2018年6月11日月曜日
なぜ引きこもり男性は人を殺すのか ~無差別殺人を無くすための、効果的な処方箋~
「誰でも良かった」
というこの言葉をもって、たくさんの無関係な人の命が奪われる無差別殺人は、 もはや何度も、そう、言いたくはないが「飽きるほど」この日本で起きている。
つい先日、秋葉原殺傷事件のことを思い出した日があったかと思えば、今度は新幹線の車内で事件が起きたとか。
そういえば、新幹線でなら、少し前に放火事件もあったことを思い出さざるを得ない。
ちなみに、私は「何か特定のジャンルや傾向を持っていることで、他人にレッテルを貼る」ような人間ではない。
だから、あえてここは自分が見聞きしている事実に対しての疑問だけを書き連ねてみる。
■ なぜ無差別殺人を行うのは、女性ではなく男性が多いのか。いや、林真須美死刑囚以外には、ほとんど男性しか我々が知らないのはなぜか。
■ なぜ、無差別殺人を行うのは、明るく元気な会社員ではなく、無職やひきこもりと称される人たちが多いのか。
■ なぜ、無差別殺人を行う犯人は「誰でもよかった」と言うのか。むしろ、のび太のように「あいつを殺して俺も死ぬ」ぐらい言ってくれないのか。
大事なことなので、何度も言う。私は、特定のジャンルの人を差別したりはしないが、
「どうして、毎日元気に出勤しているマイホームパパは、無差別殺人を起こさないのか」
「どうして、愛されメイクの丸の内OLは、新橋のおっさんたちに襲い掛かったりしないのか」
「どうして、幼稚園児の手をひっぱっている専業主婦は、娘をいじめた園に刃物を持って襲来したりしないのか」
ということは、誰もが見落としがちで考えようもしない、ミステリーだと思う。
そして、さらに大事なことも言っておこう。
「なぜ誰でもよかったのなら、おまえ自身ではなかったのか」
ということも。
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この、大きな問いかけを提示しながら、今度はその解決策を考えてゆく。
プレジデントオンラインに、そのヒントとなるような記事が掲載されていた。
なぜアホ同士はいつも争っているのか
http://president.jp/articles/-/25308
なかなか刺激的なタイトルであり、かつ「なぜ弱者は自分より弱そうな隣の女性を刺すのか」という問題にも通じるところがありそうだと考える。
この記事は「人類がどのように争いや戦争を回避するか」に着目している。
(人間は、いつでも争いになると脳みそが戦争だと認知するらしい)
■1 話し合いで物事は解決しないかもしれない。論理的に説明することは「勝った者と負けた者を生み出し、負けた者は勝った者を恨む」のである。
■2 権力者は常に権力を保持しなければ、被権力者が権力を持ったときに復讐される。
■3 テロリストに金を渡して交渉・交換するモデルは、武力を使わずに済む方法である。
■4 金銭や政治的要求のない、精神が混乱した自暴自棄の犯人には、白黒を論理的に判断することではなく、「受容、思いやり、忍耐」で言い分を聞いてやることだった。
■5 とりあえず、飯をおごり、一緒に食うことには効果がある。
■6 相手を変える最もよい方法は、相手に好かれることだ。
ここまで読んだ賢明なるあなたは、もうピン!と来たことだろう。
そう、無差別殺人へのヒントは、4である。
仮に無差別殺人を行う人物をAとしよう。
Aには、弱点があったり、能力や対人関係の面で努力が必要化もしれない。
しかし、そのことを論理的に指摘しても、1番の理屈によりおそらく彼は「敵認識」しかしないだろうと思われる。 これは戦争で、あいつは敵だ、と。
そうした人物Aが自暴自棄になったとしたら?
恐らくAから見れば、「誰でも良かった。なぜなら誰もが敵だからだ」ということになる。
どうして誰もが敵になってしまうのか。それはごく単純で「誰も自分の言い分を聞いてくれなかったから」に他ならない。
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ということは無差別殺人をふせぐには、この逆をやればいいのである。
論理的に正しいということをまず捨てる。
そして、Aの言い分をただ聞いてやる。
この役目ができる人材(事件が生じる前の未然ネゴシエーター)がいれば、無差別殺人は減らせるということだ。
論理的に正しくなくてもいいのだから、「あなたはここが足りませんよとか、ダメですよといったおせっかいは全く不要」で、その能力不足の男性が能力不足のままでもよいということを理解する必要がある。
能力不足でも別にかまわない。しかし、能力不足だということを認識させたら戦争をおっぱじめるからだ。そのままほっとけばいいのだ。
指を失った人に「指がないね~。あったほうがよかったね~」と毎日言い続けてみよ。必ずあなたはぶっ殺されることは必定である。
指がない=能力がないも同じである。なけりゃあないでよいのだ。それは本人が一番よくわかっているので、他人がどうこう言うべきことではない。
そのない状態での過ごし方や解決法は、その人自身が工夫するものだからだ。
だとすれば、ひきこもりなどを抱えた周囲の人間は、彼が論理的に正しくないことを何度も何度も繰り返して言う必要はないということになる。
そして、できるならば、彼の言い分を聞いてやれば、無差別殺人は減るということだ。これには思いやりと忍耐がいる作業だが、できることならこれを仕事で行う人には、ぜひ高給を担保してあげたいところである。
それで無差別殺人が減るのなら、私達はよろこんでその分を払おうではないか!
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