2015年4月23日木曜日

哲学はメンヘラのためにあらず。 ~世界では哲学はエリートのための学問なのであーる~

 現代日本において「哲学」というと暗いオタクがちなオトコか、メンタルに問題がありがちな人間が学ぶものと、相場が決まっているのですが(いや、いや、決まってない決まってない)、ここではっきりと宣言しておくならば


「僕は哲学が好きだ」


なんて思っている男子と付き合ったら、かなりの高確率で不幸になるのであしからず。


 なんなんでしょうね。立身出世で高度成長で、バブルもはじけた日本においては、基本的に


「哲学は、思想的メンヘラの逃げ場となっており、

二次元は欲情的メンヘラの逃げ場となっている」


のは、 どうも否定できそうにありません。


 私、武庫川散歩なんぞはご存知の通り、小さいときから原理主義者だったり神と戦ったり、「存在とはなんぞや」なんてことをずっと考えているので、基本的に「哲学」とは親和性が高いほうなのですが、それでもすべての哲学者の思想を知っているかといえば、そんなことは全然ありません。


まだまだペーペー、林屋ペーでございます。カシャ!


 たとえば、ギリシャ哲学とデカルトカントショーペンハウエルと、ヘーゲルとルソーと、フロイトユングフーコーと西田幾多郎とそれからそれから・・・。

 もっともっと山ほどいる思想家や哲学者のうち誰が好きかと聞かれたら、真っ先に答えるのはもう決まっています。


 当たり前でしょう、武庫川散歩以外にない!(笑)


 哲学のことを知りたければ、高校の倫理の教科書を読めば一通りのことはわかります。大学なんか行ってもダメですよ。大学の哲学科は、高校の倫理の教科書から一人選んで、そいつについて4年間調べさせられるという苦行ですから、


「いっそ哲学科でブッダを選択して、大般若経を調べ倒すのと、仏教科へ行って華厳経を調べ倒すのと、どっちが哲学か」
 
という、すでに何かを三つくらい超越した話になってしまいます。 (おおむね、哲学科を標榜している学科は西洋哲学にかぶれてますので、要注意です)


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ワタクシ、若い時期にとある大学で哲学を専門に研究なさって、本までいろいろ出しているという哲学専門のセンセイと知り合いになり、彼といろいろと議論したり話ししたり飲みに連れていってもらったりしたのですが、まあ専門分野以外は普通のおっさんでした。

カラオケが好きで、よく唄ってましたね。女性も好きでした。でも仕事はよくできました。

 というわけで結論から言えば、


「哲学を学んだからといって、心が穏やかになったり、世の中を超越したり、なんか凄い存在になったりするわけではない」

ということがよくわかりました。

「仕事と遊びと女が好きな、一見難しそうなことを言っては、カッコいいところをPRしちゃったりする、世の中にごまんといる仕事がデキルおっさん」


にはなれそうです。


 ところが、実はこれって大事なことで、日本では「根暗の食べ物」みたいに思われている哲学が、ヨーロッパでは、


「イケテルおやじの必須ツール」


だったりするわけです。意味わかるかな?

 
 そもそも、博士号なんてのは欧米ではPh.Dですから、


哲学博士


なんです。間違っても、 死神博士ではないのです。


 そういう意味では、哲学、つまり「この世界とはなんであるか」ということそのものへの素養が、博士を名乗るには必要だというわけで、言い換えれば、道を究めるというのは、その道を通じて、このセカイのあり方を根源から問うということなわけです。



 というわけで、そんなことを思い出させてくれた良い記事があったので紹介しておきましょう。


世界のエリートはなぜ3歳から哲学を学ぶか

http://toyokeizai.net/articles/-/66750

(東洋経済オンラインさんから)

 

 この記事を読むと、いわゆる哲学的思考とは「教養論」に非常に近いということがわかりますね。

「教養論」とは、大学で職業教育を学ぶのではなく、教養を学ぶのだ!というアレです。

 

 

 

 

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