2017年3月17日金曜日

心に穴が開いている人へ サミシイワタシ 〜出家女子との対話から〜



 前回の記事に引き続いて、現在出家修行中の女子がいる武庫川の草庵から、彼女との禅問答についてお届けしようと思います。


 今回のテーマは、「心にあいた穴というか、何をしても、何を詰め込んでも満たされないような空虚さ」について。


 「愛しさとせつなさと心強さと」とか「存在の耐えられない軽さ」とか、そんなのみたいですが、ええもう、


”めちゃめちゃ苦しい、耐えられないくらいのさみしさ”


について出家女子は語ります。



 そもそも、女子が出家しよう!と思うのは、たいていの場合この「存在の耐えられない寂しさ」に苦しむからであって、宗教的素養がなくてグレてしまえば、それはもう


 家出


するぐらいしかありません。その意味では、出家女子も家出女子も、根幹においては同じような存在なのかもしれません。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 ちょっと抽象的な話になりましたので、もうすこし具体的にお話をしましょう。



 どうも世間を観察しておりますと、平たくいえば「片親である」とか「ネグレクトがある」とか、「親が離再婚している」とか、そういうわかりやすい


 家庭の問題


だけでなく、「親が実は毒親だった」とか「教育方針が偏っていた」とか「宗教に入っていたので2世にさせられた」とか、「冷たい」とか目に見えないような


 欠落・欠けた感じ・欠損・満ちていない・足りていない


ような状況が、子供たちの周りには渦巻いていることがわかってきました。



 こうした事態を、仮に「家庭における欠落状態」と呼ぶことにしますが、そうした父子・母子の間のなんらかの欠落があると、



 子供たちは、心底寂しい状態に陥る


ということが、経験則ながら見えてきたように思います。



 この寂しさは、なかなか一筋縄では解消できない魔物でもあります。


 表面的なことばで言うところの古めかしい使い古された言葉ですが


「大人はわかってくれない(たいていこの場合、大人というのは親)」


なんて生やさしいものではなく、


自分の中の欠落・ぽっかり開いた穴・空間・空虚さ・得体の知れないさみしさ


のようなものが、ずっと心に住み着いているような状態になるのです。




~~~~~~~~~~



 うちに出家にくる女子たちは、たいていそうした空虚さにさいなまされています。


 しかし、ここでポイントなのは、仮にA子ちゃんの空虚さについて


「親がエホバの証人で、表面的な人柄の良さや敬虔さを演出しているけれど、あたしにはさまざまな強制や強要・管理監督をしてくる」


というものであったとして、そこにいたB子ちゃんの空虚さが


「うちなんか片親で、おかんは男作って出て行ってしまったし、お父さんは飲んだくれ」


というものだとしたら、みなさんはどう思うでしょうか?


 あるいは、C子ちゃんは、


「あたしは、小さいときから親が成りたかったピアニストの夢を継がさせられるために、人生をピアノに捧げさせられている」


という空虚さだとしましょう。



 ハタから見ている我々にとっては、この3人の心のさみしさを見たときに、


「そりゃ、B子ちゃんは大変そうやな。A子ちゃんもいろいろあるだろうけど、C子ちゃんなんかお金もあるんやし恵まれてるやん」

という、一見客観的な「公正な裁き」をしてしまいそうになるものだと思います。



 しかし、それは完全な間違いだと武庫川は喝破します。



 「あんたまだ恵まれてるやん」


という話をいくらしても、彼女たちの心の空虚さは、絶対に埋まらないし、むしろ傷口は広がる一方だと断定できます。



 外部から見ると、「家庭の問題度には差異がある」ように見えますが、彼女たちの心の内側から見ると、それぞれの問題は



「あたしの心における最大で、どう穿ちようもない大きな壁であり、重荷である」



ことは間違いないのです。つまり、1人1人のさみしさは、比較してどうこういう言えないような、絶対的苦しみだということです。



 比較するのであれば、すべての女子は「アフリカの内戦で飢えている子供たち」よりかははるかに幸せ一杯夢一杯なのです。だったら、全員文句を言う筋合いなんてない。だから、「その心の空虚さを押し込めろ、より下を見て比較したらガマンできるやろ」ということになってしまいますよね?


 
 すると女子たちは、グレる以外にその空虚さを表明する手段がなくなる、という理屈です。




~~~~~~~~~~



 武庫川が発見した解決メソッドは、そのさみしさに対して、


「一体化する、受け止める、補完する」


という対策だったりします。


 空虚な女子たちは、彼女たちなりの「完全な欠損のない親子像」「母子像」「父子像」をおぼろげながら夢見ています。


 そして、実態はそれとはかけ離れているので、実は「真実完全、まったく問題ない親子像・母子像・父子像」 とはどんなものかなんてことはわかりません。最初から知りません。


 しかし、現実が「欠損、欠落している」ことは確信しています。そこに文句があったり、いらいらがあったり、さみしさを感じるわけです。



 よろしいですか?ここから大事なところへ入っていきます。


 まず、逆説的に話しますが、いま「完璧な親子像」について命題を挙げましたが、実は



「完璧な親なんてこの世に誰一人として存在しないし、そんな完全な親子関係は実際には無理」


だということも、一面では真実だということを忘れてはいけません。



 とすれば、「欠損・欠落していると感じている」女子に対して、見も蓋もない言い方をすれば、


「そんな理想の親子関係なんて、どこにもないわい。みんな全員誰だって問題を抱えてるんだ!」


と言ってしまえばそれで終了だし、そしておそらくそれは真実で正しく、正論で言い返せないのです。


 だから、そういうなだめ方をしても、女子たちの空虚さは解決しません。


 大事なのは、女子たちの空虚な感覚を「受け止める」ことであって、他人事ではなく「一体化」することだと判明してきたのです。


 そしてそれは、「わたしもそれわかるよ」「だれそれちゃの気持ち、理解できるよ」という受け止め方ではない、というちょっとややこしいポイントがあるということも、付け加えておきましょう。


 仮にグレているA子ちゃんが「あたしにはこんなさみしさがあるんだ」と言われたとしましょう。

 それを聞いた支援者が「わかるよ、わたしにもそれわかる」と言ったとしましょう。

 A子ちゃんは必ず100%に近いくらい「おまえなんかにわかるかい!」と言うでしょう。


 ・・・だって、グレてるんですから。そこをあえて汚くののしるのが、空虚さなのですから!



  だから、これはただ表面的に「受け止める」「立場を同じくする」ということではないのです。



 解脱者武庫川が神からの啓示(←神などいないと言ってるくせに)によって得た答えは、もっと深い部分での「受け止め」「一体化」であり、そうすることで「補完」ができるという仕組みです。



 武庫川なら、なんと答えるか。それはとても明解です。


「わたしが父親なら、あなたにこう言い、こうします。わたしが恋人なら、あなたにこう言い、こうします。わたしが夫であれば、あなたにこう言い、こうします。わたしがあなたの人生に関わり、責任を持つ立場であれば、こう言い、こうします。」


(言う内容や起こす行動は、相手の問題によって変動するので、書いてませんが)


そして、こう付け加えるでしょう。


「わたしは、今目の前にいるあなたに、関わります。本気であなたの話を聞き、受け止め、そして、間違っている点があれば激怒するし、叱ります。悲しければ泣きます。いまも、泣きそうで苦しい。あなたの話は苦しいし、あなたの空虚さは、さみしいと感じます。わたしはあなたの人生に責任を持てる立場にはないけれど、責任を持つつもりと覚悟をもって、あなたには向き合います」


と。


「間違ってはいけないのは、わたしが完全であなたの親が不完全だというつもりではないということです。わたしが仮に真剣にあなたに向き合っても、失敗や間違いを犯すことはたくさんあると思います。ましてや全ての人は、全ての親は、完全にあなたに正しく向き合うなんてできるわけはないのです。親自身も、今のあなたのように欠落やさみしさを抱えて、大人になってきたに違いないのだから。

でも、もし、あなたの親があなたに対して、本当に何かどこかの部分で足りない、無理解のようなものがあるとすれば、そこくらいは世界でわたし一人でもあなたのことを理解したいと思います。

わたしはあなたを応援します。」


と。


 出家女子や私の弟子たちがこの記事を見たら、笑い出すに違いないでしょう。武庫川は本当にこう言うし、こうするし、本気でそうするのを目の当たりにしているからです。




  とまあ、こんな話を出家中の女子とずっとしています。なかなかの修行でしょ?(笑)



 


 














0 件のコメント:

コメントを投稿