2014年11月29日土曜日

プラナリアを二つに切ると、魂もふたつになるのか

 めっきりくっきり寒くなってきましたね。こんな日はほっこりずっぽりねっとりと暮らしたい武庫川散歩です。


 さて、ネットを徘徊していたら、こんな面白そうなお話を見つけました。


『プラナリアって切って二匹にしたら魂も二つになるの?』
http://world-fusigi.net/archives/7657113.html


 いやあ、なかなかすばらしい視点です。そもそもプラナリアという生き物は、2つに切ったら2つとも元の形に再生してよみがえると言う


復活


ができる生き物です。ああ、まるでキリストのようですね。


 2つに切ったら2匹になる、4つに切ったら4匹になる、8つに切ったら・・・・。けしてネズミ算的に増えるわけではありませんが、よく考えたらいったいいくつまで分割可能なのでしょうか?


ウィキペディアによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2


100分割くらいまではいけるそうです。なんという神の被造物!!!



 ・・・まあ、そういう謎な生き物が存在しているのは、創造主の設計なのだから受け入れなきゃ仕方ないわけですが、はて?魂はどうなるのでしょうか?

 最初の引用元では、いろんな人が好き勝手言ってますが、まあふつうに考えたら、プラナリアを2つに分けたら


プラナリアの意識は2つになる


でしょうね。AプラナリアとBプラナリアは好きなようにそれぞれ動くし、それぞれ一個体として存在してゆけることでしょう。

 そういう意味では、魂は2つになっても全然OKです。


 みなさんの議論の中には、面白いヒントが隠れています。


『じゃあ、クラゲはどうなってるの?』

とか

『男と女がこどもを作るってことも不思議』

とか

『クローン人間だったら?』

とか

いろんな事例を考えると、答えが見つかりそうな気もします。


 武庫川散歩的には、「一卵性双生児の卵が分裂するときに、それぞれの意識も分裂し独自化するんだから、魂やこころやいのちはそこで分割されることはなんら不思議ではない」と思います。



 もし、あなたの細胞からクローン人間ができたとしても、そいつは勝手な意識を持つ他人(赤ちゃん)であり、あなたではけしてありません。そんなもんです。


 ということは、意識や魂や心みたいなものは、それが機能するハードウエアの上に乗っかってるんだ、ということも見えてきますね。

 なので、私は「魂や心や意識が肉体とは別に存在していて、宙を飛んだりする」なんてことは、これっぽっちも思いません。なんだバカやろう。


 肉体が滅びると意識も滅びます。魂も滅びます。みんな死んじゃえばいいのよ。なーんて(笑)



==========

 しかし、この話を考えている最中にすごいことを思いつきました。そうそう、そういえば、わたしたちの命はいったいどこからやってくるのでしょうか?


 さっきもちらりと「男と女がうんぬんかんぬん」という話がでましたが、私たち人間は、男性の命と女性の命が合体して新しい赤ちゃんが生まれるように設計されています。


 ここのところをもっと切り込んで考えてみましょう。


<仮説1>

 精子と卵子には「いのち」が宿っており、「こころ」や「たましい」や「いしき」が宿っている。そもそも霊性も宿っているし、私たち生物レベルの生命性も元から有している。


<仮説2>

 精子と卵子それぞれ単体では「いのち」は宿っていない。二つが合体してはじめて「いのち」や「たましい」や「いしき」が発生する。霊性みたいなものは存在せず、あくまでも合体時がスタート。生命性は受精卵から始まる。


<仮説3>

 精子と卵子には、霊性だけが備わっていて、合体することでそこから「いのち」や「たましい」や「いしき」が発生する。



 軽ーく挙げてみましたが、こんな考え方が思いつきそうです。他にもあるかもしれません。


 さあ、いのちやこころやたましいはどこからやってくるのでしょうか。



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 そもそも精子や卵子は生きているのでしょうか?確かに、体から離れて受精できないまま数日が経つと機能を失いますので、「生きている」に近い存在であることは確かです。


 この「生きている」(動いている)ということを「霊性」みたいに捉えることはなんとかできそうです。


 しかし、「生きている」けれど、「こころやいしきやたましい」を持っているとは言えなさそうです。


「いや、精子と卵子は心・意識・魂を持っている」

と主張するあなたがいたとしたら、そいつは超殺人鬼です。


 なぜなら、そいつが男性だとしたら放出された何億もの「心・意識・魂」を持つ精子を受精させずに見殺しにしているわけですから、大量殺戮です。


 そもそも、1匹しか受精できないという仕組みは、神が設計したわけですから、神こそ大量殺人鬼ということにもなります。


 女性だって一緒です。生涯500個くらいの卵子を放出するわけですが、人生で500人も子供を生んで、すべての卵子を受精させた人はこれまでにいません。


 ということは、女性はみな殺人鬼だということになってしまいます。


 ・・・というわけで、精子と卵子は「動いている」という意味で霊性を持っている感じはあるけれど、ヒトとしての生命性は持っていないとするほうがよさそうです。つまり、精子と卵子は(意識体としては)生きてはいない、と。


☆厳密な話をすると精子は「生きている」のですが。一個の細胞であり、細胞として活動でき動いていますので生きています。自分で持っているミトコンドリアからエネルギーを供給されて動きます。


・・・ほら、難しくなってきたでしょ?


 簡単に言えば、精子や卵子は「細胞」ですから、クローン人間のもとになったいち細胞のようなものと同等ということになります。


 もし毛髪の細胞からクローン人間が再生できるとしたら毛髪みたいなものということになるでしょうか。


 しかし、毛髪は生きているしヒトの一部ですが「ヒトのこころ・いしき・たましい」を持つものとは認識されていません。


 だから毛髪を殺しても倫理的に大丈夫なのです。


 生きているということと、「ヒトとしてこころ・いしき・たましいを持つ」ということは別だとわかりますね。



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 こうして精子・卵子殺人事件をもとに考えてゆくと、私たちのいのちは2段階になっていることがわかります。


「生きている」ということは、「こころ・いしき・たましい」よりも下のレベルでなにやら生きて動いているものらしいということがまず存在し、

その上に「こころ・いしき・たましい」といった生き物・ヒト・生命体らしい活動が起きているらしいということですね。


 心や意識は、第二段階で発生するものなので、私と息子が「生きている」レベルでつながっているから血縁関係があり、存在しているのに、「意識はまったく別物」ということが可能になっているわけです。



 ここで、プラナリアのことが正しく判明しました。プラナリアちゃんは、切られた時点で「生きている」レベルでは二つに分割されても成立します。だから元はおんなじ命なわけです。


 しかし、意識や心は分割後それぞれ独自性を持ちますから、別物です。


 もっと平たく言いましょう。



命は共通だけど、意識や心は独立している。



 これが生きているということの真実です。



 そして、もっと面白いことに、共通した命だったはずなのに、その基盤となるボディ(肉体)が分裂したとたんにそれぞれが別の意識や心を持つということがわかりましたから、


心や意識、魂


というものは、勝手に増える。勝手に分かれる。勝手に発生する。ということになります。


 ちょっと難しいけど意味わかります?


 もしあなたの手がちょん切られて、そこから細胞がうまく増殖してヒトが再生されたとしましょう。そしたら、そいつは、あなたじゃないのに


「なんか勝手に意識を持って自分で考えたりし始める」


ということなんです。あなたじゃないのにそいつは~ハッハーア!♪


 彼はどんな記憶を持っていて、どんな性格で、どんな話をして、どんなヤツなんでしょうね。すごく気になります。


 プラナリアAくんとBくんではそれが起こっているわけですから、神様の設定としては「あってもおかしくない」わけです。


==========


 そうすると、今度は「あなたやわたしを形作っている意識・心・魂とは何に由来するのか」ということを考えなくてはいけません。


 これまでの記憶やメモリー・経験があなたをあなたらしくさせているのでしょうか?

 腕から生まれたあなたのクローンは、記憶や経験を有していればあなたに似ているかもしれませんが、もしその部位を持たずに再生されたなら別人の人格なのでしょうか?


うーん、マッドサイエンスですねえ。



長くなってきたので、ここから先はまた別の機会に。

2014年11月18日火曜日

久しぶりに中島義道 「私の嫌いな10の言葉」

 どうも。最近は仕事が忙しくてサボって昼寝をする間もない武庫川散歩です。こんなにしっかり働いてしまうと、ボーナスが増えてしまいそうで、おおこわい。ボーナスこわい。


 さて、最近当ブログのアクセス数がちょっと平坦になってきたので、刺激を入れるために「中島義道」ネタを投下することにしました。



 戦え!といえばラーメンマン(古い)ですが、戦う哲学者と言えば中島義道です。彼の著作に

「私の嫌いな10の言葉」

という本があるらしいことを知りました。さっき。その10のセリフとやらは、


1 相手の気持ちを考えろよ!
2 ひとりで生きてるんじゃないからな!
3 おまえのためを思って言ってるんだぞ!
4 もっと素直になれよ!
5 一度頭を下げれば済むことじゃないか!
6 謝れよ!
7 弁解するな!
8 胸に手をあててよく考えてみろ!
9 みんなが厭な気分になるじゃないか!
10 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!


なんだそうですが、すぐ脱ぐ解脱者こと武庫川散歩がちらりと見れば、ああなんだ単純なことじゃないか、と思いました。



 中島大先生は、こうした言葉の影にかくれている「一見もっともらしいけど、実際はどうやねん」的な側面についてその本質を暴いておられるそうですが、なぜ、これらの言葉が「正義のように見えて偽善」なのかは、超簡単に暴き出すことができます。


 というわけで、私の持っている妖怪ウォッチの照射により、上の言葉に潜む本心を暴いてご覧にいれましょう。




~~~~~~~~~~

「相手の気持ちを考えろよ!」 


→ 本音 「俺の気持ちを重視しろや」



「ひとりで生きてるんじゃないからな!」


→ 本音 「俺が助けてやってるねん」



「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」


→ 本音 「俺の言うことを聞けや」


「もっと素直になれよ!」


→ 本音 「はやく俺の言うとおりにしたらええねん」



「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」


→ 本音 「俺に歯向かうな」


「謝れよ!」


→ 本音 「俺に謝れよ」


「弁解するな!」


→ 本音 「俺の理論が間違ってるってのか」



「胸に手をあててよく考えてみろ!」


→ 本音 「俺に逆らうと損だということに気づけよ」


「みんなが厭な気分になるじゃないか!」


→ 本音 「俺がいまお前にむかついている」



「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」


→ 本音 「俺が知ったことか」


~~~~~~~~~~~


 一見正義正論のように見えることばは、「主体を隠す」というワザによってそう見えているだけ、ということが多々あります。


「■■しろよ、常識だろう?」とか「みんなそう思ってるよ、当たり前じゃん」とか「それが普通の大人やで」といった言説は、一見正しそうな


世間一般の合意


のような主体がありそうに思えます。しかし、たいていの場合、上のようなシチュエーションに遭遇したら、


「イスラム圏では常識ではない」「ヒンズー教の人はそう思ってない」「ヨーロッパの普通の大人は違う」ことが大半です。


ましてや、関西での常識と関東での常識は違うし、1940年代生まれの常識と1980年代生まれの常識は異なるのが普通です。



 ということは、そこの世間一般の合意なんてないわけです。もし日本中が一般的合意に基づいて世論形成されているのだとすれば


自民党と民主党に分かれるはずがない


ことにも気付くべきです。あたりまえじゃん。



というわけで、上の例では、それらしいことを言うやつの心の中をビームで照射してみたわけですが、この本音を理解すれば、


ああ、なるほど


と納得がいくというものです。



 ちなみに、上の青文字を読んで「魚屋のおっさんのうた」を思い出した人は、きっと1970年代に青春を過ごした人だろうと想像できます。


 なんのこっちゃわからないよいこのみんなは、お父さんに聞いてね。けしておかあさんに尋ねてはいけませんよ!