにもそんなのが出てきましたね。たしか、主人公のサミー・ナセリが載ってるタクシーの車が・・・・プジョーです。

 ごめんなさい。なんの関係もありません。


 さて、今日は少し古い記事ですが、ブッダのいうところの「悟り」がどういうものか端的にわかりやすく示されている記事があったのでご紹介しようと思います。



ブッダの言葉「苦しみを消すには、自分自身を変えるしかない」(プレジデントオンラインより)
http://president.jp/articles/-/12301



  日々悟りを開きたいと願っているそこのあなたにとって、いったいブッダが何と言っているのか1分から2分くらいでわかる、とてもよい記事だと思います。

 書いておられるのは花園大学の先生だそうですが、私も大学時代花園大学の辺りを自転車で駆け抜けながら大学に通っていました。懐かしいものです。

 

 さて、記事によるとブッダの悟りとは、つまりこういうこと。


①すべてのものは無常で一定ではありません。誰も助けてくれません。自分で悟る以外に道はないのです。


②自分ですら自分のものでないのですから、自分の所有物などがあろうはずがなく、すべては無常だったら無常なんだってば。


③修行をたくさん続けなさい。そうすると「ふつうの人とは逆の発想になります。ふつうの人の喜びが苦痛となり、ふつうの人の苦しみが安らぎとなります。




 うーん。ふだん私が言ってることそのままだな。おもしろくない(笑)


 さて、ちなみに私の悟りがブッダのそれと大きく違うところはどこでしょうか。

 ブッダは、そのように「全ては無常」なんだから捉われず全て捨て去りなさい、というベクトルで仏教を完成させました。


 私の悟り=「エンターテイメント解脱&サイバーパンク解脱」では、おなじく「全ては無常」なんだからこそ、


・・・・楽しんじゃえばいいんじゃない?


と考えます。


 ちょっと言葉を噛み砕きすぎているところがあるので、この真意はわかりにくいと思いますが、全てが「ナイに等しい」ところから出発するのであれば、「在ることの面白さ」「感じることの楽しさ」を実感してもよいのではないでしょうか。


 この感覚は、こんどはブッダではなく「老子」になりますが、


知足


の境地に近いものがあります。


 知足(ちそく)とは、「足るを知る」であり、「ほんの少ないものでも、自分には十分満ち足りていることを知る」という境地のことです。


 欲しがりませんこれ以上。


 厳密に言えば、知足とわが解脱はちょっと違うところもあるのですが、仏教的にいうところの


この世が無常=ゼロに等しいもの(存在しないかもしれない症候群)なのであれば、


ほんのチョッとでも、「ある(と思ってしまうこのセカイ)」は、それだけで十分に喜ばしいものである、


という考え方になるわけです。


 私は、このセカイは存在しないかもしれない、と思っているので、それなのに存在するって感じているこの日常は


 すなわち =もうけもの、ラッキー、大当たり、プラスアルファ、宝くじ


 のように、「十分に楽しいもの」だと感じられるわけです。



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 たどりついた結論は同じでも、ブッダのように「・・・よって全てのものは無意味なので捨てろ」というのか「・・・よって全てのものは無意味なので、失うことを恐れず味わえ」というのは根本的に異なります。

 サイバーパンク的にいえば、このセカイの全てはソフトウエアのようなもので、実体がなく、いくら華やかに見えたモノでも電源が切れればモニターから消えうせるデータに過ぎません。

 だからといって、ブッダのように、電源を入れない生活をする必要はないのではないか。

 別に電源を入れてソフトウエアを楽しんでもいいんじゃないか、というのがサイバーパンク解脱です。

 ただしそこには、「このセカイはソフトウエア(空なるもの)である」というしっかりとした確信がベースにありますから、


コンプガチャに取り付かれたように課金する


というアホなことはしないわけです。しょせんコンプガチャです。


 ちなみに、うちのこどもが最近カプセルプラレールのガチャガチャにハマッています。


 もう煩悩にまみれています。えらいことです。

 早く父に倣って解脱して(飽きて)くれないかなーっと。なーんて。









2014年4月2日水曜日

<日常>苦しんでいる人へ 「最低な人生が最高の生き方を生む」

 こんにちは。

 いつもは高尚で崇高な話題についてお届けしている当ブログですが、今日は低レベルでお下劣な話で進めてみたいと思います。あなたの武庫川散歩です。


 東洋経済オンラインさんに、なかなか示唆にとんだ面白い記事があったので、ご紹介しておきましょう。


 ハリボテ人間はリーダーにはなれない(東洋経済オンラインより)
 http://toyokeizai.net/articles/-/34177



 どういう記事かというと、ハーバードビジネススクールという世界でも超一流の人たちが集まる学校で、

「自分のろくでもない部分を愚劣にもさらけ出す。べろんちょ」

的な授業がある、という話です。
 

 この授業、タイトルは「真のリーダーシップ開発」なる授業なのですが、やってることはなかなかすごいです。

 そうまるで、出席者の生徒がみな「ウーマンラッシュアワー村本」みたいになる授業だというのです。


 というわけで、ここでもちょっとマネをしてこんな質問を用意してみました。



”あなたの一番後悔していることはなんですか?”

”あなたが人生でやった一番悪いことはなに?”

”あなたにとって、ほんとうに一番大事にしているものはなんですか?”

”あなたと両親との関係について、ぶっちゃけてみてください”

”マジであなたには本当の友達が何人いますか?”


 上記の授業でもそうだし、上の質問も同じですが、求められていることは「タテマエだけではない、真のあなた像」です。


 たとえば、学校の入学試験面接であったり、就職面接であったら、あなたは「いいことだけ、PRできることだけ」話そうとするでしょう。


 また、もし上の質問を就職試験で問われたら、あなたは「体よくそれらしい回答」をウソついて話すに違いありません。


 しかし、そんなものは何の役にも立ちません。真のビジネスマン・真のリーダーには「挫折と迷いと苦悩と恥」が求められているのです。


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 まあ、一流のビジネスマンになるかどうかはほっといて、このブログ「悟るヒント」的にも似たようなことがいえると思います。


 真の悟りを得るには、「挫折と迷いと苦悩と恥」は、大いにあってよいと思うのです。


 そう、「最低な人生」という経験があってこそ、悟りを得たあとの「最高の生き方」は花開くわけです。


 少なくとも、このブログを読んでいるほんの少しの人には、おそらく「挫折と迷いと苦悩と恥」がかならずあるに違いありません。

 私にも山ほどあります。人に話せば、クリビッテンギョーたまげっげーな「あんたそんなことしてたの!」的愚劣な人生が、私の過去を形成していると言っても過言ではありません。


 あのブッダですら、「嫁はんと子供を捨て」て飛び出したのです。

 小泉純■郎ですら、嫁はんと離婚して総理大臣になったのです!


 そのまんまEASTさんですら、いやらしいことをして知事になり、橋下弁護人ですら、不倫騒動があるのです!

 5千万貰う知事もいるし、8億貰う議員さんだっているのですよフォースコリー!

・・・・・・はあはあ、だんだん関係ない話になってきましたが、つまり、そういうことです。


 人生はろくでもないけれど、その経験を昇華させることができれば、「最高の人生」へと変えることは可能

なのです。


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 話をまじめ路線に戻しましょう。キリッ。

 記事の中でも書かれていますが「全身からしみ出るような人間性」こそが、他人の命や生活を預かるベースになるということです。

 
 今、苦しみや悲しみを持っているそこのあなたに言いたい。それを受け止めることで、あなたの生き方は最高のものへと変わります。

 
 我慢する必要も、無理をする必要も、頑張る必要もありません。


 ただ、悟りを得た瞬間に、最低の人生は最高の生き方へと勝手に天地が入れ替わるということだけ、お伝えしておきます。



 そのためには

 
 私へのお布施も要りません。壷を買う必要もありません。印鑑とかブレスレットも買わなくてよろしい。

 修行も不要!滝に打たれなくても全然オッケー!


 まあ、暇つぶしに当ブログをぼちぼち読むだけでたぶん大丈夫です。