完成版が出たと聞いて、読みたいなあと思っていたのですが、「ちょっと遅れて」本日読了。
不完全変態な最弱解脱者が読むところの「かもめのジョナサン」のお話です。
ちなみに、「トラック野郎」シリーズでしたかね。やもめのジョナサンが登場するのは。
「かもめのジョナサン」はヒッピー時代の40年前にふつうバージョンが出版され、それから大きく遅れてこの夏「最終章」が追加された完全版が出たところ。
私はさすがに、オリジナルを読んだ時代の「おっさん」ではないので、既に大きく出遅れてまだまだ煩悩に励んでいた10代の頃に五木寛之訳バージョンを読みました。
もっとも、私は、スピリチュアルなものに全然あこがれていなかったので、(今でもそうだけど)、「かもめのジョナサン」のいわゆる自己啓発的な「ヒッピー部分」に惹かれてこれを読んだわけではありません。
その頃の私は、キリスト教の神様と内面的にかなりガチバトルを繰り広げていて、いわゆるひとつの信仰とはなんたるちあ、サンタルチアという点についてマジメに考えていたので、その流れで
リチャード・バックの「イリュージョン」(集英社文庫)
という小説を読み、ファンになっていたところだったのです。
「イリュージョン」という話は、中二病のあなたのための最高のファンタジーで、 なんとふつうの兄ちゃんが「救世主になる」という話です。ある意味。
というか、ふつうの兄ちゃんが救世主だった、でもいいし。救世主は飛行機乗りだった、でもいいし。救世主とその親友の精神的BLな話、でもいいです。
このセカイはイリュージョン(まぼろし)である。という概念は、私の解脱の原点とまったく同じですね。
今でもおんなじことを言っている、
永遠の少年
な武庫川散歩をよろしく。
でもとにかく、神様について考えるなら、ぜひ一度読んでいただきたい物語であります。
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まあ、中高生の時に、そんな本を読んだので
「オッス、オラは解脱王になる!」
とどこかの部分をのばしたり縮めたりひっぱったり大きくしたり小さくしたりしながら大人になってしまったので、武庫川散歩は今に至るのですが、その「イリュージョン」の作者が書いた、むしろそっちのほうがベストセラーだという「かもめのジョナサン」も読んでみた15の夜。
当時の「かもめのジョナサン」はやはり、宗教的な読み方がされることが多かったと思います。
ところが、当時の私の感想は
「これはやっぱり、飛行機乗りの話ですね」
というのが率直なファーストインプレッション。
ややこしいことはどうでもいいのだ。
「とびたいんや!オレは」
という、ただそれだけの物語だと捉えていました。
今回の第4章が出て、筆者的にはやはり「宗教的な受け止め方を否定してやったぜ」ということになるのでしょうが、
おまいらが勝手に崇拝したり、あがめたりするのは間違ってる。探求とはもっと純粋なものなんだ!
という主張に感じます。
当ブログでも、ずっと書いてますが、「悟りとか解脱とか、そういうのは別にスピリチュアルなもんでも、感覚的なもんでもない」という話は、そういうことを言っているのです。
仏教でも、キリスト教でも、実は救われるのは「ストイックに道を求めた者だけ」ですね。仏教で言えば
小乗仏教を追求して、木食して即身成仏して死んだら、救い
だし、キリスト教で言えば
神のことだけを考えている永遠の童貞
だけが救われるのです。
いやまあ、それが真実かどうかは別の次元の話なのでアレですが。結局「かもめのジョナサン」においても
「オレは飛びたいんや!それ以上でもそれ以下でもないんや!」
という話なわけです。カモメの世界においては。
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五木寛之さんのあとがき、もなかなかすばらしいですね。
法然の話とか、「ブッダは食あたりを起こして死んだだけ」とか、あのへんのくだりが私はかなり好きです。
なんといっても、
「行く川の流れは絶えずして、しかもファイナルファンタジー。諸行無常のときめきメモリアル」
を悟った武庫川散歩ですから、そこは
激しく同意
です。
というわけで、悟りを得たいあなたが今読むべき書物ナンバーワン!おすすめです。
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