2017年12月5日火曜日
「自殺したい、死にたい」のバックヤードから。
昨日の記事で、「人生をリセットする方法」について書いたのですが、それに関連して今日も興味深いおはなしが。
元自殺掲示板管理人に聞くSNS時代のコミュニケーション
http://blogos.com/article/263056/
今回の座間連続自殺?事件では、ツイッターのDM(ダイレクトメッセージ)によって、自殺志願者が繋がっていったことがわかったわけですが、ちょっと前のネットでは
「自殺掲示板」
なるものが、その繋がりの場となっていたことは、まだ記憶にも新しいのではないでしょうか。
(いや、10代とかの若い子は知らんか)
で、その自殺掲示板(現在は無い)の管理人をしていたという男性がその頃の話を寄せてくれているわけですが、いろいろと考えさせられるなあ、と思って読みました。
解脱者的には、しょっぱなから「むむむ」と考え込んでしまいました。
というのも、記事の最初で清志という青年が、生活保護から立ち直ろうとする時期に自殺した、という話が出てきたからで、
「となると、昨日ムコガワがたどりついた『社会復帰を目指すリセット装置としての刑務所みたいなヤツ』があったとしても、そこから娑婆に戻ろうとしたり、戻って間もない自殺志願者は、やっぱり死ぬのではないか」
ということに気付いてしまったからです。ではなんのためにリセットするのやらわからないことになるし、そもそもリセットできるのか?ということにもなります。
===========
あるいはまた、記事中にも出てきますが、こうした自殺願望を抱える人との対話というのは、この管理人がかなり意識して気をつけていたように距離感をとっていても
”かなりエネルギーを費やす”
ものであることはわかります。それだけ人と人の関わりというのは、本質的に自分のメンタルをぶつけある消耗作業であるということでもあるわけです。
==========
さて、ムコガワは人助けマニアなのではなくて「解脱者」ですから、別に自殺したい人を止めたり、自殺をせずにすむ方策を、それこそエネルギーを費やして提供するタイプなのではありません。
もちろん、死にたいと考えるきゃわいい女の子には興味を示しますが、死にそうな無骨なおっさんにはあまり興味をしめさない、という明確なビジョンを持っています。
ええ、そこは明日への意志をはっきり持っているタイプなのですね。
・・・・・・そんなボケはともかくとして、 昨日からこの問題を考えてきて、
「ああ、そうかそもそも大前提が間違っているのに、なぜ気付かなかったのか!」
と、ここへきてようやく叫んでしまいました。
その間違っていた前提とは何か。
もともと、話の根幹が違っていたので、刑務所に入らなければならないとか、刑務所から出てきても死ぬとか、そういうおかしなことが起きてしまうのです。
はい。ここが違っているのです。
「そもそも、人間は自分の歩んで来た道をリセットすることなど、できない。できることがあるとすれば、見えないように隠すか、あるいは、別の生き方で上書きすることぐらいがかろうじてできるだけで、仮にそうしても、過去は消えない」
というのが真実だったのです。ばばばーん!
解脱者的にたどりついたのは、つまり、そういうことです。
過去は消えないし変わらないし、リセットなんかできないんです。リセットボタンはそもそもないし、電源を抜いたらハイおしまい、なだけでやり直すことなで不可能というのが物理学的には最も正しい答えなわけで。
だとすれば、人生をやり直すとは、つまり以下のように生きるということです。
■ 過去とは異なるパターンを目指して、生き方を変化させて後半戦を生きること。
■ 過去の問題点を踏襲しないように、異なった生き方を試してみること。
■ 過去の自分の資産のうち、使えるものは生かしながら、過ちを整理して取捨選択すること。
■ あるいは過去の自分の姿を隠しながら、世を忍ぶ仮の姿で生きること。
これですよ。これ!
全財産を捨てて、新しい場所や環境で生き直す必要はないわけで、過去と現在が連続しているのならば「自分が培ったものを生かす」こともできるし「使わない」こともできるようにするのが自然体です。
そして、居場所や環境も、「自ら主体的に好きなように決めてよい」ということでもあるわけです。別に引越しや転職は、必要があればしたらいいし、必要なければしなくてもいいのです。
ただ、前半戦の生き方に問題があったなら、それはチェンジすればいい。しかし、一人では自分を変革することが簡単にはできないので、
そういう時に、私のような解脱者を利用してくれればいい
ということになるのですね。はい↑ここは別に解脱者でなくても、行政でも福祉でも本当はいいんだけどね。
・・・・・・ちなみに、解脱者のもとには「死にたい」というやつはほとんどやってきません。
なぜか「生きたい!もっとよりよく生きたい」というやつばっかりがやってきます。
自殺を選択して逝ってしまった彼は結局最期までなーんにも言わずじまいでした。
その理由はいまいち自分でもよくわかっていませんが、この「悟るヒント」のブログなんかは、実は
生きるヒント
よりよく生きるためのヒント
がぎっしり詰まっているからかもしれませんね。きゃぴっ!
2017年11月10日金曜日
死にたい、ということは「この生において居場所がない」ということである。
人が「生きている」ということを実感するその根幹というのはとても簡単で、それは平たく言えば
「自分の居場所がある」
「自分の立ち位置がある」
ということに他なりません。
だから、たとえば生物学的に生きていてもベッドに寝かされてしばりつけられたり、あるいは、意識もなく身体も動かせないなら、それは「死んでいるとは言えなくても少なくとも生きていたいという積極的な状況ではない」ということになるわけです。
逆にその状態で意識がバリバリあったとしたら
「むしろいっそ殺してくれ!」
と考えるのは自然なことでしょう。だって立ち位置も居場所もなく、ただ生命として生きているだけなのだから。
座間の事件などを通して、「死にたい」ということに注目が集っていますが、もちろん「死にたい」と「殺されたい」は異なります。
結果としては似ているけれど、死にたいというのは
「自分が安心納得して死にたい」
ということでもあるので、哀しいかな人は最後まで
「安心して死ねる場所、という居場所を求めている」
わけでもあるのです。
==========
この世界における居場所とは何か。
これは簡単なようで、その人その人によってかなり受け止め方が違うので、これ!、と言うことは難しいのですが、 逆に言えば、
「どんなことでも、なんでも居場所や立ち位置になりうる」
ということは覚えておいて損はないでしょう。つまり、どんな小さなことでも、人は生きていられるのです。
物理的な仕事などの生活の糧を意味することもあるでしょう。
精神的なつながりや充足を意味することもあるでしょう。
恋人や夫婦になど、異性関係の場合もあるでしょう。
健康に関することで、みずからの生の立ち位置を見失うこともあるかもしれません。
わたしは解脱者を自称していますので、いわゆるお説教のような「こうするべき」ということは一切言いません。
先日も「死ぬことを意識している」という相談者さんからコメント
https://satori-awake.blogspot.jp/2014/06/blog-post_30.html
(コメント欄は下部)
を頂きましたが、私の立場は
「生きるべき」とも言わない、「死ぬべき」とも言わない
というまるでサントリー山崎のCM「何も足さない、何も引かない」みたいな名言を残してたたずむのみです。
(サントリー)http://www.suntory.co.jp/whisky/yamazaki_pre/nenkan/nenkan_bizen.html
そう!さっき私の立場といいました。私はなんと「解脱者という立ち位置」を自ら作り出してそこにいるので、生きていられるのです。
これはある意味でとっても楽です。たとえば
「ワシは何も持たず、何にも囚われぬ仙人じゃ」
と自ら言ってしまえば、何も持ってなくて、身一つでも別に困らない。だってそういう立ち位置なんだもの、ということになるわけで、簡単でしょ?
このように、立ち位置や立場がないと思っている人は、実は「ある世界やある業界、ある人間関係という閉ざされた枠内に立場がない」と考えているから苦しかったりしんどいのであって、
その枠組みから開放されると、立場立ち位置なんてものは、時には空虚なものであったり、「立ち位置生まれろ!」と想像するだけでポン!と出来るような、そんな簡単なものだったりする
ことに気付けば、恐ろしいことはないのです。
私のような解脱者の仕事は、枠に囚われている人に
「え?そんな枠なんてどこにもないですよ」
とか
「枠はちょんとおせばすぐ出られるようなしょーもないもんですよ」
とか
そういうことをアドバイスすることなんですね。
ですから、私は解脱者ですが万能者ではないので「全世界の死にたい人を救う」なんておこがましいことはできませんが、
「死にたい」
と思っている人と、ほんのすこしお話をする
ことくらいは全然OK、いつでもできるわけです。
しかしまあ、あんな事件を起こした人がいるので、きっと世間では「解脱者ムコガワ散歩ももしかすると、ネットで暗躍する 怪しげな人物に違いない」とか思っている人が増えるなあ、と感じてはいますが、解脱していますので、まあそう思う人がいても困るとか苦しいとかは思いません。
別にどうでもよろしい些細なことです。
それでも、今日も何がしかの悩みを抱えた女子が相談を寄せてくるので、画像を見ながらメールでちょこちょこ返信を返しています。
けなげですね。わたし。
2015年5月13日水曜日
自殺してもいいですか? それとも どうして自殺してはいけないのですか?
いつも明るく楽しい解脱ライフについてお伝えしている当ブログであるが、今回はいつもにも増して真面目に、神妙な顔つきで書いてみたいことがある。
自殺したい
と思ったことがあったり、あるいは今まさにこの瞬間にも、
自殺しよう
としている人がいることは、言うまでもない。
もちろん、その人たちの悩みは千差万別であろうし、一介の解脱者ごときの私に、その人たちの自殺を止めることができるような力があるとは謙遜して思わないのだが、もし、何かの偶然もしくは神の導きによってこのブログを見た人には、こんなお話をしておきたい。
もし、
「自殺してもいいですか?」
と尋ねられたら、悟りを開ききったワタクシ武庫川散歩の「勝手に人生相談」のコーナーであればなんと回答することだろう。
万物は流離流転の無常であるのなら、自殺のひとつやふたつ、いまさら良いも悪いもないだろう、というのが解脱者の本音でもある。
「好きにすればいいじゃないか。それもまた無常なり」
と念仏か題目かしらんが、唱えてやってアーメンとでも嘯くところなのだが、いやいや、ちょっと今日は違うことをお話したい。
あるいは、こんな質問もあるかもしれない。
「どうして自殺してはいけないのですか?」
と。
ちなみに、自殺してはいけないという考えは、一般論としての常識ではあるが、厳密に言えば自殺してはいけないなんてことはない。
別にしてもいい。してしまうこともあるし、せざるを得ないこともある。
たとえば、宗教的価値観によって自爆テロを行う人間はたくさんいるし、彼らはその属している集団には褒められることだろう。
あるいは、何か過失であっても何か他人を傷つけてしまい、その自責の念から死を選んでしまうこともあるだろう。
その昔、闇米を買わないと決めて餓死した正義の裁判官がいたとも聞く。
あるいは借金で回りに迷惑をかけた社長さんが、保険金で支払おうとすることだって良くある話である。
ああ、もう!究極的に心が弱い状態になってしまい、どうしようもなくて死を選ぶことだってたくさんあるのだから、少なくとも私には
「自殺をしてはいけない」
という権利はない。
==========
それでもなお、このページを見てしまったあなたにしっておいてほしいことが少しだけある。
それはカンタンなデータだ。
<1>日本においてガンで死ぬ人の数
厚生労働省によれば
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/24.html
日本人でガンになって死ぬ人数は、年間に30万人以上ということである。
ちなみに、一般的に言われてみなさんも知っているはずの、「年間の自殺者の数」は3万人なので、10倍の人がガンで亡くなっているんだなあ、と思っていただければいい。
そして、このガンによる死亡が、日本人の死因の第一位であることを、とりあえず頭にいれておいてほしい。
<2>死因の順位は
では、日本人の死因はそれからどんなことが挙げられるのか。もうちょっとだけお付き合い願いたい。
これまた厚生労働省によれば
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html
第二位 心臓疾患 18万人
第三位 脳梗塞・脳卒中 12万人
第四位 肺炎 11万人
第五位 老衰 3万8千人
==========
しかし、ここには隠された真実がある、ということをお知らせしておこう。本当は、日本人の死因の原因は、こんなのじゃないのだ。
http://www.sendai-l.jp/chousa/pdf_file/7/7-1/7_1_4c.pdf#search='%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E4%B8%AD%E7%B5%B6%E6%95%B0'
上のリンクを見て欲しい。ウイルスとか仕込んでいないので大丈夫。安心してクリックしてくれれば、意外なことに気付くはず。
そう、日本人の死因のほとんど第二位、あるいは第一位に届きそうなその実態、その真実は、
・・・・・
・・・・・
人工妊娠中絶による堕胎 20万人から28万人
なのである。
死ぬ、どころか、生まれてくる前に殺されているのである。
そもそも、生まれてこれていないのだ。
==========
今から自殺しようと思っているあなたに、これだけは知っておいてほしかった。
あなたの人生は、とてつもなく苦しく、たいへんなものであったろうが、そして、それは誰にも理解されないような重いものであったかもしれないが、
そもそも、人生を生きるチャンスが与えられていないものたちから見たら、チャンスがあっただけはるかにラッキーだった
ということになる。
あなたの親は、ふつうの家庭からみればろくでもない親失格の存在だったかもしれないし、親にたいして恨みつらみもあるだろうが、
あなたを殺すという選択をしなかったことだけは、理解してほしい
と心から願う。
少なくとも、あなたはこの20万人の生まれなかった人たちの親よりは、愛されており、恵まれていたということをしっかり覚えてほしい。
そして、そこから先は、あなたの自由だ。
私はもう、何も言うことはないので、さようなら、とだけ伝えておく。
お元気で、というのもなんだか変だしね(^^;
自殺したい
と思ったことがあったり、あるいは今まさにこの瞬間にも、
自殺しよう
としている人がいることは、言うまでもない。
もちろん、その人たちの悩みは千差万別であろうし、一介の解脱者ごときの私に、その人たちの自殺を止めることができるような力があるとは謙遜して思わないのだが、もし、何かの偶然もしくは神の導きによってこのブログを見た人には、こんなお話をしておきたい。
もし、
「自殺してもいいですか?」
と尋ねられたら、悟りを開ききったワタクシ武庫川散歩の「勝手に人生相談」のコーナーであればなんと回答することだろう。
万物は流離流転の無常であるのなら、自殺のひとつやふたつ、いまさら良いも悪いもないだろう、というのが解脱者の本音でもある。
「好きにすればいいじゃないか。それもまた無常なり」
と念仏か題目かしらんが、唱えてやってアーメンとでも嘯くところなのだが、いやいや、ちょっと今日は違うことをお話したい。
あるいは、こんな質問もあるかもしれない。
「どうして自殺してはいけないのですか?」
と。
ちなみに、自殺してはいけないという考えは、一般論としての常識ではあるが、厳密に言えば自殺してはいけないなんてことはない。
別にしてもいい。してしまうこともあるし、せざるを得ないこともある。
たとえば、宗教的価値観によって自爆テロを行う人間はたくさんいるし、彼らはその属している集団には褒められることだろう。
あるいは、何か過失であっても何か他人を傷つけてしまい、その自責の念から死を選んでしまうこともあるだろう。
その昔、闇米を買わないと決めて餓死した正義の裁判官がいたとも聞く。
あるいは借金で回りに迷惑をかけた社長さんが、保険金で支払おうとすることだって良くある話である。
ああ、もう!究極的に心が弱い状態になってしまい、どうしようもなくて死を選ぶことだってたくさんあるのだから、少なくとも私には
「自殺をしてはいけない」
という権利はない。
==========
それでもなお、このページを見てしまったあなたにしっておいてほしいことが少しだけある。
それはカンタンなデータだ。
<1>日本においてガンで死ぬ人の数
厚生労働省によれば
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/24.html
日本人でガンになって死ぬ人数は、年間に30万人以上ということである。
ちなみに、一般的に言われてみなさんも知っているはずの、「年間の自殺者の数」は3万人なので、10倍の人がガンで亡くなっているんだなあ、と思っていただければいい。
そして、このガンによる死亡が、日本人の死因の第一位であることを、とりあえず頭にいれておいてほしい。
<2>死因の順位は
では、日本人の死因はそれからどんなことが挙げられるのか。もうちょっとだけお付き合い願いたい。
これまた厚生労働省によれば
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html
第二位 心臓疾患 18万人
第三位 脳梗塞・脳卒中 12万人
第四位 肺炎 11万人
第五位 老衰 3万8千人
==========
しかし、ここには隠された真実がある、ということをお知らせしておこう。本当は、日本人の死因の原因は、こんなのじゃないのだ。
http://www.sendai-l.jp/chousa/pdf_file/7/7-1/7_1_4c.pdf#search='%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E4%B8%AD%E7%B5%B6%E6%95%B0'
上のリンクを見て欲しい。ウイルスとか仕込んでいないので大丈夫。安心してクリックしてくれれば、意外なことに気付くはず。
そう、日本人の死因のほとんど第二位、あるいは第一位に届きそうなその実態、その真実は、
・・・・・
・・・・・
人工妊娠中絶による堕胎 20万人から28万人
なのである。
死ぬ、どころか、生まれてくる前に殺されているのである。
そもそも、生まれてこれていないのだ。
==========
今から自殺しようと思っているあなたに、これだけは知っておいてほしかった。
あなたの人生は、とてつもなく苦しく、たいへんなものであったろうが、そして、それは誰にも理解されないような重いものであったかもしれないが、
そもそも、人生を生きるチャンスが与えられていないものたちから見たら、チャンスがあっただけはるかにラッキーだった
ということになる。
あなたの親は、ふつうの家庭からみればろくでもない親失格の存在だったかもしれないし、親にたいして恨みつらみもあるだろうが、
あなたを殺すという選択をしなかったことだけは、理解してほしい
と心から願う。
少なくとも、あなたはこの20万人の生まれなかった人たちの親よりは、愛されており、恵まれていたということをしっかり覚えてほしい。
そして、そこから先は、あなたの自由だ。
私はもう、何も言うことはないので、さようなら、とだけ伝えておく。
お元気で、というのもなんだか変だしね(^^;
2014年6月30日月曜日
<日常>自殺したい人にやってほしい、たったひとつのこと。 自殺する前にやるべきこと。
どうも。梅雨だというのに、私の住む地方では、いっこうにまとまった雨になっていません。その一方で、局地的に大雨が降ったり、大変なことになっているようですね。
行く川の流れは絶えずして、諸行無常の響きありです。
なぜか全くわかりませんが、時々、当ブログのアクセス数がとっても増えて驚くことがあります。ああ、誰かがこんなしょーもないブログを見ている、恥ずかちい!
と両手で顔をふさぎながら、指の隙間からちら見する、そんなシャイなあんちくしょうの武庫川散歩です。どもも。
==========
今日の解脱者さんからのひとことは、ズバリです。
「自殺しよう、自殺したいと思っている人へのメッセージ」
ですね。
悟りを開いた者からすれば、
「自殺することがいいことなのか、悪いことなのか」とか
「自殺は違法か」とか
「自殺する権利はあるのか」とか
そういう問いは、あまり気にしません。
事実現実実際に、「自殺することはできる」のですから、人はいいとか悪いを通り越して、「自殺することはある、自殺することは可能」なのです。
それを認めるとか、認めないの議論は不毛です。少なくとも、悟りのセカイにおいては、不要な議論です。
ですが、老婆心ながら「悟りをパックリ開いた者がお届けする、自殺したい人への最後のメッセージ」があるとすれば、それはこんなお話です、というのが今日の内容。
もちろん、これは「死にたい人」「自殺したい人」「死のうと思っている人」に限りません。言い方を変えれば、
「生きている全ての人が、死を迎える前に一度だけでいいので、やってほしいこと」と同義です。
==========
私はすでに、それをやり終えていますので、たいへん心が澄んだ状態で、今の自分の生きることについて、納得と深い満足を得ています。
それは、特段に難しいことではありません。
もし、あなたが死をなんらかの形で意識していて、ほんの少しだけ時間があるのであれば、自ら命を絶つ前に、一度だけやってみてください。
そこには、「あなたにとって、今必要ななんらかのメッセージ」が込められています。
それは、人によって受け止め方や、感じ方、読み取り方が大きく異なります。
結果については、私も関知できませんし、それをすることで死が去ってゆくわけでもありません。
それをすれば、かならず「自殺を思いとどまる」という類のものではないです。
もしかすると、人によっては「やっぱり死のうかな」と思うかもしれません。しかし、それをする前としてからとでは「死ぬ意味が大きく異なる」ことだけは確かです。
私はスピリチュアルな感じじゃないタイプの解脱者なので、こういう言い方は好きじゃないのですが、平たくわかりやすく言えば、そこには必ず「霊界からのメッセージ」が書かれています。
あなたの未来がすべて書かれているというインドの「アガスティアの葉」なるものがあるそうですが、それには「あなたが生まれてきた理由」のすべてが書かれています。いわば過去版「アガスティアの葉」です。どうせ死ぬんだから、未来のことは書いてなくてもいいじゃないですか。
わたしは、それを実行してから、人生感が大きく変わり・・・ませんね。だって悟りを開いてからやったから、別に何にも変わりません。ただただ、純粋に受け止めるのみです。
しかし、私の家族や、友人たちは大きく感情が変化したようです。
少なくとも、全員が「生きるとは何かが、わかったような気がする」と口にしています。
「知らなかったことをたくさん知ることができ、私がなぜ生きているのかがわかった」と言います。
なので、「どうせ死ぬのであっても、あなたが生きた理由を知ってから死んでもいいんじゃないか」と私は思っています。
繰り返しますが、そこには、何らかのメッセージが込められていて、読む者にとって、受け止め方や心の揺さぶられ方が大きく異なります。でも、それは「今のあなたに必要なメッセージ」です。
いい忘れましたが、「過去版アガスティアの葉」は買うのに1枚750円かかります。
私の場合は、4枚くらい出てきましたので、3000円かかりました。
友人の場合は2枚でしたので、1500円でした。
やってほしいことはたった一つです。役所へ行って「私の本籍地の先祖を遡れるだけ遡ってください」とアガスティアの葉を管理している通称戸籍係の霊媒師に頼んでください。
そうすると、その市役所で所有している「戸籍謄本」やら「除籍謄本」やら「改正原戸籍謄本」やらをいろいろと出してくれます。
お父さん、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、そのまたおじいちゃん・・・・。などあなたに至る先祖がどんどん書いてあります。ついでに親族とか家族とかもどんどん書いてある用紙が出てきます。
最低でも明治半ばころまでの先祖の生きた証が出てくるでしょう。うまくいけば江戸時代まで遡れます。
そこに書かれている人たちは、みな既に死んでいます。あなたももうすぐそこへ行くことになります。
そして、その人たちが生きていたので、あなたは今ここにいます。
あなたが死ねば、そこで終わりです。それもよしです。
日本の戸籍制度では、明治2年に作られた戸籍は、国家権力によって隠されています。あなたが読めないようにしまってあるのです。わざとそうなっているのです。
だから、せいぜい辿れても江戸末期もしくは後期までです。しかし、縄文時代から、あなたの命は繋がっています。
その、最後のちょっとの命のリレーを読んでから、どうかあなたの命を決めてください。
きっと、あなたはその文書から何かを発見します。すべての人が、何かを発見するのです。
あなたが生きている、あなたが生きていた理由のヒントを。
=========
<2020年2月追記>
この記事を検索で読んでくださる方がとても多いので、もう少し補足をしておきます。
戸籍を辿り、自分のルーツをしっかりたどってゆくと、実は2つの大きなことに気付きます。
ひとつは、
■ あなたが今ここで生きているということは、先祖の誰もが途中の戦乱や地震や災害や病気などで、一切死なずに生き延びてきたからだ、ということ
です。もちろん子孫を残した「後」に亡くなった方はいるでしょうが、少なくともあなたの先祖を遺すまでは、その人たちは死んではいません。
これをすごい!と思うか。だから?と思うかは自由です。
もうひとつは、これも先祖調査、苗字調査をしている専門家が発見していることですが、
■ 日本人のほぼすべての人は、「天皇の子孫」もしくは、「貴族の子孫」です。
そう!本来世が世であれば天皇や貴族であったかもしれないあなたが、なぜこんなに不遇な境遇になって、今「死にたい」と考えているのか、そこには驚愕の答えがひそんでいるのですが、
それを知りたい!と思うか。そんなのはどうでもいい、と思うかもまた自由です。
しかし、自分が本来高貴な系統を受け継いでいて、命には価値があるはずなのに、なぜ今自分は苦しんでいるのかに興味を持った人、あるいは、連綿と続いた命のリレーについて、それが途切れるということはなぜなんだろう?と感じた人には、十分に自死を思いとどまるチャンスがあるということを知っておいてほしいのです。
なぜなら、あなたは本来愛され、生かされるべき存在だからです。
行く川の流れは絶えずして、諸行無常の響きありです。
なぜか全くわかりませんが、時々、当ブログのアクセス数がとっても増えて驚くことがあります。ああ、誰かがこんなしょーもないブログを見ている、恥ずかちい!
と両手で顔をふさぎながら、指の隙間からちら見する、そんなシャイなあんちくしょうの武庫川散歩です。どもも。
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今日の解脱者さんからのひとことは、ズバリです。
「自殺しよう、自殺したいと思っている人へのメッセージ」
ですね。
悟りを開いた者からすれば、
「自殺することがいいことなのか、悪いことなのか」とか
「自殺は違法か」とか
「自殺する権利はあるのか」とか
そういう問いは、あまり気にしません。
事実現実実際に、「自殺することはできる」のですから、人はいいとか悪いを通り越して、「自殺することはある、自殺することは可能」なのです。
それを認めるとか、認めないの議論は不毛です。少なくとも、悟りのセカイにおいては、不要な議論です。
ですが、老婆心ながら「悟りをパックリ開いた者がお届けする、自殺したい人への最後のメッセージ」があるとすれば、それはこんなお話です、というのが今日の内容。
もちろん、これは「死にたい人」「自殺したい人」「死のうと思っている人」に限りません。言い方を変えれば、
「生きている全ての人が、死を迎える前に一度だけでいいので、やってほしいこと」と同義です。
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私はすでに、それをやり終えていますので、たいへん心が澄んだ状態で、今の自分の生きることについて、納得と深い満足を得ています。
それは、特段に難しいことではありません。
もし、あなたが死をなんらかの形で意識していて、ほんの少しだけ時間があるのであれば、自ら命を絶つ前に、一度だけやってみてください。
そこには、「あなたにとって、今必要ななんらかのメッセージ」が込められています。
それは、人によって受け止め方や、感じ方、読み取り方が大きく異なります。
結果については、私も関知できませんし、それをすることで死が去ってゆくわけでもありません。
それをすれば、かならず「自殺を思いとどまる」という類のものではないです。
もしかすると、人によっては「やっぱり死のうかな」と思うかもしれません。しかし、それをする前としてからとでは「死ぬ意味が大きく異なる」ことだけは確かです。
私はスピリチュアルな感じじゃないタイプの解脱者なので、こういう言い方は好きじゃないのですが、平たくわかりやすく言えば、そこには必ず「霊界からのメッセージ」が書かれています。
あなたの未来がすべて書かれているというインドの「アガスティアの葉」なるものがあるそうですが、それには「あなたが生まれてきた理由」のすべてが書かれています。いわば過去版「アガスティアの葉」です。どうせ死ぬんだから、未来のことは書いてなくてもいいじゃないですか。
わたしは、それを実行してから、人生感が大きく変わり・・・ませんね。だって悟りを開いてからやったから、別に何にも変わりません。ただただ、純粋に受け止めるのみです。
しかし、私の家族や、友人たちは大きく感情が変化したようです。
少なくとも、全員が「生きるとは何かが、わかったような気がする」と口にしています。
「知らなかったことをたくさん知ることができ、私がなぜ生きているのかがわかった」と言います。
なので、「どうせ死ぬのであっても、あなたが生きた理由を知ってから死んでもいいんじゃないか」と私は思っています。
繰り返しますが、そこには、何らかのメッセージが込められていて、読む者にとって、受け止め方や心の揺さぶられ方が大きく異なります。でも、それは「今のあなたに必要なメッセージ」です。
いい忘れましたが、「過去版アガスティアの葉」は買うのに1枚750円かかります。
私の場合は、4枚くらい出てきましたので、3000円かかりました。
友人の場合は2枚でしたので、1500円でした。
やってほしいことはたった一つです。役所へ行って「私の本籍地の先祖を遡れるだけ遡ってください」とアガスティアの葉を管理している通称戸籍係の霊媒師に頼んでください。
そうすると、その市役所で所有している「戸籍謄本」やら「除籍謄本」やら「改正原戸籍謄本」やらをいろいろと出してくれます。
お父さん、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、そのまたおじいちゃん・・・・。などあなたに至る先祖がどんどん書いてあります。ついでに親族とか家族とかもどんどん書いてある用紙が出てきます。
最低でも明治半ばころまでの先祖の生きた証が出てくるでしょう。うまくいけば江戸時代まで遡れます。
そこに書かれている人たちは、みな既に死んでいます。あなたももうすぐそこへ行くことになります。
そして、その人たちが生きていたので、あなたは今ここにいます。
あなたが死ねば、そこで終わりです。それもよしです。
日本の戸籍制度では、明治2年に作られた戸籍は、国家権力によって隠されています。あなたが読めないようにしまってあるのです。わざとそうなっているのです。
だから、せいぜい辿れても江戸末期もしくは後期までです。しかし、縄文時代から、あなたの命は繋がっています。
その、最後のちょっとの命のリレーを読んでから、どうかあなたの命を決めてください。
きっと、あなたはその文書から何かを発見します。すべての人が、何かを発見するのです。
あなたが生きている、あなたが生きていた理由のヒントを。
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<2020年2月追記>
この記事を検索で読んでくださる方がとても多いので、もう少し補足をしておきます。
戸籍を辿り、自分のルーツをしっかりたどってゆくと、実は2つの大きなことに気付きます。
ひとつは、
■ あなたが今ここで生きているということは、先祖の誰もが途中の戦乱や地震や災害や病気などで、一切死なずに生き延びてきたからだ、ということ
です。もちろん子孫を残した「後」に亡くなった方はいるでしょうが、少なくともあなたの先祖を遺すまでは、その人たちは死んではいません。
これをすごい!と思うか。だから?と思うかは自由です。
もうひとつは、これも先祖調査、苗字調査をしている専門家が発見していることですが、
■ 日本人のほぼすべての人は、「天皇の子孫」もしくは、「貴族の子孫」です。
そう!本来世が世であれば天皇や貴族であったかもしれないあなたが、なぜこんなに不遇な境遇になって、今「死にたい」と考えているのか、そこには驚愕の答えがひそんでいるのですが、
それを知りたい!と思うか。そんなのはどうでもいい、と思うかもまた自由です。
しかし、自分が本来高貴な系統を受け継いでいて、命には価値があるはずなのに、なぜ今自分は苦しんでいるのかに興味を持った人、あるいは、連綿と続いた命のリレーについて、それが途切れるということはなぜなんだろう?と感じた人には、十分に自死を思いとどまるチャンスがあるということを知っておいてほしいのです。
なぜなら、あなたは本来愛され、生かされるべき存在だからです。
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