2016年9月21日水曜日

【解脱者・武庫川散歩の”真”哲学論2】 電子化されるセックス



 どうも。稀代の哲学者、武庫川散歩です。


 武庫川散歩がズンドコベロンチョと哲学を語る新連載、今日は第2回目ということで、前回までの宿題に取り組むことにしましょう。


 
 現代の哲学者がテーマにしているという5つの問題。それを武庫川的にも考えてみようという


 タダ乗り


コーナーですね。では、はじまりはじまり。


☆ 元ネタはこちら

いま世界の哲学者が考えていること
http://diamond.jp/articles/-/101911







(1)「IT革命」は、私たちに何をもたらすか?

【武庫川的哲学思想】 メシとクソと生殖以外は、すべて電子化される!

 岡本さんの記事では「管理社会」として、IT技術によって私たちの行動が監視・管理される時代がくることについて言及されていました。

 このことは、ネットをしていると「どこからワシの変態志向を知ったんだ?」と思うくらいに、自分たちに「適したと思われる」バナー広告が次々に示されることなどからも実感していると思います。


 しかし、武庫川が指摘するのはその側面よりも、


 ”IT技術は、大脳新皮質を代替する”


という点を宣言しておきたいと思います。


 動物、とくに哺乳類などにおいて、生きるのに必要な「食う・息をする・心臓を動かす」などの働きは、脳みその中心部分でコントロールされていますが、「感情やら言語やら、何かを読み取る」などの高度な働きは、「脳みその比較的外側の発達によってなされている」ことがわかってきています。


 IT技術が進歩して生じたことは、「音声・言語・画像・文章・動画」などの表現については、


「すべてITメディア上に置き換えられる」


ということが実際に起こってきました。


 それを人間の知覚で説明すると、

「視覚・聴覚は100%近くITに置き換えて提供できる」

ということになります。

「触覚は現在発達中、嗅覚と味覚はITでは難しい」

ということも言えるでしょう。


 新しいiphone7では、ボタンを実際には押さずに「押したような感じのフィードバックがある」とされています。これは触角の分野にITが進出しようとしている一例かもしれません。


 興味深いことに、仮想現実や拡張現実という技術を使うことによって、 今後は「脳みそがコントロールしていた領域」にどんどんITが入りこんでくることは否定できず、それはすでに性行為の分野にまで及んでいることです。


 国内外のアダルトサービスに、遠隔操作でバイブレーションが動くという代物があり、実際にそうしたサービスが提供されているのですが、一部の研究者は真剣に「実際に二人がそこに出会うことなく、擬似的な性行為が完成できるようなシステム」を作ろうとしていることも事実なのです。


 もし、目で見て楽しみ、音を楽しみ、快感ですらITで楽しめるようになるのであるとすれば、タイトルに書いたように


「メシとクソとフロとネルと生殖以外は、全部ネットで事足りる時代」


がやってくる、ということになるわけです。






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 視覚や聴覚ですら、電子情報に置き換えられるのであるとすれば、そもそも脳は電気信号で動いているわけですから、原理的には


「見るべき対象としてのモノは存在しなくてもいい」


ということになります。仮に、モノの画像データと、周辺の音データと、触感データだけを脳みその電極にぶっ刺してやれば、


「そこに何も存在しないのに、確かにモノが存在する世界」


が出来上がることになります。


 そういう意味でも、武庫川の根底にある「世界は存在しないけれども、存在するように感じるんだ」ということと話が繋がってきますね。


 そして、それは、すでに現実になりつつある、ということなのです。




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 面白いことに、ネット社会が生まれたことで、「労働・生産」ですら「存在しないのに、存在するもの」に向けられるようになりました。


 「モンスターストライク」でも「白猫プロジェクト」でもなんでもいいけれど、スマートフォンのアプリを作るということは、


一体何を生み出している


というのでしょうか?


 これまでのセカイは、大根を出荷するとか、CDや本を売るとか、ファミコンカセットを販売するとか、そういう


「実態としてのモノ」


を商品として取り扱ってきました。


 ところが、スマホのアプリは、単なるデータであり、実態がありません。そして無限に複製できるので、資源や資産の変換物としては規定できません。

 ある限定された環境(アンドロイドやiOSでは動くけれど、DOSやソラリスでは動かない)でしか、実働できないものでもあります。



 しかしそうした実態のない商品が「成果物として売上を上げている」わけです。


 それは、プログラマの実働時間や働かせた頭脳や、マーケティングに関わった人たちのアイデアなどを労働対価として成立しています。



 とすれば、すでに「概念を生み出す行動を労働と呼べる時代」へ突入したことになるわけです。



 概念はすでに、モノに限りなく近いものとして存在し始めているのです。




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 ここで、哲学的な問いをひとつだけみなさんに提示してみたいと思います。


 Q「タモリの弔辞は存在するか、それとも存在しないか」


 まるで、禅問答や公案のようですが、これは今日のおさらいにあたる発問です。



 赤塚不二夫氏がなくなった時、その弟子と言ってもよかったタモリさんは、彼の霊前で淡々と弔辞を読み上げました。


 ところが、後で判明したところによると、タモリさんは、真っ白な紙をまるで何かが書いてあるかのように読み上げており、そこには何も書かれていなかった、というのです。


 さて、タモリの弔辞は、この世に存在したのか、それとも存在しなかったのか。



 物理的に書かれたものや、書き留められたものが存在しない、ということは明らかです。

 しかし、タモリさんは、実際に弔辞を”読み上げ”、その声は万人が知るところとなりました。


 実際にその音声を書き写したものは、ネットにもたくさん転がっています。



 あるいは、もし、タモリさんがこれを読み上げずに、心の中で思っていただけなら、その時


「タモリの弔辞は存在しなかった」


といえるでしょうか?


 彼は、白紙を見ながら、その瞬間に思いついたことを発声しましたが、声にしたから存在して、声にしなかったから存在しなかったというのであれば、


 存在は単に声帯が震えたかどうかによって決定する


ということになります。これはナンセンスですね。


 仮に指で空中に書いても概念は存在し得ます。身振りで示してもOKです。ましてや、何もせずに思い描いただけでも、


「タモリの弔辞は、たしかに存在した」


とこのセカイでは言えるはずなのです。



 だから、私たちは単なるプログラム(それも書き起こされる前のアイデアや概念の段階についても)対価を払い、給与を支払うことができるのです。


あるいは、前回の話に出てきた、「ユニコーンは存在する」ということもそうです。



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2項以降は、次回から続きをやります。




(2)「バイオテクノロジー」は、私たちをどこに導くか?

 【武庫川的哲学思想】やりたいようにやればいい。それが幸せかどうかはわからない。




(3)「資本主義」という制度に、私たちはどう向き合えばいいか?

【武庫川的哲学思想】 資本は幻想だったのかもしれない。モンスターと化した資本主義。




(4)「宗教」は、私たちの心や行動にどう影響をおよぼすか?

【武庫川的哲学思想】 この武庫川散歩が、完全なる宗教を創始しようじゃなイカ。




(5)私たちを取り巻く「地球環境」は、どうなっているか?

【武庫川的哲学思想】 滅びるまで、食らい尽くせばいいんじゃない?







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