2022年12月16日金曜日

どうか、この泥棒めに盗まれてやってください 02

 

 

 

 えーっと。

 

 カリオストロの城に閉じ込められた可憐な少女クラリスを、泥棒のおじさまが救いにゆくお話の続きである。

 

 いや、全然ちがう。

 

 ものみの塔に閉じ込められた少女を、解脱者のおじさまが救いにゆくお話だった。

 

 つづきが始まるぞ。

 

 

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 大量殺人や自爆自殺を含んだキリスト教系新興宗教がそうせざるを得ないのは、基本的には

 

「ハルマゲドンやキリストの再臨の期日を設定してしまう」

 

ことにある。これは現実にはその通りにならないので、信者や組織の心を破壊してしまうことは前回の説明の通りである。

 

 予言を外したことに耐えられなければ、死ぬしかない。それはプライドの問題というよりは

 

「希望が失われたことへの絶望」

 

でもあるからだ。だから、生きてゆくためには予言を修正する必要がある。

 

 そのため、「期日設定系カルト」の多くは、期日を修正し、教義を変更することでなんとか命脈をつなぎ、ごまかしながら生き延びている。

 

 かわいそうなのはそうした「経緯」を知らずに入信した人たちで、「そもそも予言を外している」連中が傷のなめあいのために集っているだけなのに、「修正された予言」を信じさせられて、なおかつそれに生活のすべてを投げ打たされているということなのだ。

 

 これは外部から見れば喜劇だ。バカみたいな話だが、内部にいたものにとっては悲劇でしかない。

 

 

 さて、期日設定系カルト、エホバの証人やブランチ・ダビディアンに共通する元ネタとは何か。それは、

 

「1800年代前半に北米で起こった再臨待望運動」

 

に起源を持つ。(これはアメリカの話で、だからエホバの証人はアメリカ発なのだ)

 

 

 再臨待望運動は、ウィリアム・ミラーという人物が、聖書の期日からキリストの再臨日を「計算」したことによって始まる。

 

 彼はその年号を1843年とした。この年号をはじき出す数式の考え方は、複数あるのだがたとえば、分りやすいのはこんな感じだ。

 

『ダニエル書8:14に”2300の夕と朝”と書かれている。エズラがエルサレムに帰還したのが西暦前457年であり、そこから2300年を足すと1843年になる』

 

『ダニエル書4:16に”七つの時”が出てくる。聖書予言における1年は360年なので、360×7=2520年になる。ユダヤ人独立を西暦前667年と歴史学者が算出していることを考えると、そこから2520年を加算すると1843年になる』

 

といったものだ。

 

 これは一体何をやっているのかというと、聖書好き以外にはなんのこっちゃわからないかもしれないが、要するに

 

「聖書に出てくる記号や年号や、物理的な年数に相当する暗号になっていて、その暗号を解読すればキリストが再臨する(あるいはハルマゲドンが起こる)具体的な期日をちゃんと予言しているのである」

 

ということを考えているのである。

 

 彼らは「聖書に書いてあることは、象徴的なお話なのね」とは思っていない。

 

「聖書に書いてある数字は、マジでガチなので、その数字をちゃんと計算し、解釈すればそのとおりのことが起きる」

 

と思っているのである。これはウィリアム・ミラーもチャルズ・ラッセルもまったく同じで、だから彼らはそれを

 

「聖書を研究する」

 

と呼ぶのだ。 聖書の暗号を解き明かそうぜ!ということなのである。ダ・ヴィンチ・コードかよ。

 

 

 さあ、七つの時が出てきた。真面目なエホバの証人なら知っていることだが、当然ミラーのコピーであるラッセルもおなじことをやる。

 

 ラッセルの場合は、年号をミラーより修正している。その修正方法はWikipediaに詳しく載っているから、読んでみてほしい。

 

七つの時

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%99%82 

 

「イスラエル人の帰還・西暦前537年」-70年(エズラ記による)=西暦前607年
 

7年×360日=2520日
 

「エルサレムの滅び・西暦前607年」+2520年=西暦1914年

 

 

  ぶっちゃけ、これらの数字はどうでもいい。どうせ暗号解きの遊びに過ぎないのだから。

 

 しかし、ここで、ラッセルが1914年を引っ張りだしてこなくてはならなかった大きな事情があるのだ。

 

 それは賢明なあなたならわかるだろう。そう

 

1843年に、なにも起こらなかったから

 

である!!!!!

 

 

 

 ミラーの再臨待望運動を信じた人たちは、1843年を待ち望んだ。

 

 ある者はすべての家財を投げ打って、活動に身を投じた。

 結婚を諦めた者もいた。

 進学をやめた者もいた。

 畑を耕すのをやめた者もいた。


 その数、なんと5万人という。



 彼ら全員の希望は、一日のうちに打ち砕かれたのである。

 

 

 



 この話が載っているのは、「ものみの塔の源流を尋ねて(中澤)」という名著なのだが、ここを読んだ時は涙が止まらなかった。

 

 ああ!なんて愚かなことを、1800年代のアメリカ人どころか、現代の僕らの仲間が同じ目に遭っているだなんて!

 

と!!!!!

 

 こんなことをいつまで繰り返すのか!!!

 

 こんなバカらしいことを、絶対に止めなくてはいけない!!!

 

と!!!!!

 

 

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 ラッセルは、その日を生き延びた。

 

 ミラー主義者として、いわゆるセブンスデー・アドベンチスト派として活動した彼は、

 

「期日の修正、正しい日はいつか?」

 

ということに執念を燃やした。

 

 それが最も愚かな行為であり、新たな犠牲者を生む行為であることも知らず、

 

「それが正しい行いで、自分こそが真理を見つけるのだ」

 

という執念に変わったのだ。頼むからやめてくれ。

 

 彼はフリーメイソンのメンバーでもあったので、他にかならず「聖書以外にも答えを導き出すヒントがあるはずだ」と考えた。

 

 すでに妄想か、オカルトに取り付かれていた可能性もある。

 

 仲間の数人かで何度かエジプトに行き、各所の数値を計ってきた。ピラミッドの数値にも、自分の説が正しいことの証明が隠されていると思い込んだからだ。

 

 ピラミッドの内部構造の位置関係から、神エホバは「プレアデス星団にいる」とも算出した。

 

 それがどれだけアホらしい数値かと、他人が説いても聞く耳はもたなかっただろう。

 

 1914年、第一次世界大戦が勃発して、彼の妄想は確信に変わったかもしれない。

 

 その2年後、その後を見ることなくラッセルは死んだ。

 

 ラッセルの墓の隣には、ピラミッド型の記念碑が今もあるという。

 

 

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 チャールズ・ラッセルの考えた「聖書研究」の問題点は、すでにこれまでに多くの出版物や記事などが出ており、検証作業はたやすい。

 

 反エホバの証人の立場を取る人たちの多くは、そうした矛盾をつまびらかに取り上げることで説明する人たちもたくさんいる。

 

 しかし、本質論や、核となるのは、今回お話した部分ではなかろうか。

 

 「期日」を、まるで「新聞テレビ欄の縦読み」や、「におわせツイートの読み解き」や、あるいは「コナンくんの暗号解き」レベルの話で算出し、それを広め、それを信じさせたことの愚かさ、そこに尽きるだろう。

 

 

 その日はやってこない、永遠に。

 なぜなら、それは言葉あそびの妄想だからだ。

 

 そして、その予言が外れても、それでも信じ、捏造し、さらにでたらめを深めてゆくことは、愚かしい。

 

 さらに、そのことによって、多くの人たちの人生が、いのちが、生き様が犠牲になっていることを思うと、怒りしか覚えない。

 

 こんなバカみたいなことが、1800年代のアメリカから、200年後の日本や世界で続いているということを、一刻も早く止めなくてはいけないのだ。

 

 

 

 泥棒さんは少女を塔から救い出した後、かならずやその塔を倒すだろう。

 

 この予言こそ、成就されなくてはいけないものなのだ。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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