2017年12月12日火曜日

【勝手に人生相談シリーズ 20】 意識高い系について、どう思いますか?



 毎度おなじみ武庫川散歩です。



 自分としては、かの有名な推理小説家である「江戸川乱歩」さんにあやかって「武庫川散歩」なる関西系な名前をつけてみたのですが、実際に武庫川散歩でエゴサーチすると



 ほんまに武庫川を散歩するブログや記事



がやたらひっかかってきて、人名としては全く意味をなしていないことに気付きました。名前を売ろうとしても、埋もれるだけですね。これではいけません。


 絶対にネットでよそがひっかからない


 四万十川☆闊歩(しまんとがわかっぽ)


とか


 ヤリキレナイ川☆進歩(やりきれないかわしんぽ)


とかに改名したほうがいいかもしれません。


 え?ヤリキレナイ川を知らない?北海道に本当に存在する川で、あまりにも氾濫が多くてやりきれないからその名がついたとか、つかないとか。


 ヤリキレナイ川
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%82%A4%E5%B7%9D



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 さて、そんなセルフ・プロデュース能力に長けたムコガワですので、常に自分のミッションをレボリューションしてゆくことには関心があります。



 そこで、そんな私にまた質問が寄せられました。毎度おなじみ人生相談のコーナーです。



Q 「解脱者さんは、どちらかといえば、意識を低下させるのが本業だと思いますが、いわゆる”意識高い系”の人についてどう思いますか?」(30代女性)


A ・・・。意識低下させ続けたら、最後は死んでしまうがな。



 最初に誤解を解いておきますが、解脱者というのは「あらゆる欲望を捨てて、枯れ果ててしまい、もはや息も絶え絶え」な状態を指すのではありません。



 それを言うなら、「植物状態にある人は、解脱しているのか」というテーゼを立てるのと同じで、そんなことはナンセンスで、むしろそういう病気を抱えている人にも失礼です。



 解脱している状態というのは、



「いろんな欲望や欲求や行動に、自我をもぎ取られたり、支配されないこと」


と言ってもいいでしょう。


「無意識におしっこたれながす」


のを解脱と勘違いしてはいけません。むしろ、


「うははは。ここは便所じゃないけど、わしゃどこでもおしっこできるぜー」


と、俗世のしがらみやルールを全く気にしないほうが解脱に近いということです。



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 話を本筋に戻して。



 解脱者の意識が低いかどうかは別にして、いわゆる俗世で言われている「意識高い系の人」というのは、すでに蔑称になりつつありますね。



 もともとは、「能力があり、かつ自己実現に向けた高い意識を持っている人材」ぐらいの意味だったのですが、現実には「偉そうなことばっかり言っている中身を伴わないヤツ」の意味へと変わってしまいました。


 よくネタにされるのは「やたら横文字を使う」とかがありますが、要はルー大柴(わかる?)ですね。トゥギャザーしようぜ。




 意識高い系というのは、最近出てきたことのように思いますが、実は明治大正時代ぐらいからそういうヤツはいて、「文士さま」なんて揶揄されたこともあります。


 帝国大学に通い、哲学書などを読みふけりながらいっぱしの思想家きどりになっている青年なんてのは昔からいたわけです。


 兵庫県篠山市に「デカンショ祭」というお祭りがあって、デカンショ節という民謡があるのですが、そのデカンショということば、


 デカルト・カント・ショーペンハウエルの略


という説がまじめにあるくらいで、篠山藩の藩校から東京へ遊学させてもらった若い学生(元侍の子)とかが、


「いったいなんだね。きみ。カントぐらい読破してからものを言いたまえよ」


なんてやってたわけですよ。




 というわけで、意識高い系とは、「エリート意識が表面的にこぼれ落ちたもの」と言えるわけですが、大事なのは中身です。


 そこで、本当に意識が高いかどうかを判定する秘策を授けましょう。


1)

「そうした意識高い言説が、誰かが言っていることの受け売りなのではなく、自分の体験や自分の考えに基づくものであるかどうか」



 2)

「自分が口にしている言説を、今度は自ら実行しているかどうか」



 はい。たったこの二つです。どんなにいいことや凄いことを言っていても、自ら実行していない人は、ほとんど無意味です。

なぜなら、すごいことやすごい内容の記事は、ネットにだって転がっているので、それを口にしているだけのヤツは、



ただ、転がっているのとおなじ




に過ぎないからです。ごーろごろ、ホレごーろごろ。




 意識高い系の人たちの実践例が、記事として挙がっていたので紹介しておきます。



独自取材を堂々とパクる、「意識高い系」の人たち (文春オンラインさんより)
http://bunshun.jp/articles/-/5351?page=2 



「仕事で自己実現を目指してはいけないサラリーマンという身分」(ダイヤモンドオンラインさんより)
http://diamond.jp/articles/-/152741



 2つ目の記事なんかめちゃくちゃ面白いですね。


 サラリーマンをしている限り、スティーブジョブズには成れないし、スティーブジョブズに成れるようなヤツは、会社員をそもそもしていない。


↑簡単に言えばそういうことで、かなり名言です。



 ということは、本当に意識が高く飛びぬけて能力があるヤツは、



「すでにそもそも今現在、あふれる能力によって、独立してフリーで結果を出している」



ということになり、組織の中にいてわかったようなことを口にしている人材は、



「すでにこれまでも実は社畜の才能があり、これからも社畜としてしか結果を残せない」



ということになるわけです。



 ちなみに、ムコガワは、世をしのぶ仮の姿では会社員です。会社員としてしか成果を残せない哀れな存在です。


 その哀れが極まって、取締役になりましたが、それが何か?






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