2017年3月31日金曜日
解脱と執着の間 冷静と情熱の間
前回や前々回のブログで、解脱前の武庫川が、基本的にはものすごく愛情を注ぐ人(ラブシャワー)であることを告白したと思います。
君の心を0対91でボコボコにする話。そして武庫川がボコボコにされる話。
http://satori-awake.blogspot.jp/2017/03/blog-post_20.html
恋愛には6つのタイプがあるそうで。
http://satori-awake.blogspot.jp/2017/03/blog-post_29.html
もちろん、これは、解脱する前の私の傾向で、解脱してからは多少おさまりがちなのですが、それでも完全ではない(そこが人間らしい)武庫川なので、たまーに、このラブシャワーがちなところは溢れ出る場合があります。
しかし、こうした「親密性・相手にしてあげてる感」が強い傾向は、一歩間違うと暴力性を伴うので、そうはならないようにかなり意識的に考えている武庫川もいます。
「俺はこれだけしてあげているんだから」
「俺は相手のために思っているんだから」
「俺は真剣に言っているんだから」
ということを大上段に振りかざしはじめると、それはあまり良くありません。自分でもここは、重要なポイントだと意識しているというわけです。
なので、私はよく、他者に対して「あなたは本当はどうしたいの?」ということを前半はさりげなく聞いたり、リサーチしたりします。
人間関係ができてくると、けっこうズバリ直接尋ねることもあります。
相手の真の意図とは異なるところで、こちらが真剣さを増しても、おそらくそれはすれ違いを生むだろうと言う事です。
真剣さを突き詰めてゆくと、「これが正解に近いのではないか」とか「こうあるべきではないか」といういわゆる決めつけ度合いが増えてゆくことがあります。
その対極が「どうでもいいんじゃない?」「どっちでも好きにすれば」であるからです。
解脱者の立場からすれば「すべては実は存在しないに等しいよね」ということでもあるのですが、そう言ってしまえば身も蓋もなく、私は誰とも真剣に向き合うことなくふんわりやんわりと
口当たりのいいことだけを言って、お茶を濁す
ことでしょう。
それでは、武庫川らしさもないので、できるだけ平易に、そしてちょびっとだけ、ズバリとその人のツボ・明日につながりそうなことをご提案することもあります。
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いやあ、この中間というかバランスは本当に難しいですね。
仏教では中道・中庸を説いたりしますが、まさにこの中間を歩くことは、支援者・被支援者双方にとって、難しいことなのかもしれません。
臨床で活躍されているカウンセラーの信田さんという方がおられますが、彼女の指摘がとても興味深いので、引用してみましょう。
■ 親密だからこそ生まれる暴力
http://www.mammo.tv/interview/archives/no188.html
・・・親密さは愛を育むのではないか、という表面的な着眼点に対して、親密さの危険性『支配することとの勘違い』が生まれる倒錯が生じる可能性について言及。
夫によるDVについて、「所有し、所有される関係」において、物理的な暴力で支配してしまう男性と、殴られることで関係性を維持する女性の例についても解説あり。
・・・恋人間の暴力に悩む女性を手助けしていて、「武庫川さんも暴力を振るうのですか(その相手のようになるのですか)」と問われたことがあります。
私は暴力を振るわないし、支配しようともしませんが、愛情が根底的に持つ暴力性を指摘した鋭い視点だと思います。
なので、武庫川がよくやるのは「基本的に、報告を待っていて、その人の主体性を重んじる」ということです。こちらが主導するのは最後の手段であることは意識しています。
これでにっちもさっちもいかなくなった時しか、武庫川ラブシャワーは発動しないようになっています。
あとは、また一から自立してくれることを願うわけですが。
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信田さんの論考はさすが臨床から出てきているだけあって、説得力があります。
■ 信田さよ子著「夫婦の関係を見て子は育つ」はスゴい本だと思う
https://togetter.com/li/33736
■ カウンセリングから見えてくるストレスと暴力
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090106/181978/
■ 人間関係で大切なのは共振ではなく境界
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090107/182133/
このあたりのお話もどうぞ。
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