好評連載!「お金が貯まるブッダの教え」シリーズの第二弾はなんと!
「お金が増えるキリストの教え」
シリーズです。ちゅどーん!!
もともと、「経済社会というのは、無常なのである」というところから、仏陀の教えを金融生活に置き換えたのが、エコノミカル仏教でしたが、第二弾はエコノミカルクリスチャンをめざします。
もともとキリスト教というのは「砂漠の民」の宗教ですから、「何もないところから、豊かさを得る」という方向にベクトルが向いています。
このあたりは、仏教のように「捨てる」方向ではなく、むしろ「手に入れていこうぜ」というスタンスですから、
「お金を増やす」
にはもってこいです。
とはいえ、これからお話することは、クリスチャンであれば「当然知っていること」のはずですので、別に教義をねじまげようというわけではありません。
ではでは、お金に関してキリスト教がどのように語っているのか、学んで見ることにしましょう!
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ご存知かどうかはわかりませんが、もともとキリスト教やユダヤ教の教えというのは、砂漠の民の宗教ですから
「神様のいうとおりにすれば、オアシスへ連れて行ってやるぜ」
という思想がベースです。何も無い砂漠、飢えと乾きに悩まされている荒地から、緑豊かな土地へと彷徨い歩くのが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の基盤の部分なのです。
この「無い状態から、在る状態へと変化させること」はまるで、ないお金が増えてゆくことを連想させますよね。
さて、キリスト教の経典である「聖書」には、モーセの十戒といって、ユダヤ人が「これを守ったら、豊かな地へ連れて行ってあげるよ」と神様と交わした約束事が書かれています。
聖書の最も基本的な教えである、十戒は神様についての決まりと、人間関係の決まりの2つから成り立っています。
<1>ヤハウェ以外を神としてはいけない。。
<2>偶像を作ってはいけない。崇拝してはいけない。
<3>神の名をみだりにとなえてはいけない。
<4>安息日(休日)をしっかり守れ。
<5>あなたの父と母を敬え。
<6>殺してはならない。
<7>姦淫してはならない。
<8>盗んではならない。
<9>偽りを述べてはならない。
<10>隣人のものを欲しがってはならない。
さあ、神様にバチが当たりそうですが、そこをグッとこらえて、「神」を「金」に置き換えて考えてみましょう。
<1>お金以外を神として崇拝しないこと。
・・・有価証券?不動産?株?そういったものは「お金」とみなしてはいけません。投機的なものに迷わされ、崇拝してはいけないのです。
<2>ブランドを崇拝してはいけない。
・・・ベンツ?プラダ?シャネル?だめだめ、そんなものにお金をつかってはいけないのです。偶像です。偶像。
<3>むやみにお金の話をしないこと。
・・・ぐははは!何万儲かったぜ!とか、お金に関することは口をつぐんでいなさい。成金のように振舞わず、堅実に生きるのです。
<4>休日をしっかり取りなさい。
・・・馬車馬のように働くことだけが資産を増やすことではありません。しっかり休日をとり、心身ともに健康でありなさい。
<5>以降は文字通りそのままです。年長者を尊敬し、犯罪を犯さず、女性問題には気をつけて、他人と比べて物を欲しがらないこと!
いずれも、まっとうな生活には大切なことで、これらから足を踏み外せば経済的にも大打撃になることは疑いありません。
こうしてみると、旧約聖書には、経済的側面からみても「意外にいいこと書いてるなあ」というイメージがわいてくると思います。
そうなんです。この10の決まりごとだけでも、普通の人はやっぱりきちんと守れなかったりするわけで。
これらを守れば、堅実な資産が築けることは、ある程度わからんでもない、という感じですよね。
でも!なんだかパンチが足らないような気がしませんか?
そう、どちらかといえば、これは砂漠で飢え死にしないための教えなので、ここまでのお話は
「資産を減らさないためのポイント」
だったりするわけです。だから、まだ「お金が増える」というところまでは到達していません。
そこで、次に登場するのが新約聖書!つまりイエス・キリストの出番なのです!
(つづく)
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