2019年6月14日金曜日

「1人で死ね論」は是か非か ~明解な最終結論を教えよう~




 50歳のひきこもりが無差別殺傷を起こしたと思ったら、つい先日、兵庫県の川西では、80歳の老人が刃物を持って小学校へ乱入したそうです。



 8050問題というのが引きこもり界隈では有名だそうですが、え?それって、「80歳も50歳も無差別殺傷を起こす」という意味ではないのですか?違うの?



 わたくし武庫川散歩は、解脱者で悟りを開いたものですから、引きこもりの人たちが心から満足して生きてゆく方法をもちろん知っています。


 知足(ちそく)=足ることを知る


というのは解脱と悟りの根幹です。


「おとうさん、おかあさん、今日も俗世の悪縁を避けてこうして、粗末な草庵の中でささやかに生かしてくれてありがとう。そのためのわずかな備えを、ワタクシのようなもののために、使ってくれて本当に感謝してやみません。ありがたやありがたや。肩でもお揉みいたしましょう」


と毎日両親に手を合わせながら、神仏に真摯に祈りを込めながら、世界平和を願って6畳ばかりの庵の中でささやかに生きてゆく、というのは



 これぞ、まさに仏道の理想的いきざま



ではありませんか。


 まるで方丈記の鴨長明のようです。



そしてそのまま両親が亡くなり、蓄えも少しずつ減らしながら、いつかは自分もその草庵の中で即身成仏するというのもまた、



 御仏のお導き



以外にはありますまい。



 だからとても簡単なことです。引きこもりは、現在「引きこもって命を繋げていることを衆生と両親に感謝しながら、念仏を唱えて生きてゆけば」よいのです。それ以上でもそれ以下でもありません。


 それをなまじっか


「自力で再就職をして、失われた20代、30代を取り戻そう」


なんて欲深い強欲の固まりになったり、あるいは、ちっぽけで尊大な自尊心のために親に逆ギレしたりするから犯罪を犯すわけで、


 感謝の念と知足の気持ち


とともに生きてゆけば、いつかは地獄か極楽か往生が待っています。






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 さて、冗談とも本気ともつかぬ老僧のつれづれなる言葉は脇へ置いておいて、いまをときめく


「1人で死ね」


という言説が良いのか悪いのか、という問題に、今回はわたくし解脱者ムコガワが、



 ズバッと一刀両断


に明解な答えを述べたいと思います。



  この問題、死にたい人に対して「1人で死ね」というのはどうなの?ということですが、解脱者ムコガワがはっきり言います。



「この世界の誰であっても、誰かと一緒に道連れに死んだり、死なせたりするようなことはあってはならぬものだ!」


ということが結論です。



 殉死を認めたり、要求するような社会は、あってはなりません。



 人は一人で生まれ、一人で死ぬのです。(双子ちゃんは除く)




  どんな状況や、どんな人物であっても、誰かの死に際して道連れが必要であったり、あるいは道連れがやむをえない状況なんてことは、あるはずがないし、あってはならないのです。





  それが、ヤマト朝廷の王であっても!!!!!




 ・・・・・古墳時代のこと、今からはるか昔の日本人でさえ、「誰かと道連れに誰かが死ぬのはおかしい」と気づいていた人物がいました。


 その人物の名は 



野見宿禰 (のみのすくね)



といいます。 日本最初の相撲取りでもあった彼は、ある皇族の死の際に、



「殉死をやめて、埴輪にしよう!!!」



ということを提案し、それ以降天皇のための殉死はなくなり、埴輪が埋められるようになりました。



 すばらしいことではありませんか!!!



 「たとえ天皇であっても、誰かのために道連れで人が死ぬことはあってはならない」



という理念は、すでに古墳の時代から当たり前のことです。



 そう、相手が天皇であっても


「一人でみまかられよ」


というのが、日本の国体です。それをはっきり言える人物がいたというのも、凄いことですね。


 

 ましてやささやかなる庶民が、「一人で死ね」と言われて文句があるとは、なんたる傲慢でありましょうか。



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 え?ハニワと一緒に死ぬのはいやだ?



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 みまかられよ。