2020年2月6日木曜日

■リベラルは小金持ちの幻想である



 自由 博愛 平等

というのはフランス革命に由来する、「民主主義の根幹」みたいなものですが、 ここにきてそうした


「リベラル」「自由主義」

のベースが揺らぐような事態が次々に起きています。


 私達日本人から見ると、遅れているアジアに対して、欧米というのはもっともっと民主主義が進んでいるのだろう、と思っていましたが、実はそうではなく、


「人種や民族に対する差別はまだまだ残っていて、それを言わない余裕があった」


だけだと判明してきました。


 その余裕の中身は、平たくいえば「お金の余裕」にしか過ぎません。


 欧米各国は世界でひとあし早く先進国になり、経済的にも成功したからこそ、「勝者の余裕」「富者の余裕」で他者にも優しく出来ただけ、ということだったわけです。


 ぶっちゃけ。



 そうしたことは、特にヨーロッパでの移民批判や、イギリスのEU脱退、トランプ大統領などの保守派の台頭、ポピュリズムなどで知られるようになってきましたが、ここへきて



 コロナウイルスによるアジア人差別


は中国人どころか、アジア人ならみんなひっくるめて差別対象、という事例が激増しています。



 米紙も報じた「中国人は日本に来るな」(文春オンライン)
 https://bunshun.jp/articles/-/32338


 などの記事をみると、その裏側表側がよくわかります。



 そもそも、欧米人からみると、アジア人は区別がつきにくく、日本人だろうが中国人だろうが、タイ人マレーシア人であろうが、実はよくわからない、という実態は昔からありました。


 それが、表向きは、「日本は先進国である」という「お金の力」もあって、かろうじて欧米でも

「まあ、仲間には入れてやるけどさ」

というランクに上げてもらっていたわけですが、 今回のようにコロナウイルスのようなイレギュラーな事態が関係すれば、すぐ本音が出てきてしまいます。



つまり、


「近寄らないでほしい、帰ってほしい」


ということです。




 そうなると、結局のところ、どんな先進国、民主国であっても「差別なんか実際はなくなってはいない」のだと気付かされます。


 それが今まで少しでも「隠れていた」のは、結局は経済的な余裕が、心の余裕を生んでいただけなのだな、ということが、


 世界の真実


として明らかになってきただけで、 これはもうことわざにもあるとおり



「貧すれば鈍する」



ということに過ぎなかったことがバレてしまうのですね。



 結局、リベラルにおける博愛や平等というのは、ノブレス・オブリージュの変形みたいなもので、



 もともと貴族に自発的に課せられた「金持ちの義務としての規範」を、市民階級が「フランス革命によって、金持ちの立場になったから受け継いだ」だけであって、金がないのだったら(あるいは市民階級から没落したのであれば)


 そんなことは知ったこっちゃねえ!


というゲスな本性が表に出てきただけに過ぎなかった、ということなのかもしれません。




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 そうすると、現代は「自由・平等・博愛」が進行し、リベラルな社会が進んで行くように見えながら、その一方で、それらがどんどん失われて、


「リベラルは金持ちだけに適用される」


という方向へ進んでゆく可能性も視野に入れる必要があるのかもしれないと思います。



 もしかすると、あと30年、50年もすれば、「あの頃には、自由で平等で中流な世界があったんだよ」という昔話になってしまうことだって、考えられなくないわけで。




  おそろしい話です。
 

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