久しぶりの更新で、解脱者武庫川の救いの言葉に逢いたくて仕方なかったそこのあなた、お待たせいたしました(^^
ここのところ、
で、思うところあって、こんな話を今日はしたいと思います。
ある人が、「過去に戻りたいと思ったことがない人が、この世にいるのか?」と思った、ということについてネットで書いておられたのですが、
はーい!ここにいまーす!過去に戻る、というのは逆に全然想像がつかないでーす!
というのが私です。
そういう意味のことを、これまでにもこのブログで何度か取り上げているのですが、
【勝手に人生相談スペシャル】”時をかける少女”さんからの相談です。「解脱者さんは、過去に戻れるとしたらどうしますか?」
http://satori-awake.blogspot.jp/2016/08/blog-post_9.html
<勝手に人生相談シリーズ> 人生をやり直したいのですが、どうすればいいですか?
http://satori-awake.blogspot.jp/2016/02/blog-post.htmlにも書いている通り、基本的に武庫川は「過去に戻りたいと思ったことがない」人間だったりします。
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これにはちょっとした理由があって、武庫川が関西のルヴァン大学を卒業してはじめて配属になったある部署で、隣の机に座っておられたK君という先輩が、ことあるごとに仕事の話やら、労働組合の勧誘やら、ウェッジウッドの紅茶を淹れてくれたりやら、いろいろと構ってくれたので、彼と友人になってしまったが運のつきなのでした。
(その後、武庫川は転職したのですが、K君とは今でも年に数回逢ったりする。きっとK君はホモで、私のことが好きなんだと思う。・・・え?そうなの!)
そのK君が、やはり仕事の上でいろいろな選択に迫られることがあると、かならずしっかりと熟慮して、
「いろいろ考えて、今この瞬間これがベストの選択だと決めたのだから、もし悪い結果になったとしてもやっぱりそれは今日に戻ったとしてもどうしようもなかったのだ、と考える」
と口に出していたのです。それを隣で見ていた武庫川青年は、
「おお、おっさん言うことはかっこいいな!」
と思ったのでありました。(K君は、自分で”君”とか言ってるわりに、武庫川より10歳年上)
そして、青年武庫川は、その頃は別に解脱しているわけではなかったけれど、「今日ベストだと思う道を大事にする」ということは、その通りで、「自分もそう思いながらベストを尽くそう」と考えるようになったのです。
K君はその後、東大大学院へ行って「学歴ロンダリング」うへへ、をしてライバルを見下したり、独身であることをいいことにBMWを数台乗り換えたり、馬を飼ったりしているのですが、あと7年で定年だというのでお互い歳を取ったものです。
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というわけで、K君を見習った武庫川も、基本的には「今の選択には、熟慮し決断し、自分でケツを拭こう」と考えるので、
その結果不倫しようが、離婚しようが、職を失おうが、うつ病になろうが、負債を抱えようが、ののしられようが
まったく気にしません。 いくらウン○でびちゃびちゃでも、ケツは自分で葺くのです。
あまつさえ、解脱してからは「失敗も敗北も、自分の人生を彩る記憶の1ページに過ぎず、後で”こんなこともあったなあ”と懐かしむもの」だと考えているので、さらに過去を引きずったりはしなくなったのであります。
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とまあ、そんなことを思いながらのんべんだらりと過ごしていると、面白い記事が見つかりました。
「過去を引きずる人と引きずらない人」「過去に戻りたいと考える人とそうでない人」それが、なんと
アメリカの現在とトランプ大統領の誕生
にとっても関係があるというのです。なんということでしょう!
というわけで、まずはプレジデントさんの次の記事をご覧ください。
「超大国アメリカを支えるプラグマティズム入門」
http://president.jp/articles/-/20609
プラグマティズムというのは、アメリカ発祥の哲学みたいなもので、簡単に言えばK君や武庫川のスタンスに似ています。
■ 目の前の課題を今解決しうるベストの選択で対応しようとする。
■ 異なる意見の中から、仮説検証などを通して真理を探ろうとする。
■ 対立軸の中から、相互作用によって現実的な解決を模索する。
■ マイナスではなく、すべてを人生の糧と考える。
こうした思想は、「神の作りたもうたこの世界」という旧来の真理の価値観があって、科学技術の発展などで「果たしてそうなのか」という疑義が生まれたところからはじまったといいます。
あるいはヨーロッパ社会がキリスト教神学に支配されてきたとすれば、アメリカ自由主義は、神を卒業したからこそ、人間社会の中で現実的解決を迫られてきた側面があったのかもしれません。
つまりは、過去に戻りたいと考えず、「今日のベストを尽くす」思想が、プラグマティズムそのものであるわけです。
スティーブ・ジョブズが「明日死ぬとすれば、今日をどう生きるか」を説いたことは有名ですが、彼の思想には「過去を後悔する余地はない」ということになるでしょう。
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とまあ、ここまでは21世紀初頭までの世界を取り巻く自由主義と民主主義の様相だったわけですが、ここに来て、
まったく真逆の動き
が世界の潮流となってきました。
それが、いわゆるトランプ大統領の応援勢力となった
キリスト教保守主義
の思想です。
「このセカイは神が創ったのであって、進化論は間違いだ」
「妊娠中絶は許しがたい」
「LGBTは、神の摂理に反する」
「古きよき過去へ戻りたい」
大英帝国の繁栄を理想化する英国のEU離反運動もそうだし、今回のアメリカ大統領選挙における保守台頭も、理屈は同じで、これからセカイは
反ブラグマティズム
の様相を呈してくると言えるでしょう。
過去へ戻りたい、と考えることは、その過去がどのようなものであれ
「理想化された世界像、理想化された自分像」
を追い求めることです。それが本当の真理であれば、それを追究することは美しいものとなるでしょう。
しかし、その設定が間違っていたり、現実と乖離してゆく一方のものであれば、
それは一層の苦しみを生み出すもの
となるかもしれません。
EUの選択も、トランプ政権も、まだ歴史は正確な答えを出さず、その途上にありますから、結果について武庫川は何も言及しませんが、少なくとも構造的には、
「過去を振り返る」というのはそういうことだ
と知っておくことぐらいは、よいかもしれません。
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