解脱者、たまには托鉢でもしようとネット界隈をうろうろしていたら、ちょっとした記事に出会った。
ヒッチハイク中学生と「美人は辛いよ」炎上に見る、数字の奴隷となった人たち
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15514WEDGEより
ムコガワはもう解脱者となって久しいので、表面的なSNSでの「いいね」の数やら、社会的地位やら、お金持ちであることなどどうでもいいと思っているのだが、世の中にはまだまだ
承認欲求
に飢えている人たちが多いものらしい。
現代のSNS社会ではそうした欲求が
いいねの数やフォロワーの数
といった、具体化された指標で可視化されているものだから、誰もがすぐにそうした指標の奴隷になってしまうのだろう。
しかしまあ、この記事で紹介されていた戸田さんという女性の
「SNSで死なないで」
ということば、は名コピーだと思う。
SNSで死なないで。いいじゃないすか。
セーラー服を脱がさないで、に匹敵する。・・・え?
戸田さんのオリジナルはこちら。
https://note.mu/toda_makoto/n/n71be988f6b05
解脱者から見れば、
「数字の奴隷になる」必要もないし
「SNSで死ぬ」必要もない。
この世はもっとナチュラルで自由なものである。なので解脱者は常に、セカイの中でフリーだ。
自意識も不要だし
何者かになる必要もない。
なんなら、わたしのように、最初から「何も持たざるものである、解脱者」を称してみたらいいのではなかろうか。
数の所有というのは際限がない。
千でも万でも億でも京でも、欲しがれば限界というものがない。
それでいて、面白いことに、ちょこっと0(ゼロ)をかけてやると、すべてが無になってしまう。
そうすると、最初から最後まで、最強なのはゼロ、ということだ。
だから、わたしは「解脱者だ」って言ってるのに、そのよさ、楽しさ、面白さをなかなか理解してもらえぬようである。うふふ。
まあ、そんなことはどうでもいいが、みなさんにもSNSなんかで死んでほしくない。
生きろ!
とジブリも言ってる。
ところで、さっきから、解脱者であるわたしの服をひっぱる何者かがいるのだが、これはどうしたことだろう。
だ~
か~
ら~
「わたしのセーラー服を解脱させるな」
と言っておるではないか。
(↑おっさん、セーラー服着てたんかい!)
ちゃんちゃん。
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