2016年11月2日水曜日

高学歴女子はいらない。 ~解脱者が考える、新時代の女子のロールモデル~




 高学歴女子はいらない。



 なんともキャッチーなタイトルをつけたものですが、炎上覚悟でこのように書いてみました。


 もちろん、ワタクシ武庫川散歩は、男女差別主義者でも、男尊女卑の考えを持っているわけではありませんが、現状を冷静に見たときのリアリストとしての視点では、やっぱり



「高学歴女子に意味はあるのか」


「高学歴女子は、幸せか」


ということについ頭が向いてしまうようです。


 東洋経済オンラインさんで、こんな記事がありました。



 高学歴女子にシワ寄せされる社会の過剰期待
 http://toyokeizai.net/articles/-/142978



 この記事などを読めば、いわゆる高学歴な女性が、現代の日本社会でどのような立場に置かれているかが如実にわかるのですが、簡単にまとめれば



■ 女性活用という名のもと、男性と同じように(長時間労働や体力仕事も含めて)働け

■ 女性らしさ(身だしなみやふるまいも含めて)を維持し、マナーをわきまえよ

■ 少子化を克服するべく、3人以上の子供を産め

■ 子供に適切な教育を受けさせ、立派な大人になるよう育てよ

■ 老いた両親や義両親に対して、(介護を含めた)サポートをせよ



ということが一気に要求されていることになります。




 これは「無理ゲー」(クリアできないゲーム)であると女子たちは思っていますが、社会の要求がそうなっている以上、そのレールから飛び降りることは、なかなか許してもらえないのが現状です。






 ところが、その一方で高学歴女子から見ると(さげすみの感覚も含めてですが)これらの社会要請の適用除外になっている、つまり、これらのしばりを受けなくてすむ


 低学歴女子


というものが存在することが知られています。




 ここでもムコガワは炎上覚悟でこの言葉を使いました。ええ、高学歴ではない女子たちです。



 低学歴女子たちは、男性のように働きません。モデルケースとしてのヤンキー女子をイメージするならば、


 早くで結婚して子供をたくさん産み、そもそも企業人として働くことはなく、小さな店舗の店員やレジ打ちなどの「代わりがいくらでもいる仕事」をして過ごす


人生の女性たちが確かにいるわけです。



 彼女たちは、上に挙げた5つの規制がのうち、両親の介護問題をどうするのかは微妙にしても、4つのルールをそもそも守るつもりもないし、守らなくてもいいということになります。


■ 長時間労働をせず、バイトでもいい。(お金は少ないかもしれないが)

■ 女性らしさは、自分の感性でいい。ジャージOK(ブランド物は買えないかもしれないが)

■ 子供は産みたいし、産む。(無計画といわれるかもしれないが)

■ 子供に高度な教育を提供することにあまり関心がない。(お金もないし)



 それを「良い」と評価するか「悪い」と評価するかはこの際どうしようもなく、4つともどうでもいい人もいるかもしれませんが、


■ バイトを工夫して時間を生み出し

■ 質素なものでも慎ましやかな生活用品を揃え

■ 子供は2人くらい産み

■ 公立高校・公立大学をめざすように励ます


と言い換えれば、上の文章を読んだ誰もが


ああ、いい女性だ、いい母親だ


と思うのではないでしょうか。



 まあ、そんなもんは言葉あそびで、解脱者から言わせれば、ヤンキーというカテゴライズをすることも、「いわゆる上から目線のレッテル貼り」に過ぎないのですが、 現実の社会では




高学歴女子に求められているハイレベルな暮らしの人



質素な良妻賢母な暮らしの人



ヤンキーママな人



のそれぞれにどこかが該当するような人々がシームレスに存在しているというのが事実なのだろうと思います。



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 私の大好きなブロガーさんであるニャートさんが、


 東大女子を過労死させたり、京大専業主婦をもったいなくさせているのは日本社会
 http://nyaaat.hatenablog.com/entry/well-educated-woman


の記事で、高学歴女子について、たとえば会社で馬車馬のように働いて過労死するくらいなら



”むしろ、受験勉強に費やした時間を、ブラック企業対策として体育会系の運動部での体力増強や、恋愛やおしゃれをして結婚相手を探すことに費やした方が、よほど有益だったのかもしれない。”


 
という仮説を立てるのも頷けるというものです。


 あるいは高学歴女性である自分を振り返り、



”私に学歴は必要なかった。
受験勉強などせず、自分の能力に見合った学校に進んで、そこそこ働いて、20代で結婚して、子どもを産みたかった。”




と、思わず思うのにも納得がいきます。たしかにそう言いたくなる気持ちもわかります。



 しかし、ニャートさんが記事中で懸念しているように、高学歴でない女子には、重大なリスクがあるのです。


 それは、収入が多くない男性と一緒になったり、ずっと一人だったりしたら経済的に厳しいということです。


(この際DV男とか、のんだくれ男とか浮気男は学歴に関係ないので、除外する)


 じゃあ、いったい、女子はどうしたらいいんだ!!!



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 そもそも、女子が高学歴を目指すようになったのは、「自力で一定の収入を得て自活できる」ことを目標にしているはずでした。



 高学歴である=高い評価を受ける=高収入の可能性が高い企業で働ける



これが、高学歴女子のロールモデルです。



 しかし、これは、よく考えると女子だけの問題ではなく、男子でも全く同じことで、


 男子が高学歴を評価され、高収入の企業で働く


ということは、女子と全く同じ理屈だとわかります。



 じゃあ、何が違うのか?というと答えは簡単。それは妊娠と出産が一切考慮されていない、という点に尽きます。




  解脱者ムコガワは、男性と女性は違う!と明確に思っています。男には子供が産めません。それは最大の違いで、そのことから生まれる区別は、あってしかるべきだし、区別する以外方法がないと考えています。



 人類が増える3人の子供を産むには、妊娠期間が3年、授乳(乳児)期間が3年、これで最低でも6年間が男性と異なる生き方をせざるをえないことになります。


 上記の場合は、3人とも連続で妊娠したという「3連続年子」の場合で、少なくとも1年の休養期間を設けると、



実質9年間で、あしかけ10年くらい



の性差が生じることになるのは避けられないのです。



 20歳から60歳までの40年間の労働人生


をセットした場合、男性は40年間働けるけれど、女性はマイナス10年で、どうやっても30年間しか同じ条件にはなりません。


 
 とすれば、「男女が平等に輝ける社会」という設定が間違いで、



 男性に対して女性は4分の3のパフォーマンスでよい社会



じゃないと、成立しないということなのです。




 ということは、本来の妊娠出産を踏まえた女性のキャパシティが男性に対して4分の3だと仮定すれば、



高学歴女子が要求されているのは、逆に言えば


男子の1.33倍の働きをせよ


ということなのです。


 だから高学歴女子は疲弊するし、


 高学歴女子なんて(生き方は)いらない


と考える者が出てくるのも当然だというわけです。



 ヤンキー女子は、収入が少ないという課題はあるにせよ、10年間を子育てに専従できるという面で、1.33倍の働きをしなくてもいいのです。せいぜい1倍でいいということになり、子育てが終わったらトンカツ屋でバイトしたり、スーパーでレジ打ちしたりできたのがこれまでのおばちゃん世代だったということになります。






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 さあ、ここからは解脱者ならではの解決策に入ります。



 女子には「収入が少ないと生きてゆきづらい」というハンディがあります。(実は男子もおなじなのですが、女子のほうが現状として厳しい側面が多いので、一応このハンディを認めましょう)



 それを解決するために、高学歴であれば高収入になるだろう、という目算で動いてきたのが、これまでの高学歴女子でした。



 しかし、高学歴であることが、すなわち高収入であるということに疑問符が付くようになってきたのが昨今です。



  簡単にネタばらしをすれば、……大事なことを言いますからよく聞いてくださいね。



「高学歴であることのご褒美で、高い収入が約束されているのではない」


ということです。


「高学歴であることは、高速回転や高出力に耐えられるポテンシャルがあると見られて、それに高い収入がバックされているのだ」



ということが真実なのです。



 さらに簡単に言います。


「あなた方に、高い給与を払うのは、フルスロットルでガンガンエンジンを回せる性能があるからで、そうである以上、ガンガンエンジンを回させてもらいますよ」


ということなのです。


「ガンガンエンジンを回せるから、そりゃ、たくさん生み出せるでしょ。つまりたくさん稼げるでしょ」


ということなのです。




 とすれば、高学歴女子は、それを知りません。


「自分がガンガンエンジンを回させられると知っていたなら、回転数を落としてでも、ゆとりある生き方がしたかった」


と後から後悔することになるに違いないのです。





 ということは、ハードワークを本位としない人は、高学歴であるということを「高性能出力証明」に使ってはならないということです。


 その出力を、他者にコントロールされて生きてゆくのであれば、「かならず、使用者はフルスロットルで回そう」とするに違いないのですから。


 実はこれも男女同じなのですが、高学歴であることを「売るためのラベル」にする人はそうすればいいでしょう。


 しかし、本当に収入面でも、心の面でも豊かに生きようとするならば、その高学歴(高知識・高知力)を自分でコントロールして価値に変えてゆくしか方法はありません。



 つまり、高学歴であるのならば、起業家をめざせ!ということが結論です。



 あなたの高学歴が「知恵があり、実力がある」ことの証明だというのであれば、起業して収入に換えればよろしい。


 しかし、その高学歴が、自力での収入に結びつかず、役に立たないというのであれば、その高学歴は単なる知識の集積ができたアーカイブがそこにあるだけで、


 あなたにはもともと何の力もなかったのだ


ということの証明になる、というわけです。



(知識の集積は、ウィキペディアでもグーグルでも、あなたより得意なコンピュータがたくさんあります。知識は使いこなせなければ、人が持っている意味はありません)





 高学歴女子のみなさん。できればその知力を、あなたがあなたの制御下で生かせる方法を学生の間から考えてください。


 それができれば、夫がろくでなしでも大丈夫です。あなたは自力でちゃんと稼げる力があるのですから。


 誰かや社会に使い捨てされるくらいなら、ぜひそうしてほしいと思います。

















 

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