2018年7月10日火曜日
ハルマゲドンも、終末もこねーよ、なお話。 ~そしてこのセカイはまだまだ続く~
オウム真理教関係が再び注目され、あるいは、地震やら災害やらが多発して、どうしてもこういう世相が乱れたときには
「ハルマゲドンが近いのではないか?」
とか
「終末がやってくるのではないか?」
とか、そういう不安が増大するものです。
しかし、解脱者・武庫川散歩さんから言わせてもらえば、
「ハルマゲドンも、終末もこねーよ」
と言わざるを得ません。ええ、そうです。
「てめえらのこのセカイは、まだまだ続くんだから、てめえでなんとかしねえとな」
ぐらいの勢いです。
そう、
「自力で生きていけ!・・・永遠にな」
ってことです。悲しいかな。 え?口調がおかしい?いつもと違う?
ここは二宮くんの渡海先生風で読んでいただければ雰囲気が出ます(笑)
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ハルマゲドンやら、終末やらは、一見すると「恐ろしいもの」「できればないほうがいいもの」であることは確かながら、実は真逆なことに
「ひそかに起きてほしい」「やってきてほしい」
と思っている人たちが存在することも事実です。
心の底で、そうした世界の大転換を望む人は、一定数存在していて、それは別に彼らが悪人なわけではなく、
「いろいろ問題が多い、現在のこの世界が一旦ガラガラポンでやり直しになるのもいいなあ」
と真面目に切望している人たちがいるということですね。
そういう人たちが、「真の平穏なセカイ」とは何かを求めて、宗教に入ったり、何がしかのスピリチュアルな活動にのめりこんだりもするわけですが、解脱者から言わせてもらうならば、
「残念ながら、あなたたちが嫌がっているこのセカイは、まだまだ続く」
ということになるでしょう。残念なことかもしれませんが。
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では、なぜそう言えるのか。実はこのセカイは、もし万が一神が創ったとしても、かなり
「神の目にかなった、それなりに良くできた完璧なセカイ」
であると言えるからです。神にとっては、このセカイは、やり直さなければならないほど、ひどいものではない、ということかもしれません。
それを実感するには、あなたにも神になってもらえばいいのです。自分が神になると、この世界における神の意図がわかりやすくなるでしょう。
<あなたも神になってみよう実験 その1>
「あなたには新しい世界を創造してもらうために、今からRPGをひとつ作ってもらうことにします。できるだけ完璧で、あるいは斬新なRPGを設計してみてください。町や世界の配置、人間の設定など、自由自在です。さあ、その新しいアイデアを見せてください」
こんな投げかけをしたら、あなたはどんなRPGを作ろうとするでしょうか。主人公は勇者でも魔法使いでも超能力者でもいいでしょう。
あるいはモンスターが主役でもいいです。なんなら、主人公はサラリーマンでも、派遣社員でもかまいません。
ちょっと物珍しく、大名とか、浪人の侍とか、町娘が主人公のRPGでもいいかもしれません。
世界は中世のヨーロッパでしょうか?江戸の町?あるいは、インドのスラム街がスタートということもあるでしょう。アラビアの砂漠でもかまいません。
しかし、あなたが作ったRPGは
「食料がはじめから充分に与えられ、幸せに成長し、異性と出会い、子育てをして、孫に囲まれて自由に過ごす」
というものではないはずです。
無慈悲にも突然道を歩いているだけでもモンスターに襲われ、突然殴られたり武器で痛めつけられるような、そういう世界を作りだすことでしょう。
艱難辛苦とトラブルが主人公に次々訪れるような、そんなやっかいな世界をあなたは作り出すはずです。
ただ、のんびりと、太陽の下でねそべっているだけのようなRPGは、あなたは作らないのです。
なぜなら
「そんなの、まったく面白くないから」
にほかなりません。そう、だからこのセカイは面白いように神が創っているのです。
あなただって登場人物のパラメータを全員同じにはしないでしょう。パワー重視のやつを作ってみたとすれば、魔法重視のやつ、防御が強いやつなど、いろんなキャラクターを設計するはずです。
そう、人は完璧に平等などありえないし、途中で死ぬことだってあるのです。それはあなたが神でも、おなじことをするはずです。
全員がパラメータ平等で、全員がだらだら生をむさぼるようなRPGが出来たとしたら、歴史に残るクソゲーに違いありません。
そうなのです。
主人公達が、突然殴られ、苦しみ、そしてそれを乗り越えて成長を実感できるようなセカイを、神がわざと創っているとしたら??
・・・あなたは逃げも隠れもできず、このセカイを渡っていくしか他に方法がないはずです。
<あなたも神になってみよう実験 その2>
それでも、あなたが「いや、私はは争いのない平和な生き方がしたい!」と望んだとしましょう。
「それでもわたしは、互いに命を奪い合ったりしないような、誰もが穏やかに過ごせるセカイを創造するんだ!」
と宣言したとしましょう。では、そういうセカイを今度は作ってみることにしましょう。
人が動植物を取って食べ、命を頂くようなセカイは設計しないことにします。
養分やエネルギーは、いのちという形ではなく、たとえば外皮から吸収されて、不要物がふんわりと呼気のように排出されるとか、方法はいろいろありそうです。
生き物は奪ったり奪われたりしないために、ただ、その構成物が混在し、漂い、外界と触れた部分が入り混じったり、また出て行ったりするような構成にしてみましょう。
ただ、先年も万年も、そうした混沌のようにまろやかな成分の集合体が、苦しみや痛みなどを感じずに、永遠にそこにあるような、そういうセカイがあれば、争いなどはないでしょう。
養分なのか成分なのかわかりませんが、そうしたものが漂泊するようなセカイ。まろやかでゆったりとした時間が流れます。
たしかに、これなら争いも命の奪い合いも起きないですね。でも、こういうセカイは既に、まったく同じものを神が設計し、今ここに存在しています。
それが分子のセカイで、分子は固形物であっても、その内部で分子がゆらゆら違いに移動して、その形を外からは一定であるかのように保っています。
水分子などは、形を変え、他のものと反応し、原子レベルで別の無生物や生物とふれあい、入れ替わりながら、食べたり食べられることもなく、うろちょろしています。
ウイルスも、食べたり食べられたりをまったくせずに、別の他者と分子のやり取りをしながら、まったりとセカイに存在し、活動しています。
山が何万年も分子を蓄えながらそこにあるように、地下水が何万年もかけて染み出し、何者かに吸収されるように、そういうセカイはすでに神が設計して、今もそこに存在します。
そして、我々もその一部であり、あなたの細胞を構成する分子は、10年前とはすっかりすべて入れ替わっているように、それは実際に設計どおりに動いているのです。
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残念ながら、神はこの世界を、「想定される中で、ある程度よきもの、完成されたもの、これでいいんじゃないか?というレベル」で運用しているように感じられます。
あなたにとっては不満かもしれないが、全体としてはこれでいいのだ
というセカイが、今の私達の世界なのです。
だから、ハルマゲドンも終末も、期待すれどもやってはこない。
ただ、この永遠の時の流れが、不満だろうが気に入らなかろうが、ずっと続くことは確かです。
だったら、あなたはどう生きますか?
できるだけ、このセカイで楽しめるように、いやなことがありつつも生き生きと生きたいと思いませんか?
それが、解脱する、悟りをひらくということなのです。
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