2017年5月1日月曜日

可愛い女子の弟子との対話




 前回、前々回の


「セックスとは何か」
 http://satori-awake.blogspot.jp/2017/04/blog-post_29.html


「愛とは何か」
http://satori-awake.blogspot.jp/2017/04/blog-post_27.html



の記事については、私が敬愛するニャートさんのご紹介もあって、ものすごい数の人に読んでいただくことができました。


 心より、みなさまに御礼申し上げます。


 また、ご感想などがあれば、ツイッターにでも寄せていただければ、できる限りのお答えをしたいと思っております。




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 さて、そんな一般視聴者の方向けのお話からは打って変わって、今日はいつも通りの


「解脱者・武庫川散歩のとわず語り」


のコーナーが戻ってまいります。

 

 釈迦には十大弟子とやらがおり、キリストにも十二使徒とやらがいるように、武庫川にも「自称他称を問わない弟子らしきもの」がいます。


 あるいは今はどこか遠くへ行ってしまっていますが、いたことがあったりします。





 で、最も直近に弟子になった「ウサギちゃん」という女子がいるのですが、この方がとても聡明で、かつものすごく素直な良い子であり、



「そもそもこんないい子には、師匠はいらんがな(><;」



と思うほどの好人物だったりします。おまけに可愛いです。



 ウサギちゃんは、実際には出会ったこともなければ、顔をあわせたことも手を握ったこともない



清いお付き合い(え?)




なのですが、 彼女は、最初に会話してから3日で、武庫川の言うことの大半を会得し、師匠を感心させることしきり。



 うーん、これはもしや、私のほうが学ぶべきところが多いのではないか、と思っているくらいです。




 しかし、ちょっと気を抜くと、あろうことか師匠を「自分の研究生にしよう」と虎視眈々と狙っていたりするので、危ない危ない。その手には乗らないのだ。



※ ごめんなさい。一般視聴者の方には意味がわからないかもしれませんが、Jもしくは元Jの方には、笑ってもらうところです。




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 昨日も、ウサギちゃんから、目からウロコが落ちるような指摘を受け、師匠はまたひとつ賢くなってしまったのですが、そんなお話から。



 人は誰かと関わりを持ったり、誰かと接しながら毎日生きているわけですが、時に、相手の真意を推し量ったり、相手の意向をそれこそ忖度(そんたく)しようとして、うまくいったりうまくいかなかったりするものです。




 ちなみに、武庫川が絶賛お勧めする漫画があります。




 ツイ4で連載中の


 妄想テレパシー
 http://sai-zen-sen.jp/comics/twi4/moutele/



という漫画。



「相手が何を考えているか不安」という男子でも女子でも、絶対読んでみてください。

ネタは恋愛がらみとエロがらみが多いですが、それを十二分に昇華して、「人が人を思うとはどういうことか」を考えさせられる良書です。








  さて、さて。さてはなんきんたますだれ♪


 武庫川は、解脱者ですので、基本的には「相手が何をしようとしているのか、何を考えているのかがわかる」ほうです。



 それは、私が言葉やコミュニケーションを専門にしていたからで、また、そうしたことにセンサーが働くほうなので、一般論としては、



「相手を理解する」




ことは、どちらかといえば得意だと言えるでしょう。



 でも、これではかなり上から目線なので、私はその場合、とても気をつけて


「相手を理解してやるんじゃい!」ではなく


「あなたを理解したい。そして、受け止めたい」


という気持ちでいます。それは穏やかで、寄り添う態度です。







 さて、そんな私の姿をみて、弟子ウサギちゃんは、一言。穏やかではありますが、ぴしゃりと言ったのです。



「師匠。師匠はあたしを含めて他者を理解しようと頑張っていますが、たとえば『自分でも自分をコントロールできない人』まで理解しようとする傾向があるのでは?」



と。




 目からウロコ。



 すげえなウサギちゃん。



 確かに私は、万人を理解しようと努力もするし、そのように切なる気持ちで動くのだけれど、




 そもそも自分の気持ちや感覚をきちんと把握できていない相手には、理解しようとしても無理がある。



ということを指摘されてしまったのであります。そういう昔の出来事がありましたな。



 それで武庫川もすぐに気付きました。


 確かに、


「本人が自分の本当の気持ちを理解できていないのに、外からとやかく推測しても、答え合わせは絶対にできない」


ということなのです。



 ということは、大切なのは、「忖度し、その答え合わせに必死こくのではなく、自分は寄り添うよということを示すだけでいい」ということだったりするわけですね。





「だから師匠はそのままでいいんです。”あなたを理解したい、理解するよ、愛してるよ”という人類へのスタンスがあれば、それ以上の正解を解くことにそれこそ執着する必要はありません。だから昔失敗したのですよ。」



と、ウサギちゃんは言うのです。








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 武庫川は神になりたいわけではありませんが、神であれたらいいなあとふと思うこともあります。



 もし、自分に神のような何か力があれば、誰かを支えることがもっとできるかもしれないのに。といつも思います。


 それは、幼少期からのクリスチャン教育を曲がりなりにも受けてきた影響でしょうし、自分で神たるものは何ぞや、ということに向き合ってきたことの「足かせ」なのかもしれません。





 ウサギちゃんは、一週間で、こう言いました。



「私は女性なので、師匠がおなじ女性だったら良かったと思いました。あなたが神ではなく、人である以上、あなたは異性なので、特に女性を救うにはうまくいかないことがあると思います」



と。




 言いたいことはなんとなくわかります。




 でも、ワシは男の弟子の育て方がわからんのじゃー。



 ていうか、男たるもの自分で立ち上がらんかい!と思うのは、昔から変わらんのじゃー。



とダダをこねてみたりします。



 まだまだ、武庫川は人の姿のままのようですね。てへぺろ。









 









 











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