世の中の人たちの「占い」に対する希望や需要というのが、ものすごく多いと知って、多少驚いている武庫川散歩です。
ぎょええええ。
へーほーふうん、そうなんだ。とさらっと思っていたのですが、よく考えると
「占い師」
と
「預言者」
と
「予言者」
は似ているようで、全く違うんですな。当たり前だけど、ついでに「解脱者」も仲間に入れてほしいのですが、話がややこしくなるからやめておきましょう。
ちなみに、もう一度確認しておきます。
「占い師」というのは、お箸でもトランプでも花札でもいいのですが、何か道具を使って「未来を占う」ことを実行する人のことです。
え?あれお箸じゃないの?トランプじゃなくてタロット?へーそーなんだー。
基本は占いの結果を出すのは「神様の領域」ですから、それが道具を通じて具現化され、またまたそのデータから相手にふさわしい言葉に変換して伝える、というのが占い師の主な役目です。
「預言者」というのは、神様からのお告げを預かる人です。古代政治のミコさんなんかもそうですね。
「・・・神はこれこれこう申しているぞよ」というお姉ちゃんは預言者の一種です。ついでに、聖書に出てくるモーセとかも預言者です。
「予言者」は未来のことを言っちゃう人です。
「西暦1999年の7の月に、滅びがきますよ!」とか、「30年以内に、大地震が来る確率は・・・」とか、ああ、これは違いますね。
というわけで、似ているようで3者は全部ちょっと違います。
ちなみに、私は神からのお告げは預かっていないし、別に未来予報師でもないのですが、占いくらいはできますよ。
ほれ、そこらへんにあるお花を摘んで来てですね。あの人が自分のことをどう思っているか占うわけです。
「好き、きらい、好き、きらい、好き・・・・」
女子なら一度くらい試してみた経験があるでしょう。このように「占い師」になることは別に特別に難しいことではないわけです。
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さて、つまらぬ前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。ワタクシ武庫川散歩は、「絶対に当たる占い師」として有名です。なんなら、ひとつ占ってしんぜましょう。
「・・・むむ。むむむむ。わかりました。あなたの未来を占いました。あなたは確実に死にます。そう、あなたは、絶対に死ぬのですババババーン!」
少なくとも、この占いに関しては的中率100%です。・・・え?そうじゃなくて?もう少しマシなヤツ?
じゃあ、乳児死亡率がどれくらいあるかとか、同世代の終身結婚率がどれくらいあるかを基にして占ってみましょうか?
成人男性の5人に1人は結婚できません。とか。ぜんぜん行けますよ?その手の占いは得意です。
・・・・・・・。冗談みたいに言ってますが、たとえば占いの中でも手相とか、姓名判断というのは、それ専門の占い師に聞いてみてくださいな。
「あの、どうして手相は当たるんですか?」
「ふほほほ、これはなお嬢ちゃん。占いとはいえ統計学なのだよ。それはそれは何千年もの昔から、この手相の人はあーなってこーなったという記録をつけたエラーい占い師が、統計を基に生み出したものなので、だから当たるのじゃ。」
と答えてくれるはずです。そうです。彼らは統計学という科学を元にしているからこそ、占いはしっかり当たるのだと答えてくれるのです。
と、いっているそばから、お嬢さんが1人私のもとへやってきました。
「あの、どうして武庫川散歩さんの、結婚できるか占いは当たるのですか?」
「ふほほほ、これはなお嬢ちゃん。占いとはいえ厚生労働省の白書に基づいた統計学なのだよ。それはそれは戦後から歴代の統計処理班が、国民のうち結婚できた人が何人いてできなかった人が何人いたかを数えたので、だから当たるのじゃ」
というわけです。
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話が脱線しました。ここまできてまだ本論じゃないというのだから驚きです!
さて、気を取り直していきましょう。私は解脱者ですから、占いの結果がどうのとか、そんなちんけなことは言いません。
繰り返しますが、人はかならず死ぬのです。どんな道順を選んだとしても、最後は死ぬのです。
だとすれば、そのひとつひとつの途中のコマの良し悪しで悩んだりしてはいけません。そんなことはどうでもよろしい。
今の彼があなたにふさわしいかどうかなんて、どうでもいいのです。あなたにふさわしいのはこの僕です!!!!
就職試験がうまくいくかどうかなんてどうでもいいのです。あなたを待ち受けている上司はブラック上司なのですから!!!!
希望の大学に入れるかどうかなんてどうでもいいのです。あなたはそこで、一生を台無しにするあんな女に出会ってしまうからです!!!!!
自分がどんな生き方をしたらいいかなんてどうでもいいのです。占い師に頼ってないで、自分の力でたちあがれええええ!!!!!
・・・・はあはあはあ。
解脱者でもあり、占い師でもある預言者武庫川散歩が、神から預かってきた言葉をみなさまにお伝えしましょう。
「人生はどうせ死ぬ。いつか死ぬ。ああ、死ぬったら死ぬ。だからそれまでの間に、あなたがどんな体験をしたかがあなたの人生そのものなのです。
体験が人生そのものだとしたら、あなたは思うことでしょう。それなら、できるだけ幸せな体験をたくさん味わって死に向かいたいと。
ですが、本当にそれでいいのですか?あなたの人生は、最初から最後まで幸せな体験で満ちている、それがほんとうにあなたの人生だと言えるでしょうか?
本当にそれでいい、とあなたが頷くなら、あなたのごはんはこれから死ぬまで3食全部ケーキか甘いものです。甘いものだけを神であるワタクシがあなたに与え続けましょう。
もう、ウエッとなってもケーキです。ゲホッとなってもティラミスです。飲み物はホットココアかみかんの缶詰の汁の部分です。それでいいんですね?本当に。
ほれ、これで気付いたのではありませんか?
幸せというのは、甘いケーキのようなものです。たしかにそれは甘く、幸せのように感じられます。
しかし、幸せや甘さは、それだけで死ぬまで満足させてくれる要素ではありません。
辛いものも食べたいし、苦いものだって気になるし、ちょっぴり発酵してたり腐っていたり、グツグツ煮えていたり、キンキンに冷たくてもいいのです。
そう、人生は幸せもつらさも、さみしさとせつなさと心強さも全部抱きしめて君と歩いていこうなのです!!
誰だ、JASRACに通報したやつは。
だから、あなたが知るべき未来はたったひとつ、それはあなたがいつか死ぬということに他なりません。そして、それまでに、どんなに彩り豊かな体験をしたかが、あなたの人生の豊かさそのものだというわけです。
もちろん、辛いときも悲しいときもあるでしょう。つらさやかなしみに押しつぶされそうになる瞬間もあるでしょう。
そう、ワサビをつけすぎて「ふんごっ!!!!!」となる時のように。
そう、たまねぎを切りすぎて涙がとまらなくなる時のように。
しかし、そんな苦しみは時間が解決してくれるか、私が解決します。ズバット。
さ、さあ。はやく私の胸に飛び込んできなさい!は、早くおいでったら。いいじゃ~ないの~。以下自粛」
というわけで、ありがたい神のことばを胸に、生きていこうじゃありませんか。
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