2015年5月7日木曜日

<日常>帰ってきた勝手に人生相談シリーズ! その6 「ブサイクすぎて働けません」

 ゴールデンウィークも無事に終わり、ゴールデンボールが蒸し暑くなってきた季節ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 稀代の解脱者、武庫川散歩です。こんにちは。



 最近、書いてなかったので、今回は久しぶりに「勝手に人生相談シリーズ」をお届けします。このシリーズは、誰にも依頼されていないのに、あくまでも独断と偏見に基づいて勝手に人生相談に答えるという完全におせっかいに等しい独白のコーナーです。



 さて、今回の悩みは


「私は、ブサイクすぎて働けません。もう4年も仕事をしていません」


というもの、元ネタは、

http://blogos.com/article/111530/


にあります。


 働けないポイントは、「笑われたり、悪口を言われたりするのが嫌で働くことができません。」

ということのようです。いったいどうすればいいのか!


 悟りを開ききった解脱者の武庫川散歩が、今日も明解に回答してみましょう。


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 まず、4年も仕事をしないで食べていけていることを、素晴らしいと思います。私なんか、仕事しないとたぶん半年も家計が持ちません。


 仏教的には、その環境にいられることが、まず感謝です。ご実家におられるのか、あるいは、親からの扶助があるのかもしれませんが、親御さんの金銭的な負担は、大変なものであろうと想像できます。


 なんと言っても、4年も働かない同居人がいるのですから!


 ということは、まず基本中の基本として


「ブサイクに生まれてしまったことを親に対して恨むべきか、それとも、今でも生活を支えてくれることを感謝すべきか」


どちらが、より重たいのか、親が究極的に悪いのか悪くないのか、をまず議論するべきだと思います!


 「いや、そこは問題ではないのです」

と遠慮なさるかもしれませんが、あなたは、「自分をブサイクだと断定なさっている」わけですから、ブサイクの原因についてまずは徹底追求するべきです!誰がなんといっても、そのブサイクの原因は、親にあるとしか考えられないのですから!!!!!



 それともなんですか?親には感謝してるし、自分がブサイクだということは、それなりに受け入れているということですか?


 では、自分の親のせいでブサイクに生まれたということを、あなたは責任追及せずに、とりあえず、受け止めるということでいいんですね?

 ブサイクであること自体には、文句はありませんね?!

 では、ここまでは定義終了です。


 ブサイクでも、かまわない。親には感謝している。と。


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 では、次の段階へ行きましょう。


 自認するくらいブサイクなあなたに、愛情を注いでくれている両親のもとで、ぬくぬくと育っておられるあなたは、「会社にいけば、顔を笑われる」という理由で仕事ができないようですね。


 いや、その前に、まず議論すべきことがあるでしょう。


「ブサイクなのに、変わらぬ愛情を注いでくれる両親のもとにいながら、それでもぬくぬくと実家から出ず仕事をしない娘」に対して、近所のみなさんが


「やあねえ、あそこの娘さん。4年もひきこもっているのよ」

とか

「まあ、恥ずかしいわ」

とか、


そっちのほうを笑ったり、悪口を言ったりしていることになぜ気付かないのですか?


 あなたが家にいることのほうが、よっぽど世間体がブサイクであることに、一刻も早く気付くべきではありませんか?



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 さあ、ここで第三段階に進みます。


「世間体がブサイクなのと、顔がブサイクなのと、どっちがよりブサイクか」


徹底的に議論してみましょう!さあ、ほれ!ほれ!



 ・・・まあ、だいたいこのへんくらいで、いいでしょう。そろそろあなたの脳みその中で、


「ブサイクブサイク言うなーーーーーーーーーーーっ!!!!!」


と叫び出す頃でしょう。そうでなければ、「まったくもって武庫川さんの言うとおりです。私が悪うございました」とひれ伏しているはずですから。



 それでいいのです。本当に恐ろしいのは、顔がブサイクになることでなく、


 心がブサイクになること


なのですから。



 仮に、あなたの言うとおり、100%ブサイク認定しながら話を進めると、上のようなことになってしまうわけです。

 ということは、100%ブサイク認定しながら話をする、なんてことそのものが成り立たないのです。



 だとすれば、働けない原因は「ブサイク」だからではなく、


「否定されたり、嘲笑されることが嫌だ」


ということに他なりません。



 そうなると、誰だって否定されたり、嘲笑されたりするのは嫌なのですから、根源的な問題は、


「他者と向き合うのを、どう乗り越えてゆくか」


という点に他ならないわけです。



 では、「他者ときちんと向き合えず、4年間働いていない人」はどうしたらいいのでしょう。


 別に働きたかったら働けばいいし、働きたくなければ、そうすればいいのです。基本的には、すべての問題は「あなた自身」の問題に過ぎません。


 誰も代わってくれるわけではありませんので、解脱者的には好きにしはったらかまわない。


 あとは、自分がどうするかだけです。自分が変わるのか、変われないのか。変わらないまま人生が終わるのか、終わらないのか。


 冤罪で人生の大半を牢獄に押し込められた人たちが、この日本においてもたくさん存在しますが、彼らは自分で何かをしようにもできなかった人たちが大半です。


 国家権力によって、彼らの権利は押し込められていたからです。


 ですが、あなたは今自由です。働かなくても、食べてゆけるくらい、自由の中で生きているのです。


 その自由という世界を牢獄だと思いたければ、思えばいい。好きにしはったらよろしい。


 すべての人は平等に死にます。かならず全員に死がやってきます。


 その間、どのように生きるのかは、その人だけが選択できることです。


 どうぞお好きになさってください。



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