2016年11月25日金曜日

マインドフルネス瞑想をすると不能になるって本当ですか?



 マインドフルネスなる言葉が、精神世界のかいわいやら、なんとビジネス領域で注目されているようですが、



 「解脱者さんは、マインドフルネス瞑想についてどうお考えですか?」



という質問をいただいたかいただかないかわからないので、お答えしようと思います。



 
 マインドフルネスというのは、とにかく簡単にいえば、仏教などで用いられている「瞑想」の方法から、宗教色を排除して、集中力や心身の健康をアップしよう、というものです。



 以前、このブログのどこかに書いたかわかりませんが、インドで有名なヨガというのも、心身の働きを物理的な体の伸縮などによって変化させようという試みだし、瞑想も、具体的な意識の方法論によって、心身を変化させようということに関わります。







 武庫川も、よくマインドフルネス的な行為を実施しているのですが、たとえば、



目を閉じて自分の呼吸に意識を集中しているうちに、いつの間にか呼吸が止まって隣の嫁はんに、

「あんた、また息止まってたで」


と叩き起こされるという


 瞑想からの涅槃による入滅・・・・



 ・・・・



 ・・・・ 睡眠時無呼吸症候群やないかーい!!!!!



 グガー! ピタッ  グガー!  ピタッ  シーン  シーーーーン




~~~~~~~~~~





 もとい。



 上の話は、ただ寝ているだけですが、本来のマインドフルネスというのは、「意識を集中」させてゆくことで、「寝る」ことではありません。


 NHKで特集されたマインドフルネスの実践例がわかりやすいので、一読あれ。



 NHKスペシャル キラーストレス
http://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html




 さて、そんなこんなで最近めっきりブームになりつつあるマインドフルネスですが、


 新潮デイリー 
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/11250640/?all=1


の記事によれば、安易に行うことで


「瞑想難民」

になってしまったり


「恋愛やピー!ックスの意欲が減退」

してしまったりする人もいるそうで。



 解脱者から言わせてもらえば、そもそも仏教の瞑想は「すべてが無常であると悟る」ために行うのであって、



 そりゃ、意欲も減退するやろ!!!




と思うのですが、みなさん何か勘違いしておられませんか?



 ちなみにムコガワの悟りは、一周回って「無常なんだったら、楽しもうぜ!」ということを是としておりますので、




 あかひげ薬局
 http://www.akahige.co.jp/choice/index.html



ぐらいに効きます。ええで。




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 ああ、またわけのわからない脱線をしてしまいました。 関西在住以外でMBSラジオを聴いていない人にはなんのこっちゃわからないネタをお届けしてしまいましたが、お許しください。


 話を戻しますが、解脱者武庫川は、マインドフルネスの中でも「慈悲の瞑想」に近いことをやっています。




 「ウィキペディアより、慈悲の瞑想」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E6%82%B2%E3%81%AE%E7%9E%91%E6%83%B3





厳密に言えば、私は仏教徒ではないので上記とは多少異なる方法を取っていますが、ツボは共通しています。


 記事の下のほうにあるように、自分から他者、ひいては全体へと慈悲の心で意識を充たしてゆくのが「慈悲の瞑想」ですが、私は他人のことなど知ったこっちゃないので、


 自分だけが幸せであればいいのだー!ふははは!


といつも願っていますが、何か?(うそですよ)





 さて、そろそろまとめに入りましょう。武庫川もマインドフルネスや慈悲の瞑想と似たようなことを行っているのですが、それは解脱とともに



 自然発生的に、あ!こういう姿勢や思索の方法がよいな!と生み出した



もので、結果的に瞑想に似たような行為になった、ということでもあります。


 なので、昨今のように、マインドフルネスなる言葉が流行し始めてから


「なんだ、ワシのやってることと一緒じゃないか」


と思ったわけで、もちろん「やったほうがいい」とか「やらないほうがいい」という類のものではなく、悟りを得たかったり、思索をめぐらせるうちに、そうした方法はどこかで絡んでくるのではないでしょうか?


 また、そうした個別の方法論として、禅の修業もあれば、上座部仏教の瞑想もあり、ヨガもあり、・・・といろいろな手法が出てきているだけで、



 依存したり、のめりこまなければ、好きにやりなはれ



ということでもあると思います。




 ちなみに、武庫川の瞑想法は、全部で四十八通りありますが、




 誰だ!四十八手とか言うやつは!!!!!





 ・・・どうも、武庫川の意識は瞑想ではなく妄想で充たされているようですね。ちゃんちゃん。

2016年11月15日火曜日

「君の名は」ブーム 〜セカイ系かなんか知らんが、僕は世界よりも「キミ」を救いたい〜




 さて、先日とある人に突然


「そう言えば、『君の名は』を見に行かれましたか?」


と尋ねられたので、「否」と一喝しておいたのですが、本当に見ていないのだから仕方がありません。



 解脱者武庫川は、俗世に疎いこともあって、だいたい「大ヒット作」なるものは、ブームが完全に沈静化してからのんびりと拝謁することにしているのですが、なんだかすごいらしいね!



 解説してくださる方に言わせると、「君の名は」もある種のセカイ系のお話で、セカイ系のお話とは



■ 男子登場

■ 女子登場

■ 二人の個人的関係が

■ なぜかセカイ全体の事象と関係するらしく

■ たいてい、そのカギは女子が握っているので、

■ 男子と女子がもにょもにょしている間に、セカイがあんなことやこんなことになって

■ 結局、二人の中もうまくいくんだか、セカイも救われるんだか




という類型なのだそうです。




 「君の名は」を最小限にまとめると、


”男の子と女の子が入れ替わって彗星が落ちてくるんだけど、助かった二人はもう一度出会えるよね。ラブきゅん!”


ということになります。






・・・それがどないしたんじゃあああああ!!!!!!!








 まあ、映画はヒットしているらしいのですばらしいことですが、我々40オーバーのかつての若者にとっては



 エ○ァンゲリオン



で、一回やらかされてますので、 シンジとアスカがどうなったとか、綾波が艦コレとか、童貞がいかにセカイと関わるかについては


「よいこは真似しちゃいけません」


とキツくお叱りを受けているので、斜に構えて見るようになっているのです。




 とはいえ、今回の「君の名は」が、一般大衆にウケるように細かな配慮がなされているのも事実で、シンジくんみたいに、


「逃げちゃだめだといいつつ、最後まで逃げている」


ような暗い少年を主役に据えず、 明るく朗らかに爽やかに童貞処女の交流を描いている点は、たぶんすばらしいのだと思われます。見てませんが。





 ある人が面白いことを言っていて、


「(内に籠り)社会性を獲得できなかったシンジくん(たち)」


に対して、


「コミュニケーションが出来ていて、リア充によってセカイ系は完結・完成した」


みたいにまとめられていたので、それはとっても面白いなあ、と思ったのです。
 



==========




 しかしながら、解脱者武庫川にとっては、セカイがどうなろうと知ったこっちゃありません。


 そもそもセカイは無常であり、「存在しないかもしれない」と考えているわけですから、トランプが大統領になろうが、朴おばさんが訴追されようが、なるようにしかなりません。


 それよりも、大切なのは



 あなた
 


です。 これを今そこで読んでいる”あなた”。


 私はあなたが苦しんでいるのであれば、真っ先に応援したいと思います。






 セカイ系とは真逆で、現実に起きているのはこういう事態です。




■ セカイや社会のありようや仕組みが

■ 小さな存在であるあなたを束縛したり、支配したり、苦しめたりしていて

■ 時には、システマティックに押しつぶそうとしてくるわけで。

■ たいていそのカギというか、解決の権限はあなたには無く、

■ セカイは変わらず、あなた自身があんなことやこんなことになったりして

■ ついには孤独に、ひとりぼっちで破壊されてしまう。



という物語。



 これが、あなたを襲っている「このセカイの物語」です。


  ”あなた”に該当するのが、貧困女子であったり、独居老人であったり、ブラック企業労働者であったり、心の病だったり、それはもうたくさんあるのですが、



 セカイ系ファンタジーを見て、へらへらしている前に、現実世界リアリティに押しつぶされそうになっている



人は、どこにでもいることでしょう。





 現実世界で起きているのは、セカイ系とは真逆です。


「男が、社会的立場を行使することで、世界が成り立っていて」


「たいていの場合、女子はカギなど持ってはおらず」


「社会システムにメスをいれない限り、世界はそうそう変わらず」


「世界を救う前に、目の前の個人を救うことすらできない」


のが現実なのです。




 だから解脱者武庫川は活躍するのです。社会システムはそうそう変わってくれないので、解脱者は勝手に動きます。



 社会全体の幸せなんかどうでもいい。


 まずはキミに幸せであってほしい、と願うのです。




 そして、あくまでもセカイ系とは逆の行動パターンを取ることで、真の救いを得るのです。



「逃げていいよ、と言いながら、最後まで支えること」(反 根暗童貞野郎)

「君はバカなんかじゃない。間違っていない」(反 金髪ドイツ人)

「私にも、君にも、代わりなんていないんだ」(反 白いスーツの女)

「サービスぅ残業、サービスぅ残業なんてやめてしまえ」(反 おねいさん)



 ね?セカイ系を離反すると幸せになれそうでしょ?





 そう。僕は君の名はよりも、



 キミ



をずっと見ていたいんだ。


















2016年11月14日月曜日

「過去に戻りたい」と考える人と考えない人 ~プラグマティズムを理解すれば、トランプ・アメリカが見えてくる?!~



 久しぶりの更新で、解脱者武庫川の救いの言葉に逢いたくて仕方なかったそこのあなた、お待たせいたしました(^^



 ここのところ、本業、じゃなくて副業の方がやたら忙しくて、まだ数件案件を抱えたまま処理しないといけないのですが、気分転換にでも解脱してみることにした次第。



 で、思うところあって、こんな話を今日はしたいと思います。




 ある人が、「過去に戻りたいと思ったことがない人が、この世にいるのか?」と思った、ということについてネットで書いておられたのですが、



 はーい!ここにいまーす!過去に戻る、というのは逆に全然想像がつかないでーす!



というのが私です。



 そういう意味のことを、これまでにもこのブログで何度か取り上げているのですが、

 

【勝手に人生相談スペシャル】”時をかける少女”さんからの相談です。「解脱者さんは、過去に戻れるとしたらどうしますか?」
 http://satori-awake.blogspot.jp/2016/08/blog-post_9.html




<勝手に人生相談シリーズ> 人生をやり直したいのですが、どうすればいいですか? 
http://satori-awake.blogspot.jp/2016/02/blog-post.html



にも書いている通り、基本的に武庫川は「過去に戻りたいと思ったことがない」人間だったりします。




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  これにはちょっとした理由があって、武庫川が関西のルヴァン大学を卒業してはじめて配属になったある部署で、隣の机に座っておられたK君という先輩が、ことあるごとに仕事の話やら、労働組合の勧誘やら、ウェッジウッドの紅茶を淹れてくれたりやら、いろいろと構ってくれたので、彼と友人になってしまったが運のつきなのでした。



(その後、武庫川は転職したのですが、K君とは今でも年に数回逢ったりする。きっとK君はホモで、私のことが好きなんだと思う。・・・え?そうなの!)




 そのK君が、やはり仕事の上でいろいろな選択に迫られることがあると、かならずしっかりと熟慮して、


「いろいろ考えて、今この瞬間これがベストの選択だと決めたのだから、もし悪い結果になったとしてもやっぱりそれは今日に戻ったとしてもどうしようもなかったのだ、と考える」



と口に出していたのです。それを隣で見ていた武庫川青年は、


「おお、おっさん言うことはかっこいいな!」


と思ったのでありました。(K君は、自分で”君”とか言ってるわりに、武庫川より10歳年上)




 そして、青年武庫川は、その頃は別に解脱しているわけではなかったけれど、「今日ベストだと思う道を大事にする」ということは、その通りで、「自分もそう思いながらベストを尽くそう」と考えるようになったのです。



 K君はその後、東大大学院へ行って「学歴ロンダリング」うへへ、をしてライバルを見下したり、独身であることをいいことにBMWを数台乗り換えたり、馬を飼ったりしているのですが、あと7年で定年だというのでお互い歳を取ったものです。




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 というわけで、K君を見習った武庫川も、基本的には「今の選択には、熟慮し決断し、自分でケツを拭こう」と考えるので、


その結果不倫しようが、離婚しようが、職を失おうが、うつ病になろうが、負債を抱えようが、ののしられようが



まったく気にしません。 いくらウン○でびちゃびちゃでも、ケツは自分で葺くのです。



 あまつさえ、解脱してからは「失敗も敗北も、自分の人生を彩る記憶の1ページに過ぎず、後で”こんなこともあったなあ”と懐かしむもの」だと考えているので、さらに過去を引きずったりはしなくなったのであります。




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 とまあ、そんなことを思いながらのんべんだらりと過ごしていると、面白い記事が見つかりました。


「過去を引きずる人と引きずらない人」「過去に戻りたいと考える人とそうでない人」それが、なんと



アメリカの現在とトランプ大統領の誕生



にとっても関係があるというのです。なんということでしょう!


 というわけで、まずはプレジデントさんの次の記事をご覧ください。




「超大国アメリカを支えるプラグマティズム入門」
http://president.jp/articles/-/20609




 プラグマティズムというのは、アメリカ発祥の哲学みたいなもので、簡単に言えばK君や武庫川のスタンスに似ています。




■ 目の前の課題を今解決しうるベストの選択で対応しようとする。

■ 異なる意見の中から、仮説検証などを通して真理を探ろうとする。

■ 対立軸の中から、相互作用によって現実的な解決を模索する。

■ マイナスではなく、すべてを人生の糧と考える。



 こうした思想は、「神の作りたもうたこの世界」という旧来の真理の価値観があって、科学技術の発展などで「果たしてそうなのか」という疑義が生まれたところからはじまったといいます。


 あるいはヨーロッパ社会がキリスト教神学に支配されてきたとすれば、アメリカ自由主義は、神を卒業したからこそ、人間社会の中で現実的解決を迫られてきた側面があったのかもしれません。



 つまりは、過去に戻りたいと考えず、「今日のベストを尽くす」思想が、プラグマティズムそのものであるわけです。


 スティーブ・ジョブズが「明日死ぬとすれば、今日をどう生きるか」を説いたことは有名ですが、彼の思想には「過去を後悔する余地はない」ということになるでしょう。





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 とまあ、ここまでは21世紀初頭までの世界を取り巻く自由主義と民主主義の様相だったわけですが、ここに来て、



 まったく真逆の動き



が世界の潮流となってきました。


 それが、いわゆるトランプ大統領の応援勢力となった



 キリスト教保守主義



の思想です。




「このセカイは神が創ったのであって、進化論は間違いだ」

「妊娠中絶は許しがたい」

「LGBTは、神の摂理に反する」

「古きよき過去へ戻りたい」


  大英帝国の繁栄を理想化する英国のEU離反運動もそうだし、今回のアメリカ大統領選挙における保守台頭も、理屈は同じで、これからセカイは



反ブラグマティズム



の様相を呈してくると言えるでしょう。




 過去へ戻りたい、と考えることは、その過去がどのようなものであれ


「理想化された世界像、理想化された自分像」


を追い求めることです。それが本当の真理であれば、それを追究することは美しいものとなるでしょう。


 しかし、その設定が間違っていたり、現実と乖離してゆく一方のものであれば、



それは一層の苦しみを生み出すもの



となるかもしれません。



 EUの選択も、トランプ政権も、まだ歴史は正確な答えを出さず、その途上にありますから、結果について武庫川は何も言及しませんが、少なくとも構造的には、


「過去を振り返る」というのはそういうことだ


と知っておくことぐらいは、よいかもしれません。






2016年11月3日木曜日

よくわかる 解脱のメカニズム




 最近、”解脱者”と検索するとワタクシの名前が現れるようになった武庫川散歩です。


 ええ、そうです。世界も認める解脱者、ムコガワですよ。


 となりには最終解脱者、そう!あの人のことですよ。あの人。言っときますが無関係ですよ。

 わたしは浮いたりできません。




 ・・・え?おまえのブラウザだけだって?


 そんなことはないでしょう。なんならグーグルでもやほーでも、解脱者って入力してください。


 え?出ない?じゃあ、今度は解脱者 武庫川散歩って入力してみて?


 私のブログがちゃんと表示されるはずです。




……どうも。SEO対策です。こんにちは。







 ”SEO”が検索エンジンの最適化作業だと知ったのは、つい最近のことです。



 それまでは  


 それまでは・・・・



 SE○のことだと思ってました!!!!うふん、あはん、いやん。




  …久しぶりでしょ?これがこのブログでおなじみのテイストだったのですが、最近は真面目なことばかり書いていたので、当ブログが



 お茶目系解脱ブログ


であるとか、


 下ネタ系解脱ブログ


であることをみんな忘れてしまっているかもしれません。そろそろ真面目になります。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 えーっと。


 そうそう!今まで、どうしてワタクシ武庫川は解脱し、悟りを開いているんだろうと思っていたのですが、(←自分で言うな)そのメカニズムがいまいちよくわかっていなかったのが、



ついに解明!



されました。バババーン!


 そうです。解脱のしくみがわかったのです。



 あ、ただし、ここで言うところの「解脱」とか「悟り」は、


 インド系宗教で言うところからの輪廻からの脱出


とか


 仏教で言うところの108の煩悩からの解放


とかそういう意味ではありません。 あくまでも武庫川散歩の主張するところの



 苦しみや迷いからの解放(当社比)



ですから、そこはよろしく。




  さて、私の好きな論者さんに橘玲さんという方がおられるのですが、その方が面白いことを書いていたのでピンときました。



「あらゆるリスクを冒しても欲しいものを即座に手に入れたい」と思わせる「快感」の正体とは?[橘玲の日々刻々]

http://diamond.jp/articles/-/106634




  とても面白い記事なのでぜひご覧アレ。



 あ、間違っても


「あらゆるクスリを欲しいと思わせる快感」


ではありませんよ!そこの高樹沙耶さん!



 油断していると、いろんなネタをほりこんできますのでご注意くださいね。



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 さて、橘さんの記事で面白いのは、簡単にまとめるとこういうことです。



■ 脳には側座核という部位があって、そこは報酬中枢として知られている。


■ 側座核を刺激するとドーパミンが出る。ドーパミンはとてつもなく快感らしい。


■ でも、ドーパミンは「(直接)気持ちよくなる」脳内物質ではないという。


■  ドーパミンは「快感」をもたらすのではなく「快感がやってくる」という「予感」だけを司る。


■ 快感そのものではなく、「快感の予感」に人は惹きつけられる



 面白いでしょ?



 人間や動物は「快感や快楽を欲している」と思いがちですが、実は快感本体よりも、


「快感が


くーるー!きっと来るー!♪ 
(貞子のテーマのメロディでどうぞ)


という予感」



のほうが気持ちいい!のだとか。





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 で、何が解脱かと言えば。


 武庫川散歩は、解脱してから、基本的にどんなマイナスの要素なことが身の回りに生じても、あるいは、いろんな欲望や世界への向き合い方にしても、


 ぜーんぜん不安がなく、基本あんまり何も気にならない


ようになり、かつ



 メイビー・パーハップス・プロバブリィ・未来はうまくいく


という自信を持つように脳みそが切り替わっております。



 これがすべて根拠のない自信だったりすると、それはもう完全に



アホ


としか言いようがないのですが、 そんなことはなく。まあ、たいていトラブルも乗り越えられるし、自分の人生も「思い通りになる」その後が続いています。




 もう少し丁寧に説明すると、「おそらく、こうすればこうなるだろう」という予想や予感のベースになる経験が豊富になり、それを運用することで仕事上でも、ふだんの生活でも、「まあ、たいてい予想したとおりになる」という


成功体験


が積み重ねられている、と言えるわけです。



 だから、不安感がものすごく少なくなり、「きっと未来はうまくいく」という自己肯定感が強くなっているのです。



(これは、仏陀の言うところの悟り=諸々からの解放というベクトル、とはちょっと違いますね)



 というわけで、武庫川の解脱状態というのは、そもそも無常なので


「別により高き何かを求めてはいない」


ことをベースにして、


「たぶん、すべてうまく行くという予感」


が常に脳みそに満ちていますから、 結果として幸せなのです。



 これが、「快楽や成功という報酬」をベースにした幸せ論だと、うまくいきません。


 まあ、たいてい「もっと強い報酬や快楽を求める」ようになるので、



「もっと欲しいという渇望」


が脳みそに満ちてしまうため、不幸になるわけですね。




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 そろそろまとめに入ります。


 要するに、ドーパミンの例でもわかるとおり、「快楽そのもの」は手に入ればもっと強い要求を産みますから、「快楽そのもの」を求めてはいけないわけです。


 でも「快楽が手に入れられそうな予感」というのは、実は一番気持ちいいわけで、その状態が望ましいわけですが、人間や動物の場合は、それを刺激する作業との追いかけっこになるので、これまた「快楽の予感に溺れてしまう」ことになります。


 武庫川の場合は、強い「うまくいく予感」があります。しかし、それは側座核の刺激とは無関係に存在します。



 ということは、ですよ。


 つまり、



 武庫川の脳みそからは、ドーパミンがちょろちょろとサイドギャザー(側座核)から常に漏れている


ということになるのかもしれません。ちゅどーんん!!!!!




 なので、常に「あへうひは」と気持ちいいわけではなく、「幸せの予感」に包まれているということですな。



★あへうひは、を求めるのだったら快楽そのものですから、いつも言ってるように、薬物でもなんでも吸っとけボケ!ということになります。しかし、武庫川は快楽そのものは、どうでもいいのです(笑)










 武庫川はドーパマンである。


 この事実を持って納得することがあって、たとえば武庫川は薬物が全然好きではないのです。


 お酒もきらい、タバコもきらい。


 もちろん、酒もタバコも嗜んだことはあるのですが、もわっとなったりふわっとなったりするのは



 全然楽しくない



わけで。


 武庫川にとっては、ふだんの脳みそのクリアな状態のほうが、よっぽどいいんです。


 そこを強引に外からいじってくる薬物は、まったく合いません。



  その理由は、もうわかりますよね?



 そうです。武庫川はドーパミンが勝手に出ているので、そのほう(何もしないほう)が



 絶対気持ちいい



わけですわ!



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 しかし、一般的には、ドーパミンが足りなくても、出すぎていても「精神分裂病」になるとされています(おそろしい)


 出すぎていると、いわゆる暴走状態になるわけで、ありもしないものが見えたりすることになるのですが、武庫川は今のところ


 ふつうに社会生活を遅れているし、元気


なので、 たぶん適正範囲なのでしょう。



 ということは、漏れてるけど電子制御直噴エンジンみたいになってるのかもしれません。



 ただ、まあ。自分のことなのでわかっていることをお伝えするならば、武庫川的に


「解脱するとか、悟りを開くとか幸福になる」


というのは、かなりの部分自分でコントロールできるようになる、ということでしょうか。



 ええ、そうです。たぶん誰でも訓練すればできるようになります。



 そういう訓練のことを、仏陀は「修行」だと定義したのでしょうね。




 というわけで、ドーパミンをコントロールしたいそこのあなた!



 いつでもどこでも武庫川散歩は弟子募集中なので、ぜひご応募ください。


 ただし、顔がよくわかるバストショットと、全身がわかる全体写真を添付の上、二次審査は水着審査なので、それでもよければどうぞ。







2016年11月2日水曜日

高学歴女子はいらない。 ~解脱者が考える、新時代の女子のロールモデル~




 高学歴女子はいらない。



 なんともキャッチーなタイトルをつけたものですが、炎上覚悟でこのように書いてみました。


 もちろん、ワタクシ武庫川散歩は、男女差別主義者でも、男尊女卑の考えを持っているわけではありませんが、現状を冷静に見たときのリアリストとしての視点では、やっぱり



「高学歴女子に意味はあるのか」


「高学歴女子は、幸せか」


ということについ頭が向いてしまうようです。


 東洋経済オンラインさんで、こんな記事がありました。



 高学歴女子にシワ寄せされる社会の過剰期待
 http://toyokeizai.net/articles/-/142978



 この記事などを読めば、いわゆる高学歴な女性が、現代の日本社会でどのような立場に置かれているかが如実にわかるのですが、簡単にまとめれば



■ 女性活用という名のもと、男性と同じように(長時間労働や体力仕事も含めて)働け

■ 女性らしさ(身だしなみやふるまいも含めて)を維持し、マナーをわきまえよ

■ 少子化を克服するべく、3人以上の子供を産め

■ 子供に適切な教育を受けさせ、立派な大人になるよう育てよ

■ 老いた両親や義両親に対して、(介護を含めた)サポートをせよ



ということが一気に要求されていることになります。




 これは「無理ゲー」(クリアできないゲーム)であると女子たちは思っていますが、社会の要求がそうなっている以上、そのレールから飛び降りることは、なかなか許してもらえないのが現状です。






 ところが、その一方で高学歴女子から見ると(さげすみの感覚も含めてですが)これらの社会要請の適用除外になっている、つまり、これらのしばりを受けなくてすむ


 低学歴女子


というものが存在することが知られています。




 ここでもムコガワは炎上覚悟でこの言葉を使いました。ええ、高学歴ではない女子たちです。



 低学歴女子たちは、男性のように働きません。モデルケースとしてのヤンキー女子をイメージするならば、


 早くで結婚して子供をたくさん産み、そもそも企業人として働くことはなく、小さな店舗の店員やレジ打ちなどの「代わりがいくらでもいる仕事」をして過ごす


人生の女性たちが確かにいるわけです。



 彼女たちは、上に挙げた5つの規制がのうち、両親の介護問題をどうするのかは微妙にしても、4つのルールをそもそも守るつもりもないし、守らなくてもいいということになります。


■ 長時間労働をせず、バイトでもいい。(お金は少ないかもしれないが)

■ 女性らしさは、自分の感性でいい。ジャージOK(ブランド物は買えないかもしれないが)

■ 子供は産みたいし、産む。(無計画といわれるかもしれないが)

■ 子供に高度な教育を提供することにあまり関心がない。(お金もないし)



 それを「良い」と評価するか「悪い」と評価するかはこの際どうしようもなく、4つともどうでもいい人もいるかもしれませんが、


■ バイトを工夫して時間を生み出し

■ 質素なものでも慎ましやかな生活用品を揃え

■ 子供は2人くらい産み

■ 公立高校・公立大学をめざすように励ます


と言い換えれば、上の文章を読んだ誰もが


ああ、いい女性だ、いい母親だ


と思うのではないでしょうか。



 まあ、そんなもんは言葉あそびで、解脱者から言わせれば、ヤンキーというカテゴライズをすることも、「いわゆる上から目線のレッテル貼り」に過ぎないのですが、 現実の社会では




高学歴女子に求められているハイレベルな暮らしの人



質素な良妻賢母な暮らしの人



ヤンキーママな人



のそれぞれにどこかが該当するような人々がシームレスに存在しているというのが事実なのだろうと思います。



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 私の大好きなブロガーさんであるニャートさんが、


 東大女子を過労死させたり、京大専業主婦をもったいなくさせているのは日本社会
 http://nyaaat.hatenablog.com/entry/well-educated-woman


の記事で、高学歴女子について、たとえば会社で馬車馬のように働いて過労死するくらいなら



”むしろ、受験勉強に費やした時間を、ブラック企業対策として体育会系の運動部での体力増強や、恋愛やおしゃれをして結婚相手を探すことに費やした方が、よほど有益だったのかもしれない。”


 
という仮説を立てるのも頷けるというものです。


 あるいは高学歴女性である自分を振り返り、



”私に学歴は必要なかった。
受験勉強などせず、自分の能力に見合った学校に進んで、そこそこ働いて、20代で結婚して、子どもを産みたかった。”




と、思わず思うのにも納得がいきます。たしかにそう言いたくなる気持ちもわかります。



 しかし、ニャートさんが記事中で懸念しているように、高学歴でない女子には、重大なリスクがあるのです。


 それは、収入が多くない男性と一緒になったり、ずっと一人だったりしたら経済的に厳しいということです。


(この際DV男とか、のんだくれ男とか浮気男は学歴に関係ないので、除外する)


 じゃあ、いったい、女子はどうしたらいいんだ!!!



~~~~~~~~~~




 そもそも、女子が高学歴を目指すようになったのは、「自力で一定の収入を得て自活できる」ことを目標にしているはずでした。



 高学歴である=高い評価を受ける=高収入の可能性が高い企業で働ける



これが、高学歴女子のロールモデルです。



 しかし、これは、よく考えると女子だけの問題ではなく、男子でも全く同じことで、


 男子が高学歴を評価され、高収入の企業で働く


ということは、女子と全く同じ理屈だとわかります。



 じゃあ、何が違うのか?というと答えは簡単。それは妊娠と出産が一切考慮されていない、という点に尽きます。




  解脱者ムコガワは、男性と女性は違う!と明確に思っています。男には子供が産めません。それは最大の違いで、そのことから生まれる区別は、あってしかるべきだし、区別する以外方法がないと考えています。



 人類が増える3人の子供を産むには、妊娠期間が3年、授乳(乳児)期間が3年、これで最低でも6年間が男性と異なる生き方をせざるをえないことになります。


 上記の場合は、3人とも連続で妊娠したという「3連続年子」の場合で、少なくとも1年の休養期間を設けると、



実質9年間で、あしかけ10年くらい



の性差が生じることになるのは避けられないのです。



 20歳から60歳までの40年間の労働人生


をセットした場合、男性は40年間働けるけれど、女性はマイナス10年で、どうやっても30年間しか同じ条件にはなりません。


 
 とすれば、「男女が平等に輝ける社会」という設定が間違いで、



 男性に対して女性は4分の3のパフォーマンスでよい社会



じゃないと、成立しないということなのです。




 ということは、本来の妊娠出産を踏まえた女性のキャパシティが男性に対して4分の3だと仮定すれば、



高学歴女子が要求されているのは、逆に言えば


男子の1.33倍の働きをせよ


ということなのです。


 だから高学歴女子は疲弊するし、


 高学歴女子なんて(生き方は)いらない


と考える者が出てくるのも当然だというわけです。



 ヤンキー女子は、収入が少ないという課題はあるにせよ、10年間を子育てに専従できるという面で、1.33倍の働きをしなくてもいいのです。せいぜい1倍でいいということになり、子育てが終わったらトンカツ屋でバイトしたり、スーパーでレジ打ちしたりできたのがこれまでのおばちゃん世代だったということになります。






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 さあ、ここからは解脱者ならではの解決策に入ります。



 女子には「収入が少ないと生きてゆきづらい」というハンディがあります。(実は男子もおなじなのですが、女子のほうが現状として厳しい側面が多いので、一応このハンディを認めましょう)



 それを解決するために、高学歴であれば高収入になるだろう、という目算で動いてきたのが、これまでの高学歴女子でした。



 しかし、高学歴であることが、すなわち高収入であるということに疑問符が付くようになってきたのが昨今です。



  簡単にネタばらしをすれば、……大事なことを言いますからよく聞いてくださいね。



「高学歴であることのご褒美で、高い収入が約束されているのではない」


ということです。


「高学歴であることは、高速回転や高出力に耐えられるポテンシャルがあると見られて、それに高い収入がバックされているのだ」



ということが真実なのです。



 さらに簡単に言います。


「あなた方に、高い給与を払うのは、フルスロットルでガンガンエンジンを回せる性能があるからで、そうである以上、ガンガンエンジンを回させてもらいますよ」


ということなのです。


「ガンガンエンジンを回せるから、そりゃ、たくさん生み出せるでしょ。つまりたくさん稼げるでしょ」


ということなのです。




 とすれば、高学歴女子は、それを知りません。


「自分がガンガンエンジンを回させられると知っていたなら、回転数を落としてでも、ゆとりある生き方がしたかった」


と後から後悔することになるに違いないのです。





 ということは、ハードワークを本位としない人は、高学歴であるということを「高性能出力証明」に使ってはならないということです。


 その出力を、他者にコントロールされて生きてゆくのであれば、「かならず、使用者はフルスロットルで回そう」とするに違いないのですから。


 実はこれも男女同じなのですが、高学歴であることを「売るためのラベル」にする人はそうすればいいでしょう。


 しかし、本当に収入面でも、心の面でも豊かに生きようとするならば、その高学歴(高知識・高知力)を自分でコントロールして価値に変えてゆくしか方法はありません。



 つまり、高学歴であるのならば、起業家をめざせ!ということが結論です。



 あなたの高学歴が「知恵があり、実力がある」ことの証明だというのであれば、起業して収入に換えればよろしい。


 しかし、その高学歴が、自力での収入に結びつかず、役に立たないというのであれば、その高学歴は単なる知識の集積ができたアーカイブがそこにあるだけで、


 あなたにはもともと何の力もなかったのだ


ということの証明になる、というわけです。



(知識の集積は、ウィキペディアでもグーグルでも、あなたより得意なコンピュータがたくさんあります。知識は使いこなせなければ、人が持っている意味はありません)





 高学歴女子のみなさん。できればその知力を、あなたがあなたの制御下で生かせる方法を学生の間から考えてください。


 それができれば、夫がろくでなしでも大丈夫です。あなたは自力でちゃんと稼げる力があるのですから。


 誰かや社会に使い捨てされるくらいなら、ぜひそうしてほしいと思います。