まるで、「まる子、動物園へ行く!」(by ちびまる子ちゃん)的なタイトルでお届けする今回のネタだが、本当に入院していたのである。
というわけで数週間更新が滞っていたのだが、こうして無事復活を遂げた武庫川散歩、アラフォーであった。
これまた奇遇なことに、入院していたのは武庫川沿いのあの病院である。こんなことを書くと、関西の地理に詳しい人なら、
「ああ、あそこか」
とすぐにピンと来るので、あまり素性を明らかにしたくない武庫川散歩としては、これくらいでオブラートに包んだまろやかな物言いを心がけるようにしよう。
幸い、約10日ぐらいの入院で無事退院できたので、病院の方々をはじめ、関係各位には心から感謝の気持ちを述べたい。
『ほんとうにありがとうございます。そして、ご心配をおかけいたしました。』
でも、もう大丈夫。
「落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です」(by 魔女の宅急便)
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さて。ところでそういえば、解脱者なのに病気に倒れることがあるのか?なんて野暮な質問をする人がいそうなので最初に断っておくのだが、
「わたくし、武庫川散歩は解脱者だと言ってるが、超能力者だとか、不死身だとか言ったことは一度もない」
と宣言しておきたい。
解脱者だって、病気にはなるのだっ。そもそも、ブッダもキリストも、ムハンマドもみんな死んでるじゃないか。肉体が滅びるのは当然のことである。
なので、もしあなたの周りに
「この宗教を信じれば病が治りますよ」とか
「この方のいうとおりにしたら、不老不死になりますよ」とか
「この壷を買ったら、ガンが消えますよ」とか
そういう妄言を吐く輩がいたら、絶対にそれは悪徳商法なので信じてはいけない。
本当の解脱者は、病気になったり死んだりするのだ。
「にんげんだもの byあいだみつを」
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さて、そんなこんなで病に倒れていた武庫川散歩だが、幸せなことに病気で悲観したり、苦しんだり、悩んだりしたことは一切なかったのでこれもひとえに悟りのおかげと感謝している。
ただ、心静かに寝ていただけである。体中は痛かったり、しびれたりしていたのだが、心は平安であった。たぶん。
入院の後半は、読みたかったマイケルサンデルの「これからの正義の話をしよう」を読んで思索に耽ったり、とにかくノート一杯にわが武庫川流の哲学を書きなぐったりして、精力的に活動していた。
個人的には、難解と言われる「カント」の哲学がどういうものであったかを、ざっくりと理解することができたので、とても有意義な時間であったが、カントの話もまた別に書くことにしよう。
というわけで、入院中に考えたネタは、今後ぼちぼちブログにまとめてゆくので請うご期待。
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