2014年10月29日水曜日

あの世は存在するのか

 めっきり寒くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか?あなたの心をほんのり暖める武庫川散歩のお話の時間ですよ。

 でも、あまり長い時間当ブログに触れていると低温ヤケドすると思うので、気をつけて!




 さて、今日はモザイクまで超越した解脱者である武庫川散歩が、「あの世」はあるのか、について語ってみたいと思います。


 なぜ、突然あの世の話になるかというと、最近タヌキが車に轢かれて仕事場の近くの前の道路際で


 九相図


状態になっており、それを毎日変化を見ながら、「ああ、この世は無常なり。南無武庫川散歩、南無武庫川散歩」とついつい唱えてしまうからです。


 ちなみに、南無武庫川散歩というのは、勝手につくった言葉です。あしからず。


 ああ、九相図を知らない方もおられるでしょう。説明しておきます。




 ウィキペディアより 九相図




 うええええ!おええええ!ぎょぺーーーー!


となる人は、解脱には不向きですので、ヤホーのトップページまで戻ったほうがいいと思います。


 ちなみに、うちの会社の前のタヌキは、いまレベル8まで来ています。かなりスカスカになってしまいました。約1週間の出来事です。


 というわけで、通常の仏教徒であれば


「成仏してたも。南無阿弥陀仏南無妙法蓮華経」


と念仏のひとつでもとなえるところですが、あれ?よく考えれば仏教の輪廻転生では、信心をしないものは畜生に生まれ変わるんだっけ?


 ダメです。成仏しません。残念っ。



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 というわけで、仏教における成仏やあの世の概念はともかくとして、ワタクシ武庫川散歩の説くところの「あの世」はどうなっているのか、というお話を改めてしておきましょう。


 結論からズバっと言います。



 この世もないって言ってるんだから、あの世もないに決まってるやないかボケーッ!!!



 というのが公式見解です。ちょっと熱が入って小汚い言葉を使ってしまいましたが、お許しください。


 あの世なんてありません。死んだものが行き着くところなんて存在しません。


 死んだあとはなーんにもありません。ましてや天国も地獄もありません。


 
 ちなみに、ここでいろんな宗教の「あの世」についての考え方をまとめておきますが、



<仏教>

基本輪廻転生するって言ってんだから、またこの世に戻ってくるわけで、一時的にあの世っぽいところで三途の川を渡って閻魔様とご対面とかするとかしないとかを経ようが経まいが、

 やっぱりこの世に何かとして生まれ変わる


という思想ってことは、来世ってつまりこの世のことなんだっけ?


という状態です。(一時的なあの世説を取るのが、仏教ですな)


 そして、そういうぐるぐる状態を完全に離脱したら、ふわーんふわーんとした真の解脱状態へ行くことになります。輪廻からも解き放たれてるというわけですね。



<キリスト教とイスラム教>

 天国と地獄があって、信じるものだけ天国へいけて、それ以外の異教徒はみな地獄へ落ちることになっています。

 もうこうなると、どっちの宗教に入ると「当り」なのかという一種のバクチと化していますが、嬉しいことにどの宗教宗派の確率が高いか、


 競馬予想屋


のように、いろいろと教義を説明してくれる神父やら牧師やらがいるので、聞くのはタダです。


 まあ、究極的には、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もおなじ神様を信仰しているので、そういう意味ではどっちでもいいのかもしれません。


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 さて、本命大穴かきわけて登場の「武庫川散歩」のあの世ですが、何度も言いますが、そんなものはありません。


 未だかつて、あっちのセカイとこっちのセカイを行き来した人間はおらず、


「死にかけて臨死体験」


ぐらいした人はナンボでもいるかもしれませんが、


「いっぺん死んできた人」


はこの世にいらっしゃらないのです。いっぺん死んで、「あの世」がこうだったよ、ああだったよ、と説明してくれた人がいない、ということがとても大事です。


丹波哲郎氏はあの世のエキスパートですが、残念ながら、いっぺん死なずに語っておられますので、公正な目で判断すれば基準をクリアしていません。


私の知っている「いっぺん死んできた人」は2人ぐらいはいるのですが、


イザナギ


キリスト


(イザナギ・・・奥さんをおっかけて黄泉の国へ行ったけど、蓋しめて帰ってきた)

(キリスト・・・処刑されたけど3日後に蘇った)


だけです。彼らは神様なので、人ではありません。残念。



 嘉門達夫さんのネタで、「見たんか!」というギャグがありますが、「あの世がある」と主張する人には「見たんか!」と突っ込みたくなるのは関西人のサガです。



 
 ・・・とまあ、観念的な話だと相手方との主張とは堂々巡りなので、武庫川散歩らしく、さらっとカッコよく決めてみましょう。


 まず、武庫川散歩の解脱的には、「人間が思考するということそのものが物理科学の原理によって引き起こされている」としています。



 考えること、感じること、意識。そういったものすべては電子であったり原子であったり、そういうものの働きによって成り立っているということですね。


 そこから翻って「神というのは意識をもつ存在ではなく、むしろ物理科学の事象そのものの領域に近い」と説明しているわけです。


 だとすれば、あの世がもし存在するなら、「あの世は物理科学的に定義できうる空間」だということになります。



 あれ?


 物理科学的に定義できる空間があるとしたら、それはこの世そのものじゃん!


ということになり矛盾します。


 だから、あの世はない、と結論づけるのですが、世の中には奇特な人がいて、


「あの世というのは、M78星雲のあのあたりにあってな」


と真面目に信じている方もおられます。宇宙空間の物理的な一部があの世に相当するのではないか、という比較的まともな発想です。



 しかし、そうなると死んだ人の何かは、M78星雲まで物理的に移動するわけで、それは肉体を離れて目にみえないぐらいの何かになっているわけですから、つまり


「地球から宇宙空間へ放出されるチリのように小さなもの」


ということになります。


 スペースデブリか!!!!!


(宇宙空間を漂う、ゴミ)



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 さて、そうなると今度は「あの世に行くのは霊魂であって、物質ではない」と言う人が出てくるでしょう。

 霊魂というのは、何か。うーん。もやもやっとふわふわっとしたもので、でもそれが元々人だったりするわけで、でも、肉体は離れているので喋ったりはできなくて・・・そう!意識!意識なんだよ!


とその人たちはよく言います。


 肉体は滅びても、意識は残りそれが飛んでゆく!というわけですね。


 ・・・だから、さっき「意識は物質に由来するじゃん」とワタシが説明したのに。


 そうすると、やっぱり物質が飛んでゆくとかそういう堂々巡りな話になってしまいます。


 おう!ディスイズ輪廻(ぐるぐるまわっている)



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 なぜ解脱者である武庫川散歩が、こんなに「あの世がない」ということを力説するかと言うと、


「みなさんに、充実した生を送ってほしいから」


に他なりません。


 今流行のアドラー心理学風に言えば


「あの世に逃げるな、今をしっかり生きろ!」


ということです。


 人生はRPGみたいなもので、電源を切ったら終わりです。



100歩譲って、電源が切れてもプログラムはROMの中に書き込まれているとしましょう。


 つまり、肉体は滅びても霊魂が残っていて、それがROMのように消えないとしようじゃありませんか。


 だとしても、その意識やら霊魂やらは一切動きません。電源を入れない限り、動くわけがないんです。


 書かれているプログラムは、ただの文字の羅列と記号にすぎません。


 そんな存在は、あなたの二回目の来世での人生とはまったく関係なく、ただそこにあるだけです。


 つまり、


 あなたの「あの世」はただ、そこにあるだけで、動くこともないし感じることもないし、永遠に止まっているところ、それが「あの世」だというわけです。


 ・・・そんなもの、求めるな!!


 そんなもんに逃げるな!!!


 永遠に止まってることを「死ぬ」っていうんだ!!!


 生きろ!!!(byもののけ姫)







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