2015年5月9日土曜日

<日常>清く正しく美しいメンヘラのための漫画 ~「ゆがみちゃん」を読む~

 GWが終わると、なんということでしょう!もうすぐそこに梅雨がやってきているというではあーりませんか!

 今年は、本当に雨が多くて、心も体も鬱々しそうです。なーんてね。どうもどうも、あなたの心の恵みの雨になりたい武庫川散歩です。


 さて、毒親に育てられてしまって、心がわさわさしながら大きくなった少女「ゆがみちゃん」の物語が、反響を呼んでいるようです。



 『ゆがみちゃん』
 https://note.mu/yugami/m/m38335f44dc81


 ☆現在は完結。35話まであり、けっこう長いです。



 まー、なんというか。極端にややこしい親に育てられられたりしたせいで、いろいろと心がゆがんでしまったゆがみちゃんですが、いろんな行動や、いろんな人との出会いで、少しずつそうした問題を解決してゆく壮大な物語になっています。


 自称他称を問わず、メンヘラ傾向のある方は、一度ご覧になると、いろんな感想が生まれることでしょう。

 もちろん、感想はお読みになったみなさんの自由ですが、ここでは、


 解脱者武庫川散歩から、いくつかのポイントを指摘しておきたい


と思います。

 まず、この漫画は、実際の「ゆがみちゃん」の家庭がどうだったか、を問うべきものではありません。漫画はゆがみちゃんのモデルである作者自身の目線から見た「家族像・友人像・環境像」ですから、真実を問い直すのであれば


 かなりバイアスがかかっている可能性を差っぴかなくては


なりません。これが、裁判であれば、ゆがみちゃん側の主張も、親や友達側の主張も、公平に傾聴して物事の

「よしあし」

を判定しなくてはなりませんが、 そうなると、この漫画には、ゆがみちゃんの一方的解釈が多すぎるということになるでしょう。


 しかし、ここではそれを問題にしない、ということが大事だと思います。


 どういうことか?!


 大事なことは「心に闇を抱えた人間は、事実はどうあれ、このような視点で物事を捉えて、そして行動する」という、ベースの部分を理解し、そして、

 「そのメンタルを、一般社会とすり合わせたり、コミュニケートしてゆくには、どうやって認知を改めればいいか」

という方法を指し示していることを理解すればいいのです。


 これはとっても大事なことだと、解脱者☆武庫川散歩は考えます。


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 以前、

 http://satori-awake.blogspot.jp/2014/03/blog-post_29.html


の記事で、「ストーカー被害を訴える女性の話」を紹介したと思いますが、某精神科のセンセイによれば、もしかすると


「ゆがみちゃんの物語は、ゆがみちゃんの壮大な誇大妄想という病気である」


と想定することも可能です。その場合は、前述の裁判のように


「何が真実で、何が誤りかを判定しなくてはならない」

 
ことになってしまいますよね?


 ところが、ゆがみちゃんの物語がもし誇大妄想だとしても、その妄想の中で「いわゆる世間と、まっとうなコミュニケーションがとれるような気づきや変化までがセットになっていて、その通りに行動できてしまう」のだとすれば、それはそれで


 世間的には、全然問題がない


ということになるわけです。ここが面白いところ!


 「最終的に、世間ときちんとコミュニケートできる人格が完成できるのであれば、そのプロセスや定義がゆがんでいても、とりあえずはいいじゃん」


とするわけです。



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 私がこれまでにたくさん問題のある方と接してきた経験からみると、「ゆがみちゃん」は、自身で到達や解決できていない問題がいくつかまだあります。

(もちろん、まんがのゆがみちゃんに対してですよ!作者さんに対してではありません)


 それは、「愛することとはどういうことか」という点であったり、「仕事を変わりすぎており、またそこにかならず会社の環境を批判する正当化が伴う」という点であったり、「自分に都合のいい人間は善で、そうでなければ悪という認知のパターン」であったり、まあいろいろありそうです。


 この世界のすべての人間は「善悪を併せ持つ、混沌とした心」を持っています。また、表面に現れる生き様もそうなので、その状態で人は人と接していかなくてはなりません。


 しかし、ゆがみちゃんの認知にかかれば、

「そういうことを言うのは、そういうことしか言わないうわっつらだけの世間の人」

ということになり、

「そういうことを言わないのが、私をわかってくれるいい人」

ということになりますから、その時点で決定権がゆがみちゃんにもっていかれることになります。


(この考え方に陥るのは、宗教家庭に育っているからですね。ワタクシもそうだったので、よくわかります。世間の人間を「神の側にある存在」と「悪魔の側にある存在」というふうに分けてみる癖がつくのです)

 ゆがみちゃんの話には、「悪い人たち」と「出合った中でのいい人たち」がけっこうくっきり登場します。これは、特徴的な描き方だと思います。



・・・しかし、その辺を議論するのがこの記事の本来の目的ではなく、そういう


「ゆがんだ認知の人が、なんとかこの世界と折り合いをつけてゆくためのヒント」


としては、大変に有益だと思うわけです。


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 そういうわけで、メンヘラのみなさんにも、一読をお勧めするわけですが、超越後のゆがみちゃんには、ぜひ


 愛すること、愛されることとはどういうことか


について、最後の発見をしてほししなあ、と思う次第。お幸せに。






 

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