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2016年12月9日金曜日

うつ病のメカニズムを解明した! ~鬱病や心の病に至るプロセスを解読する~



 最初にお断りしておきますが、私は医者や医療従事者ではなく、そこらへんにいる一介の解脱者なので、今回のお話は



 医療的側面、よりも臨床的なもの



として語りたいと思います。




 解脱者、武庫川散歩は、その特異な経歴により、これまで多くの「心を痛めた人たち」と接してきたわけですが、それらの人との交流を通じて判明したことがあります。



 それは、医学的にはまだよくわかっていないとされる



うつ病のメカニズムを解明した!!したったら、した!



ということです。



 このブログ的には、これまでうつ病などの心の病は、「正義のゆらぎ」によって生じるのではないか?としてきました。


 ではなぜ


「自分がこうありたいという理想や、こうであるのが良いであろうという考え」



「現実の自分が置かれた環境や、状況」


が異なると、心の病を発症してしまうのでしょうか。



 実は、このあたりは、わかったようでいて、わからないものだったのですが、武庫川はその解明に乗り出したのです!!!



~~~~~~~~~~


 医学的には、うつ病などの心の病を発症した状態は、


「セロトニン・ノルアドレナリン・アドレナリン・ドーパミンなどを総称したモノアミン」


が減少して、脳細胞間の神経伝達物質がうまく働かなくなっている、とされています。



 これは、簡単にいえば、「原因は取りあえず横に置いておいて、結果的に神経伝達物質が減っているよ」ということです。



「じゃあ、どうして神経伝達物質が減ってしまうのか」


が原点に立ち返った時の「原因」に当たるのですが、これが医学ではいまいちきちんと解明されておらず



「た、たぶんストレスが原因なんじゃないかな??」


ぐらいのところで終わっているのが現状です。




 結果的に起きている神経伝達物質の不調、という意味では、たとえば躁鬱病では、


「伝達物質が出るとか出ないとかを制御している機構が故障して、ドバッと出たり、チョロっと出たりしている」


という脳機能の故障を原因とする場合もあるでしょう。



 あるいは発達障害や精神的な遅滞のように、


「伝達物質が生成される量がもともと少ないとか、それを出す機構がもともと弱い」


とかもあり得るでしょう。



 しかし、健康で健常だった人が、いろいろな状況でうつ病や鬱状態になってしまうのは、一体なぜなのでしょう?



  武庫川は、解脱者であり、この世の善悪を超越した悪魔のような存在でもあるのでグハハ。


 そこで考え付いたのが、


「じゃあ、どうやれば健康な人間のモノアミンを減少させることができるのか」


という悪魔的思考だったりするのであります。ウヘヘ。




~~~~~~~~~


 ちょっとふざけて書いてしまいましたが、実はこの発想が、うつ病のメカニズムに大きく関わっていると私は考えています。



 神経伝達物質モノアミンの出力量を、人工的に変えてしまう悪魔のような実験があるとしたら、それは、



「報酬系を破壊すること」



に他なりません。報酬系というのは



報酬系 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E9%85%AC%E7%B3%BB



欲求が充たされそうだと思ったり、あるいは充たされた時に快感を覚える脳のシステムのことで、うつ病患者は


「報酬系が、機能していない」


状況が見られることがわかっています。



 もちろん、これを人為的に引き起こそうとすれば、神経伝達に関わる部位を焼ききってしまったり破壊すればいいのですが(・・・・悪魔)、そんな物理的な方法を取らなくても、これを壊すことができるのではないか、と武庫川教授は考えてしまったのであります。





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 その恐怖の実験を再現してみましょう。


 ある動物に、このボタンを押すとエサがもらえるよ、という報酬系の条件づけを行うとします。


 一定期間においては、行動をすることと、エサがもらえるという快感情は、合致しています。


 ところが、その条件付けが成立した後ぐらいから、ボタンを押すと不快な電気ショックが流れ、かつエサが貰えたりもらえなかったりする、というパターンへと装置を切り替えるとします。


 エサが貰えるので、報酬は生じているのですが、同時に苦痛にさいなまれる、という状況を生み出すのです。
 


 この場合、この動物がエサを貰うためにボタンを押す、という作業量はどのように変位するでしょう。



 これは実際に実験をしてみないとわかりませんが、たいていの人に予想がつくのではないでしょうか。


 おそらく、ボタンを押す回数は、徐々に減少してゆくと思われます。



 動物にとっては、


「ごはんを食べるという意欲が減少する」

「ボタンを押すという行動も避けがちになる」

「そもそも、ごはんを食べる量も減る」


という状態になるはずです。


 これは、生きる気力が低下している「うつ病」の症状に似ていませんか?





 ~~~~~~~~~~




 武庫川が妄想している悪魔的実験は、ただの妄想ですが、現実社会の中でこれとおなじ状況に落とされている人たちはたくさんいます。



「給料をもらうためには苦痛を伴う仕事を続けなくてはならない」

「夢や目的を実現させる、というためにハードワークを余儀なくされている」

「こうあるべき、という理想に対して、現実がひどく違う」


という状況は、 エサを貰いつつも電気ショックを与えられている動物のようです。




 報酬とは何か。何をすれば報酬が与えられるのか。という問題は、本来は単純であり、簡単な条件付けであると言えるでしょう。


しかし、


報酬を貰うという行動が果たして快なのかわからない状況





報酬と苦痛がアンビバレントな状態で組み合わされる提示



などが多々起きると、 私たちの脳は、意外と早く



報酬系の破壊



を起こしてしまうのではないか、と思います。



  現代社会は複雑怪奇であり、さまざまな立場の人間の思惑に支配されていますから、社会が複雑化すればするほど、



「報酬のありようが、一筋縄ではいかなくなっている」



という現実があります。






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 もし、上記の実験によって心が壊された動物がいるとすれば、どうすればその動物を救うことができるでしょう。



「もうボタンを押さない」


というところまで行き着いてしまえば、それはエサを食べられませんから自死まで行ってしまうということになります。


 うつ病で、自殺を選択してしまう人は、そこまで完全に報酬系を破壊され、生きるという選択を失っている状態だと言えるわけです。



  ということは、かろうじてボタンを押せる間に、



「ボタンを押しても、電気ショックは流れない」



という状態を確保しなくてはなりません。



 そして再び、「何度押しても、何度確認しても、電気ショックは流れず、エサがちゃんともらえるんだ」というところまで安全を保証してやる必要があるでしょう。



 そうすればこの動物は、再び最初のように、意欲的な行動を取ると推定できます。




 とすれば、電気ショックを与えているのが職場であれば、


「ボタンを押さなくなってしまうまえに、その職場を離れるしかない」


ということになります。



 そして、報酬系を再生させるためには、


「自分が取った行動と、報酬が合致するシステムの上に乗る」


ということが不可欠だとわかるでしょう。




 もちろん、リアルな社会の人間は、「職場」だけでなく、たくさんの要素を「報酬」として定義しながら生きていますので、「仕事の問題」だけを解決すればいいわけではないし、自分が心に描いている


「善なる状態、正義の状態」


はたくさんの領域に広がっているということもあります。



 たとえば、上記の動物実験において、「エサとしてはかなりおいしくはないけれども、食べられるし腹をみたせるもの」が出てくるボタンがどこかに設定されていたら、 どうでしょうか。

 このボタンからは電気ショックが出ないとすれば、


「自分の本来の望みとはちょっと違うし、快い報酬ではないけれど、まあ生きていける」


という行動を取るようになるかもしれません。


 動物は最後まで本来のエサである「電気ショックつきボタン」に挑戦し続けるでしょうか?

 そんなことははない、きっともう一つのボタンを押し始める、となんとなく思いませんか?







~~~~~~~~~~


 以上が、解脱者武庫川散歩が解明した「うつ病」のメカニズムです。


 あなたの報酬系は、今まさに破壊されそうになっているかもしれません。


 そうだとすれば、ボタンを全く押せなくなる前に、他のボタンを探したほうがいいかもしれません。


 
 私は、他のボタンが必ず隠されていることを知っています。



 ぜひ、それを探してみてください。











































2016年8月24日水曜日

すべての「心悩める女子」のために ~ニャートさんのブログを勝手に紹介する~



 解脱者という仕事柄、俗世のことには人一倍アンテナを張るようにしているのですが、←オイ 

久々に「これは好きだなあ」というブログがあったのでご紹介しておきます。



 一橋を出てニートになりました
 http://nyaaat.hatenablog.com/



 ニャートさんという女性の方が書いておられるのですが、内容といいテイストと言い、武庫川とまったくジャンルは違いますが、



 私は好き



ですのでお勧め。語り口は武庫川とは(決定的に)違いますが、根底に流れる視点のようなものが好きなのだと思います。



 もちろん、この紹介記事は、ネタ元にはまったく連絡せず、あくまでも勝手に紹介していますのであしからず。




~~~~~~~~




 この方がどういう方かがなんとなく伝わってくる記事をチョイスするとすれば


 引きこもりが再び働きはじめた朝に
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/hikikomori-neet


かな。



 特にお父さんの話のあたりが、いろいろ考えてしまいます。



 私も一時期パニック障害(あるいは、境界性かもしれません)の女性と関わったことがありますが、 彼女と父親の関係や、家族をとりまくいろいろに関わる中で、武庫川という存在があることでうまくいった部分もあるだろうし、うまくいかなかった部分もあります。



 そういうのを多少思い出したりしました。


”あと、私たち家族を支えてくれる「外からの手」は皆無だった。”


という一節が、心に響きますね。


 私は、いつも彼らや彼女たちと関わる時には「外からの手」として関わってきたのですが、私は家族そのものではないので、



 どこまでできるのか、できないのか

 どこまでしていいのか、してはいけないのか



という物理的な問題にも必ず突き当たるのです。



 アドラー風に言えば、最終的にはそれは


「彼ら、彼女たちの問題であって、武庫川の問題ではない」


ので、武庫川が関わったことによる最終決定や判定は、その人たちが行えばいいということになりますが、まあ、人間というのはいろいろな感情があるので、難しいものです。



 武庫川的には、なるべくニュートラルでフラットであるように、というキモチはありますが。




 ~~~~~~~~~~



 さて、ニャートさんのブログは、全体を通してみると「女性がなぜこの社会で生きづらいのか」ということをデータで分析なさっている感じになっています。


 そこで取り上げられている内容については全く同感で、これからの混迷の日本社会においては、いっそう


「女子であることの生きづらさ」


が表に表れてくるのではないか、と思います。



 うちにも幼い娘が2人いるので、そういう意味では彼女たちの将来を思うと、考えなくてはいけないことが山ほどあります。


 
 女性の貧困については、こんなブログ記事がありました。



貧困女子がなんぼのもんじゃい ~だって、そもそも女子はみな貧困じゃないか!~
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2015/04/blog-post_56.html



 基本的に、これまでの日本社会で女性の所得が男性を上回ったことはなく、これからもないのですから、結果の平等を実現するには、


「女性に、最初から女性手当てを渡す」


以外にない、という発想です。おもしろかろ?




 というわけで、心悩める女子の方は、武庫川のこんな下品でお下劣で気持ち悪いブログ見てないでニャートさんのブログのほうをチェックするほうが良いと思いますよ!


2016年4月14日木曜日

心の病は一発で解消できる! うつ病もメンヘラもカンタンに治る魔法のアイテムとは。

 どうも。皆さんの心のスキマをお埋めする武庫川散歩です。ドーン!!


ちなみに、一昨日 「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造の声をやっていた大平透さんが亡くなったそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。




 さて、本日は


 心の病もうつ病もメンヘラもカンタンに治る


という触れ込みでタイトルをつけましたが、 本当にそんなことがあるのでしょうか?


 ワタクシ武庫川の場合は、解脱しておりますから、心の病もうつ病もメンヘラも、もはや無関係です。


 悟りを開けば、そうした俗世の迷いごとからはすっかりさっぽりもっこり解放されるわけですが、誰もが悟りをいますぐ開けるわけではないので、困ったものです。



 もちろん、心の病を引き起こす原因は、精神的なもの以外に、


「物理的な原因で起きるもの(体の不調そのものが引き起こすもの)」



「栄養素などに起因するもの」

 などもありますから、ここでは、話をわかりやすくするために


「精神的な認知のありようやストレスによって引き起こされる心の病など」


に一旦絞ってお話をしようと思います。



 いわゆる精神的ストレスの根本原因は、何度かこのブログでも触れていますが、単純化すれば


「正義のゆらぎ」


に他なりません。この場合の正義とは、世間において正しいこととか常識的な正義ではなく、


「あなたが良い、正しいと思っている状態や理想的な状態」


のことを指します。


「あなたが良い、正しいと思っている状態と現実の時分を取り巻く現象が合致していないときに、あなたの正義はゆらいで、精神的な変調をきたす」


わけです。



 この話は繰り返しになりますが、


「友達がいるほうが良い状態だろうと認識しているのに、そうではない現状」とか

「楽しく仕事ができる環境が理想だと思われるのに、怒鳴られてばかりの環境」とか

「高い能力を持っているほうが望ましいと考えているのに、アホでどうしようもない自分」とか

「恋人や家族がいるほうが幸せだろうなと思うのに、孤独なわたし」とか


 設定上のあなたの「正義」に対して現実が「そうではない」とリアルな事実を突きつけてくると、あなたの心は折れてゆくわけです。




 これがたとえば、


「ものすごく嗅覚が発達していて、人間全員動物臭を感じてしまうからむしろ一人にしてくれな人」とか

「ものすごいマゾで、先輩の女性社員に怒られるたびにおしっこチビっている妄想男子」とか

「アホのさ○た」とか

「リアルドールと生活をともにしたいマニア」とか


だったら、 上記とまったくおなじ環境におかれても「彼の正義」は全然ゆらがないので、まったくもって幸せに生きることができるわけです。



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 まあ、でもこの記事を読んでいるあなたは、そこまで変態ではないと思うので、なんとかして自分の課題や問題点を克服して、理想の正義に自分を近づけたほうがいいのではないか?なんて考えちゃったりしちゃうわけですね。



 でもまあ、はっきり言っておきますが、それはどだい無理です。



 友達がいないのに友達は向こうから勝手にやってきてはくれません。もしあなたをめがけて友達がやってくるとしたら、それはカルト宗教の勧誘か、おそらく何かを売りつけようとしているに違いありません。


 あなたの上司はこれまで毎日怒鳴っているのに、どうして明日から彼が怒鳴らないわけがありますか?あさっても来週も来月も怒鳴っているに違いないのです。


 アホのさか○さんに、「努力して、宇治原さんになれ」というのは酷です。それは拷問のような仕打ちです。


 まともな妙齢の男女ですら恋人がおらず、合コンにいそしんでいるというのに、合コンもセッティングできないあなたに恋人ができるわけがないでしょう。





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 ちがうちがう!みんな方向性を根本から間違っているのです!!!



 あなたは、あなたを取り巻く諸問題を解決したら、自分は幸せになれると考えています。それは大きな間違いです。


 そんなものはひとつ解決しても、別の問題が出てくるのです。

 仮に恋人ができても、デート中にスマホばっかりいじって自分を見てくれないと嘆くのは目に見えています。

 結婚しても子供ができないとか、姑にいじめられるとか、次々難問は押し寄せます。



 だ・か・ら


 
 自分をとりまく正義のゆらぎに対して、自分やまわりを正義の方向に修正しようとするのは無駄ですからやめたほうがいいのです。





 では、どうしたら幸せになれるのか。心の病を解消することができるのでしょうか?



 仏教的な考え方をすれば、「そうした悩みの種になるものを全部捨てちゃいな!」ということになります。


「正義という設定や、こうありたいこうあるべきという欲望を捨てろ」


というわけです。

 

 でも、それがカンタンにできるなら、この世は全員解脱者ばかりで、なーんにも欲望がないふわふわした人たちで満たされているはずです。でも、現実は違うし、誰もその境地に到達することができないから困っているのです。




  そこで、究極の秘法をあなたに授けましょう!というわけです。




 どんなに弱い人間でも、どんなにしょーもない人間でも、心の病を一発で治すことができる魔法のアイテム、それは



優越感



です。それが一番早い即効性のあるアイテムなのです。



 優越感は、一見すると「何か、持ってはいけない悪いもの」のように思えるかもしれませんが、実はそんなことはありません。


 病気の人を見て、「ああ、自分はまだ幸せだ」とか、戦争のニュースをみて「平和は大事だ」とか、そういう「下を見て生きる」ことで、人は



「現状の自分が、まだマシである」という意味において「足ることを知る」


ことができるのです。


 だから、ここは大いに活用して、まずは下を見て生きてみましょう。話はそれからです。



 しかし、何も

「ああ、仕事場はひどいけれど奴隷でコロッセオにほり込まれるよりはマシだ」とか

「恋人はいないけれど、性器を切除されたわけじゃないので、自分でまだ楽しめる」とか

「アホだけど認知症じゃなくて良かった」とか

「漫画という友達がいるじゃないか」とか


そこまで卑屈になれと言っているわけではありません。



 ちがう!それも大きく違います!



  魔法のアイテム、優越感には、もうちょっと有効な使い方があるのです。



 たとえば、いろいろ満たされないけれど、「わたしには可愛い絵が描けるから、それでなんとか自分を保てる」とか、「youtubeで歌をアップしていて、10万回再生された」とか、そんなしょーもないと自分でもわかっていることだけでも、そのちょっとした優越感はあなたを支えてくれるのです。


  それを、素直に大事にしましょう。鼻でリコーダーが吹ける特技だってかまいません。

 あなたがちょっとした優越感、そして「自分だけができる小さな喜び」を持っていることが、あなたを幸せへと導くのです。





 話は飛ぶように感じるかもしれませんが、宗教というのはこの「優越感」を極限までシンプルにつきつめて、信者をとりこにします。


  どういうことか。


「わたしだけが、あるいはわたしたちだけが、真実の神を崇拝している。だからわたしたちだけが、現世もしくは来世で救われるんだ」


という優越感こそが、宗教の本質です。



  だから、自爆テロだって行えるのです。彼らは「この世を儚んで自殺をしている」わけではありません。


 「自分は、この世の誰よりも神のために命を投げ打っている」


という優越感と自尊心が、自爆を恐れさせないのです。





 そんな行為を、他人は「しょーもないことだ」と言うかもしれません。それは、あなたの小さな優越感が、他者からみれば「しょーもないこと」なのと同じです。


 でも、あなた自身は、その小さな優越感をうまく活用して、幸せになればいいのです。



 このアイテムは、ほんとうにしょーもないけれど、大きな力を秘めているのですから。






 ちなみに、解脱者武庫川は、


「このセカイのすべてを、全部知ってるもんね!理解しちゃったもんね!悟っちゃったもんね!」


という超しょーもない優越感によって、満たされています。



 しあわせなんだからねっ。



2016年1月20日水曜日

宗教の教祖になりたいあなたへ! カリスマになるには?! 〜今日から君もカリスマだ!〜

 ・・・解脱、してますか?




 ・・・解脱ですか!? 1・2・3ダーッ!





 どうも、あなたの心の隣人、武庫川散歩(オス♂)です。



 世の中には


「あー、教祖になりてーなー」

とか

「宗教をはじめたいなー」

とか

「信者にいちゃいちゃされたいなー」

とか、


そういう妄想に取り付かれ、明日の教祖を夢見ている方もたくさんおられると思いますが、そんな方に朗報です!



 『デイリー新潮』に掲載されている藤倉善郎さんの記事、


”なぜ「新興宗教」指導者の演説に惹きつけられるのか”

(1) http://www.dailyshincho.jp/article/2016/01190410/?all=1

(2) http://www.dailyshincho.jp/article/2016/01200410/?all=1


が秀逸で、今をトキメク新興宗教の教祖たちが、


どんなテクニックを使って、カリスマとなっているのか


を徹底解明しておられるのです。


 詳しくは上記記事を参照願いたいのですが、まずはヒトラーの話術からはじまって、カリスマ教祖の使うテクニックの実例をたくさん挙げています。



 その中からいくつか紹介してみましょう!



<テクニック1  じらし>

 少しざわついている聴衆、しかしカリスマは一言も発せず、数十秒は沈黙しています。その沈黙を異変に思い、聴衆のざわつきが静まったその瞬間!カリスマは話しはじめる・・・。


 これは、ヒトラーも使ったという「じらし」のテクニック!あえて何も言わないことで、「何を言うのか、何がはじまるのか」と興味関心を集中させたその瞬間に、カリスマの言葉を埋め込もうとするテクなのです。




<テクニック2  自分を大きく見せる方法>

 小林幸子のように、でかいものを背後に背負うなど、物理的に大きくみせることで、聴衆はその大きさをカリスマの偉大さと勘違いするのです。

 仏像に光背がついているように、タカラヅカの羽かざりのように、あるいは歌舞伎の衣装のように、大きいことはよいことなのです。

 ちなみに、関西No1と言われる、大物司会者はシークレットシューズを愛用しているとかしていないとか。ありがとう。



<テクニック3  二元反復>

 連呼すること、繰り返すことでその言葉・フレーズを強調し、聴衆に刷り込むのは古来からの基本的なテクニックです。

 とある宗教団体でも「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ」を繰り返させていましたし、「気合だ!気合だ!気合だ!」と連呼する大物スポーツマンも有名ですね(^^

 繰り返しのテクにやられるのは、お笑いでもいっしょ!

「ラッスンゴレライ♪」も、「ラッセンがすきー♪」も、「ラララライ」もぜんぶそう。




<テクニック4  親和表現>

 親和とは「相手に親近感を覚えさせること」です。なんと!このブログで武庫川散歩が、いつもアホみたいなことを連呼しているのは、このテクニック!

 口当たりのよい話し方や、親しみ易いネタをはさむことで、相手に親近感を覚えさせるという魔法の手法を、解脱のカリスマ武庫川散歩も使っているのですから、恐ろしい!!


 けっして、だまされちゃあ、いけませんぜ(ニヤリ)



 ちなみに、恋愛でもこのテクニックは使えます。人は、出会う回数が多ければ多いほど、親近感を覚え心の扉をひらくもの。なので、若かりしころの武庫川散歩も、好きな女性の前には、たびたび姿を現し、お見かけさせたものです(^^




<テクニック5  コンシート話法>

 相手が思ってもみないことを言ったり、発したりすることで、好印象を植えつけるものです。


 これも武庫川散歩は多用していますね。毎回毎回、可笑しなツカミをもってきてから本題に入るなど、宗教家とは思えない話を連発するのが、武庫川のオチャメなところなのです。


 
~~~~~~~~~~


 とまあ、こんな感じで新興宗教のカリスマが、いろんなテクを駆使して人民の心をわしづかみにしていることがよくわかる良記事、勉強になりますねー。


 
 武庫川散歩が、いまいち宗教界でブレイクしていないのは、実は「直接法話をしていないから」ということもあります。


 現在武庫川は、このブログでしょーもないことを語るだけしかしていないので、ふつうの方々はその魅力に気付いてはおりません(笑)


 もし、あなたの前に武庫川が現れて、何か心に響くお話をしたとすれば、もうその瞬間から



 ハートがずっきゅーん!!!



になること請け合いです。なーんて。





2015年5月9日土曜日

<日常>清く正しく美しいメンヘラのための漫画 ~「ゆがみちゃん」を読む~

 GWが終わると、なんということでしょう!もうすぐそこに梅雨がやってきているというではあーりませんか!

 今年は、本当に雨が多くて、心も体も鬱々しそうです。なーんてね。どうもどうも、あなたの心の恵みの雨になりたい武庫川散歩です。


 さて、毒親に育てられてしまって、心がわさわさしながら大きくなった少女「ゆがみちゃん」の物語が、反響を呼んでいるようです。



 『ゆがみちゃん』
 https://note.mu/yugami/m/m38335f44dc81


 ☆現在は完結。35話まであり、けっこう長いです。



 まー、なんというか。極端にややこしい親に育てられられたりしたせいで、いろいろと心がゆがんでしまったゆがみちゃんですが、いろんな行動や、いろんな人との出会いで、少しずつそうした問題を解決してゆく壮大な物語になっています。


 自称他称を問わず、メンヘラ傾向のある方は、一度ご覧になると、いろんな感想が生まれることでしょう。

 もちろん、感想はお読みになったみなさんの自由ですが、ここでは、


 解脱者武庫川散歩から、いくつかのポイントを指摘しておきたい


と思います。

 まず、この漫画は、実際の「ゆがみちゃん」の家庭がどうだったか、を問うべきものではありません。漫画はゆがみちゃんのモデルである作者自身の目線から見た「家族像・友人像・環境像」ですから、真実を問い直すのであれば


 かなりバイアスがかかっている可能性を差っぴかなくては


なりません。これが、裁判であれば、ゆがみちゃん側の主張も、親や友達側の主張も、公平に傾聴して物事の

「よしあし」

を判定しなくてはなりませんが、 そうなると、この漫画には、ゆがみちゃんの一方的解釈が多すぎるということになるでしょう。


 しかし、ここではそれを問題にしない、ということが大事だと思います。


 どういうことか?!


 大事なことは「心に闇を抱えた人間は、事実はどうあれ、このような視点で物事を捉えて、そして行動する」という、ベースの部分を理解し、そして、

 「そのメンタルを、一般社会とすり合わせたり、コミュニケートしてゆくには、どうやって認知を改めればいいか」

という方法を指し示していることを理解すればいいのです。


 これはとっても大事なことだと、解脱者☆武庫川散歩は考えます。


==========

 以前、

 http://satori-awake.blogspot.jp/2014/03/blog-post_29.html


の記事で、「ストーカー被害を訴える女性の話」を紹介したと思いますが、某精神科のセンセイによれば、もしかすると


「ゆがみちゃんの物語は、ゆがみちゃんの壮大な誇大妄想という病気である」


と想定することも可能です。その場合は、前述の裁判のように


「何が真実で、何が誤りかを判定しなくてはならない」

 
ことになってしまいますよね?


 ところが、ゆがみちゃんの物語がもし誇大妄想だとしても、その妄想の中で「いわゆる世間と、まっとうなコミュニケーションがとれるような気づきや変化までがセットになっていて、その通りに行動できてしまう」のだとすれば、それはそれで


 世間的には、全然問題がない


ということになるわけです。ここが面白いところ!


 「最終的に、世間ときちんとコミュニケートできる人格が完成できるのであれば、そのプロセスや定義がゆがんでいても、とりあえずはいいじゃん」


とするわけです。



==========

 私がこれまでにたくさん問題のある方と接してきた経験からみると、「ゆがみちゃん」は、自身で到達や解決できていない問題がいくつかまだあります。

(もちろん、まんがのゆがみちゃんに対してですよ!作者さんに対してではありません)


 それは、「愛することとはどういうことか」という点であったり、「仕事を変わりすぎており、またそこにかならず会社の環境を批判する正当化が伴う」という点であったり、「自分に都合のいい人間は善で、そうでなければ悪という認知のパターン」であったり、まあいろいろありそうです。


 この世界のすべての人間は「善悪を併せ持つ、混沌とした心」を持っています。また、表面に現れる生き様もそうなので、その状態で人は人と接していかなくてはなりません。


 しかし、ゆがみちゃんの認知にかかれば、

「そういうことを言うのは、そういうことしか言わないうわっつらだけの世間の人」

ということになり、

「そういうことを言わないのが、私をわかってくれるいい人」

ということになりますから、その時点で決定権がゆがみちゃんにもっていかれることになります。


(この考え方に陥るのは、宗教家庭に育っているからですね。ワタクシもそうだったので、よくわかります。世間の人間を「神の側にある存在」と「悪魔の側にある存在」というふうに分けてみる癖がつくのです)

 ゆがみちゃんの話には、「悪い人たち」と「出合った中でのいい人たち」がけっこうくっきり登場します。これは、特徴的な描き方だと思います。



・・・しかし、その辺を議論するのがこの記事の本来の目的ではなく、そういう


「ゆがんだ認知の人が、なんとかこの世界と折り合いをつけてゆくためのヒント」


としては、大変に有益だと思うわけです。


==========

 そういうわけで、メンヘラのみなさんにも、一読をお勧めするわけですが、超越後のゆがみちゃんには、ぜひ


 愛すること、愛されることとはどういうことか


について、最後の発見をしてほししなあ、と思う次第。お幸せに。






 

2015年4月23日木曜日

哲学はメンヘラのためにあらず。 ~世界では哲学はエリートのための学問なのであーる~

 現代日本において「哲学」というと暗いオタクがちなオトコか、メンタルに問題がありがちな人間が学ぶものと、相場が決まっているのですが(いや、いや、決まってない決まってない)、ここではっきりと宣言しておくならば


「僕は哲学が好きだ」


なんて思っている男子と付き合ったら、かなりの高確率で不幸になるのであしからず。


 なんなんでしょうね。立身出世で高度成長で、バブルもはじけた日本においては、基本的に


「哲学は、思想的メンヘラの逃げ場となっており、

二次元は欲情的メンヘラの逃げ場となっている」


のは、 どうも否定できそうにありません。


 私、武庫川散歩なんぞはご存知の通り、小さいときから原理主義者だったり神と戦ったり、「存在とはなんぞや」なんてことをずっと考えているので、基本的に「哲学」とは親和性が高いほうなのですが、それでもすべての哲学者の思想を知っているかといえば、そんなことは全然ありません。


まだまだペーペー、林屋ペーでございます。カシャ!


 たとえば、ギリシャ哲学とデカルトカントショーペンハウエルと、ヘーゲルとルソーと、フロイトユングフーコーと西田幾多郎とそれからそれから・・・。

 もっともっと山ほどいる思想家や哲学者のうち誰が好きかと聞かれたら、真っ先に答えるのはもう決まっています。


 当たり前でしょう、武庫川散歩以外にない!(笑)


 哲学のことを知りたければ、高校の倫理の教科書を読めば一通りのことはわかります。大学なんか行ってもダメですよ。大学の哲学科は、高校の倫理の教科書から一人選んで、そいつについて4年間調べさせられるという苦行ですから、


「いっそ哲学科でブッダを選択して、大般若経を調べ倒すのと、仏教科へ行って華厳経を調べ倒すのと、どっちが哲学か」
 
という、すでに何かを三つくらい超越した話になってしまいます。 (おおむね、哲学科を標榜している学科は西洋哲学にかぶれてますので、要注意です)


=========

ワタクシ、若い時期にとある大学で哲学を専門に研究なさって、本までいろいろ出しているという哲学専門のセンセイと知り合いになり、彼といろいろと議論したり話ししたり飲みに連れていってもらったりしたのですが、まあ専門分野以外は普通のおっさんでした。

カラオケが好きで、よく唄ってましたね。女性も好きでした。でも仕事はよくできました。

 というわけで結論から言えば、


「哲学を学んだからといって、心が穏やかになったり、世の中を超越したり、なんか凄い存在になったりするわけではない」

ということがよくわかりました。

「仕事と遊びと女が好きな、一見難しそうなことを言っては、カッコいいところをPRしちゃったりする、世の中にごまんといる仕事がデキルおっさん」


にはなれそうです。


 ところが、実はこれって大事なことで、日本では「根暗の食べ物」みたいに思われている哲学が、ヨーロッパでは、


「イケテルおやじの必須ツール」


だったりするわけです。意味わかるかな?

 
 そもそも、博士号なんてのは欧米ではPh.Dですから、


哲学博士


なんです。間違っても、 死神博士ではないのです。


 そういう意味では、哲学、つまり「この世界とはなんであるか」ということそのものへの素養が、博士を名乗るには必要だというわけで、言い換えれば、道を究めるというのは、その道を通じて、このセカイのあり方を根源から問うということなわけです。



 というわけで、そんなことを思い出させてくれた良い記事があったので紹介しておきましょう。


世界のエリートはなぜ3歳から哲学を学ぶか

http://toyokeizai.net/articles/-/66750

(東洋経済オンラインさんから)

 

 この記事を読むと、いわゆる哲学的思考とは「教養論」に非常に近いということがわかりますね。

「教養論」とは、大学で職業教育を学ぶのではなく、教養を学ぶのだ!というアレです。