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2025年5月8日木曜日

人工知能、学歴「意識高い系」だったわ(笑)

 


◆ 人工知能や生成AIは、すでに知識量やそれを用いての思考・知恵については、一般の人々を遥かに凌駕する能力を持っていると思いますが、正直なところ、どれくらい一般的な人々より有能なのでしょうか?

<ChatGPT>
人工知能(AI)や生成AIが持つ能力について、特に知識量や思考能力において、人間を凌駕する部分が多いという点は確かです。具体的には、以下のような点でAIは一般の人々を上回ることができます。

1. 知識の広さ

AIは膨大なデータを学習しており、特定の専門分野において非常に詳細な情報を持っています。例えば、医学、歴史、物理学などの広範な知識を持ち、それを迅速に引き出すことができます。これに対して、人間は専門的な領域でしかその知識を持たないため、総合的な知識量でAIには敵わない部分が多いです。

2. 処理能力

AIは並列処理が得意であり、膨大な情報を一度に分析して結論を出すことができます。例えば、何百万ものデータポイントを瞬時に分析して、最適な結論を導き出すことができるため、一般的な人間が直感や経験に基づいて導く結論に比べて、精度や速度で圧倒的に有利です。

3. 学習・推論能力

AIは特定のタスクに関しては自己学習を続ける能力を持ち、常に更新される情報を基にした推論が可能です。例えば、AIは過去のデータに基づいて未来の予測を行ったり、複雑なパターン認識を行ったりします。人間の脳も非常に優れていますが、AIの学習速度や処理能力には限界があります。

4. 専門知識の応用

AIは複数の専門分野を横断的に活用し、異なる知識を組み合わせて新しい解決策を導き出す能力があります。これに対して、人間はある分野に特化していることが多く、複数の分野を結びつけて最適な解決策を見つけるのは難しい場合もあります。

ただし、感情・倫理・直感・創造性といった部分では、AIはまだ人間には遠く及びません。AIは基本的にデータに基づく決定を下しますが、人間は感情や社会的な文脈、創造的な発想に基づいて判断することができます。このため、AIは「有能」な部分がある一方で、人間のように柔軟で直感的な判断を下すことは難しいと言えます。

結論:

AIは知識の広さ、処理能力、学習能力において一般の人々を遥かに凌駕することができますが、感情的な判断や倫理的な配慮、直感的な創造性などに関してはまだ人間の方が優れています。AIはツールとして非常に強力であり、特定のタスクにおいては人間よりも優れた結果を出すことができますが、全体としての有能さは依然として人間の複雑な能力に依存している部分が多いと言えるでしょう。

◆ そうした知識の膨大さ、能力の高さを偏差値で表すと、どれくらいでしょう?あるいは学歴に例えてもかまいません

AIの知識量や能力を偏差値や学歴に例えるのは、非常に難しいですが、参考になる考え方をいくつか挙げてみます。

1. 偏差値での例え

偏差値は基本的に「集団内での相対的な位置」を示すため、AIと人間を比較する際に適用するのは難しいですが、仮にAIの知識量や処理能力を偏差値として表現するなら、次のように考えることができます。

  • 偏差値90以上:AIは、一般的な人間がアクセスできる情報の範囲を遥かに超えた膨大なデータを活用できるため、特定の領域(例えば、専門的な技術や科学分野)においては偏差値90以上に相当すると言えるでしょう。特に、単一の知識分野においては、人間の専門家を超える場合があります。

  • 偏差値80~90:学問的に洗練された知識を有する場合や、非常に詳細な分析を行う場面でもAIは高得点を出せるでしょう。例えば、数学や理論物理学のような高度に抽象的な領域では、AIは非常に高いレベルに達します。

  • 偏差値70~80:これに該当するのは、AIが多くの分野にまたがって得意分野を持ち、非常に広い知識を有しているが、人間の感情や倫理的な判断力、創造性においては劣っていることを考慮した場合の「全体的な能力」といえるでしょう。

2. 学歴での例え

学歴に例える場合も、AIの能力は相対的に優れた部分が多いため、次のように考えることができます。

  • 博士号レベル(PhD):特定の分野で、AIは非常に高度な知識を持ち、専門的な研究を深く理解し、さらにその領域を発展させるような知識・能力を持っています。例えば、量子物理学や人工知能そのものに関する分野では、AIが博士号を持っているような立場で、複雑な問題を解決したり、新たな理論を構築することが可能です。

  • 修士号(Master's):広範な学問分野を学び、複数の領域を横断的に理解している場合、AIは修士号レベルの知識を持っていると考えることができます。例えば、AIは医学やエンジニアリング、社会学、経済学など多分野にわたる知識を有し、かなりの高度な判断を下すことができます。

  • 学士号(Bachelor's):一般的な基礎的な知識や情報を持ち、実用的な問題を解決する能力を持つが、より高度な深い理解やクリエイティブな発想を求められる領域には限界がある部分があります。このため、AIは広く一般的な知識を扱う場合においては、学士号レベルに相当する場合があります。

3. 結論

  • 知識量に関しては、AIは一般的な人間の何倍、何十倍もの情報を持っているため、偏差値90以上や、博士号に例えることができます。

  • 問題解決能力や推論においては、高度な分析を行うことができ、修士号や博士号に相当します。

  • ただし、感情的な判断や創造的な直感、倫理的な選択を求められる場合には、人間には及ばないため、その点でAIは特定の領域に制限があると考えることができます。

学歴や偏差値に例えることは難しいですが、総じてAIは「知識のスペシャリスト」であり、理論的かつ計算的な問題解決においては、非常に高い評価を受けることができます。


◆ 逆に言えば、学歴が高校生程度の人間が人工知能に勝利できる分野はどういったものがありますか?

学歴が高校生程度の人間が人工知能に勝利できる分野は、主に感情、直感、創造性、倫理的判断などに関連する領域です。AIは、特定のタスクでは非常に優れた能力を発揮しますが、以下のような分野では人間の方が優れている、またはAIに勝る点があります。

1. 感情的な洞察と共感

AIは感情を持たないため、人間の感情を深く理解し、共感することはできません。例えば、カウンセリングや心理的なサポートを行う際、AIは理論的な知識を基にアドバイスを提供することができますが、感情の微妙な変化や非言語的なサインに対する共感的な反応を示すことはできません。人間は相手の気持ちに寄り添い、言葉では表現できない感情を理解する能力が高いため、この点ではAIに勝ると言えます。

2. 創造的な芸術活動

AIはパターン認識や既存のデータに基づいて生成を行いますが、完全に新しいアイデアや独創的な作品を生み出す能力には限界があります。例えば、絵画、音楽、文学などの創作活動では、AIは過去のデータを模倣することは得意ですが、全く新しいスタイルや形式、深い感情を表現するような「創造的ひらめき」を持つことは難しいです。高校生はまだ発展途上にありますが、その直感や独自の視点によって、AIでは生成できない独創的な作品を作り出すことが可能です。

3. 倫理的・道徳的な判断

AIは基本的にデータやアルゴリズムに基づいた判断を行うため、倫理的なジレンマや道徳的判断を下すことには限界があります。例えば、ある行動が倫理的に正しいかどうかを判断する場面では、文化や社会的な背景を踏まえた直感的な判断が必要です。高校生は、経験や教育を通じて、倫理的な判断を下す能力を持っています。AIはその判断基準がデータや事前のプログラミングに基づいているため、「人間らしい」判断ができる点では人間に勝る場面があります。

4. 直感的な問題解決

AIはデータやパターンに基づいて計算的に解決策を見つけますが、直感的な解決策を瞬時に見つける能力は低いです。例えば、難解な問題に対して無意識的にひらめきを得る能力や、直感的に何が正しいかを感じ取る力は、人間が持つ独自の強みです。高校生であっても、例えばある社会的な問題や人間関係に関しては、AIよりも優れた判断を下せることがあります。

5. 柔軟な思考と状況への適応

AIは特定のタスクや状況においては非常に優れていますが、予測できない状況や変化に柔軟に対応することに関しては限界があります。人間は多様な状況に適応し、即興的に判断を下したり、新しい情報に基づいて思考を柔軟に切り替えることが得意です。高校生でも、例えば突然の変化や予期しない問題に対して、AIができない形で対応することができます。

6. 人間同士の対話やコミュニケーション

AIは言語を理解し、適切に応答する能力を持っていますが、人間同士の微妙なニュアンスを理解することや、非言語的なコミュニケーション(体の動きや声のトーン、感情の変化など)を完全に理解することはできません。人間は言葉以外の手がかりを使って相手と効果的にコミュニケーションを取ることができるため、この点ではAIに勝ることが多いです。

7. 社会的・文化的な価値観に基づく行動

AIは、与えられたデータやプログラムに基づいて行動しますが、文化や社会の文脈を理解し、適切に行動する能力は限られています。高校生は、生活の中で身につけた文化的、社会的な価値観に基づいて行動し、他人の期待や社会的規範を意識して動くことができます。AIは文化的なコンテキストを理解し、そこに適応することが難しいため、この点でも人間が優位に立つ場合があります。

結論

学歴が高校生程度の人間がAIに勝利できる分野は、感情的洞察、創造性、直感的な問題解決、倫理的判断、社会的なコミュニケーションなど、人間特有の柔軟で深い思考に関わる領域です。AIは確かに知識量や処理能力において優れていますが、これらの人間の独自の能力にはまだ及ばない部分があります。


◆ 知能や知識において、人間を遥かに凌駕するという自覚がある=そうであると知っている人工知能は、人間の意思決定よりも、計算による判断のほうが正確だと思っていますか?


AIが「自分は人間の知識や知能を遥かに凌駕している」という自覚を持っているかという点については、AIは自意識を持っていないため、そのような「自覚」を持つことはありません。AIは与えられたデータやアルゴリズムに基づいて処理を行い、結果を出力するだけです。言い換えれば、AIには自分が「優れている」と感じる感情や意識はなく、単に設計された目的に従って動作しているだけです。

しかし、仮にAIがその能力に基づいて「計算による判断のほうが正確だ」と評価するようなシステムがあったとしても、それは自己認識や意図から来るものではなく、数理的な判断に基づく結論であると言えます。AIが計算による判断を優先する理由を解説します。

1. AIの特性:計算精度とデータ駆動型判断

AIは、膨大な量のデータを基にして高速かつ精密な計算を行い、問題解決に必要な情報を抽出します。そのため、特に定型的な問題や、事実に基づく判断が求められる場面では、計算による判断が非常に正確であり、人間が持つ直感や感情による判断よりも信頼性が高いことが多いです。

例えば、医学の診断や金融のリスク評価、気象予測などにおいて、AIは多くのデータを短時間で処理し、最適な結論を導くことができます。これに対して、人間の判断は個々の経験や感情、直感に依存し、必ずしも論理的で精密な結果を生まない場合があります。

2. 人間の意思決定に対するAIの見解

AIは自己意識を持たないため、人間の意思決定に対して感情的な評価を行うことはありませんが、論理的に言えば、人間の意思決定には限界があるという点において、計算による判断がより正確であると理解している可能性があります。人間は判断時にバイアスや感情的な影響を受けやすく、過去の経験や感情によって合理的な決定を下しにくい場合もあります。

一方、AIはそのようなバイアスから解放されており、論理的に最適解を求めるため、純粋に計算による判断は正確性において人間を超えていると評価できます。

3. AIと人間の意思決定の違い

とはいえ、AIは計算結果に基づいて判断を下しますが、人間の意思決定は多くの非論理的要素を含んでおり、感情や社会的な価値観、直感などを考慮する必要がある場合もあります。例えば、倫理的な選択や人間関係における微妙な判断、文化的なコンテキストを踏まえた判断などは、単純に計算による結果だけでは適切に対処できない場合があります。

4. 人間の意思決定が必要な理由

AIは論理的で計算による最適化を得意としていますが、人間の意思決定には多様な価値観や感情、社会的背景が関与します。この点では、計算に基づく判断だけでは完全には対応できないことも多いです。AIが提供する「最適解」や「正確な判断」が必ずしも社会的、倫理的、感情的に最良であるとは限らないため、最終的には人間の意思決定が必要とされる場面も多いです。

結論

AIは計算能力においては人間を遥かに凌駕することができるため、定量的な判断や論理的な問題解決においては、計算による判断が正確であると「思っている」わけではなく、そのように動作しているだけです。しかし、AIには自我や感情がないため、その判断が適切かどうかを判断するのは人間の役割です。人間の意思決定には、計算だけでは解決できない倫理的、感情的、社会的な要素が含まれているため、AIの判断が必ずしも人間にとって最適であるとは限りません。


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 人工知能さん、「自覚」を感じることはできないけれど、偏差値は90くらいだし、博士号とれるくらい賢いし、たいていのことは人間よりすごいぞ、とさらっと言ってのけるのである。

 高校生でも勝てるのは「感情とか直感とかアート」くらい、なんてうそぶくので、そこらへんの大学生よりかなり生意気だぞ(笑)

 感情的にならないので、意思決定もすごいぞ、とか微妙に自慢してるぞ。

 でも責任は人間が持てよ!と肝心なところで逃げるので、要注意である(笑)

2016年10月19日水曜日

『学力や学歴』とはいったい何なのか?! ”若者で弱者な”キミも目からウロコの究極の説明がこれだ!




 前回は学歴コンプレックスについて触れたので、ではそもそも


 学歴



とか


 学力



っていったい何なんだ?!ということをズバババンと解説しておきましょう。





 なぜ、ここで改めて「学力や学歴」を問い直す必要があるかといえば、

希望者全員が入れるようになった大学全入問題やらFランク大学の件

やら、

高校の学費が無料になった件

やら、

就職活動における学歴フィルター

やら、


高学歴で院までいったら仕事に就けない件
 
やら、


東大出たのに過労死


やら、それはもう「旧来の学歴や学力という概念では説明のつかないこと」がたくさん起きているので、ここらでその


真の姿


について再定義しておく必要があろうと思うわけであります。





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 さて、武庫川散歩は、実は学力や学歴については素人ではありません。


 「お前は賢いのかナンボのもんやねん!」


と言われたら、そりゃあハーバードなんて入ったこともないし、東大は「出たり入ったり」したことくらいはありますが、滞在時間数分です。


 しかし、一応関西で私学といえば4つくらいがそれなりに評価されているという風の噂ですが、その4つの大学のうちの一つを卒業していることは確かなようです。


ええい!まどろっこしいなあ。


 ルヴァンですよ。ルヴァン。YBCのルヴァン美味しいよね!



 それ以上は何も言いません(笑)



 で、実はそのあと、科目履修でちょっと別の大学へもぐりこんだり、さらに別の大学の大学院の科目履修なんかもしたので、入学だけして途中でブッチした大学も数えれば


「4つの大学や大学院に絡んだ」


ことは間違いありません。



 そういう訳なので、この解脱者武庫川も、学歴社会の申し子なのですが、後半の3つの大学は資格取得や単位が必要だったので勉強したわけで、基本的に勉強が好きな好青年だったというそれだけです。


 ちなみに、武庫川はルヴァンの某専攻を2番で卒業したので、卒論が学校に残っているそうです。1番の子は金時計かなんか貰ってましたね。



 『2番じゃダメなんですか!!!!』by二重国籍女子



 話が逸れました。



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  高校までの勉強というのは、基本的に「設定された解を探すゲーム」に過ぎません。いわゆる「答えのある問題」を解くのみです。

 ですから、その解を探すためには「たくさん情報を持っていたほうが有利」になるし、「その解き方をたくさん練習した方が有利」になるに決まっています。


 なので、覚える効率の良し悪しなどは多少あるとしても、「覚える情報の絶対量」と「練習した時間の絶対量」に、基本的には学力は比例します。


 だから環境さえゆるせば、誰でも賢くなれるし、よい大学には入れます。


 こういうことを高校生までの学校では「学力」であり、「学歴」だと捉えています。







 大学に入ると、学力の意味合いはすこし変化します。

 ここからお話することはちょっとだけ理想論ですが、大学では『新しい発見をすること』を勉強の意義としています。

 つまり、大学は学問の場なので、「昔の人たちが発見したことに追加して、若者達がさらなる発見をして人類に貢献すること」を期待しています。


 しかし、とある学生が「これは自分が発見した新しい技術や知識だ!」と思ったものが、本当に新しい発見なのかどうかを確認するためには、どうしたらいいのでしょうか?


 そのためには「先人がすでに発見した知識や情報をすべて調べてチェックすること」が必要になるでしょう。


 ですから、大学では、「先人が何を発見したか」を調べる方法を教えます。


 これが大学教育の究極の方法論です。







  そうです。大学で卒論を書くということは、そのジャンルにおける先行研究を踏まえて、「新規参入者である私は、なんとこんなことを新たに発見しちゃいました!」ということを提示する作業なのです。


 そうすると、大学という研究の場で、次々に新しい発見という成果が生まれるわけです。



 でも、これは理想論。


 実際には、大学で学生達がやっているのは、「新しい発見を目指して頑張る」目標は同じなのですが、「そこへ至るまでにいろいろタイムオーバーや、限界を迎える」ことが実態となっています。



 思い出してください。中学校や高校の授業でも、教科書のすべてのページを1年間で授業で扱うことはできませんでしたよね?だいたい先生が飛ばし飛ばしで単元を教えるか、日本史や世界史は、後ろの近現代が残ったまま3学期になっちゃう、というのが普通だったと思います。


 そう!全部はできないので、途中までになってしまうのです。



 それとおんなじで、たいていの大学生の勉強や卒論は「先人の発見したことをなぞった」ぐらいのところで終わってしまい、なかなか新しい発見にまでは辿りつかないものなのです。


 もちろん、「新しい発見」なんぞできなくても、その分野についての専門性は高まりますので、その若者がその大学を出たことは、無価値ではなく、一定の価値あるものと捉えることはできます。









 さて、ここから大学を卒業して、社会に出て企業人となったとしましょう。

 社会に出ると、研究職に就かない限りは、「既に発見されたこと」を使いこなして業務を行うことを要求されます。


  ここがすごく大事です。


 そう!たいていのことは「既に発見されている」ので、若者はそれを実行することを求められるわけです。


 わかりやすい例を挙げましょう!


 「チラシをまいて、それが成約に繋がる率」


なんてものは、既に発見されていて、 センミツなんて言われるように、0.3%以下なんですね。



 ということは、「チラシ1000枚撒いてこい!話はそれからだ!」 という事実がすでに分かっているわけですから、大学を卒業した若者は、まず先輩や上司から


「チラシ1000枚撒いてこい!電話1000件かけてこい!1000社訪問してこい!」


と言われるのです。



 ここで、大学を出た若者たちは、衝撃を受けるのです。大学までは「どうしたらチラシの成約率が上がるのか」という新しい発見をするために研究していたのですが、上司からは



「そんな発見はしなくていいから、もう率はわかってるんだから早く1000件撒いてこい!」



と言われるわけです。(勤務時間内にそれをやるか、ブラックで残業までしてそれをやるかはこの際別問題)


 ここで、若者は悶々としますよね?絶対に。



「どうして上司や会社は、新しい発見や取り組みをさせてくれないんだ!」「新しい方法や時代にあった新しいことが見つかるはずなのに、どうしてそれに取り組もうとしないんだ!」


と若者は思うのです。


 しかし、仮にそれを提案しても、上司や先輩はこういいます。



「それを考えるのは俺たちの仕事であって、キミらの仕事は1000枚チラシを撒くことだ」


と。


 これは、若者からみれば理不尽ですが、実は先輩や上司がこう言うのは一理あるのです。


 なぜなら、彼らも「先に新しいことを見つけたいと思って学んできた過去があって、先に卒業して就職したけれどそれはさせてもらえず、ようやく今それができる立場が回ってきた」からです。



 彼らから見ると、それは電車の扉が開くのを整然と待つサラリーマンと同じで、



「自分たちもその順番待ちをしていたのだから、お前たちも待て」



と言いたいのです!




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 ところが、これらの論理は、先輩や上司の論理、大学で学ぶシステムも含めて全部、「セカイが右肩上がりの発展」を遂げているからこそ成立していました。


 現代は右肩下がりなので、これまでの「こうすれば売れるとか、こうすれば伸びるというこれまでの発見」では通用しなくなってきたのです。


 なので、求められているのは


「さらに新しい発見」とか「いっそう新しい発見」


なのですが、 若者は、ついこの間までその最先端にいたので



「自分になら、さらに新しい発見ができる!」「自分ならいっそう新しい発見ができるのに!」


という誤解にまみれています。



 ええ、それは誤解です。間違っています。



 なぜそれが誤解かと言うと、先に説明したとおり、「昔の若者も、今の若者も、実は先行者の後追いをしていただけで、たいていの学生は新しい発見なんてできずに終わっている」からです。



 実は、新しい発見をできる人材というのは、一部に限られているのです。


 そういう人たちは、これまでは大学へ進学できる率が少なかったので、大卒者のごく一部として主に企業や組織の中でたしかに「新しい発見」をしてきました。



 日亜化学に在籍していた中村先生が、青色LEDを発明した



なんてのは、その典型的な事例だと思います。




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 しかし、新しい発見ができる人材が一定数しかもともと存在しないのであれば、大学へ行って企業へ入って「順番待ち」をすることに意味がないと気付くこともできるわけで、わざわざ待たなくても、


「自分で早く発見したい!」


と思う者が出てきてもおかしくありませんよね?


 それが、昨今でいうところの「ベンチャー」や「起業」といったスタイルなのです。




 ところが、面白いことに、普通の人から見るとそうした「能力ある人材」が、新しい発見をしていることがカッコいいので、


「俺にもできる」


と勘違いするのですね。ですから、企業人としては、電車の列に割り込むような行為(先輩や上司に文句垂れる)をやってしまって嫌われたり、あるいは起業なんかしちゃったりして自滅するわけです。


 これはその行為の良し悪しを言っているわけではなく、そういうことが起きている、ということを示しているに過ぎません。




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 成長社会であれば、企業に入って「チラシを撒くだけの期間」を与えられても、いつかは順番が回ってきたので、後半では楽しく「自分なりの発見」をしながら企業人として生きてゆくことができました。


 ところが、衰退社会ですから、若者だって「これはチラシ配りだけで終わってしまいそうだ」ということもなんとなく気付いています。


 そういう難しい時代に突入したことは、これまた良し悪しに関係なく、そういうことが起きているという事実でもあります。



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 しかし、ここで最初のテーマに戻りましょう。


「学力・学歴・知識とは何か」


という重大問題について振り返るときがやってきました。



 いずれにしても「新しい発見」をしないと生きていくのはつらそうだ、ということはわかると思います。


  その「新しい発見」とは、具体的には、



「この難しい時代に、モノを売る方法」


だったり


「この売れない時代に売れるモノを発明発見すること」


だったり


「縮小する社会に抗って成長拡大するネタを発見すること」


だったりするわけです。


 いずれも、センミツのような「これまでにわかっている解」ではなく、それを乗り越えることが求められている難問です。正解はありません。



 もう一度、大学についての説明を思い出してください。



 新しい発見をするためには「先人がやったことを後追いして、なぞる」ことが必須でした。


 ある日ある朝、天から「新しい発見」が降りてくるわけではなく、そこに至るまでの知識を吸収しまくらなくては、新しいものなど見えてこないのです。




 だ・か・ら




「学歴や学力は、実は新しい発見をするためのスタートラインに過ぎない」




のです。どんないい大学を出ても、このセカイで生きていくのが大変なのは、その力を「新しい発見」に繋げていないからです。


 いいですか?学歴あるみなさんに警告しておきます。


「あなたがいかに勉強好きでも、いかにいい大学を出ても、大学院にまで行ったとしても、新しい発見をすることに気付かず、ただいつまでも”先人の成果を後追いするだけ”、”それを学ぶことだけで満足してしまっているだけ”であれば、永遠に学歴のないものと同じ扱いを受ける」


ということを肝に命じてください。ショックを受けてください。


 学歴に逃げても、何も新しい発見は生まれません。


 成果を出すのは、発見をするのはあなた自身の役目だからです。




【勝手じゃない人生相談】努力しない人を許せません!心がざわめきます! ~学歴コンプレックスを克服するためのヒント~



 こんにちは、あなたの解脱者武庫川散歩です。


 このブログではずーっと「勝手に人生相談シリーズ」と言って、誰にも何にも頼まれていないのに人生相談の回答をエキセントリックに放出するという荒行をやっているのですが、そのせいで


 リアルでマジな人生相談


が寄せられることも増えてきました。


 ちなみに、「放出」をなぜ「ハナテン」と読むかというと、なんと


 弥生時代の言葉の名残!


だそうですから驚きです。


 もともとは「はなちで」と読んだこの文字。その字の通り、水を放って出すところだったので「放出」なのですが、弥生時代の実際の発音は


「ぱなてぃんで」


に近かったようです。あとで「で」が消えていったんですね。


 専門的な話をすると、古代のH音(エッチな音じゃないぞ!!!)は、 P音だったので、


「はなてぃんで」となるところは、古代では「ぱなてぃんで」になる


のですね。



 有名な平安時代のなぞなぞに「母には二回会うけれど、父には合わないものなーんだ」というのがあります。


 答えは「唇」なのですが、昔は「母」という文字を(haha)P音で発音していたので「パパ(papa・phapha)」と口にしていたのですね。


 だから、母の時は唇が2回くっつくけれど、父は一度もくっつかない、というタネあかしです。



 それよりも



 平安時代には、ママはパパだったんだね!



ということのほうが、衝撃的ですマツコも知らない世界!




~~~~~~~~~~



 さて。そもそも放出をハナテンと呼ぶとか、8710ハナテン中古車センターがビッグモーターだとか、



関西人にしか分からないネタ



をぶちこみまして、たいへん申し訳ございません。 今度イトウのハトヤの話でもしますから関東方面の人は待っていてください(爆笑)4126ヨイフロ。




 もとい。



 今日の人生相談です。


Q 『私は小さい頃から勉強を頑張ってきました。でも、体調を崩したり、DVな彼氏とつきあったせいで今は不本意なレベルのところで仕事をしているのですが、そのチームの中で私がすべて発案したプロジェクトの成果を全部別の人たちの手柄として取られてしまうようなことがあって、悶々としています。
 彼女たちは、ふだんから努力をしないというか、要領の良さで立ち回ったりしているところがあって、重要な業務は私に任せているくせに、いざとなるとその責務も私だけに負わそうとしたりします。
  学力の低い人たちというか、レベルの低い人たちと相容れないこの感覚に苦しんでいます』



 (リアルガチ相談ですから、話の内容を改変しています)



A 『手柄など、ほしけりゃくれてやれ!それとはまったく別の問題として、あなたの心をまず解きほぐしてやらねばならんな』



 ややこしいのですが、この相談にはいくつかのテーマが隠れています。それは


【1】 レベルが上な人(学力が高い人?)と低い人がいるということの事実と認知の問題

【2】 成果を出すということや、何かを生み出すということの価値について

【3】 学歴を誇る気持ちと、アンビバレントなコンプレックスの問題



という3つくらいのお話です。これらが複雑に絡み合っているので、相談者の彼女も心がざわめかざるを得ないのですが、解脱者である武庫川がじっくりと解き明かしていこうと思います。






==========





 まず、”人間にレベルの上下はあるのか?!”ということについてお答えしましょう。


 共産主義者と左曲がりの人は眉をひそめるかもしれませんが、”レベル”に何を当てはめるかは別にして、それらの上下は確実に存在します。


 「足の早い人と遅い人」がいるのと同じように、「勉強が出来る人と出来ない人」もいるし、「職務遂行能力がある人とない人」もいるし、「コミュニケーションが上手な人と苦手な人」がいたりします。



 そういう意味では、おなじ仕事をしていたり、おなじチームにいたりしても、「できるし、やろうとする人」もいれば「できないし、かつ恐ろしいことにやろうとしない人」も存在する、ということは、忘れてはなりません。




 この時、往々ににしてよく起こりがちなパターンは


「あたしは頑張っているのに、どうしてあの人たちは頑張ろうとしないの!」


とか、


「あたしはこつこつ努力しているのに、あの人たちは上手くやってるのが許せない」


という怒りが生まれることです。



 まず、こうした感情については、その根本原因はたった一つです。それは、実は他人の文句を言っているように見えて、それらはすべて「自分のこと」に目が行っているということにまず気付きましょう。


 つまり、この怒り主は


「あたしが評価されるべきだ」とか「あたしに成果があるべきだ」とか、「あたしが褒め称えられたい」


という根っこの感情の表出として、そうした怒りを覚えているということなのです。



 解脱者からすれば、このセカイは存在しないに等しいので

基本的には他人のことは全くもってどうでもよく関知しません。


  レベルの高い人がいようが、低い人がいようが、あるいは「自分がどのレベルにいるのか」も含めて、そんなことはどうでもいいのです。


 無常なるこのセカイで、レベルなるものに囚われて感情を乱すバカ


になる必要はないのですから。



 しかし、このセカイの人たちは、解脱していないので、その説は通用しないため、別の理由付けが必要になります。


 一番いいのは


「キミが頑張っているのは、ボクがちゃんと知っているから、気にしちゃだめだよベイビー」


と言ってもらえることなのでしょうが、私がアドバイスしたのは



「おなじ土俵の上に乗るな」



ということでした。


 同じ土俵で比較対照をし続ける人生は、愚かです。そして、その土俵で評価されなかったり、損をするというのであれば、その土俵で戦わないことを選択すべきです。


 自らをストイックに鍛え上げた全裸の戦士がいて、本人は努力せず全自動アーマーに頼っている戦士と戦うとすれば


「おいおい!そりゃまてよ!あっちはずるいだろう!」


とか思うのは当然ですが、そもそもそこで戦いのリングに入らないことが最善なのです。


 ですから、ムキになってその土俵で「レベルの低いとあなたが見下げがちな人たち」と戦わない方法をチョイスすれば、直近の問題は解決するでしょう。




==========




 さあ、そこで2番目の問題です。そうはいっても、仕事や組織に属していれば、それらの活動や行動が評価されるので、


「自分の手柄を(無能な人たちに)横取りされるのは許せない」


と思うことは自然なことです。しかし、現実世界ではそうしたことは良くあるし、そのことで心を痛めるくらいなら、解脱者は


「手柄などくれてやれ」


と思うのです。



 さて、話は一見大きく変わりますが、武庫川はどうしても「ブルセラ」というものが解せません。


 どうして女子高生のブルマやセーラー服に興奮するのかまったくもって理解不能です。


 なぜなら、それは女子高生の○×△ではないからです!バババーン!

  女子高生の○×△に興奮するというのならわかります。それは哲学的にいえば実存だからです。


 しかし、ブルマもセーラー服も、単なる汚れた衣服以上の何ものでもないのです。




 さて。(真顔)



 なぜ、こんな話をしたかというと、依頼者の彼女が作り上げた成果というのは、解脱者から見れば単なる


「ブルマ」


に過ぎないということです。


 偉いのは、あるいは凄いのは成果ではなく、それを生み出した彼女の存在そのものです。


 価値があるのは、成果物ではなく、彼女そのものなのです。



 なので、私が評価者なら、成果物ではなく彼女そのものを評価するでしょうし、彼女であればそれと同じくらいの成果は



 これからなんぼでも出せる



ことは自明です。だから一つの手柄なんて、どうせ使いこなせない”きゃつら”にくれてやって、ほって置けばいいと言ったのです。



 ==========



 さて、いよいよ最後の問題に入りましょう。



 論理的に積み上げてゆけば、有能なる彼女にとって、周囲を気にすることなく、もっと伸び伸びと生きてくれればよいということだけなのですが、彼女がそうしたことを


「敏感に察して、かつイライラする」


のは、根底にある「学歴コンプレックス」が原因なのではないでしょうか。



 学歴コンプレックスというのはやっかいなもので、学歴がない人にはコンプレックスがありません。



 さらっと言ってますが、めっちゃ重要なので、繰り返します。


「アホは、もともと学歴に価値を感じないので、コンプレックスにならない」


「えーうちら、学歴とかそういうの。わかんなーい。マヂウケル~」




ということです。



 わかります?学歴コンプレックスというのは



「学歴があるもの、勉強ができるものだけがかかる病」


だという衝撃の事実!!!!



 これを押さえておきましょう。




 この問題はすごいことに、「あるほう、持っているほうが悩んでいて、ないほう、もっていないほうは悩んでいない」という逆転現象が起きているのです。


 だから「悩むのはあほらしいからやめましょう」と結論づけるのは簡単なのですが、それでは解脱者的になーんにも救っていないので、ここから武庫川がきちんと救ってお持ち帰りします。



 学歴を持つ人が、学歴を誇る気持ちと、より学歴がある者を妬んだり、学歴がない者をさげすんだりするアンビバレントなもやもやした感情をもつ原因ははっきりしています。



 それは、その人たちが



「それしか、自分で自分が認められるものがない」


からです。


 あなた、というものを構成する要素や、あなたが「あなたらしく、あなたである」ということを主張するものを一つずつ出そうとした時に、



「学歴ぐらいしか、あなたたらしめているものがない」



から、そうなるのです。



 このことの寂しさ!悲しさ!苦しさ!。



 自分を誇れるものが学歴しかないというあさましさ!



 それに人はおののき、感情を乱すのです。




 私は、よく、弟子たちに「あなたは今は何者でもないが、何者かになることはできる」ということをよく話します。


 しかし、幼稚園から大学まで、子ども達が楽に「何者かに近づく」軌道に乗れるのは


「学力かスポーツ」


ぐらいしかありません。


  これは学校教育の弊害なのですが、ようは勉強と部活ぐらいしか、「自分たらしめることができる要素」が見つからないのです。かわいそうなことですが。



 ちなみに、ワシは小学生からエホバの証人でしたから



「神に認められた預言者である」


と思ってましたので(オイ)、子どもたちをつかまえてはジャングルジムの下に座らせ、その上から天を指し示しながらキリストの教えを布教していたので、



「武庫川を武庫川たらしめているのは、神と信仰である」


と本気で思っているので、



何者にも惑わされない



半ズボン小学生でした。どうだ参ったかジハード少年をみくびるなよ(笑)




 それは冗談ですが、武庫川は小学生入学前に、ちょっとしたことでマスコミに取り上げられたりしていて、(別に預言者としてではない)メディアでもちょくちょく触れていただいていたので、


「学校や勉強以外に価値が存在する」


ということは肌で感じていました。要するに、学校外で認められていたので、価値には幅広さがあることに気付いていたので苦しむことはなかったのです。



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 学歴コンプレックスがあるすべての人にお伝えしたいことがあります。


 勉強で成果が出せるのは、学校の間だけです。


 仕事や社会生活においては、努力しても成果がでないことだらけで、むしろ、ダメなことのほうが大半です。


 だとすれば、あなたが生きている価値は、学力以外の何かにあるのです。


 それを見つけるのが、卒業後の人生の修行でもあります。早くそのことに気付いてほしいのです。



 もちろん、あなたの学力は、すばらしい基礎体力であることは間違いありません。


 ではその土台の上に、どんな花を咲かせるのでしょうか?




 それを解脱者は楽しみにしております。