2016年5月27日金曜日
ストーカーは正義である! 〜ストーカー事件が、絶対になくならない理由〜
何度となく繰り替えされるストーカーによる殺傷事件。
今回も一人の女性が刺傷されたり、ましゃ(福山)の家に女が忍び込んだり、と悲劇が繰り替えされているのだが、
なぜ、ストーカー事件は何度でも起こるのか! ーその答えは、ストーカーは正義だからである!
ということは、一切報道もされないし、指摘されることはない。
というわけで、解脱系社会派記事をお届けしている当ブログとしては、
なぜ、ストーカーは正義なのか!?
を炎上覚悟でご説明申し上げようと思うのである。
ちなみに、最初に断っておくが、このブログの主は、悟りを開いた解脱者(ぱっかーん)なので、誰か特定の異性に対して、
「ストーカーを行うことや、ストーキングを行うような気持ちは一切ないし、ストーカーを弁護するつもりも全然ない」
ということをあらかじめ宣言しておきたい。
そうじゃないと、「不倫は文化だ!」と発言の一部を切り取られてしまった石田純一氏のように、本意でない発言が一人歩きして炎上してしまう恐れがあるからだ。
そういえば、一部を切り取られてしまった弁護士がおられたが、いかがお過ごしであろうか。
なので、炎上しないように、何度も繰り返し述べておこう!
「ストーカーは正義だ (と加害者は思っている)」
「ストーカーは正義だ! (加害者目線では)」
「ストーカーは正義だ!!!!(と加害者は妄想している)」
これで、ばっちりのはずである。
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さて、悲しいかなストーカー事件は、これまでもこれから無くなることはない。なぜなら、ストーカーは正義だからである。
一般的には、ストーカーは次のような心理パターンを取ることが多いとされている。
① 元親しい人や、親しいと思っている人から拒絶されたことによる復讐型。
② 親しくなかったり知らない人に対して、攻撃を行う憎悪型。
③ より親しくなろうとして度を越した行動を起こす親密希求型。
④ 人格障害などの病気のせい。
しかし、こうした分類よりも着目すべきは、すべてのストーカーが「自分は正当な行為をしている」とか「自分は間違っていない」と考えている点ではなかろうか。
そうなのである!
ストーカーは、たとえば親しいあるいは親しいと思っていた人に理不尽な拒絶をされ、「どうして自分が悪者や忌避扱いされないといけないんだ!」と憤慨しているのである。
ちょっと、想像していただきたい。
あなたがこれまで友人や同僚だと思っていた女性から、
「うわ、まじキモいんだけど~。近寄らないでほしいんだけど~」
と突然言われたとしよう。 たぶん、すべての男性は、変態マゾヒスト以外の全員
「ちょ、ちょっと待て!なんで俺がそんな風に言われなあかんのや!」
と思うに違いない。
そこ!そこのあなた!それがストーカーなのです!!!!!
ましてや、そんなことを言われると、さらにあなたは憤慨することだろう。そして、
「なんでや!ちょっとその理由とか、キモいだの言われる意味がわからんから説明しろや!」
とちょっと詰め寄ったりなんかしちゃうのである。するともう、つきまとい扱いなのだ。
こんな状態に陥ったら、あなたはとても理不尽に思い、「自分は悪くない、相手が何かおかしい」と思うようになる。
つまりである。
ことの次第はともかく、ストーカーは↑のように考えていることがわかるだろうか。
彼にとっては、自分は「正義で正しい話をしているだけで、当方が悪だなんてこれっぽっちも思っていない」ところに女子たちと完全に意見の相違があるのだ。
このことを解決しない限り、ストーカー問題は絶対に解消しない。
このストーカーからみた理不尽さが、外部の人間にはわかりにくいことも、話をややこしくしている。なぜなら正義は多面性を持つからだ。
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今回のシンガーソングライター刺傷事件に対して、あるアイドルがこんな主張をした話が出ている。
「アイドルを一人の女子と見るのではなく、アイドルと見るべきだ。アイドルはあなただけのものではないし、あなただけに接しているわけではない。アイドルに嫌がらせをしているあなたはもうファンではない。アイドルは関わっているみんなで作っている商品である」
と。
もちろん、これは正義正論である。
アイドルはお金をもらって偶像を売っている商売なのだから、そのルールに逸脱して本当の恋愛になってはいけないとか、特別扱いしてはいけない、というのはたしかにアイドルの側から見れば正論に他ならない。
ただ、正義正論で話を通そうとすると、今度は顧客の側にも正論が出てくることになる。
「だとすれば、アイドルはいかなる場合でも笑顔で応対すべきであり、すべての贈り物を有難く受け取るべきであり送り返すなどもってのほかである。逆に言えば、特定の個人を排除するなど、顧客に対する差別である。私はよろこんでもらおうと通いつめているだけであり、それ相応のお金も払っているし、それを嫌がらせだなんて錯誤もはなはだしいし理不尽である。」
と、ストーカーはまじめに考えている。正義はワレにあるのだ!と。
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この話は、宗教とおなじである。どちらが正義かで話を戦わせれば、議論は尽きないし終わらない。あるいは議論をしようとしている人間に対して強制的に議論を打ち切れば、彼は「議論」以外の何がしかの力を持ち出そうとするであろう。
これは国家間の戦争のはじまりも全く同じである。話し合いで解決なんかしないから、武力が飛び出すわけだ。
そうすると、もしアイドルが刺されないようにしたり、恋愛でストーカーを生じさせないように防衛するとすれば
「このアイドルは擬似恋愛を楽しむ商売であって、触れそうで触れず、心が通じそうで通じないという風流さを楽しむごっこ遊びです。そのベースとなるのは、お金です。お金とハートが入り混じり、運営側の営利と、ちょっとした虚栄心と華やかさ、それに顧客の一時の誤解に基づくハートフルな気持ちのバランスを楽しむ商品ですので、のめり込みすぎにはご注意ください」
とテレビの画面やCDに書くべきであって、
「あなたとの恋愛は、たまたま最初はいいなと心が通じ合うような気持ちになるかもしれないけれど、そのうちに冷めたり心変わりもあり得るという微妙な乙女心を十分に理解した上でお付き合いください。今日はラブラブだけれども、明日にはキモいとかクサいと思ったりしちゃったり、もうマジでウザいんだけど、という変化もあるかもしれない危ういものだとわかったうえで、そんな我侭も受け止めて、つ、つきあってください!」
と言うべきなのだ。
消費者庁の指導によれば、優良誤認を起こさないように、小さい字で隅っこにちゃんと書いておけ!となっているわけで、アイドルも商品なんだから書いておくべきなのである。
しかし、そこはホレ。その部分をなんとかごまかしながらお金を動かしてゆきたい、というのが資本主義なので、そこにはストーカー君の正義は無視されてしまうことになる。
あるいは、口ベタで純朴なオタク男子の心はもてあそばれちゃったりするわけである。
先日、小学生のケンカで相手が亡くなる、という惨事があったようだが、小学生にしてみれば
「お前なんてぶっころしてやる!」
と思えば、本気で殺そうと思っていることは間違いない。それはジャイアンにいじめられたのび太も
「あいつを殺してボクも死ぬ!」
となんどもドラえもんに言いまくっているくらい、そうなのだ。
その小学生くらいのコミュニケーション度しかない、大きなお友達が、本気で恋してしまったら、それはもう殺意だって本気に他ならない。
私くらいの解脱者になれば
「女なんてしょせんクソ袋である」
※by 『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』 魚川祐司・新潮社
というブッタの言葉が心から理解できるため、クソ袋に本気にはならないのだが、小学生で止まっている大きなお友達には、そういう「達観」は無理なのである。
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というわけで、ストーカー事件は今のところ絶対になくならないのだが、もし本当にストーカーをなくそうと思ったら、ストーカーが抱いている正義を破壊しなくてはいけないということだ。
「これこれこういう理由で、あなたが正義だと思っていることは、客観的にはそうではない」
ということを理解させるよう、諌めることができる存在がいなければ、彼は最後まで正義を貫こうとするであろう。
そして、この役目ができるのは、被害者サイドについているものではない。なぜなら、正義の執行者から見れば、「被害者側からグダグダ一緒になって言うやつは、正義の反対、つまり悪」だからである。
ということは、できればこの諌め役は、ストーカー側の人間か、もしくは中立公平な立場の人間しかいないということになる。
たとえば、ストーカーにとっての親兄弟は、この諌め役になれる可能性があるだろう。しかし、中立な立場でこれを実現できる人間はなかなかいないのが実情だと思われる。
たとえば裁判官か?
たとえば民生委員か?
たとえば卒業学校の元恩師か?
まあ、誰もそんな役はやりたくないわな。
だから明日もまた、誰かがストーカー被害に逢うだろう。と預言者は高らかに述べるのであった!
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