清水なんとかという女子が、幸福のなんとかという宗教に出家したらしいのですが、それとは全く無関係に、我が武庫川散歩の草庵にも、
出家女子がいま一人滞在
しているので、その話でも。
え?家出女子の間違いではないか、って?いやいや、彼女はふだんは一人で暮らしていて、別に盗んだバイクで走り出したり、親と血で血を争う状態ではないので、きっと家出ではなく、
出家
で間違いなかろうと思います
ちなみに、出家して、武庫川の草庵で何をしているかといえば、とりあえず自分のなすべき仕事をやっているので、それは勤行に匹敵する敬虔な行い、と言えるでしょう。
また、ご安心いただきたいのは、彼女は今後永遠にこの寺?にいるわけではなく、
たぶん、数日で還俗
する気まんまんなので、それは尊重する次第。 早く還俗して、幸せになってほしいものです。
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そんな感じで、解脱者武庫川のもとには、その教えを乞いたいとたまに出家女子がやってきます。
武庫川は、今をトキメク解脱者なので、来る者は拒まず、去る者は追いません。解脱者のもとに来たければ勝手にくればよろしい、と万人に伝えていますが、
ただし、女子に限る
のは、ご愛嬌。
さて、いつもそうなのですが、おおむね出家女子がやってくると、庵主である武庫川との間に、いろんな
禅宗では、よく公案という問いを用いて、悟りに近づこうとします。一休さんがよく言う
「そもさん!」
「せっぱ!」
というのがそれです。作麼生(そもさん)説破(せっぱ)と漢字では書きます。
臨済宗で使うことが多いのですが、「質問しよう」「お答えしましょう」みたいな感じですね。
出家女子が悩んでいることの大半は、
「過去の自分の行い」
と
「現在の自分の状況」
と
「未来の自分の道筋」
の問題で決まり!です。タロット占いで出てくる「過去現在未来」みたいなもんですが、 たいていの出家女子は、過去と現在でぐちぐち悩んでいることが多いので、武庫川は
「そんなもんを考えていても過去は変わらない」
と喝破します。問題は、過去ではない!むしろ未来に
「本当は自分はどうしたいのか」
ということを考え、それを実現させるために、「今日、いま何をすべきか」という
部分にすべて帰結するのです。
なので、すべての女子に宣言しておきますが
「私の性格はああでこうで」
とか
「私はこんなことを繰りかえしていて」
とか
「だから私は自分がダメ人間だと思っていて」
とか、
ぐちぐち言っている人は、今すぐそれをぜんぶやめて
「では、それ以外の生き方をしなさい」
ということなのです。
たいていの場合、本人は「これが私のダメなところ」という部分が仮にあるとして、
あんたほんとはそんな自分が好きなんじゃないの?
とつっこみたくなるくらい、そんなダメなところを毎回くり返しながら行動しています。
でも本人はかならず「いいえ!私はそんな私が嫌いなんです!」と主張したり、力説したりします。
いいや。ウソですね。それは。
たしかに、表面的にはそうした自分を卑下したり、嫌っているそぶりがあるかもしれませんが、意外とそういう奴なのです。その人は。
だから「そういう自分のいやらしい面がわかっているから、もやもやする」のであって、実はそんな自分が意外と嫌いじゃなかったりするから恐ろしいのです。
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解脱するということは、無常であることを知るということなので、一種の
「悪の肯定」
みたいなところがあって、
「そんなおちゃめな自分って、ろくでもないよね!てへぺろ」
ということを認めるところから、全ては始まったりします。
善なる自分に拘泥しつづけると、それはこの世界の価値を認める、正義を認めるということなので、従って
「それができていないわたしは、悪であり、卑下されるべきである」
ということになり、
「だから、そんなあたしは嫌い」
と言い出すわけです。
ところが、実際には悟りの世界では、「きちんとできている自分」とやらも「きちんとできていない自分」とやらも、
結局はどちらも虚しいだけ〜こなーゆきーねえ♪
ということなのですから、きちんとできているあたしとやらがなんぼのもんじゃい!と武庫川は思うのです。
だから、「きちんとしたい、ダメな自分を正したい」と心から思うのなら、今すぐこれまでとは真逆の行いをすればいいだけで、何も難しくはありません。
しかし、心のどこかで、女子たちは「そんなダメな自分」を肯定しているから話はややこしくなるのですね。
だったら、真っ正面から肯定せんかーーーー!!!!!
と和尚は叱っているわけです。
武庫川は、基本、ダメ人間であっても、まるごと肯定します。それは無常なる人間の真の姿であるからです。
まずは、ここからはじめて、その後に「どう生きるべきか」を再スタートさせなければ、幸せは訪れません。
なぜなら、人間は赤ちゃんの時は、糞尿は垂れ流すは、よだれはこびりついているわ、鼻くそは飛び出しているわ、勝手に泣くわ、機嫌はたいてい損ねているわ、という
とてもひどい状態
からスタートして、のちに社会生活を身につけたり、よだれをふいたり、パンツを履いたりするわけですから、
その赤ちゃんの状態の時に、親からまるごと肯定されること
が大事なわけです。最初から親が
「うわ、汚い!あんたちゃんと鼻汁拭きなさいよ!」
と赤ちゃんに接して、その子がまともに育つわけがないでしょ?
最初は、まるごと受け止める・受け止められてこそ、そこから人生はスタートするのです。
そして、大人になっても、心が辛ければそのことをちょっと思い出してみましょう。
自分がダメ人間であってもよいんだ、というところからスタートすること。
それが基本です。
なんなら、このとっても紳士な武庫川が、そんなダメ女のあなたをまるごと受け止めようではありませんか!
いつでも、待ってます(はあと)
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