2017年3月29日水曜日

君の心を0対91でボコボコにする話。そして武庫川がボコボコにされる話。




 武庫川はダメ人間が好きです。


 ・・・とまあ、いきなりの愛の告白(ちがうやろ)から始まった今日のネタですが、今日は




とある高校野球の試合で0対91で敗れた学校があった




というエピソードを取り上げたいと思います。



J-CAST 

0対91で敗れた英心高校野球部 「選手はダメじゃない」監督は胸を張った

http://www.j-cast.com/2017/03/28294222.html




すごいでしょ?いろんな意味で感動のエピソードだと思います。


武庫川が一番ツボなのは、いわゆる英心高校の子供達が、



 マイナスからの状況、いや、最後までマイナスの状況なんだけれど、そこで自分たちが逃げなかった、そして奮闘したことだけではなく、


 やっぱり、相手チームが、最後まで真剣に手を抜かずに向き合ったその心というか、真摯なところ



も素晴らしいなあと思うわけで。



 この両者ともが、 いわゆる客観的な「良い悪い」とか「高得点低得点」の垣根を越えて、


 おお!そこだよそこ!

 
という、「今を全力で生きている感じと、だからこそ未来に希望がある感じ」へと繋がるのだと思います。



~~~~~~~~~~



 冒頭で、「ダメ人間が好き」発言が飛び出しましたが、ふだん自分を卑下していたり、自分はダメだと思っている人間が、がっつり自分に向き合ったり、がっつり誰かと真剣にぶつかりあったりした後はやっぱり違います。すごく変わります。



 それは「自分はできる」と勘違いしている人よりも、秘められたすごい力を持っている可能性があるということなんです。





 私は、けっこう誰にでも、必要があれば構うほうなので、 たぶん生半可に私と接すると、


「うわあ、めんどくさい。ややこしい」

「なんか難しいこと言う、この人」


と思われるのがオチです。



なのでふだんは、武庫川散歩は、誰とでも人付き合いがあっさりとした本音を見せないさらりとした人であることを心がけています。





しかし、「この人には、伝えたいことがある!」と覚悟した際には、ややこしかろうが、めんどくさがられようが、なんなら嫌われようが0対91になるまで


フルボッコ


にする癖が・・・。





 いやもちろん、そこへ至るまでには、信義を尽くして相手をとてつもなく尊重しているのですが、フルボッコの瞬間は他者からみれば



「おいおいそこまでやらんでもええやん。手加減してやっても」



なのかもしれません。 でもこれこそ野球と同じで、「手加減することの非礼さ」が横たわっていますから、私はそれは嫌なのです。




 ~~~~~~~~~~
 



 ただまあ、真剣であることって、まったくの他者からみれば滑稽な生き方なのだろうな、と思いますよ。


 笑いたければ笑え、という気持ちでいるので、武庫川はもはや笑われることには慣れていますが。




 滑稽な話で言えば、今日のテーマとも多少関連しますが、その昔、真面目に付き合っていた女子がいて、諸般の事情でその女子と別れたり、彼女が他の男のところへ行ったりというまさにその時に、



 彼女、私、その新しい男



という三者が対面するという修・羅・場に遭遇することと相成りました。



あ、まだ解脱前よ(うふん)。武庫川そのころまだ普通の人だったのですがね。



で、武庫川はすでに彼女とは別れているので、恨みつらみを言うわけでもなく、その子のことを心から大事に思っていたので、新彼氏に


「彼女のことをよろしく頼みます。幸せにしてあげてください」


と言ったのです。


 その私の真面目さ、真剣さが逆に滑稽で、そして腹立たしかったのでしょう。



 「は?おれたちまだ知り合ったばかりで、幸せとかそんなん知らねーよ。いま楽しけりゃいいんだよ!てめえバカじゃないの?ウザいんだよ!」


と激怒して、武庫川青年は、そのヤンキー兄ちゃんに殴られ、蹴りまわされました。



 で、地面に這いつくばってピクピクなっている武庫川を横目で見ながら、そいつの車に乗っていってしまった元彼女。



  いやあ、滑稽だねえ。武庫川滑稽すぎます。



 ワシそこからどうやって帰ったのか。覚えていませんな。とりあえず生きてることは確かです。



  それからも人生滑稽なことが多々あり、今に至ります。








~~~~~~~~~~



 後日談。



 その彼女とは、そこで縁が切れたのは確かなのですが、これまたいろいろあって、今もLINEがたまに来るくらいは友人です。


 あの時ワシを売りやがって!という気も、とくには起きません。(まあ、こちらは解脱したし)


 ただ、彼女はその後、3回か4回か離婚して、こどもの父親が全部違うという生き方をしています。


 滑稽であることに負け、「真剣さ」から一度逃げてしまえば、それを知っているがゆえに、求めてしまうのでしょう。


 彼女は「自分に真剣に向き合ってくれた人がいた」ということはずっと心に残っていて、けれど、それの代替物をいかに探そうとも、どんな男性も代わりにはなりえないのかもしれません。


 そう思うと、可哀想なのはむしろ彼女だったのだな、と。



 英心高校の部員も、ボコボコにされて良かったのです。そこに、見えてくる何かがあるのですから。















 
 









0 件のコメント:

コメントを投稿