2014年9月30日火曜日

<ニュース>御嶽山噴火と諸行無常

 御嶽山噴火のニュースが、大きな注目を集めているところです。

 人がたくさん亡くなっているので、今回はあまりふざけずに書きますが。


 

 山が噴火する、という当たり前の事実に対して、現代人があまりにも無警戒になっていたなあ、というのが率直な感想。ニュース等でも言われていますが、「雲仙普賢岳のことを忘れてしまっている」というのは正しいと思います。



 自然災害は、まさに諸行無常の象徴でもあります。人間の感覚でいうところの「誰も悪くないし、誰も責任がないのに」災難が降りかかり、人が傷つき、亡くなったりする。


 さっきまでふつうに会話をしていた人が、命を失ったり、さっきまで笑顔だった人が、息をしなくなるという現実。

 
 私たちは生きているようでいて、死はすぐ隣り合わせのところにある、ということでもあります。


 また、人から見れば災害を起こした自然は「悪」のように思えるかもしれないし、それをコントロールすべきだと思うかもしれません。


 しかし、自然の側から見れば、そんなことは知ったこっちゃなく。雨は降るし風は吹くし、マグマがたまれば外に出るだけです。


 今回の噴火で亡くなった方は、まさに不運、まさに偶然の結果によって、そうなったということに過ぎないのかもしれません。


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 武庫川散歩的には、仏教でいうところの「因果」のような考え方や、キリスト教でいうところの「信仰のある生活」といった考え方を明確に否定します。



 平たく言えば、なにがしかの「悪い行いをしていたから、罰を受けるんだ」というのが因果の考え方です。

 また、「神の言うとおり、よい行いをすれば救われるんだ」というのがキリスト教の信仰の基本です。



 私の考え方は、そんなもんは一切関係がなく、いいも悪いも無関係に「それは起きる」ということです。


 今回、災害に遭遇して亡くなった方は、そういう意味では「不運(タイミングが悪かった・めぐり合わせが悪かった)」と言うしかないでしょう。

 悲しい、というキモチになることではありますが・・・。



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 噴火のみならず、つい先日の広島の土砂災害や、その前の福知山の浸水など。もっと言えば阪神淡路大震災や東北の震災など、


「いのちが無常である」


ということに気付かされる出来事は、そこかしこに溢れています。


 しかし、私たちは「どうせ死ぬんだ」と思いながら生きているわけでもなく、また「私は常に安全だ」と確信しているわけではありません。


 ふだんは「自分はそれなりに安全だ」となんとなく思いつつ、事件や災害が起きるたびに、「もしかしたら・・・」とちょっと不安になるような、そんなちっぽけな存在として生きています。



 解脱してしまったしょーもない人間から、もし何か一言言わせていただけるのだとしたら、私はこんなことを伝えたいと思います。


「良い行いをしていれば救われるなんてことも、悪い行いをすればバチを受けるなんてこともなく。このセカイはもう少しドライでもあるし、もうすこし無慈悲で酷いことも起きる。今日のいのちが明日も続くかは、誰にとっても保証がない、わからないことである」


「じゃあ、そんな無常なセカイでどう生きる?どうせ死ぬならと好き勝手生きるのか?どうせ死ぬならと自ら命を絶つのか?」


「そうではなく。どうせ死ぬし、どうせ無常なセカイなんだからこそ。今のこの一瞬一秒を『悔いなく、全力で』生きよ、ということではないのか」


と。


 スティーブ・ジョブズが信念としていた


「明日死ぬと思って、今日を生きる」


という言葉の原典は、マハトマ・ガンジーだそうです。


 この言葉には、とても深い共感を覚えます。




 どうせ無常なセカイなのだから、精一杯生きてみませんか?




 災害救助、とくに遺体の収容に向かわれているチームのみなさんのことを思うと、胸が熱くなります。


 どうせ死んでいる。


 どうせ助からない。


 なんてことを思いながらでは、現場には向かえないでしょう。


 あるいは、そう思っていても、それを乗り越えてゆく勇気、自分の身を危険にさらしてまで行く勇気は、ものすごいものです。


 でも、日本の救助隊の人たちは、誰一人「俺はいかない」とはいいません。


 もし、あなたがその任務を負っていたら、あなたも行くはずです。

 

 無常なセカイであっても、全力で生きることは、実は誰にでもできることなのかもしれません。












2014年9月26日金曜日

<日常>シナリオアート ”アオイコドク”

 ブログ更新は久しぶりですが、いつも元気な武庫川でーす。

 ↑いつも元気なワンワンでーす、風に。

 


 。。。いつも元気なワンワンが何者か知らない人は、ぜひNHKをご覧になるとよろしい。



http://www.nhk.or.jp/kids/program/inaiinai.html


こいつですよこいつ。緑の犬です。


でも、この犬只者ではありません。どこが只者ではないかといえば!


なんと、中に入っているのが、チョーさんなんですってば!!


え?チョーさんも知らない?!


あの、伝説の「たんけん僕のまち」に出ていた、「やあ、みんな!チョーさんだよ!」のチョーさんなんですよ!


そ、それもわからん?! うーん、この例えは使いたくなかったが、


「ワンピースのブルックの声の人」


です!ど、どうだッ。やっとわかってくれたか!


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と、そんなどうでもいい話から始まった今日のおはなし。解脱者であっても、俗世のことは良く知っていて、そしてそれをちゃんとわかりやすく説明するという・・・。それは解説者ですな。



 ちなみに、今日のお話はワンワンはいっさい関係ありません。


 ラジオをつけながら国道を車で走っていると、タイトルどおりの


「シナリオアート」というバンドの「アオイコドク」なる楽曲


が流れてきました。


 ああ、若者たちが歌っておるなあ、と思っていたら歌詞が面白い。今流行の


セカイ系


のニュアンスなのかわかりませんが、





”このセカイの終わらせ方”




”ボクは何をするべきなんだろう”




”セカイをすくうためじゃない?”




”ただ、漠然と透明なキミ”





などなど。などなど。



・・・・・エヴァか!!!!!!



 というわけで、最臭解脱者からみた、このセカイについて、ちょっと語っておこうかな、と思ったので、メモ代わりに書いておきましょう。


 真面目なことを言えば、シナリオアートさんのこの曲は良く出来てきて、まあ中高生が悩んだり、苦しんだりラジバンダリするこのセカイを、ある意味「それっぽく」捉えているし、題名や歌詞ともマッチして、とても面白い曲だと思います。




 しかし、一方で、安保闘争の原理主義もそうだし、エヴァンゲリオンの逃げちゃだめだもそうなんだけど、若者たちはいつの世も


このセカイとの対峙の仕方


に悩んだり、苦しんだり、ラジバンダリしているわけで(もう、ええっちゅーねん)





 しかし、ここで最羞解脱者がはっきり言っておきます。


このセカイに意味はない


そう、ないのだよふははははは!


ということを。



 意味がない、という言い方を仏教的に言えば、諸行無常なのですが、少なくとも、中高生がメルヘンで捉えるようなイメージのこのセカイというものはありません。


 若者にとって、一見、このセカイの中心は自分であって、その中で自分はありようを迷ったり悩んだりしているように感じます。


 ところが、セカイにおける本当のアナタ・ワタシという存在は、


「みろ!人がアリのようだ!」(ムスカ大佐だ)


に過ぎないわけです。





 そのギャップ。つまり自分中心世界と、自分虫けら世界のギャップを生きることが、青春であり成長であるわけです。




 この虫けら世界の中で、うまくセカイとの立ち位置を見つけられた人は、無事に大人になれるし虫けらから脱皮できるのですが、虫けら世界から脱皮できないと、



ほら、シンジくんみたいになるんだよ。



というわけですね。



 エヴァ好きな人には、こう言い換えてもいいでしょう。


 たった一人の綾波が存在する世界がメルヘンで、たくさんの綾波が存在する世界が現実


なのです。


 シンジくんから見れば、たった一人の綾波の生に価値があるかのように感じていますが、これは単なる原理主義みたいなもので、実際にはクローンの綾波はたくさんいるわけです。


 若者にとって、自分の生と命はたったひとつの揺るがないもののように思いがちですが、実はセカイの一部としてしか生きることができない自分(社会の一部としてしか生きられないヒトという存在)が真実なわけで。



 おお、なんだか解脱のあまりに人類補完してしまいましたね。



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というわけで、シナリオアートさんの問いかけに武庫川散歩が答えるなら、こうです。




『私はセカイの終わらせ方を知っている。それは認知の問題で、キミたちがこれまで思っていたようなセカイと、実際のセカイはちょっと違うということをはっきりさせるということだ』



『存在すると信じて疑わなかったこのセカイ、それが記号に過ぎないと知ったら、君はどうする?』



『キミが何をするべきか?笑わせないでくれ、キミはそれほどたいした存在じゃない。キミが何をしようが、セカイは関心をもたない。キミが何もしなくても、セカイはどうでもいいと思っている』



『セカイを救う?そうじゃなくて、キミは本当はセカイではなく自分が救われたいだけだろう。誰かを救いたいと願うヤツは、真っ先に自分が救われたいんだ、本当は』




『そんなキミにふさわしい言葉がある。それをキミに伝えてこの話を終わりにしようじゃないか。


・・・・


・・・・


・・・・あんたバカァ?!





ちゃんちゃん。(笑)