2014年2月25日火曜日

■<11-2> この世界は、実は存在しない。

 前回のつづきです。

 
 このセカイがまるで記号に似ていて、あるいは記号で表現されるものとほぼ等しいとすれば、「この世界は物理的には存在しないかもしれない」という発見、それがサイバーパンク解脱の第一段階である、というお話を前回したところでした。


 このお話、少々学術的には、情報処理学で「オートマトン」や「チューリングマシン」の基礎や概念についてかじったことがある人には、「ああ、あのへんの話か」とすぐに納得がいくと思いますが、さすがにそんな説明では「サル」にも理解できるとは言えないので、もう少し丁寧に書きます。

 ああ、今回はかなり真面目ですね。ギャグが少ない。


 
★ オートマトン ★


 オートマトンとは、簡単に言えば「計算機」とか「コンピュータ」のようなものです。定義とかの話をすればどんどんサルレベルから知能が上がっていくので、

「何か情報が入ってくる」「それを記憶する」「何か情報が外へ出て行く」

という3つの機能を持っているもの、とでも思ってください。

 キーボードがあって、メモリがあって、画面がついているスマホとかパソコンはもちろん「オートマトン」だし、電卓ですらそうです。



★ チューリングマシン ★


 チューリングというおっさんが考えたオートマトンの一種で、

「無限に長いテープ」「テープから情報を読み取るヘッド」「機械内部の状態を保持するメモリ」「情報をテープに書き出すヘッド(読み取り兼用)」

を持っています。

 で、チューリングマシンはどんな動作をするかといえば、

 ①ヘッドから情報を読み出し
 
 ②内部の状態を変えるか、ヘッドから情報を書き出すか、ヘッドを右か左に動かすかする

 ③それを停止状態になるまで繰り返す。


という動きをするのです。



 さて、基本的に、すべてのコンピュータや計算機は、こうしたチューリングマシンやオートマトンの理論に従っていて、逆の言い方をすれば、

「数学的な数式は、すべてチューリングマシンの動作で説明できる」

とまで言われています。


 
 まだ、なんのことか全然意味不明だと思いますが、たとえば数学者はこんな風なことをイメージするわけです。


「このセカイのありとあらゆる事象を、数式で表現する・説明するというのが数学者の究極の理念だとすれば、このセカイのありとあらゆる事象はチューリングマシンで表現できるわけで、となると、このセカイはコンピュータですべて表現しなおすことができるはずだ」


と。


 こんな変てこりんなことを言っているのは、私ではありません。私が言っていることと、逆のアプローチですが、別に悟りを開きたくもない一般数学者のみなさんが、実はそんなことを考えているわけです。

 
 で、私が言っているのは、「このセカイこそ、実は物理的に存在しないチューリングマシンに書き込まれたテープデータなのかも」ということで、数学者が言ってるのが「このセカイを全て理想的チューリングマシンに書き付けてやろう」なんです。

 言ってることの論理的アプリーチは全然違いますが、思考回路はかなり似てることに気付くと思います。


 なので、私の解脱は「サイバーパンク解脱」なのです(笑)



※ちなみに「この世界が存在しないかもしれない症候群」はすでに他の人が提唱していて、この考え方を「シュミレーション仮説」と言います。

 ウィキペディアより シュミレーション仮説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC



※私の解脱と、シュミレーション仮説の違いは、ズバリです。

 シュミレーション仮説では、「世界とは何かのシュミレートされた状態」ですが、私の解脱では「そもそもシュミレートされるべき主体も存在しない」ということで、マジで最初から最後まで「存在しない」と説くのです。



 さて、ブッダの悟りは、「この世界は無常であるので、結局どうでもいいやん」ということでした。無常ということばの意味をつきつめると、シュミレーション仮説の提唱者風に言えば、「実態がない」でもいいし、私風に「存在しない」でもいいです。


 いずれにしても、このセカイを、一般の人々のように「価値あるもの」ととらえない、ところにおいて、悟りや解脱は共通していると言えるでしょう。







 
 




 

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