2014年6月26日木曜日

<日常>「ありのままで」生きようとするのやめちゃえば?

 どうも、最近糖尿病で高血圧になってきたような気配がするので、そろそろ涅槃に突入かと考えている武庫川散歩です。

 ちなみに、悟りを開いても、開かなくてもヒトは死にます。ブッダも死にました。キリストだって死にました。


 「死にましぇん」のは武田鉄矢くらいのもんです。


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 さて、ちょっとブームも落ち着いてきましたが、ついこの間まで俗世には


「ありのーままのー」


とかなんとかいう歌がやたら蔓延ってましたね。"Let It Go"です。


 社会学とか、心理学の側面からは、

「現代人はありのままの自分でいたがっている」

とか

「ありのままの自分でいられない社会の病理」

とか、いろんなことを抜かしてけつかりますが、そういえば数年前にも


「世界に一つだけの花」


がどうとか、そういう観念がブームになっておりました。え?数年じゃなくて、もう10年も経つの?!

 ちょっと、記憶も解脱しておりました。失礼。


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 「自分らしく生きる」とか「ありのままで生きる」といったキーワードが、本当に現代の日本人は好きです。

 しかし、そのキーワードのせいで、自縄自縛になっている人がたくさんいるような気がするのは、気のせいでしょうか。いや、気のせいではありません。


 自分らしく、ありのままで生きるのが難しい世の中だ、という前提はまあいいでしょう。


 そこから「だからこそ、自分らしくありのままで生きたい」と願うのも、まあいいと思います。


 しかし、「自分らしく、ありのままで生きていないワタシは終わってる」と考えるのは、どんなもんでしょうか。



 仕事上うまくいっていない、給料が上がっていない。うだつもあがらない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



 恋人がいない。結婚できていない。こどももいない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



 田舎に住んでいる。楽しいこともやりがいもない。ここは吉祥寺じゃない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



といったことに悩みながら、「ありのままで」を切望する現代人はどう考えても何か間違っているように思います。



 そもそも「自分らしく、ありのままで」の前提条件が間違っているんですね。つまり。

 最初から意味がおかしいんです。



 派遣社員で、給料が上がる見込みがなくても、「これで~いいの~」

 3畳一間で、暖房がなくても「少しも寒くないわ~」

 子供がいないからこそ「なんでもできる~」


というのが「ありのまま」ということです。



 そもそもこの歌は


「自分が雪女であることを肯定する歌」


ですから、いいんです。デブで臭くてキモくても。ブスでもハゲでもいいんです。
 


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「世界にひとつだけの花」ブームのときもそうでしたね。


デブで臭くてキモくて、ブスでもハゲでも「世界に一人だけの自分」だからいいのだ、と。

ナンバーワンにならなくても、すでにオンリーワンなのです、と。



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 しかし、最臭解脱者「武庫川散歩」的には、どちらの意味でも「ありのままで」生きようとするのをやめることをお勧めします。


 金と欲の全てを手に入れて「自由よ~なんでもできる~」状態に秒速で成り上がる「ありのままなワタシ」も


 なーんにも努力をしないで、ボテっと寝転んでいるだけの「ありのままなワタシ」も


どちらもダメです。



 
 悟りを得た人間からすれば、結果論として「出来なかったことや、手に入れられなかったもの」はあって当然ですが、


 自分が生き生きと生きる


ことはとても大事なことだと思っています。


 生き生きと、の中身が人によって異なると思いますが、


自分が良いと思う状態を維持するために、努力したり、時には諦めたり、泣いたり笑ったりする


のも生きるということなのです。



うーん、なんか最後はまともな話になってしまいました。もっとふだんはキレッキレの解脱ばなしになるんですが(苦笑)

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