当ブログのファンであったり、当ブログの記事を多少なりとも読んだことがある読者諸君であれば、
「仏教というものは、究極的にはこの世がむなしいものであり、そんなむなしい世界に欲望を抱いても仕方がないので、それらを全て捨て去れば平穏が訪れる、という宗教だ」
ということくらいは、ざっくりと理解なさっていることと思います。
それはまったくその通りで、少なくとも「現世レベル」では、そうした欲求欲望を捨て去ることで、迷うことがなくなる、というのは仏教の根本的な教義です。
ところが、仏教にはもうひとつ、「むなしい世界を終わりにする」という同様かつ別の世界観があって、それがこれまたよく聞く
「輪廻転生を終わらせて、涅槃に至る」
というやつなのです。
実は、輪廻転生という概念は、仏教がオリジナルなのではなく、古代インドのいわゆる「ヴェーダの宗教」「バラモン教」「ヒンドゥー教」などの共通概念で、言ってみれば、
「日本人の先祖崇拝みたいに、当たり前的に存在する概念」
ということになります。
輪廻転生とは、「あなたが死んだら、ハエとか、人間とか、豚とかに生まれ変わって、繰り返される」というイメージです。
それが何度も何度も永遠に繰り返されるものだから、人生というものにげんなりしてしまう。ああ!人ならまだしも、ハエ生とか豚生が繰り返されるとはなんて苦痛なんだ!というのが、インド的人生のイメージだというわけです。
というわけで、仏教では「2つの苦しい世界」からの脱却を目指します。
ひとつは、むなしいこの世界の欲から解放されることで、もう一つは、むなしい輪廻転生のサイクルから開放されるということですね。
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さて、ここからが3秒でわかる仏教の真髄です。
では、その苦しい世界を脱却するために、ブッダとその弟子はどうしたか。
「乞食をして、食べ物を恵んでもらって、集団で住んで、子孫を残さず死ぬ」
ということを実践したのです。
まあ、言い方はなんですが、「簡易宿泊所に無欲なホームレスの方が集められて、彼らが徐々に亡くなってゆく」みたいな感じです。
「人生は無常だなあ」としんみり感じながら、童貞のまま枯れ果てて死ぬ、みたいな。
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3秒にまとめると、仏教はこんな感じです。敬虔な日本仏教とか見れば
「全然違うわ!!!」
とお叱りを受けそうですが、 真剣な上座部仏教の研究者から見れば、
「ある意味うまいことを言うwww」
とニヤリとなさることでしょう。
ブッダは労働を否定しましたので、基本的には托鉢という名の乞食で生活をします。サンガという集団で暮らし、生活の全てを仏教に投入しますので、生きることも無常の塊です。そして、異性と交わったり、みだらな思いを抱くことも禁じましたので、
「1人ずつ、死んでいく」
ことに相違ありません。子孫を残すなんてもってのほかなので、集団は基本的には生殖によって増えません。
(そういう意味では、基本的に絶滅するスタイルの集団なのに、現代まで何千年も仏教が続いているということは、新しくその集団に入ってくる者が常に死ぬ者よりも多かったというすごい宗教でもあります)
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というわけで、仏教というのは基本的にそういう宗教なので、「仏教にすがって悟りを開きたい」という人は、今すぐ職を辞めて大阪の某所とかに行けばいいと思います。
すぐに、ある種の悟りが開けることは間違いありません。保証します。
このブログが提唱しているのは、残念ながら仏教のそれとは少々、というか全く異なります。
そもそも、インドの思想を受け継いでいませんので「輪廻転生」を全く否定します。
あなたは死んだら終わりです。残念無念かもしれませんが、THE ENDでどうしようもありません。
しかし、未来に希望がないわけではない!来世はありませんが、あなたが死んでも残るものが確実にあるのです。
それが何なのかは、ぜひ悟りを開いて体感してください。
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