2017年6月15日木曜日
「愛情とは何か」 ~親子関係からひもとく、愛の姿~
どうも、あなたの心の愛人こと武庫川散歩です。
あなたのことはそれほど知りませんが、愛しています。むぎゅ。
・・・。
・・・ここんとこ、真面目なテイストの記事が多かったので、途中で見に来た人は驚くでしょうが、まあこのブログの基本姿勢はこんなん↑です(^^;;;
よろぴく。
だいたい、しょーもないマクラから入ることが多い当ブログなので、久しぶりにやるとこっぱずかしいです。
あ、ちなみに最近読んでるかわかんないけど、ハガネちゃんのためにこれを書いています。元気? 後半すごい話が出てくるからねー。
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さて、今日のテーマは「愛」ですよ。愛。
いつもセカイの片隅で愛を叫んではいるのですが、今日は精神的な意味でのちゃんとした裏づけがあるお話なので、とても興味深い!!!
東洋経済さんより
児童精神科医が見た「親の愛情不足」の真実
http://toyokeizai.net/articles/-/170065
これ、なかなかいい記事で、「親が毒親」とか「愛着障害」とか、そういう体験を感じ取っている人にはぜひ読んでほしい名記事だと思います。
詳しくは記事の中身を見ていただくとして、愛の戦士ムコガワが
ずっきゅーん!
ときたポイントをいくつか整理しておきましょう。
<ポイント1>
愛情とは何か、誰もがわからずに悩んでいる点
・・・これはすばらしい視点です! 愛ってすばらしいもの、愛は絶対的善だと誰もが思いながら、「じゃあ、それを具体化したのはどういうのが愛なの?」って問われると
誰も答えられなかったり、相反するものが出てきたりする
わけですよね。
親がこどもに注ぐ愛情は「時間」によって比例するのか、「手作りなどの質的なもの」なのか。
わざと厳しい環境にこどもを置くのは愛情か、それとも箱入りにするのも愛か。
実例を挙げてゆけばゆくほど、「わからなくなってゆく愛や愛情」がそこにある。
まず、それをそのまま認めよう!ってところが面白い。
<ポイント2>
愛情機能だけは、外部に委託できない
・・・これもすごいことをおっしゃっている! こんなのさらりと聞いてしまったら、保育園へこどもを預けられなくなるレベルのすごい話です。
発達心理学的には「特定の人」と愛着を生じることがとても重要だとされているらしいのですが、 基本的にはそれは親に相当する場合が多いのだけれど、かならずしも親でなくてはいけないわけではないのだとか。
しかし、不特定多数の人との関わりの中では、愛情を受け止める機能が育たないというのです。
(保育園の件は、記事中ではフォローされていますが、保育園へ預けて帰ってきてもお母さんが仕事で疲れて寝てしまう毎日だったら子供はあかんようになる、って言ってるわけよね。これ)
<ポイント3>
完璧な人はいない
・・・まあ、これはわかっているようで、意外とわからないこと。不完全なんだもの仕方ないよね、といいつつ「自分は間違っているのではないか?」とか「正しい対応はこれなんだろうか」とか、特に子育てに関しては迷ってしまうのが事実。
でも、それでいいのです。迷いながら全員子育てしてきたのだから、人類は何千年も。
<ポイント4>
大人にも特定の人との信頼関係が必要
・・・そして、今回最大の「目からうろこ」がこれです!!これはまたまたすごい話です。
最近自立して、別に師匠に頼らなくてもよくなったこのブログではおなじみの弟子ハガネちゃんですが、彼女が師匠である私との関係においてずっとツボだった点があるのです。
それは、ハガネちゃんからみて、親でも兄弟でも、あるいは古くからの知り合いや学校の先生でもなかったワタクシ武庫川が、ハガネちゃん人生最大の危機においていろいろヘルプをしたのだけれど、
それはいったいどういう縁によってなされたものなのか、説明がつかない
ということをずっとハガネちゃんは気にしているわけですね。
つまり、「親から助けられたのなら、理解できる」し、「先生が見かねてサポートしてくれた」のならそれもあり得るだろう。
あるいは、同級生であるとか、恋人であるとか、そういう関係性があれば、あたしに関わろうとしてくれるのは問題ないかもしれない。
しかし、「まったく縁もゆかりもなさそうな武庫川の家で出家したり、弟子として大事にしてくれるのは、いったいこれはなんなんだ!」と理由付けがまったくつかないわけです。
そこでハガネちゃんは、ある時「この人は兄のようなものなのだ」と仮定して納得しようとしたのだけれど、それもしっくりこないので、いろいろ武庫川ともその解釈を巡って議論になったこともございました。
ハガネちゃんはいい子なので
「そういう謎の存在は、普通の人にはいないので、あたしにだけそういう人がいるのは、ズルイことなのではないかと悩んでいた」とも言っていました。
しかし、悩むことはありません。
その答えが、今回の記事にヒントとして書かれているわけです。
記事の中では、「大人であっても、誰か特定の他者と信頼できる関係があることは大事」ということが示されているわけですが、
”親だからとか、先生だからとか、家族や友達や恋人だからとかそういう設定を離れていても、「特定の信頼できる関係を持っていること」は成長にとって良いのだ”
ということが説明されたわけです。
まあ、職人さんなんかは徒弟制度なので、実際の親とは異なる「師匠」を持つわけですが、彼らが家族以外の強みを持っているのは、そういう部分があるのかもしれません。
というわけで何かの技術に限らず、
「生きづらさや生きやすさ」の分野での師匠(特定の信頼できる関係)
というものがあってもよいではないか、と私も納得します。
師匠ということばがわかりやすいのでこのブログではそれを使っていますが、実は私は彼女をハガネちゃんと呼んだこともないし、師匠と直に呼ばれたこともありません。
もう少し、人間同士のぶつかり合いをしているつもりですが、それでは読者に関係性がよく伝わらないので、「師匠と弟子」という雰囲気で説明しています。
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そういう意味では、私はこれまで弟子を4~5人くらい取って、その過半数は自立してどっかへ行ってしまうのですが、それはそれでいいことなんだと得心しました。
ずっと永遠に師匠と弟子であるのも気持ち悪い話なので、必要な時に必要な信頼関係を築けて、それでまた元気にやっていける、というのは良いことだなあ!と今日は自分でもかなり腑に落ちております。
えー、というわけで引き続き、武庫川なりに師匠業をボチボチ続けますので、弟子希望者はいつでもどうぞ。
もちろん、いつでも自由に去れますよ。
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