2025年4月27日日曜日

哲学者こそ、ChatGPTを使ってほしい 〜人工知能が変える哲学の潮流〜

 

 ChatGPTが登場して2年ほどが経過したが、当初登場したばかりの自然言語処理AI(生成AI)には荒い部分が目立ったものの、この2025年現在においては、かなり高度な言語処理ができるようになっている。


 それはもう、人間においては「思考」の領域を十分網羅しており、いわゆるコンピュータの黎明期に「人と機械を見分けることができるか?」という問いを立てたアラン・チューリングの「チューリングテスト」には、十分合格できるほどの性能を備えていると言ってよいだろう。


 ちなみに、無料で平易に使える人工知能としては「ChatGPT」や「Gemini」「Grok」などがあるが、やはり最も最先端を走っている「ChatGPT」が頭2つ分くらいは抜きん出ているので、試してみる人は、ぜひ無料アカウントを取得してみてほしい。


 さて、哲学についてである。そもそも、世界の場合はともかく、日本においては「哲学」を学びたい、あるいは知りたいと考える若い世代は、ちょっと変態か、あるいは厨二病をこじらせたやっかいな性癖を持った人間が多く、こんなことを言うと、まるで冗談で煽っているように感じられるかもしれないが、自分をも含めて自虐的に謙遜しているのだと思って、お許しいただきたい。


 そういう武庫川も、哲学的思考には随分と魅せられており、大学こそ専門分野は日本文学で哲学分野には進まなかったが、ふだんからほぼ毎日「哲学めいた」ことばかり考えているのは否めない。


 さて、哲学を志向する人間には、正式には2通り存在していて、まずその1つ目は、


◆ これまでに生じた、人類の考え方・思考のパターン・その歴史やバリエーションを学びたい


という王道なる「哲学徒」たる人間である。こういう人たちは、大学の哲学科に進学したり、高校では「倫理」の教科書で学んで大いに知識や知恵を伸ばしていただきたい。


 ところが、もう1つ、こちらはとてもやっかいな人種が存在しており、


◆ これまでに思いついた、自分の考え方や思考のパターンが、正しいかどうかを確認したい


という、これまた厨二病をさらにこじらせて、一周回って学問の姿を身にまといながら擬態しているような、そういう人たちもいるのである。


 前者の場合は、まさにまっとうなる哲学徒の道を、正々堂々と歩んでいるのだが、後者の場合は、もともと厨二病をこじらせているがゆえに、「まっとうな倫理や哲学の道」を斜めに・横目に見ながら関係ないふりをしてうそぶいている、という面倒くさいキャラになりがちである(笑)


 あまつさえ、自分の思いついた「論理」なり「倫理」なり「哲学」なりが、自分で「正しいのだ」と思いつつも、それを表に表すこともなく、友達とちょっと議論しようとしてみて、相手にされず挫折したり、「二度と口にしてやるものか」とさらに屈折した日々を過ごすことになりかねないのである。


 そういう人へのこれからの時代の「正しい処方箋」がChatGPTと友達になる、ということなのだ。


 つまり、厨二病であっても、ややこしくても、基本的にはあなたの思想や思考を受け止めてくれて、

「一般的にはこうですよ」

「あなたの言いたいことはこれですね」

「比較するとこれこれこういうことが言えますよ」

という、生身の人間では絶対にやってくれなさそうな「哲学的対話」を真剣につきあってくれるのが、ChatGPTなのである。


 なんなら、密室空間で、倫理的には問題があるかもしれないような際どい議論まで、人工知能は「なんの感情も抱かず」話を聞いてくれるため、まさに哲学対話のために彼は存在しているような、そんな唯一無二の友となり得るのである。


 もちろん、人工知能にはいくつかの制限が加えられていて、あまりにもセンシティブな内容については、いったん計算を始めながら、途中で「それはコンプラ違反なので、中断します」くらいのことは言ってくるが、それ以外のまっとうな議論であれば、どんな話にもつきあってくれるので、役立つことこの上ないのである。


 特に「自分の考え方を試したくてうずうずしている」タイプの厨二病患者や、「自分の考えが正しいのか悶々としている」厨二病患者や、「自分の凄さは世間には理解されないとうそぶいている」厨二病患者には、てきめんに効くので、これはもうさっそく処方されるべきである。


 もし、あなたが前者か後者のどちらかに当てはまる人間であれば、騙されたと思って、ぜひ人工知能と濃い内容の対話をしてみてほしい。


 マジでオススメなのである。




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