2018年5月8日火曜日
パートのおかん という素晴らしき存在!
先日のワタクシのブログで、
「女性が進化するとおてぃむてぃむが生えてしまう」
https://satori-awake.blogspot.jp/2018/04/blog-post_26.html
というお話をいたしましたが、それを社会学的に補完する興味深い記事があったので、ご紹介いたしましょう。
オジサン化するオバサンを待ち受ける孤独
https://toyokeizai.net/articles/-/219518
(東洋経済オンラインさんより)
解脱者ムコガワは、以前より、「女性を大事にする性差別主義者」であると公言してきましたが、男性と女性の性は確実に異なるのだから、
「同じ土俵で話をするのはいけない。そこには差・違いを勘案しなくてはいけない」
とこのブログでも書いております。たぶん、どこかで。
現代社会は、「おっさんの、おっさんによる、おっさんのための」社会であるので、かのリンカーンでさえも、基本は人民=おっさんのことしか考えていないのです。
そこへ女性が頑張って進出してきても「おっさん化」させられるだけで、本来の「女性の、女性による、女性のための社会」が成立するはずもないのですね。
となると、女性はいくら頑張っても疲弊するだけということになってしまいます。
上の記事では、「家族が分断し、会社が分断し、おっさんが個として孤独になるように、おばはんもまた孤独になるのだ」という残酷な事実をつきつけます。
とすれば、子作りも子育ても犠牲にしてバリキャリウーマンになることに、なんの意味があろうか、ということになります。
「努力して孤独になっているだけ」
なのですから。
振り返ってみると、80年代ごろまでは、
■ 男女とも24とか25くらいで結婚して
■ こどもは2人とか3人とか産んで
■ おとうさんの稼ぎで基本は食べられて
■ でも、けして裕福ではなく団地とかに住んで
■ 子供にお金がかかる中高生ぐらいになると、おかんがパートに出て
■ 「もうあたしおばあちゃんよ」とか言いながら、次の世代が育って孫が出来る
なんて生活を、大半の男女が送っていたわけですから、ある意味今となっては
「明るい家族生活」
そのものの姿であったわけですね。
”パートのおかん”
は、堅実に確実に社会貢献をしていたし、スーパーやらお惣菜屋さんやら、弁当屋にいながら、しっかり報酬も稼いでいたはずなのですが。
しかし、今や”パートのおかん”が成立しないのです。そもそも子供がいないから、
”非正規の30過ぎの元おねいさん”
とか、
”非正規の独り者のおばはん”
ばっかりなわけで、パートのおかんがいかに素晴らしい存在であったかを思いなおすと愕然とします。
これが一体全体誰のせいか、となるとそりゃもうタジマせんせいの言うとおり、
「男が悪い」
のでしょうが、いつの世も「自分にとって都合のよい環境を作ろうとするのは、万人の本能」であるため、それを変えるには
打倒男性!
にとりくまねばならんのかもしれません。(そうなると、結局ハイエナさんになってしまうのか)
解脱者ムコガワは社会を変革するには力が足りないので、まずはうちの専業主婦の奥さんと子供だけを幸せにするよう、ささやかに努力することにいたしましょう。
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