突然ですが、みなさんはギャンブル好きですか?
バドミントンとギャンブルとどっちが好きですか?
オリンピックとギャンブルとどっちが好きですか?!!!
・・・はい、やっちゃいましたね〜。某スポーツ選手が、あろうことか違法賭博に手を出していたとかで、手を出すどころか
足が出ちゃいました(約1000万)
という状況ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
解脱者、武庫川散歩は、今日も金銭欲とは無関係に生きております。ええ、貧しいですがなにか?
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さて、いつものように無駄なツカミが終わったところで、本日はギャンブルについて語ってみることにします。
幸いなことに、私の周りには、ギャンブルで身を持ち崩した人はいないのですが、この記事を見ているあなたは、
「どうやってギャンブルをやめようか」
と悩んでいるかもしれません。
よく言われるように、ギャンブルというのは基本的に、参加者が最終的には儲かるようにはできていません。
どの賭け事、ギャンブルも、基本的には賭場を開いた胴元が一定の儲けを得るようになっていますから、全参加者の拠出した総金額から、胴元の取り分を引いたその残額を再分配しているだけです。
その総金額は、参加者たちの出したお金以上には、絶対に増えませんから、そのため参加者はかならず損をするようにできているわけです。
ところが、人間というのは良く出来ていて、理屈ではそうわかっていても
「自分だけは儲かるのではないか?」
とか
「一度来た当たりの快感が、もう一度来るのではないか?」
とか、 そんな風に思いがちです。
・・・とっても、みなさんポジティブで、明るいですね!!
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とまあ、みんなが楽観的に楽しくギャンブルを楽しんでいれば、この世界において、それほどギャンブルは憎まれるべきものではないのですが、ところがこの「嬉しい楽しい大好き」は、いつまでも続きません。
その理由は簡単で、先ほども述べたように、総金額から最終的な支払い金額は増えませんので、実は参加者全員の手持ちのお金は、どんどん減少しているだけなのです。
だから、参加者はよそでお金をウハウハ儲けてこない限り、手持ちのお金はかならず減ってしまうので、いつまでも楽しい時間は続かないのです。
ちなみに、よそでウハウハ儲けることができた人は、ギャンブルじゃないそっちにハマるので、これまたギャンブラーたちは、「基本、負け癖のついた人たち」の集合体になってゆきます。
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とまあ、ギャンブルは儲からないし、参加するものはどんどん貧相になってゆくのですが、それでもギャンブラーたちはやめることができません。
それは、人間の心理としては当然のもので、
「今まで損した分を、なんとしても取り戻さなくてはいけない」
という心が、あなたをとても不安にするからです。
「てやんでえ、胴元にくれてやったぜ!明日もたっぷりくれてやるぜ!」
という人は、そもそもギャンブルにハマりません。慈善事業かなんかにつぎ込んだほうが、よっぽど感謝されますので、彼らはけして
「くれてやる」
ことに夢中なわけではないのです。
そして、面白いことに、ギャンブルで当たりの快感を得ると、「ものすごいアドレナリン」が出るので、人間はその感覚を忘れられないのです。
なので、ギャンブラーたちは、
「とっても気持ちいい」感情と
「とっても不安」な感情
にぐじゅぐじゅにされながら毎日ギャンブルにのめり込んでいるということなのです。
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稀代のカリスマである武庫川散歩からすると、この状況は、「支配者と被支配者の関係」や「宗教」にとてもよく似ていると思います。
有能な支配者は、アメとムチを使い分けながら、被支配者たちをコントロールしてゆきますが、その方法は、ギャンブルと似ています。
彼らの承認欲求を満たし、彼らの心を持ち上げて「気持ちよく」させることと、恐怖や畏怖、あるいは拘束などを用いながら、「不安にさせる」ことを同時並行で行うわけです。
すると、彼らはイチコロで支配者にハマってゆきます。
あるいは宗教でもおなじです。宗教においては、「信仰すれば、現世もしくは来世で救いや心の平安が得られる」と説きます。気持ちよくさせるのです。
そして、逆に「信仰を捨てたり戒律を破れば、現世においても来世においてもおまえを滅ぼす、と不安にさせる」のです。
この二つを同時並行で、ぐじゅぐじゅやりますので、信者たちはイチコロでハマってゆき、抜け出せなくなります。
宗教にハマって抜け出せない人たちの理由は、たった2つしかありません。
<その1>は、ギャンブル大当たりと同じです。
「何か、その信仰によって、気持ちよくなった体験があること」
これがミソです。
救われた気持ちになったり、実際に病気が治ったと感じたり、心が満たされたり、先輩信者に優しくしてもらったり、とそういう「気持ちいい体験」を知っています。
そのため、その宗教は良いものである、と最初に認知します。
これをギャンブルのセカイでは「ビギナーズラック」といいます(笑)
<その2>は、ある程度信仰が進んだ段階で生じます。それは、
「今まで、この宗教に入っていたので、いまさら外の世界には戻れない」
という考え方です。 あれ?これって、ギャンブル負け続けに似ていますよね!
「今までの負けを取り戻そう」とやっきになる姿と、「いまさらこの神は偽者だと言われても、これまでのあたしの信仰はどうすればいいんだ」という姿は一緒なのです(^^
そして、この2つの感情の隙間に、「信仰を捨てた報いは悪いことが起きる」というネガティブキャンペーンをぐじゅぐじゅやられるわけですから、そりゃ
普通の人は、耐えられません。(脱出不可能です)
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というわけで、ギャンブルにおいても、宗教においても、そこから抜け出したり対抗しようとするには、とっても重要なポイントがあるので、覚えておきましょう。
いいですか?ギャンブルから抜け出すには「勝つ、当たる」ことではないということはわかりますね?
(でも、おろかな人は必ず、「今までの負け分を取り戻すくらい勝てばいいんだ」と考えます。愚かです)
最初のほうで話したとおり、原資や総金額で考えると、「ギャンブルではないところでお金を儲けてくること」が大事です。(つまり、正業で利益を得てくるということです)
そして、ギャンブルで「気持ちよくなる」よりも、ギャンブルではないところで「気持ちよくなる」ことが大事です。
また、「これまでの負けをいっさいカウントしない」ということもとても大事です。
なので、周囲の助けと、人との関わりときちんとした仕事で対価を得ることが、ギャンブル地獄から抜け出すためにはマスト(必要)なのですが、
孤独で人付き合いが悪く、無職で童貞
はどうやってもそのままではギャンブル地獄から抜けられませんので、南無南無です。残念ながら。
(自分で気づく、という最後のチャンスがあります。一応)
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さて、これを宗教に置き換えるとどうなるでしょうか。
まずは、「今までどれだけその宗教に心身をささげていても、それは損切りしてカウントしない」ということが大事です。
それから、「宗教活動の外で、その人物がしっかり承認欲求が満たされるようにする」ということが大事なのです。
なので、やっぱりこれを一人で行うのは大変です。家族や周囲の支えがないと、なかなか一人ではこの領域に到達できません。
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というわけで、家族が変な宗教に入って困っている方や、友人がカリスマ指導者に支配されていて、その人物にとっても感化されていて困っている方は、ぜひ参考にしてください。
とくに重要なのは、
「あなたが、その人物のことを宗教やそれらの活動外の部分で、きちんと承認することが必要」
という部分です。
「その宗教とは関係ない部分で、あなたを認めているよ」
と言ってあげないと、彼らは治りません。そこんとこ、よろしく!
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