2014年2月7日金曜日

■<10の補足>人を殺してはいけない理由(つづき)

 前回の記事の補足です。


 基本的に、「殺されたくないから殺してはならない」という観点が全てのベースだと前回お話しましたが、もう少し一般的に言えば

「自己が保たれることは、基本的に良い状態」

だと考えてもらってOKです。

 この「自己がよい状態に保たれること」を「自己保全」と勝手に名づけたとしましょう。


 自己保全が成立しているときは、人は良い状態にあります。


 平たく言えば、生きてます。

 あるいは、食べ物や、必要なものを所有していたり、どこかに住んでいたりします。衣食住の環境が整っていることも、もちろん「自己保全状態にある」と捉えることができますよね。


 この自己保全が成立していることは、善悪の観点で言えば「善」です。なぜなら、それによって人が生きていられるからです。


 ところが、時と場合によってはこの自己保全が脅かされることがあります。


 衣食住がなくなるとか、極端には命が脅かされるとか、「自己が保たれない状況」がやってくることがあります。

 これを、人は「悪」と考えます。

 そして、自己保全を脅かす行為も、悪で、それを実行すると「罪がある」と考えるのです。


 それをされることで「自己保全ができなくなる行為」はすべて「いけない=罪」だということです。



 例を挙げます。


 盗む行為は、盗まれた側の保全されていた物品が失われますから、自己保全状態からマイナスになるので「悪」です。

 不倫や不貞は、成立していた夫婦や家族という「自己保全状態」を破壊しかねないので、「悪」です。

 もちろん、殺すことは最大の「自己保全の喪失」ですから、「めちゃくちゃ悪」です。

 嘘をつくことで、「自己保全状態を維持するのに必要な情報があやうくなる」場合は、「悪」です。

(なので、言っていい嘘とか悪い嘘、という発想が生まれます。「自己保全に関係ない嘘は、悪ではない場合もありますね)




 このように、基本的に善悪は「自己保全」の考え方で説明できるのですが、ここでややこしいことが生じます。

 「自己保全」の理論は、個人個人その人にとっての問題です。つまり「私一人」の問題なのです。

 世界が一人だけであれば、全ての理論は「自己保全」で説明できるのですが、残念ながら二人いたら、早速その話が怪しくなります。


 例) 食べ物が一つしかないのに、「自己保全の考え方」では、どちらがその食べ物をとるのが「善」か成立しなくなる。


 そうです。人は自分の自己保全を最大にしようとすると、他人の自己保全領域に損害を与えてしまうことがあるのです。


 そうすると、それは相手から見れば「自己保全を侵害」するもの、ですから当然です。

 

 この矛盾をどうやって解決するかが、古代から続く「法・法律」の精神ということになります。

 自己保全同士はすぐにぶつかりあう事態が起きるので、それをうまく采配しなくてはなりません。なので、「法」が、人の歴史の中ではどんどん進化していったのです。


 そのため、「法」つまり、「していいことと悪いこと」の善悪の判断基準は、自己保全の最大化をめざすのではなく、時に自己保全の最大化を制限する「リミッター」として働くようになりました。


 リミッターとは制限装置です。自己保全を推進する加速装置ではなく、自分で自分を縛る鎖です。

なので、法はすべて


「ほにゃらら、してはいけない」


という制限の書き方、制限の言い回しになっているのです。



 近代文明とは、この制限装置の使い方をどれだけ高度化させたか、ということに他なりません。

 より厳密に言えば、「個々の自己保全の最大化をコントロールして、全体の自己保全を最大化しよう」という試みこそが、文明であると言えます。


 わかりにくい言い回しを簡単に言い換えます。


 それぞれの個人や企業が儲けることを制限してまで、公害を減らしてみんなで幸せをめざす

とか


 電車に我先に乗り込まず、整然と並ぶことによって、みんなが安全に移動できる


とか


 交通ルールによって、個々の行動を制限することで、みんなの安全を得ようとする


とか、とにかく全ての文明行動は、この原則に則っているのです。



 こういうことを念頭に置くと、なぜ「民度が低いと揶揄される国の人々の言動に対して、私たちがもやもやするのか」がすっきり理解できると思います。

 つまり、個々の自己保全は、文明が発達するほど制限がかかりますから、「自分勝手なことが通っている国」に対しては、文明国はなんとも言えない陰鬱な気持ちになるわけです。それは、その国の人たちの「文明の発達度」に対して、


 昔の自分の中二病時代を思い出す


ような気分になる、と言えば、わかりやすいかな?(苦笑)



 余談ですが、この「自己保全を脅かすもの」は基本的に罪なのですが、「その行為をしたほうが、自己保全されるもの」は、罪であっても良しと判定されます。


 例えば、殺すのは罪ですが、相手を殺したほうが自分が生き残れる場合は「良い」とされます。


 戦争の場合。正当防衛の場合など。


 安楽死問題が、ぎゃーぎゃー問題になるのも、「安楽死を選択したほうが、その人の心が保全される」場合があるからです。


 これらは、とにかく「自己保全こそが、本質的な人の善」と関わっていることの証拠ですね。



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