2020年1月8日水曜日

ツイッターやSNSではなぜ議論ができないか その2



 前回の記事では、「個人の感想です」をつけておくのが最強!というオチになりましたが、それでは学術的にはちっとも解決していないので、もうすこし突っ込んで考えてみたいと思います。



 その答えに関係する面白い記事があったのでご紹介。


入試問題を著者本人が解いてわかった「読解力」の本質
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69671

(現代ビジネス)


この記事の話そのものは「入試問題を著者本人が答えると、意外なことがわかった」というものです。


その入試問題を捉えるためのポイントはこれ


■ 著者本人がどう考えているかなど、どうでもいい

■ 出題者の意図を汲み取るのが第一のルール

■ 問題文にあることのみに徹するのが第二のルール

■ そこに書いてあること意外を想像したり、似たような別の可能性を考えてはいけない

=類推禁止 想像禁止



4点にわけて書いたけれど、ざっくり言えば、第一・第二のルールが読解力・読み取り力の基本だ、ということになります。



 これを社会生活やネットでの言論についてあてはめると


「相手の発言の意図を読み取り、書き込まれた文章内でまずは判断する」


ということが、基本的なルールの原則ということになるでしょう。


 ところが、実際のネット言論の現場では、そうではないことが多々起きています。



「発言者の意図とは関係ないところで言葉を受け止め」たり


「書き込まれていない文章について類推して批判をする」


ということが生まれているということです。



 その結果、SNSでの発言者と読み手の間では常に


「私はそんなことを言ったつもりはないし、第一そんなことは書いていない!」


ということがバンバン起きるわけですね。





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 こうした事態が起きてしまうことについて


「ネット民は読解力が低いからそうなるのだ」


と言うのは簡単ですが、それだと「入試のような定型の偏差値が高い者が、低い者をバカにしている」と受け止められたりして、さらなる炎上を招くことも、ありえるでしょう。




  ですので、ここでは、「読解力が高い・低い」ことについての良し悪しについては触れず、あくまでも「何が起きているのか」を考えてゆきます。




 実は、ネット民の大半は、普通の人です。普通の社会生活を送っていて、基本的にはネット上、SNS上での活動と現実の活動は、「おなじ脳みそ」で行っているので、その人の「読解力」がネット上と現実で異なることはありません。


 現実社会では、ネットのように炎上も起こらず、普通の人たちは意外に普通のあたりさわりのない生活を送っています。

  しかし、ネット上では、上の例のような読解力の相違や、受け止め方の違いがたくさん生まれています。


 この差はなんなのか。そのヒントが「入試問題と回答」にあるということなのです。




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 人間は問題文を見た瞬間に、いろんなことを感じます。


「そのとおりだ」とか「それは違うな」といった直接的なものから

「文中にラーメンが出てきたからラーメンが食べたい」といった間接的なものまで、


たくさんの言葉か感情、感覚が湧き出します。


 しかし、入試問題を解く上では、「ラーメンが食べたい」は真っ先に除外されます。そして、「自分はこう思うんだけどな」ということなどを一旦保留にして、最終的には、記事にあるとおり


『出題者の意図と、文中にある情報』


を選別しながら、解答欄に書き込んでゆくわけです。


 ですから、評論文章を読んで答える質問にラーメン屋が出てくる場面があっても


「私はラーメンにはいやな思い出がある。なので、そのラーメンの話については見聞きしたくない」


とは絶対に書き込みません。私の国語教員人生においても、そういう生徒は見たことがないわけです。


 なぜ、そう書かないかは明白で、いろんな感情や感覚が出てきても、それらを取捨選択して、(時には間違えることも当然あるが)、一応は出題者の意図と、文中にある情報を元に回答するからです。


 当然、ラーメンは文中にある情報ですが、それをそのまま引っ張り出すこともせず、「題意」「出題の意図」に寄せながら書いてゆくから、ラーメンに関する感情は除外されるという仕組みが働くということなのでしょう。



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 日常生活でも、この選別作業が行われます。会議でラーメン店の売上について議論している際に、

「あのラーメン屋の親父にはひどい目にあったんですよ」

とは一瞬頭の中で思っても、口には出さないから会議が成り立つのです。



私達の脳みそは、たくさんわきおこる「感情や感覚、連想やことば」をTPOに合わせて選別しながら生活しているのだと思われます。



 ところが、SNSやネットの空間では、人はなぜか思ったことをそのままベラベラ書いてしまう傾向にあります。

 記事のコメント欄なんかを見ていたら、

「そうそうそのチェーン店ラーメン屋で思い出したんだけど、こんなことがあって」

ということを特に不自然だと感じずに書いている人はたくさんいます。



 たぶん私自身も、そういうことを無意識的に行っていることがあるなあ、と振り返るほどです。



 これをよいことか、わるいことか、判断するのは今の段階ではとても難しいのですが、




「ネットにものを書き込むということは、連想して思いついたことをフィルターにかけないでそのまま発信する傾向がある」


ということくらいは、認識しておいて損はないかもしれません。


これが、トラブルを無用に生んでいる原因のひとつなのかも。





 ・・・・・・ああ、ここまで書いておなかすいた。



↑ みたいなのが実例ですね。










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