2018年3月15日木曜日
いくら賢くても感情には勝てない。 ~秀才や天才に訪れる闇と病み~
お久しぶりです。みなさまの武庫川散歩でございます。
先日テレビに出た話をちょこっとしましたが、放映中から私のところへ
「お願いですから私の過去世を鑑定してください!」
「テレビ見ました!私も、読み解いてください!」
という依頼が山盛り殺到して、 もうしっかちゃめっちゃかになっています。
再放送を含めると、視た人がつぎつぎにメールをくれるもんだから、現在
「解脱者☆武庫川散歩の、現世過去世、全部言っちゃうね!」(←嘘)な依頼者がすでに150人待ち!という凄いこと
になってしまい、 最初の「ご依頼ありがとうございます」メールの返信だけで数日かかるという
苦行
が始まっている状況。
こんなブログを書いている暇はないのですが、ええ、ええ現実逃避です。
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あと、個人的な私信です。
雑誌掲載、ひとつき遅れて6月号になるそうです。
5月号に出るよ~とアナウンスした方、ずれるそうなので、よろしく。
「武庫川散歩の、これであなたもウハウハ大儲け!札束の扇子でボディコン(古)はべらせておったまげー!」
なバブリー記事は、全国の本屋さんに並ぶそうですよ。
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さて、話は変わって森友問題!
・・・・・・変わりすぎるくらい話題変わるな!という突っ込みは置いといて、そうですよ、森友問題です。
財務省が、公的文書を書き換えてしまい、国会も大騒動になっていますが、よくうちのおかんが言うセリフがあります。
「なんていうか、こう世の中というのは賢い人たちがちゃんときちんと動かしてるんとちゃうの?」
と。
ですよね~。東大やら京大やら、賢い大学を出て、公務員の上級試験に受かって、勉強も出来る人たちがなんでルールを犯すようなマネをするのか。
あるいは、文系だけでなく理系でも、賢い研究をして、難しい設計をした原発が、なんであっけなく津波で壊れて「想定外」とか言えるのか。だいたい賢い人はそういうことも想定してるんとちゃうの?とか。
はたまた、国会運営にしても、金も権力もある人たちや、地方からたたき上げて出てきた国会議員たちが寄ってたかって考えても、今の日本のこのザマだとか。
Q「なんで賢い人たちがたくさんいるのに、この世の中はうまく回らないのですか?」
という疑問が、沸かずにはいられません。
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その答えは、とても簡単で、 解脱者的に言えることはたったひとつです。
「いくら賢くても、人は感情に勝てない。頭脳は本能に負ける」
ということです。
人の脳みそは、中心部分が古い動物的脳みそ、外周部分が「大脳辺縁系」といって新しい知性を有する脳みそだとされています。
たしかに人類は、知性と学術、技術においてはどこまでも進化を進めてきましたが、中心にある本能的な動物脳はけして変わっていません。
なので、いくら賢くなっても、お勉強ができても、中心部分の脳みそは動物的であり、それは学力とは比例しないのです。
ですから、賢くて偉い公務員のみなさんでも「首相夫人」に忖度してしまうのです。
理性で言えば、首相夫人だろうが、国会議員だろうが盛りかけどっちでもなんぼのもんじゃい!わしが言うこと聞くのは法に基づいてのみじゃ!となるのでしょうが、ついつい
「あ、じゃあ、うまいことしときます。はい」
とやってしまうのは、感情のなせるわざ。
原発がメルトダウンしてるのに「し、してないと思うよ?」といつまでも認めないのも、これまた人間の情の弱さです。
あんなもんいっぱしの学者ならみんな「メルトダウンしとるやろ」とすぐ推定できるのに、(あるいは社内の人間だってそう、みんな気付いているのに)それを口にできないのも人間の弱さなのですね。
時には自分の身が可愛くて保身したり、あるいは権力というあるのかないのかわからないものに畏怖を感じたり、人間は悲しい生き物なのです。
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そんなことを思い出したのは次の記事を読んだから。
棚村彩加さん 「東京芸術大学の学生生活は本当に病むから気をつけたほうがいい」
http://ayaka-tanamura.net/geidai-seikatu/
芸大生やゲージツ家というのは、自分の世界を生きるものだと思っていましたが、そういう人たちですら、「勝ち負け」に囚われたり、自分の立ち位置に心奪われたりするのですね。
それなら偏差値に溺れたり、社内政治に苦悩したり、絵が描けるか描けないかで悩むのは、なーんにも違わないということになります。
すべて人は等しくどうでもいいことに悩むのです。
この棚村さんの文章にインスパイアされて、パロディめいた書き方をしている東大の方がいて、こっちも面白いです。
はてな匿名 「東大の学生生活は本当に病むから気をつけたほうがいい」
https://anond.hatelabo.jp/20180314001059
これを見ての今回の森友問題の話しに通じます。
なんだ、賢いって、本能には勝てないんだ。
知性はさみしさに勝てない。
コミュ力のない学力は、無能。
そうすると、人を幸せにするのは、もしかすると「本能」の部分、感情を司る部分にこそ秘密があるのではないか、と思うのですね。
そりゃそうです。AI(人工知能)は幸せを感じません。幸せとは何かすらわかりません。
幸せの定義をできるのは感情以外にないのですから、人は知性を失ってでも、幸せにはなれる、ということなのです。
だから解脱者は、ものごとにこだわらなくても大丈夫なんです。持てるものが少なくてもよい。
賢さはほどほどでも良いのです。あるいは思いっきりバカをやることも、幸せに通ずることもあろうというものです。
あのフロイト先生が「人間はちんこである」と言った(←だいぶ違う)ことも頷けます。
性欲のような根幹的欲求こそが、つまり本能的感覚の部分こそが、人を人たらしめているのではないかと。
ある友人が「花が美しいのは、なまなましいエロスを秘めているからだ」みたいなことを言ったことがありますが、そういうことです。
花に知性はない。花は本能だけで、たしかに美しい。
美しい人生を~♪、限りない喜びを~♪得るために必要なのは、本能的感覚と感情なのです。
(by松崎しげる)
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