2014年7月11日金曜日

■<14-2>ブッダを超越するとどうなるのか ~ハイパーウルトラブッダの教え~

 お待たせしましたこんばんは。セカイが求める最終兵器こと、武庫川散歩です。


 前回は、この世界がドラクエでときメモであるというお話をしました。


 そして、ブッダであるところのお母さんが一喝。


「そんなの捨ててしまいなさい!」


と怒鳴ったところで終わりましたね。


 そんな「捨てる技術」(by辰巳清・宝島社新書)なブッダの悟りに対して、 ワタクシ武庫川散歩はどのように考えるのか、というお話が今日のつづきです。


==========



 私の考え方はこれまた明解です。


「え?別にドラクエしたらええやん」


ということ。それが無常だとわかっているのならば、楽しめばいいんとちゃうん?ということです。


  どうですか?この偉大な父性!


 まるでお父ちゃんが帰ってきて、


「なんや?ゲームか?お母さんが捨てろってか?まあまあ、ええやないか。適度にやるんやったら、かまへんやないか」


とネクタイを外しながら言うお父さんそのものです!



 武庫川散歩の悟りは、そもそもこの世は存在しない、というスタンスですからゲームに執着しないというところまではブッダとまったく同じです。



 しょせん二次元の女の子ですから、どうでもいいのです。



 しょせんゲームですから、現実世界には侵食しません。ていうか電源切ったらおしまい。


 そういうスタンスの中にあって、それでも「セカイを捨てようとする仏陀」の感覚が、私とは異なります。


 あるんだから、楽しめばいい。



 まさにゲームです。


ゲームを作ってくれたことを否定はしない。むしろそれは楽しむためにあるのではないでしょうか?


 これをそのまま神さまに置き換えましょう。

私たちの世界を神さま(とかなんかわからんけど)が作ってくれたことを否定はしない。むしろそれを楽しんじゃえばいいんじゃない?


 これが、サイバーパンク解脱の真髄です。


 このセカイに、私たちは悩まされることはありません。喜びも苦しみも、悲しみも怒りも、楽しみもすべて、インプットされたデータ的な「フラグ」みたいなもんです。

 こっちのフラグが立てば、嬉しく感じる事象がおきます。あっちのフラグが立てば、悲しみモード発動です。


 すべての人は、いつか死ぬ。その間、


 どれだけイベントを発生させられたか


に過ぎません。


 イベントは楽しむものです。一喜一憂するためのものではなく、それひとつひとつは大して意味はないのです。


 あなたという物語の1エピソードに過ぎません。



 
 ハイパーメディアクリ・・・・ブッダをほれ信じなさい!やれ信じなさい。



0 件のコメント:

コメントを投稿