どうも。最近は仕事が忙しくてサボって昼寝をする間もない武庫川散歩です。こんなにしっかり働いてしまうと、ボーナスが増えてしまいそうで、おおこわい。ボーナスこわい。
さて、最近当ブログのアクセス数がちょっと平坦になってきたので、刺激を入れるために「中島義道」ネタを投下することにしました。
戦え!といえばラーメンマン(古い)ですが、戦う哲学者と言えば中島義道です。彼の著作に
「私の嫌いな10の言葉」
という本があるらしいことを知りました。さっき。その10のセリフとやらは、
1 相手の気持ちを考えろよ!
2 ひとりで生きてるんじゃないからな!
3 おまえのためを思って言ってるんだぞ!
4 もっと素直になれよ!
5 一度頭を下げれば済むことじゃないか!
6 謝れよ!
7 弁解するな!
8 胸に手をあててよく考えてみろ!
9 みんなが厭な気分になるじゃないか!
10 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!
なんだそうですが、すぐ脱ぐ解脱者こと武庫川散歩がちらりと見れば、ああなんだ単純なことじゃないか、と思いました。
中島大先生は、こうした言葉の影にかくれている「一見もっともらしいけど、実際はどうやねん」的な側面についてその本質を暴いておられるそうですが、なぜ、これらの言葉が「正義のように見えて偽善」なのかは、超簡単に暴き出すことができます。
というわけで、私の持っている妖怪ウォッチの照射により、上の言葉に潜む本心を暴いてご覧にいれましょう。
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「相手の気持ちを考えろよ!」
→ 本音 「俺の気持ちを重視しろや」
「ひとりで生きてるんじゃないからな!」
→ 本音 「俺が助けてやってるねん」
「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」
→ 本音 「俺の言うことを聞けや」
「もっと素直になれよ!」
→ 本音 「はやく俺の言うとおりにしたらええねん」
「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」
→ 本音 「俺に歯向かうな」
「謝れよ!」
→ 本音 「俺に謝れよ」
「弁解するな!」
→ 本音 「俺の理論が間違ってるってのか」
「胸に手をあててよく考えてみろ!」
→ 本音 「俺に逆らうと損だということに気づけよ」
「みんなが厭な気分になるじゃないか!」
→ 本音 「俺がいまお前にむかついている」
「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」
→ 本音 「俺が知ったことか」
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一見正義正論のように見えることばは、「主体を隠す」というワザによってそう見えているだけ、ということが多々あります。
「■■しろよ、常識だろう?」とか「みんなそう思ってるよ、当たり前じゃん」とか「それが普通の大人やで」といった言説は、一見正しそうな
世間一般の合意
のような主体がありそうに思えます。しかし、たいていの場合、上のようなシチュエーションに遭遇したら、
「イスラム圏では常識ではない」「ヒンズー教の人はそう思ってない」「ヨーロッパの普通の大人は違う」ことが大半です。
ましてや、関西での常識と関東での常識は違うし、1940年代生まれの常識と1980年代生まれの常識は異なるのが普通です。
ということは、そこの世間一般の合意なんてないわけです。もし日本中が一般的合意に基づいて世論形成されているのだとすれば、
自民党と民主党に分かれるはずがない
ことにも気付くべきです。あたりまえじゃん。
というわけで、上の例では、それらしいことを言うやつの心の中をビームで照射してみたわけですが、この本音を理解すれば、
ああ、なるほど
と納得がいくというものです。
ちなみに、上の青文字を読んで「魚屋のおっさんのうた」を思い出した人は、きっと1970年代に青春を過ごした人だろうと想像できます。
なんのこっちゃわからないよいこのみんなは、お父さんに聞いてね。けしておかあさんに尋ねてはいけませんよ!
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